(村林隆一先生古稀記念論文集に掲載予定)
中古ゲームソフトと頒布権
小  松  陽一郎
岩  坪     哲



[中古ソフト事件 @東京高裁平成一三年三月二七日判決(平成一一年(ネ)第三三五五号著作権侵害差止請求権不存在確認請求控訴事件)最高裁ホームページ知的財産権判決速報 控訴棄却、A大阪高裁平成一三年三月二九日判決(平成一一年(ネ)第三八四八号著作権侵害行為差止等請求控訴事件)最高裁ホームページ知的財産権判決速報 原判決取消・請求棄却]

[キーワード] ゲームソフトの映画著作物性、頒布権、消尽

[判決要旨]
@ 東京高裁平成一三年三月二七日
本件各ゲームソフトは著作権法二条三項にいう「映画の著作物」に該当するが、著作権法二六条一項により映画著作権者の頒布権が認められる「複製物」には、大量の複製物が製造されその一つ一つは少数の者によってしか試聴されない場合のものは含まれないと限定して解すべきである。
本件各ゲームソフト複製物が上記の大量の複製物が製造されその一つ一つは少数の者によってしか試聴されない場合のものに該当するから、これらは法二六条一項にいう「複製物」に当たらず、従って頒布権の対象とはならない。
A 大阪高裁平成一三年三月二九日
本件各ゲームソフトは著作権法二条三項にいう「映画の著作物」に該当し、そうである以上著作権者は法二六条に基づく頒布権を有することになるが、映画の著作物の複製物が第一譲渡により適法に公衆に拡布された場合(著作権法二条一項一九号の前段頒布)には、権利消尽により頒布権は消滅する。
本件ゲームソフトの複製物が一次卸店を通じて卸店、小売店を経由し最終ユーザーに譲渡されたのであるから、いったん市場において適法に拡布されたものであり、権利消尽の原則により被控訴人らは最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布権禁止の効力を及ぼすことができない。

[事実]
本件は裁判例を二分した標記論点に関する東京・大阪各地裁判決の控訴審判決であり、同時に東西の裁判所で係属していた同種事件のうち平成一三年三月二七日に東京高裁としての判断が下され、同月二九日、大阪高裁の判決が下されたものである。
東西の両事件は当事者こそ異なるものの、事案の内容及び当事者の主張をほぼ軌を一にするもので、要するに、適法に拡布されたゲームソフトの中古品をユーザーから買い求めて中古ゲームソフトとして再販売する行為が、頒布権の対象外あるいは頒布権の消尽によって著作権侵害の埒外に置かれるものか、それとも、ゲームソフトは映画の著作物(著作権法二条三項)に属するものとして、中古品の頒布行為が映画の著作物に特有の支分権である頒布権侵害(著作権法二六条)に擬律されるのかが、「映画の著作物」の定義論、現行法制定時(昭和四五年)に導入された頒布権の立法趣旨、あるいは貸与権(昭和五九年法律第二三号)・譲渡権(平成一一年法律第七七号)との関係を巡る議論と相挨ち、中古ソフト販売業者とオリジナルソフト製造業者の間で争われたものである(東京事件は中古ソフト販売業者が原告となって差止請求権不存在確認請求をなしたものであるのに対し、大阪事件はソフト製造販売業者が原告として提起された差止請求である。)。
論点を要約すると、
1 本件各ゲームソフトが著作権法上の「映画の著作物」に該当するか。
2 1が認められるとして、本件各ゲームソフトの中古品は「著作権法二六条一項により頒布権が及ぶ映画の著作物の複製物」に該当するか。
3 2が認められる場合に、本件各ゲームソフトの複製物が著作権者よりいったん適法に拡布されれば、当該複製物については頒布権が消尽し、その後の譲渡等の行為には頒布権が及ばないか。
である。
東西の一審判決においては結論が分かれた。

A 東京地裁平成一一年五月二七日判決(注一)
 中古ソフト業者勝訴。
A−1−1(注二)「著作権法が映画の著作物のみに右のような頒布権(注:著作権法二六条)を認めた趣旨につき考察するに、右規定は、ベルヌ条約のブラッセル改正規定が映画の著作物について頒布権を認めていたことから、条約上の義務履行として設けられたものであるが、実質的には、劇場用映画における次のような特殊性を考慮したことによるものである。すなわち、劇場用映画は、オリジナル・フィルムを基にして複製されたプリント・フィルムを映画館において上映し、映し出される視聴覚的表現を一度に多数の観客に鑑賞させるという形態で利用されるものである。それ故に、劇場用映画においては、個々の複製物が、右のような上映による多額の収益(入場料収入)を生み出すという意味で、高い経済的価値を有することになり、また、他の著作物のように多数の複製物が需要者たる公衆に直接販売されるという流通形態をとらず、少数の複製物が専ら映画製作会社・映画配給会社と映画館経営者との間で取引によって流通することになる。実際、映画製作には巨額の資金が必要であり、映画製作会社、映画配給会社は、プリントフィルムを映画館経営者に貸し渡すにとどめ、上映期間が終わったら貸し渡したプリント・フィルムを返却させたり、映画製作会社・映画配給会社の指示の下に、別の映画館に引き継がせるなどの方法を通じてプリント・フィルムの流通をコントロールするという、いわゆる配給制度を通じて、興行収益を見越して上映の地域的な範囲・順序や期間などを戦略的に決定することで、投下した資金の回収を行ってきたという社会的な実体が存在した。著作権法は、劇場用映画の右のような利用形態、個々の複製物が持つ経済的価値及びその流通形態の特殊性を考慮し、映画製作者が劇場用映画の製作に投下した資本の回収を図る利益を保護する上で、複製物の流通全般をコントロールし得る地位を保障することが適当であり、かつ、これを映画製作会社・映画配給会社と映画館経営者の間の債権契約のみに委ねることでは不十分であって、著作権者に排他性のある物権的な権利を付与することが相当であり、他方、右流通形態からすれば、右のような権利を認めたとしても、商品の流通を不当に阻害することにはならないとの立法政策的な判断から、映画の著作物のみについて、前記のような内容の頒布権を認めたものというべきであり、それ以外には映画の著作物のみに頒布権を認めるべき実質的根拠を見出すことはできない。」
A−1−2「劇場用映画が著作物性の要件を満たすのは、カメラ・ワークの工夫、モンタージュあるいはカット等の工夫、フィルム編集などの知的な活動を通じて、その構図等において創作的工夫に係る映像を作成し、これを選択して一定の順序で組み合わせ、音声をシンクロナイズすることによって、映画フィルムが作成され、これを上映することによって一定の思想又は感情の表現としての連続した映像及びこれに伴う音声がもたらされるためである。・・・右のとおり、劇場用映画においては、思想・感情の創作的表現は、フィルム編集等の行為を通じて一定の内容の影像を選択し、これを一定の順序で組み合わせることにより行われるものであり、複製物たるプリント・フィルムにより同一内容の連続影像が常に再現可能であることが、劇場用映画フィルムの配給制度の前提になっているものということができる。そして、前記のとおり、『映画の著作物』に関する著作権法の規定が、いずれも、劇場用映画の利用について映画製作者による配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであることを併せ考えると、著作権法は、多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対して思想・感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという、劇場用映画の特徴を備えた著作物を、『映画の著作物』として想定しているものと解するのが相当である。そうすると、著作権法上の『映画の著作物』といい得るためには、(1)「当該著作物が、一定の内容の影像を選択し、これを一定の順序で組み合わせることにより思想・感情を表現するものであって、(2)当該著作物ないしその複製物を用いることにより、同一の連続影像が常に再現される(常に同一内容の影像が同一の順序によりもたらされる)ものであることを、要するというべきである。」
A−1−3「本件各ゲームソフトは・・・表示される影像の内容及びその順序はコントローラの操作により決定されるため、同一のゲームソフトを使用しても、プレイヤーによるコントローラの具体的な操作に応じて、画面上に表示される影像の内容や順序は、各回のプレイごとに異なるものとなる。そうすると、本件各ゲームソフトにおいては、プレイヤーの操作をもって直ちにゲーム著作者の思想・感情の表現ということができないのみならず、画面上に表示される具体的な影像の内容及び表示される順序が一定のものとして固定されているということもできないのであって、これらの点において、「映画の著作物」たり得るための前記の各要件を満たさない。」
以上のとおり述べ、ゲームソフトの映画著作物性を否定し、頒布権に基づく差止請求権の不存在確認を求めた原告の請求を認容した。

B 大阪地裁平成一一年一〇月七日判決(注三)
 ゲームソフト製造業者勝訴。
(一)ゲームソフトの映画著作物性について
B−1−1「著作権法上の「映画の著作物」には、劇場用映画のような本来的な意味の映画以外のものも含まれるが、著作権法の規定に照らすと、映画の著作物として著作権法上の保護を受けるためには、次の要件を満たす必要があると解される。(一)映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(表現方法の要件)、(二)物に固定されていること(存在形式の要件)、(三)著作物であること(内容の要件)。・・・「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているとは、右に述べた「映画」と同様の視覚的又は視聴覚的効果を生じさせるもの、すなわち、多数の静止画像を映写幕、ブラウン管、液晶画面その他の物に急速に連続して順次投影して、眼の残像現象を利用して、「映画」と類似した、動きのある影像として見せるという視覚的効果、又は右に加えて影像に音声をシンクロナイズさせるという視聴覚的効果をもって表現されている表現物をいうものと解するのが相当である。」
「現在我が国で製造、販売されているゲームソフトにも、影像や音声の面での表現内容には種々のものがあるから、当該ゲームソフトが右にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物に該当するか否かは、個別具体的に判断すべきものと考えられる。そこで、これを本件各ゲームソフトについて検討するに、証拠・・・によれば、本件各ゲームソフトは、それぞれ、全体が連続的な動画画像からなり、CG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使するなどして、動画の影像もリアルな連続的な動きをもったものであり、影像にシンクロナイズされた効果音や背景音楽とも相まって臨場感を高めるなどの工夫がされており、一般の劇場用あるいはテレビ放映用のアニメーション映画に準じるような視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているといって差し支えない程度のものであることが認められる。したがって、本件各ゲームソフトは、いずれも、著作権法二条三項にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものというのに十分である。」
B−1−2「著作権法上の映画の著作物の要件としての・・・固定性の要件は、生成と同時に消滅していく連続影像を映画の著作物から排除するために機能するものにすぎず、その存在、帰属等が明らかとなる形で何らかの媒体に固定されているものであれば、右固定性の要件を充足すると解するのが相当である。・・・本件各ゲームソフトは、CDーROM中に収録されたプログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであり、そのデータはいずれもCDーROM中に記憶されているものであるから、右に述べたところの固定性の要件に欠けるところはない。」
B−1−3「本件各ゲームソフトは、・・・その具体的内容を検討するに、いずれも著作者の知的精神的創作活動の所産が具体的に表現されたものと認めるに十分であるから、これらの著作物性を肯定することができる。・・・本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、ゲームソフト自体が著作者の統一的な思想・感情が創作的に表現されたものというべきであり、プレイヤーの操作によって画面上に表示される具体的な影像の内容や順序が異なるといったことは、ゲームソフトに「映画の著作物」としての著作物性を肯定することの妨げにはならないものというべきである。」

(二)本件ゲームソフトは頒布権のある映画の著作物か
B−2−1「著作権法が映画の著作物について頒布権を導入した当時、社会的事実として、劇場用映画について、映画製作会社や映画配給会社は、映画館経営者に対してプリント・フィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際には返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の配給制度が慣行として存在しており、映画の著作物に他の著作物一般には認められていない頒布権が導入されたのは、右のような配給制度の下で取り引きされている劇場用映画のプリント・フィルムについては、流通に大きな影響力を与える頒布権を認めても、取引上の混乱が少ないと考えられたためであると一般に認識されている。しかし、・・・頒布権の前提となる「頒布」の概念について、著作権法は、配給制度を前提とするものと考えられる「公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」のみならず、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」をも含む概念として定義している(二条一項一九号)ことなどからすれば、現行著作権法の解釈として、「頒布権のある映画の著作物」の概念を、配給制度という慣行の存在する劇場用映画のみ、あるいは劇場用映画の特質を備えるもののみに限定して解釈することは相当でないといわざるを得ない。」
B−2−2「・・配給制度の存在という社会的事実を前提として、著作権法が映画の著作物のみに頒布権を認めた背景には、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間及び労力を要する反面、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという特性が考慮されているものと考えられる。すなわち、右のような性質を有する映画の著作物について、投下資本の回収の多様な機会を与えるために、上映権及び頒布権を特に認めて、著作権者が対価を徴収できる制度を構築したものと考えられる。・・・テレビゲームのゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、影像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、この点では劇場用映画に類似するものであり、右のような傾向は、ゲーム機の高性能化とも相まって最近では一層顕著になってきており、ゲームの内容も影像・音楽の技術的な進歩による視聴覚的表現方法の向上が著しく、映画との差が小さくなってきている。証拠・・・によれば、本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除いた平均製作費は約九億五〇〇〇万円程度に達する。)、時間及び労力を要したものであることが認められる。また、その反面、ゲームソフトは、視聴者(需要者)に短時間(劇場用映画と比較すればその差はあるが)で満足感を与えるものである点も、劇場用映画と大きく異ならず、殊に人気ゲームソフトでは、新作発表後二ないし三か月で中古品販売数量が新品販売数量を上回ることも少なくないというデータがあることが認められる。そうすると、ゲームソフトについて、その投下資本の回収の多様な機会を与えることには合理性があり、これに対して頒布権を認めることも、劇場用映画と比較すればあながち不合理であるともいえず、少なくとも、映画の著作物に頒布権を認めた立法趣旨に照らして、頒布権のある映画の著作物として保護を受けるに値する実質的な理由がないとはいえない。」
B−2−3「昭和五九年に貸レコード業等をはじめとする著作物の複製物のレンタル業の発展に対応するため、著作権法の改正により、著作権者に貸与権を認める旨の規定(二六条の二)が設けられた際に、映画の著作物については頒布権があることから貸与権の規定の適用を除外されたが、当時、既に貸ビデオも存在したから、立法者は、ビデオソフトも映画の著作物に入り、映画の著作物の頒布権によって規制できると考えていたことが明らかである。したがって、現行著作権法は、配給制度によらず、多数の複製物が公衆に販売されるようなものも映画の著作物に含まれることを前提としていると解さざるを得ない。その点からみても、ゲームソフトが頒布権のある映画の著作物に含まれると解することに不都合はない。」

(三)頒布権の消尽について
B−3−1「被告らは、映画の著作物の頒布権は、いったん適法に複製された複製物が適法に譲渡された後は、当該複製物には及ばないものと解すべきであると主張する。しかし、もともと、映画の著作物に頒布権が認められた背景には、前記のとおり、劇場用映画についての配給制度という取引慣行があったという面があり、その趣旨からいっても、右頒布権は第一譲渡後も消尽しない権利として一般に解されてきたものであるところ、著作権法の規定からみても、劇場用映画に限らず、映画の著作物の頒布権が第一譲渡によって消尽するとの解釈は採り得ない。」
B−3−2「著作権法は、著作物一般については、頒布権を認めず、著作権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為を著作権侵害とみなす旨の規定(一一三条一項二号)を設けている。そして、映画の著作物についてのみ、他の著作物一般には認められていない頒布権を認め(二六条一項)、著作権を侵害する行為によって作成された物であるか否かを問わず、映画の著作物をその複製物により頒布する権利を著作権者に専有させている。また、ここにいう「頒布」とは、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含む」(二条一項一九号)ものとし、頒布権の消尽については何ら規定するところがない。これらの著作権法の規定からすれば、映画の著作物の頒布権が第一譲渡行為に限定されたものであると解することはできず、また、第一譲渡後に頒布権が消尽するとする根拠もない。・・・著作権法は、前記のとおり、「頒布」には譲渡と貸与の双方を含むものとしており、映画の著作物について、譲渡と貸与とを区別することなく、著作権者に頒布権を認めているものであるから、第一譲渡後に頒布権が消尽すると解するかどうかに関して、譲渡と貸与とを区別して考えることは、解釈上は困難であるといわざるを得ない。・・・そして、著作権法二六条の二の規定は、貸与権の対象となる著作物から映画の著作物を明示的に除外している。右のように、貸与権の規定において映画の著作物が除外されたのは、映画の著作物には貸与を含む頒布権が認められており、改めて貸与権を定める必要がなかったことによることは明らかであって、このことは、貸与権を含む映画の著作物の頒布権が第一譲渡によって消尽しない権利であるとの理解を、当然の前提にしたものというべきである。」
B−3−3「さらに、平成一一年の著作権法の改正により、著作物一般について、著作権者に「その著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利を専有する」譲渡権を認める規定(同年法律第七七号による改正後の著作権法二六条の二)が新設されたが、右規定においては、対象となる著作物から映画の著作物を除外するとともに、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には及ばないことが明定され、譲渡権が第一譲渡によって消尽することを明らかにしている。右譲渡権の規定は、一九九六年(平成八年)一二月に採択されたWIPO著作権条約が著作物一般に頒布権を認めていることから、我が国の著作権法においても著作物一般に頒布権を認める必要があるとの判断から設けられたものである。右改正においては、この譲渡権は、第一譲渡によって消尽するものとする一方で、映画の著作物については譲渡権の規定の適用を除外し、かつ、映画の著作物の頒布権を定めた著作権法二六条の規定は特に変更していないことからすれば、右改正に当たって、映画の著作物については消尽しない頒布権を維持するものとされたことが明らかである」。
B−3−4「本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、一般的に上映を目的として譲渡されるわけではなく、劇場用映画のように配給制度という流通形態をとるわけでもなく、多数の複製物が一般消費者に販売されるものである。このようなものについて、映画の著作物に該当するとの理由で、適法に複製された複製物がいったん流通に置かれ、一般消費者に譲渡された後にも、著作権者が消尽しない頒布権を行使して流通をコントロールする立場に立つことは、商品の自由な流通を阻害し、権利者に過大な保護を与えるように見えなくもない。しかし、・・・映画の著作物と認められるゲームソフトについて、頒布権を認めて投下資本の回収の機会を保障することにも合理性がないわけではなく、著作権法の規定上は消尽しない頒布権があると解さざるを得ない映画の著作物のうちから、ゲームソフトについて第一譲渡後の消尽を認めることは、解釈上十分な根拠がなく、採用することができない。」
以上のように述べ、ゲームソフトの映画著作物性を肯定し、頒布権に基づく中古ソフトの販売行為の差止を認容した。
両事件とも控訴。

[判決理由]
C 東京高裁平成一三年三月二七日判決
控訴棄却(中古ソフト業者勝訴)
「本件で問題とされているのは、本件各ゲームソフトのいわゆる中古品につき、その著作権者である控訴人が上記頒布権を有するか否かである。すなわち、本件で判断されなければならないのは、上記中古品は法二六条一項にいう「映画の著作物」の「複製物」に該当する、といい得るか否かである。」
(一)ゲームソフトの「映画著作物性」について
C−1−1「法二条三項の文言によれば、同条項の定める要件は、@映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(いわゆる表現方法の要件)、A物に固定されていること(いわゆる存在形式の要件)、B著作物すなわち「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(法二条一項一号)であること(いわゆる内容の要件)、の三要件に分けられる。表現の要件における「視覚的効果」とは、劇場用映画の持つ様々な効果のうちの視覚的効果、すなわち、「長いフィルム上に連続して撮影した多数の静止画像を、映写機で急速に・・・順次投影し、眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」・・・という効果(映写される影像が動きのあるものとして見えるという効果)をいい、視聴覚的効果とは、上記視覚的効果に合わせた音声を伴った効果をいうものと解すべきである。存在形式の要件である「物に固定されていること」が必要とされているのは、テレビの生放送番組のように生成と同時に消えていく連続影像を「映画の著作物」に含めないためであり、そこにそれ以上の意味はないというべきである。したがって、「物に固定されていること」とは、著作物が何らかの方法によりフィルム、磁気テープ等の有体物である媒体に結び付くことによってその存在、内容及び帰属等が明らかになる状態にあることをいう、と解すべきである。内容の要件である「著作物」とは、法二条一項一号に定義されているとおり、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいう、と解すべきである。したがって、上記表現方法である連続影像は、映画の著作物として認められるためには、創作的なものであること(カット、モンタージュ、カメラワークの工夫等何らかの知的活動の成果であること)を要し、創作性を有しない単なる影像の連続にすぎないものは、内容の要件を充足しないと解すべきである。」
C−1−2「@本件各ゲームソフトは、いずれも、「眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」という、映画の効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法によって、人物・背景等を動画として視覚的に表現し、かつ、この視覚的効果に音声・効果音・背景音楽を同期させて視聴覚的効果を生じさせていること、A本件各ゲームソフトの影像は、いずれも、ゲームソフトの著作者によって、カメラワーク、視点や場面の切替え、照明演出等が行われ、ある状況において次にどのような影像を画面に表示させて一つの場面を構成するか等、細部にわたるまで視覚的又は視聴覚的効果が創作・演出されていること、B本件各ゲームソフトは、いずれも、著作者により創作された一つの作品として、CD−ROMという媒体にデータとして再現可能な形で記憶されており、プログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであることが認められる。上記認定の事実によれば、本件各ゲームソフトは・・・法二条三項にいう、「映画の著作物」に該当するというべきである。」

(二)本件各ゲームソフトは、頒布権の対象となる映画の著作物の複製物に該当するか
C−2−1「本件各ゲームソフトは、上述のとおり、法二条三項にいう「映画の著作物」に該当するというべきであるから、反対の結論に導く合理的な根拠が認められない限り、法二六条一項にいう「映画の著作物」とみられるべきであり、その著作者には同法条所定の頒布権が認められるものというべきである。そして、上記根拠となるべき事情は、本件全証拠によっても認めることができない。したがって、本件各ゲームソフトの著作権者である控訴人は、これについて頒布権を有するものというべきである。・・・そこで、本件で、次に問題となるのは、本件各ゲームソフト複製物が同法条にいう「複製物」に該当するか否かということである。・・・法は、二条一項一五号で「複製」を「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製すること」と定義しており、この定義による限り、本件各ゲームソフト複製物が本件各ゲームソフト原作品を「複製」することによって得られたものであることは明らかである。他方、法二六条一項は文言上、そこでいう「複製物」につき格別の制限を付していない。したがって、法二六条一項の文言にそのまま従う限り、本件各ゲームソフト複製物には、本件各ゲームソフトの頒布権が及ぶことになる。しかしながら、当裁判所は、法二六条一項の立法の趣旨に照らし、同条項にいう頒布権が認められる「複製物」とは、配給制度による流通の形態が採られている映画の著作物の複製物、及び、同法条の立法趣旨からみてこれと同等の保護に値する複製物、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造されることの予定されている場合のものであり、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものは含まれないと、限定して解すべきであると考える。・・・法が、複製物の流通をほとんど全面的に規制することができる強力な権利である頒布権を、映画の著作物にのみ認めた実質的理由は、劇場用映画の配給制度を保護、保障することにあるということができ、他に、映画の著作物に頒布権を認めた実質的な理由となるべき事由は・・・見いだすことができない。このような立法趣旨に照らすと、同条にいう「複製物」は、配給制度による流通を前提とするもの、及び、上記立法趣旨からみてこれと同等の保護に値するもの、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造され、著作者はそれら少数の複製物の流通の支配を通じて投下資本を回収すべく予定されている場合のものに限定され、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものはこれに含まれないとするのが、合理的な解釈となるというべきである。本件各ゲームソフト複製物が、上記の、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものであることは明白である。したがって、これらは、法二六条一項にいう「複製物」に当たらず、したがって頒布権の対象にならないものというべきである。上記のような解釈が、法二六条一項の文理に反することは、前述のとおりである。しかしながら、当裁判所は、複製物、すなわち、法二条一項一五号にいう「複製」によって再製された物に含まれるものであっても、頒布権という極めて強力な権利を映画の著作物のみに認めた立法趣旨に照らし、法二六条一項の「複製物」には、上記限定が設けられているものと判断するのが相当であると解するものである。」
C−2−2「なお、被控訴人は、映画の著作物の頒布権は、法二条一項一九号後段の「頒布」に限定されるべきである旨主張する。しかしながら、複製物の流通に対する極めて強力な支配権として頒布権を認めた立法趣旨からすれば、その趣旨を貫徹するため、後段の頒布のみならず、前段の頒布も法二六条一項の頒布権の対象となると解することが相当であり、被控訴人の主張するように後段の頒布のみに限定するのは相当でないものというべきである。」
C−2−3「控訴人は、昭和五九年の著作権法改正により貸与権に関する規定(現行の法二六条の三)が創設された際に、映画の著作物については、頒布権があることを前提に、貸与権の適用対象から除外されたこと、当時、貸ビデオも既に存在したことから、立法者は、ビデオソフトのように多数の複製物が公衆に販売、貸与されるようなものも、頒布権の対象となる映画の著作物に含まれることを前提としていたと解さざるを得ない旨主張する。・・・確かに、貸与権規定の創設当時において、立法当局者に、ビデオ・ソフトに頒布権が及ぶとの理解があったことが認められる。しかしながら、上記認定の立法当局者の解説や著作権法の解説書の述べるところは、つまるところ、以前から認められている映画の著作物の頒布権の及ぶものについては貸与についての保護をそれにゆだねることとして、それが及ばないものについての保護のための制度として貸与権が創設された、ということを示すに尽きるのであり、そこには、貸与権制度の創設に際して従来から存在した頒布権の内容に変更が加えられたことを意味するものは、何ら見いだすことができない。・・・現に、法文上も、法二六条の三においては、貸与権の適用除外の対象は「映画の著作物の複製物」とされているだけであるから、これを法二六条一項と併せて読めば、結局のところ、そこには、既に法二六条一項によって「映画の著作物の複製物」として頒布権の認められているものには貸与権は及ばない、という、いわば当然のことが示されているにすぎず、これによって同法条の内容を変えることまでが示されているとすることはできない。そうである以上、貸与権制度の創設のいきさつ及び貸与権を定めた法二六条の三のいずれについても、「映画の著作物の複製物」に、ビデオ・ソフトが含まれるとの解釈がそこから当然に導かれるものということはできず、ビデオ・ソフトが含まれるか否かは、これを離れて、法二六条一項の解釈により決すべき事柄となるというべきである。・・・仮に、長く続いた事実関係の尊重その他何らかの理由により、ビデオ・ソフトについては、頒布権の及ぶ複製物に該当するとの解釈が採用されるべきであるとしても、法二六条一項の前記立法趣旨に照らすと、それはあくまで、必ずしも合理的でない理由により例外的に認められたものにすぎないと考えるべきであり、それと類似するもの一般にその扱いを広げることに、正当性は認められないというべきである。結局、後の立法によって設けられた貸与権の制度によって、法二六条一項についての上記解釈を変更すべき理由は見いだすことができない。実質的にみても、法二六条の三の適用除外の対象となる「映画の著作物の複製物」が頒布権の認められるものを意味することは明らかである以上、上記解釈によっても、頒布権が認められない映画の著作物の複製物は、法二六条の三の適用除外の対象とならず、貸与権が認められることになるから、不当な結論を導くことにはならない。」
C−2−4「控訴人は、映画の著作物につき頒布権を認めた実質的根拠の所在につき、それは、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間、労力を要すること、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないこと、という特性を有することを考慮して、映画の著作物につき投下資本の回収の多様な機会を与えることにあるとして、このような特性を有する本件各ゲームソフトについても、頒布権を認めるべき実質的な根拠がある旨主張する。しかし、法二六条一項は、単なる投下資本の回収一般を保護の対象として頒布権を認めたものではなく、劇場用映画の配給制度等の一定の流通態様を通じての投下資本の回収を保護の対象としたものというべきである。法が単なる投下資本の回収一般の保護を目的としていると考えるべき根拠は見いだせず、また、著作物の作成に多大な費用等を要するのは必ずしも映画やゲームソフトに限られるわけではないから、投下資本が多大であること自体は、複製物が大量に製造されそれらが流通に置かれることが予定されている場合の複製物について頒布権を認めるべき実質的根拠にはなり得ない。また、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという点については、他の著作物である書籍やレコード等についても、少なからず見受けられるところであり、映画やゲームソフトに特有のことではないから、上記の点も、頒布権を認めるべき実質的根拠とはなり得ない。また、上記投下資本の多大さと同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという点を総合しても、上記実質的根拠とはなり得ないものというべきである。」
上記のように述べ、大量に製造され流通に置かれた本件各ゲームソフトの複製物は法二六条一項の「複製物」に該当せず、これについての頒布権は認められないと結論付け、原判決の取消を求めたオリジナルソフト業者側の控訴を棄却した。

D 大阪高裁平成一三年三月二九日判決
 原判決取消・請求棄却(中古ソフト業者勝訴)
(一)本件各ゲームソフトの「映画の著作物性」について
D−1−1 著作権法二条三項の「・・・立法経過に照らすと、ベルヌ条約が、映画の著作物に関し、創作性を他の一般著作物と同様のものとし、次に、著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性によって映画類似の著作物を捉えてテレビジョン著作物をも含めて固定のいかんにかかわらず映画に類似する方法で表現されているものが映画としての保護の対象となるが、国内法で固定を要求することができるものとし、現行著作権法がこれに基づきテレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物としては保護しないということにして固定の要件を規定したのであるから、法二条三項は、第一に、創作性につき他の一般著作物と同様のものとし、第二に、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で「表現され」ることを求めているのであって、表現の内容たる「思想・感情」や表現物の「利用態様」における映画との類似性を求めていないというべきである・・・。そして、第三に、表現が「物に固定」されることは、テレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということで要件とされたのであるから、一定の内容の影像が常に一定の順序で再生される状態で固定されるというような特別の態様を要求するものでないことは明らかであり、法二条一項一四号にいう「録画」の定義としての「影像を連続して物に固定」するのとは異なるというべきである。」
D−1−2「・・・本件各ゲームソフトは、アニメーション映画におけるのと同様、ショットの構成やタイミング、カメラワークを含む作品成立にかかわるすべての表現要素をまとめた編集行為が絵コンテ段階で行われ、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込んで、著作者の意図を創作的に表現する編集行為が存在しているのであり、プレイヤーによる操作を前提としつつ、これを想定した上で著作者がいかに見せるかという観点から視聴覚的効果を創作的に表現しているというべきであって、前記引用にかかる原判決記載のとおり、本件各ゲームソフトは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的方法で表現され、かつ、創作性があって著作物性を有し、右表現がプログラム化されてCDーROMに収録されて固定されているから、映画の著作物に該当するというべきである。」

(二)本件各ゲームソフトが法二六条一項の「頒布権のある映画の著作物」に該当するかについて
D−2−1「著作権法は、映画の著作物について、著作権者が頒布権を専有する旨を定めており(法二六条一項)、映画の著作物の中で頒布権を認めるものとそうでないものとの区別をしていない。したがって、・・・本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、著作権者である被控訴人らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。」
D−2−2「控訴人らは、本件各ゲームソフトについては頒布権を認める前提を欠き、頒布権付の映画の著作物に該当しないと主張する。現行著作権法二条三項の制定過程でベルヌ条約の規定が反映され、その趣旨を内容とする立法がされたことは前記認定のとおりであるところ、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、さらに、次の事実が認められる。(1)旧著作権法は映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかったが、現行著作権法への改正に際し、ベルヌ条約ブラッセル規定(一九四八年)が映画の著作物について頒布権を認めていたから、これに即応して、映画の著作物の頒布権を定める必要があった。一方、右改正の当時、劇場用映画について、映画製作会社や映画配給会社は、オリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、映画館経営者に対してプリント・フィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の配給制度を慣行として維持・運営しており、映画フィルムの配給権という社会的取引の実態があった。ここに、映画の配給とは、製作された映画著作物すなわち著作権を有するネガフィルムをプリントに複製し、これを上映するために映画館(興業者)に一定期間貸し出すことをいうと観念されていた。そして、映画フィルムは、経済的な効用度が高く、一本のフィルムによって多額の収益を上げることができ、右のような配給制度の下で取り引きされている実態に照らすと、流通に大きな影響力を与える頒布権を認めても、取引上の混乱が少ないと考えられた。その結果、行先を指定する権利として、頒布先(譲受人又は借受人)、頒布場所、頒布期間を限定したり指定するものとしての頒布権が認められた(法二六条)。(2)また、新たに、法二条一項一九号は、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念として前段(「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与する」こと)を規定し(以下「前段頒布」という。)、映画の著作物のみに適用される「頒布」概念として後段(これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」)を規定(以下「後段頒布」という。)した。(3)一方、現行著作権が制定された昭和四五年当時、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープは存在したが、本件のようなゲームソフトは存在せず、訴外任天堂が「ファミリーコンピューター」を発売した昭和五八年頃から、ゲームソフト(の複製物)は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成九年のゲームソフト新品は、売上本数が約一億本、販売額約五三七七億円(国内約三八九九億円、海外約一四七八億円)で、中古品は、売上本数が約四〇〇〇万本、販売額約一三九五億円であり、前記映画の配給とは全く異なる流通、取引形態を取っている。右事実によれば、控訴人らの主張するように、法二六条は、劇場用映画の配給制度という取引実態を踏まえて、映画の著作物について頒布権という特別の支分権を認めて作られた規定であるところ、本件各ゲームソフトの流通、取引形態は、右劇場用映画の配給制度とは全く異なるものであるということができるが、しかし、そのことから、直ちに、本件各ゲームソフトが頒布権を有しない映画の著作物に該当するとすることはできない。けだし、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、法二六条が適用されることになるのは当然であって、明文によって認められる権利を否定するにはそれだけの十分な理由付けが必要であるところ、右事由は、未だ本件各ゲームソフトについて頒布権を否定するに足りるだけの理由に至っていないというべきだからである。」
D−2−3「なお、平成一一年法律第七七号による改正により、映画の著作物以外の著作物について譲渡権の規定が新設された(法二六条の二)ことに照らしても、控訴人らのような解釈を採ると、本件各ゲームソフトは、法二六条、二六条の二のいずれにも該当しないことになり、著作物のうち唯一譲渡権の認められないものを肯定するという不相当な結果を招くことになる。」

(三)本件各ゲームソフトの頒布権は、著作権者による第一譲渡によって消尽するか
D−3−1「被控訴人らは、本件各ゲームソフト(各パッケージに中古販売を禁止する旨が記載されている。右取扱いは一般的に平成一〇年頃から始められた。)を一次卸店を通じて、卸店、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡されるまでの各販売につき許諾(黙示的)をしたものであるところ、控訴人ライズは、フランチャイザーである控訴人アクトの指導の下に、ゲームソフト販売店を開設して営業し、本件各ゲームソフトを最終ユーザーから購入した上、一般公衆に対して販売したことが認められる(前記引用に係る原判決記載の前提となる事実、検甲一ないし六の各一、弁論の全趣旨)から、本件各ゲームソフトは、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され、いったん市場に適法に拡布されたものということができ、そうすると、権利消尽の原則という一般的原則により、被控訴人らは、少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができないというべきである。」
D−3−2「著作権法の領域において消尽の原則が適用されるのは同法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づく」。商品が転々流通することは産業発展にとって必須であるから、特許権の権利消尽の理論は特許権が商品の転々流通を阻害するような制度であってはならないという優れて政策的な判断から肯定されるものである(最高裁判所平成九年七月一日判決・民集五一巻六号二二九九頁[BBS事件]参照)。「特許法に基づく発明の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである。そして、資本主義経済の繁栄と拡大の前提をなす所有権の絶対と自由契約を内容とする自由な商品生産・販売市場の維持、保護は、産業の発達と経済の反映を達成するという社会公共の利益の重要な前提をなしている。しかるところ、特許制度自体、研究開発上の自由競争を促すことにより産業の発達と経済の繁栄とを目的とするものであって、特許権それ自体の保護が自己目的化することは避けなければならない。したがって、第一に、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が認められ特許権の効力が否定されるのは、市場経済の本質に根ざし、特許法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、特許法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、特許権の効力を権利者以外の行為に及ぼすことが自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が働くのであるから、特許権の権利者及び特許権の権利者以外の者の行う生産、使用、譲渡等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、特許権の内容である生産、使用、譲渡等をする権利の効力を及ぼすことの有無が定まることとなる。著作権においても、ことは同様であって、有形的な商品取引の行われる場合、すなわち著作物自体又は著作物の有形的再製物(複製物。以下単に「複製物」という。)につき商品取引の行われる場合、自由な商品取引という公共の利益と著作者の利益との調整として、消尽の原則が適用されると解するのが相当である。けだし、(1)著作権法による著作物の保護は、社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものであるところ、(2)一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものであり、著作物又はその複製物が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が目的物につき著作権者の権利行使を離れて自由にこれを利用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものであって、仮に、著作物又はその複製物について譲渡等を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者の利益を害する結果を来し、ひいては「著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する」(法一条参照)という著作権法の目的に反することになり、(3)他方、著作権者は、著作物又はその複製物を自ら譲渡するに当たっては、著作物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得することができ、また、著作物の利用を許諾するに当たっては、著作権料を取得することができるのであるから、著作権者が著作物を公開することによる代償を確保する機会は保障されているものということができ、したがって、著作権者から譲渡された著作物又はその複製物について、著作権者がその後の流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないということができる(前記最高裁判所判決参照)からである」。
D−3−3「そこで、次に、本件各ゲームソフトについて、例外的に権利消尽の原則の適用が排除される余地はないかどうかを検討する。・・・法二六条所定の頒布権は、映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかった旧著作権法の改正に際し、映画の著作物について頒布権を認めていたベルヌ条約ブラッセル規定(一九四八年)に即応する必要があったところから、昭和四五年に成立した現行著作権法において導入されたものであるが、その当時、我が国の社会的事実として、劇場用映画に関する配給制度(映画製作会社や映画配給会社がオリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、これを映画館経営者に貸し渡すにとどめて、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは、指定する別の映画館へ引き継がせるという取引慣行実態)が存在したのであって、このような取引実態を前提として、映画の著作物に頒布権を認めても取引上の混乱が少ないと考えられた結果、右の立法がなされたものと認められる。・・・以上の諸点を総合すると、法二六条所定の頒布権には本来権利消尽の原則が働くが、前記のような配給制度に該当する商品取引形態(後段頒布)は、流通に置かれる取引の態様からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様とならないといえるから、権利消尽の原則の適用されない例外的取引形態というべきであり、このような取引については右の原則は適用されず、著作者の権利が及ぶと解するのが相当であり、昭和四五年に法二六条により映画の著作物について頒布権が導入されながら、その消尽について何らの規定もされなかったのは、劇場映画に関する配給制度という我が国特有の取引形態を前提とすれば、そのような映画の著作物に頒布権を認め、その消尽について特段の定めをしなくても、取引上の混乱を生じることはないと考えられた結果であるということができる。すなわち、映画の著作物についても、第一譲渡により適法に公衆に拡布された後にされた譲渡のように、およそ前記の配給制度が予想していないような場合(前段頒布)には、・・・原則どおり頒布権は消尽し著作権の効力が及ばないものと解し、配給制度に相応した後段頒布についてのみ権利消尽の原則の適用されない頒布権を認め、公に上映する目的で映画の著作物の複製物が譲渡又は貸与された場合には、著作者の権利が及ぶと解するのが相当である。平成一〇年一二月の著作権審議会第一小委員会のまとめその他立法担当者等の見解において、映画の著作物の頒布権が消尽しないという趣旨をいう部分は、右のことを前提としたものとして了解することが可能である。」
D−3−4「また、法二六条の頒布権に含まれる貸与権も、権利消尽の原則によって否定される対象とならないというべきである。けだし、前記昭和五九年の貸与権規定の制定経過に明らかなとおり、貸与権は、複製権と密接な関係を有し、複製利用を内容とする著作権の特質を反映した権利というべきところ、このような貸与権が第一譲渡により消尽するとすれば、一回の許諾に対応した対価のみで複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになり、不当だからである。」
D−3−5「・・被控訴人らは、法二六条の二、三の譲渡権及び貸与権の規定の新設に際し、映画の著作物が明文で除外されたことの反対解釈として、映画の著作物の頒布権は例外なく消尽しないと解すべきであると主張する。右の立論は、形式論理としては一理あり、これをむげに否定することはできないけれども、立法者としては、消尽しない頒布権が認められる映画の著作物の範囲を明確にすることを避け、これを解釈に委ねて立法的に解決することを留保したものと考えることが可能であって、前記のような解釈が十分成り立つというべきである(この点については、本件のような紛争を防止するためにも、前記の映画の著作物の概念をも含めて、早期に立法的解決が図られるべきである。)。」
D−3−6「被控訴人らは、実質面等からしても本件各ゲームソフトに消尽しない頒布権を認めるのが妥当と主張する。証拠・・・によれば、ゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、映像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、右のような傾向は、ゲーム機の高性能化とも相まって最近では一層顕著になってきており、ゲームの内容も影像・音楽の技術的な進歩による視聴覚的表現方法の向上が著しく、映画との差が小さくなり、本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除いた平均製作費は約九億五〇〇〇万円程度に達する。)、時間及び労力を要したものであることが認められる。右事実によれば、本件のようなゲームソフトは、多数の者により多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、本件各ゲームソフトについても、その製作に多大の費用、時間及び労力を要したものであることが認められ、この点では劇場用映画に類似するということはできる。しかしながら、一方、証拠・・・によれば、ゲームソフトの複製物は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成九年のゲームソフト新品は、売上本数が約一億本、販売額約五三七七億円(国内約三八九九億円、海外約一四七八億円)であり、劇場映画の配給制度とは全く異なる方法で流通していることが認められ(なお、中古品は、売上本数が約四〇〇〇万本、販売額約一三九五億円である。)、この方法による投下資本の回収ができる流通実態を取っているといい得るから、当然に流通実態の全く異なる劇場用映画と同一方法による投下資本の回収の機会を与えることに合理性があるということはできない。そうすると、被控訴人らゲームソフトの著作権者は、第一段階の販売(譲渡)の機会に、適正な価格を設定することにより、投下資本の回収を図ることが可能というべきであるから、前記の事実があるからといって、権利消尽の原則を排除する根拠とすることはできないというべきである。」
以上のように述べ、本件各ゲームソフトの複製物が最終ユーザーに譲渡された後の譲渡については頒布禁止の効力を及ぼし得ないとし、中古ソフトの再販売行為の差止請求を認容した原判決を取り消した。

[参照条文] 著作権法二条一項一五号、二条一項一九号、二条三項、二六条一項、二六条の二、二六条の三

批  評

 筆者は、四判決の中では頒布権の消尽理論を採用した大阪高裁の判旨に賛成するものである。

一 映画著作物に関する頒布権の規定(著作権法二六条一項)は、昭和四五年法第四八号の現行著作権法制定の際に映画の著作物に特有の支分権として導入されたものであるが、その射程範囲が昭和五八年ころから市井に出回り始めた家庭用ゲームソフトに及ぶか否か、即ち、オリジナルソフト製造業者が自ら製造・価格決定して市場に拡布した(ユーザーに対し販売した)ゲームソフトの複製物をユーザーから買取り、中古品として再販売する行為が法二六条一項の頒布権侵害として差止の対象となるか否かについて、オリジナル業界側と中古ソフト業界側との間で本格的に争われたのが、本件の東西の事案である。
各裁判所は四者四様の理由付けによって結論を導いているが、ゲームソフト業者側勝訴(中古ソフトに著作権者の頒布権が及ぶ)の結論を取ったのは大阪地裁のみであり、残る三者はいずれも中古ソフト業者側に軍配を上げている。
一方、判決文のボリュームを見ると、東京地裁判決が最もコンパクトであり、他の判決は実に色々なことを述べている。これは、オリジナル業者側の勝訴の結論を導いた大阪地裁判決にあっては、現行著作権法の条文に忠実な解釈を貫きながら他の著作物あるいは他の工業所有権では認められない強力な保護をゲームソフトの著作権者にのみ認めることの合理性につき弁解を余儀なくされたためであり、東京高裁及び大阪高裁判決にあっては、結論の妥当性を重視する反面において現行著作権法の体系ではどうしても解釈上の無理が生ぜざるを得ないため、現行法の枠内における理論構成に苦慮した結果であると言えよう。
これに対し、東京地裁の論理は一見明解であり、映画著作物についてのみ頒布権が設けられた趣旨は映画の著作物の投下資本回収の社会的実態(少数のプリントフィルムを映画館経営者に貸与し、上映期間が終わったらプリントフィルムを返却させたり行き先を指示するというプリントフィルムの配給制度)に由来するものであって、映画の著作物の定義規定も劇場用映画を念頭に置かれているものと理解することにより、劇場用映画の特性(常に一定の影像が再現されること)を具えないゲームソフトについては映画の著作物性を認められないという考え方を採っている。
本論評においては、東西の事件で争われた三つの論点(@ゲームソフトの映画著作物性、Aゲームソフトは法二六条の頒布権が認められる著作物に該当するか、B本件ゲームソフトに対する頒布権は著作権者による第一譲渡の結果消尽しているか)に対する各判決の考え方を概観し、それぞれの妥当性について検討を加えるが、更に、本事件の周辺にある幾つかの論点(C中古ビデオソフトの販売行為には頒布権が及ぶか、D映画の効果に類似する視覚的又は聴覚的効果を生じさせないゲームソフトについては如何なる取扱いになるか)に対しても、各判決の立場からの論理的帰結についての予測と、その適否について考えてみる。そうすることにより、どの判決の論理が最も普遍性を有するものとして妥当視されるかが明らかになると思われるからである。
なお、本件の背景には、各事件で当事者の攻防の一つの焦点となり且つ各判決においても論じられているとおり、映画の著作物に関するベルヌ条約の改正経緯及びそこでの議論、或いは他国の立法例等と国際的動向が複雑に絡んでいる(注四)。

二 ゲームソフトの映画著作物性
1 東京地裁 − 否定(「映画の著作物」は、当該著作物ないしその複製物によって同一の連続影像が常に再現されるもの(常に同一内容の影像が同一の順序によりもたらされるもの)でなければならない。)
大阪地裁、東京高裁、大阪高裁 − 肯定
(法二条三項は常に同一内容の影像が同一順序で再現されることを要件としておらず、本件各ゲームソフトは、二条三項の要件を満たす。)
【検討】
現行著作権法は「映画」の意義に関する積極的定義規定を持たないが、「映画の著作物」の外延を画定するものとして「この法律にいう「映画の著作物」には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生ずる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含む」(法二条三項)という規定を置いている。右の条項で念頭におかれている「映画」とは伝統的なフィルムによる劇場用映画であり、劇場用映画以後に開発されたビデオテープ、ビデオディスク等の連続影像収録物も内容的に映画との区別をする必要がないため、二条三項の規定によって映画の著作物の概念に含ましめたものとされている(注五)。
ところで、「劇場用映画」あるいは「ビデオテープ、ビデオディスク」等と本件のようなゲームソフトとの表現形式上の差異は、言うまでもなく、前者は連続影像そのものが常に固定的に再現されるものであるのに対し、後者は、ゲームの進行に応じて操作者の操作が介在することにより、画面上に表れる影像が一定しないことである。本件の各事件においては、「映画の著作物」とは常に一定の連続影像が再現されるものでなければならない(従ってゲームソフトは映画の著作物に該当しない)という中古ソフト業者側の主張と、再現影像の一定性は映画の著作物の要件ではないというオリジナルソフト業者側の主張が対立し、東京地裁のみが中古ソフト業者側の主張を全面的に容れ、その余の三判決は、いずれもビデオゲームの映画著作物性に関する東京地裁昭和五九年九月二八日判決(パックマン事件)が示した判断基準に則り、本件各ゲームソフトもまた法二条三項にいう映画の著作物と言うに妨げがないものと判断したものである(注六)。
パックマン事件ではパックマンのビデオゲームソフトの映画著作物性を肯認され、同ゲームの違法コピー機を来店者に利用させる行為をもって右映画著作物の上映権侵害に擬律されたものであるが、その背後には、違法コピー機の設置行為自体を著作権法の枠組みの中で制限するための方策として上映権侵害に構成する必要があり(注七)、上映権侵害に構成するためには、ビデオゲーム機において再現される画像を映画の著作物と認めるプロセスがどうしても必要であった。これに対し、本件の焦点は、ひとたび本件各ゲームソフトの著作権者に法二六条一項による頒布権を認めことが妥当視されるか否か(仮に認めるとしても、その内容をどのように定めるか)であって、本件各ゲームソフトが法二条三項の文理を充足するか否かは本質的な問題ではない(注八)。とは言え、映画の著作物性か否定される限りにおいては頒布権の有無・内容に関する判断に進む必要性を生じないことも当然であるから、四判決がこの点に関しそれぞれの立場から判断をなしたこと自体は特に問題視するに当たらない。
この点について、東京地裁は、本件の訴訟物をなす「頒布権」の制度趣旨に関する議論を「映画の著作物」の定義論に真正面から持ち込み、頒布権の規定が劇場用映画の流通制度(配給制度)を念頭に置いて設けられたものであるとの認識を前提に、著作権法は多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対し同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという劇場用映画の特徴を備えた著作物を「映画の著作物」として想定しているとの理解に基づき、結論において、「著作権法上の「映画の著作物」といい得るためには、(1)当該著作物が、一定の内容の映像を選択し、これを一定の順序で組み合わせることにより思想・感情を表現するものであって、(2)当該著作物ないしその複製物を用いることにより、同一の連続影像が常に再現される(常に同一内容の影像が同一の順序によりもたられれる)ものであることを」要すると判断しているが(前記A−1−2)、ここには論理の飛躍があるように思われる。即ち、「多数の観客に対し同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという劇場用映画の特徴を備えた著作物」が「映画の著作物」に該当するものであるとすれば、そのようなものが「常に同一内容の影像が同一の順序によりもたらされるものであること」は一応是認されるとしても、逆に、常に同一内容の影像が同一の順序でもたらされるもの(家庭で視聴されることが予定されたビデオソフト)が「多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対し同一の視聴覚的効果を与える」ものに該当しないことは明らかである。
東京地裁もまた、大阪地裁と同様、本件各ゲームソフトが「映画の著作物」に該当する限り、その論理的帰結として消尽しない頒布権を認めざるを得ないとの認識を背後に有しており、それゆえ、頒布権侵害を否定する結論を採るためには入り口の部分(映画著作物該当性)でオリジナル業者の主張を排斥する必要性を認めたものと推測されるが、劇場用映画の配給制度と「映画の著作物」性との不即不離の関係を認めながら、東京地裁が与えた「映画の著作物」の定義によれば、配給制度とは無関係であるビデオソフトもまた劇場用映画と同様に頒布権の対象とならざるを得ないこととなる点で、問題がある(なお、中古ビデオソフトと頒布権の関係に関する検討は後に本項4で行う。)。
結局、法二条三項自体は、劇場用映画と劇場用映画以外のものとを区別せず、映画の著作物概念を措定していることは明らかであろう。二条三項プロパーの解釈論としては、画面上に現れる連続影像が常に一定とは限らない点で「物に固定」されているとの要件を満たすかということが問題となるが、固定性の要件が媒体に化体されていない(生放送のような)影像を除外する趣旨であるとの一般的理解(注九)を正しいものとする限り、同条は連続影像の一定性の有無とは関係なく「映画の著作物」の概念を措定したものと考えざる得ず、この点に関しては、東京地裁を除く三判決をもって妥当と解することとする。
なお、立法当時の映像技術のレベルに依存しすぎる解釈態度は法解釈論としても正当とは思われない。制度趣旨や利益状況の共通性があれば、拡張解釈や類推解釈が認められるのが一般的であり、また、双方向性(インタラクティブ)を持つ映像技術の確立も既に夢ではない次代であるから、かかる社会的事実を直視した解釈をすることも許されるべきである。
2 本件ゲームソフトは法二六条の頒布権の認められる映画の著作物か
東京地裁 − 否定(「映画の著作物」に該当しないとともに、頒布権は配給制度における債権的権利の保護を明確化したものに過ぎない。)
東京高裁 − 否定(本件ゲームソフトは法二六条によって無許可頒布が制限される映画著作物の「複製物」に該当しない。)
大阪地裁 − 肯定(「映画の著作物」に該当する以上、著作権者が頒布権を有するのは条文上当然である。)
大阪高裁 − 肯定(右同。また、頒布権の対象を「公衆への提示を目的とする譲渡」(二条一項一九号後段)に限定する解釈を採ると、現行法上映画の著作物についてのみ譲渡権(法二六条の二)が認められないという不相当な結果を招く。)
【検討】
法二六条一項に基づき映画の著作権者が専有する「頒布権」とは、当該映画の著作物を「複製物により頒布する」権利であって、他方、「頒布」とは有償か無償かを問わず「複製物を公衆に対して譲渡し又は貸与」すること、若しくは、映画の著作物にあっては「これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含む」ものである(法二条一項一九号)。従って、法二六条一項の「頒布権」が法二条一項一九号で定義された「頒布」行為の独占権であると解する限りにおいては、当該著作物が「映画の著作物」であると認定された以上、その複製物(著作権者若しくは出版権者が適法に複製・拡布したものであって良い)を公衆に譲渡又は貸与する行為も、「公衆に提示すること(劇場での放映)を目的として複製物を譲渡又は貸与」する行為と同様に、法二六条一項によって著作権者に専有されるとの結論に至らざるを得ない。
大阪地裁判決は、このような著作権法の条文の記載に忠実な解釈を採用することによって、本件ゲームソフトの著作権者にも法二六条に基づく頒布権を認めるという結論を貫いたものである(第一譲渡によって消尽するか否かを別として、本件ゲームソフトに頒布権が及ぶとした点においては大阪高裁も同様の立場である。)。
これに対し、大阪地裁を除く三判決は、いずれも、著作権者自身が大量に複製し、公衆への拡布を通じて応分の利益を獲得した後に、右の拡布された真正品についてまで以後の流通に対するコントロール権を存続させることになる結論の妥当性に疑問を呈し、本件各ゲームソフトの中古品販売行為に対して著作権者の頒布権が及ばないとしたものである。
彼我の結論のいずれを妥当とするかは、真正に複製された著作物を自ら拡布した後にもその流通に制限を加える権利(真正品の再販売行為を法一一二条によって差止可能とし、更には、法一一四条一項に基づき再販売によって得られた利益を自己の損害と推定しうる。)を著作権者(オリジナル業者)に認める必要性の存否という政策的価値判断に帰着するものと思われる。しかして、現在のゲームソフトの販売価格と数量(本事案で証拠に引用されているCESAゲーム白書によれば新品の平均販売単価五〇〇〇円強であり、初版一〇万本というものも珍しくない。)の実態は、著作権者自身が行う第一譲渡によって製作に要したコストを回収するに足りるものが予定されていると考えられ、少なくとも、値下げされた中古品の第二次・第三次販売をもオリジナル業者が独占することにより全体の投下資本を回収することは現在の流通システムでは必ずしも予定されておらず、また、そのような回収方法が予定されているのであれば必須と考えられるオリジナル業者自身による中古品の買取りシステムといったものも整備されていないのではなかろうか。更に、ゲームソフトと同様の流通形態(店頭販売)が行われているパソコン用のアプリケーションソフトには法二六条の頒布権が認められないことは明らかであるが、これとの均衡を考えてもゲームソフトに対してのみ頒布権を認めることの合理性には疑問を呈せざるを得ない(注一〇)(注一一)。
更に問題なのは、中古ソフト市場における本件各ゲームソフトの売買を禁止することは、中古ソフト業者による再販売を無価値として禁止することになると同時に、著作権者から高価な代価を得て本件各ゲームソフトを購入した一般ユーザーが自己の所有物たるゲームソフトを第三者に処分する行為も事実上制限されてしまうことである。即ち、ユーザーが中古ソフト業者に中古品を買い取らせる行為自体は「公衆に対する譲渡」に該当しないとして頒布権が及ばないと解したとしても、オリジナル業者自身が買戻し義務を負っていない以上は処分先が極めて制限される結果となることが明らかであるが、このようなことは、所有権絶対の原則(処分の自由)との関係で問題がある解釈と言わざるを得ない。
そこで、東京地裁及び東京高裁は、いずれも、法二六条一項の頒布権の立法趣旨について、「立法当時、著作権による格別の保護のないまま既に存在するに至っていた劇場用映画の配給制度を念頭において、いわば法律上の制限に高めることによりこれを保護し、保障するために規定されたものである」(配給制度を通じての投下資本の回収という社会的な取引実態等に着目して、映画プリントの行き先を指定する物権的権利を認めた)ものであるとの認識を前提に(前記A−1−1、C−2−1)、配給制度下におけるプリントフィルムの流通とは全く関係がない本件各ゲームソフトについては映画著作物の頒布権の埒外に置くとの結論を採ったものであり、著作権者自身により第一次的に大量拡布されたゲームソフトの複製物に頒布権を及ぼすことが不適切であるとの価値判断に立つ以上は、これらの判決の結論は当然ということになる。
問題は、右の結論を著作権法の条文と整合させつついかなる論理構成によって導くかであるが、東京地裁が採用した「映画の著作物」性を否定する手法の問題点は、前記1のとおりである。
法二六条一項プロパーの解釈によりゲームソフトの頒布権を否定する方法としては、各事件で中古ソフト業者側が主張した法二六条一項の「頒布」を限定解釈する方法(法二条一項一九号の頒布形態のうち、劇場用映画のように多数の視聴者に対する提示(上映)を目的として少数のプリントフィルムを譲渡又は貸与する後段頒布のみと限定解釈すること)が最も素直であるように思われるが、東京高裁は、右の中古ソフト業者側の主張を明確に排斥し(前記C−2−2)、一方、「大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のもの」は、法二六条一項の「複製物」に該当しない(同条項の「複製物」とは、配給制度による流通形態が採られている映画の著作物の複製物及び同法条の立法趣旨にからみてこれと同等の保護に値する複製物、即ち通常は少数の複製物のみが製造されることの予定されている場合のものに限る)という「複製物」の文言の限定解釈によって、同様の結論を導いたものである(前記C−2−1)。しかしながら、頒布につき著作権者の許可が必要とされる「複製物」を「一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造されることの予定されている場合のもの」に限定解釈することは、法二六条一項の「頒布」を「公衆に提示すること(=多数の者の視聴に供されること)を目的とする複製物の譲渡又は貸与」(二条一項一九号の後段頒布)に限定解釈することと結果において変わらないように思われ、東京高裁が「複製」の基本的定義(法二条一項一五号柱書)を曲げてまで右のような解釈を行う必要性があったのかどうか、疑問に感じられる。
これに対し、大阪高裁は、法二六条一項の「頒布」が二条一項一九号の後段頒布に限定されるべきとの中古ソフト業者側の主張を東京高裁と同様に排斥しているが、その理由は、平成一一年改正で導入された譲渡権(二六条の二)の規定が映画の著作物を明確に除外しているため、法二六条一項の権利から前段頒布(公衆に対する第一譲渡)を除外するとひとり映画の著作物のみ公衆に対する譲渡権が認められないことを肯定するという不相当な結果をもたらすというものである(前記D−2−3)。確かに、二六条の二第一項の譲渡権には、適法に複製されたものだが違法に拡布されたもの(例えば著作者の手もとから窃取された原作品又は複製物)の販売行為に対して差止の根拠を与えるという積極的意義があり(注一二)、二六条一項から前段頒布を除外することによって「窃取された映画著作物」の公衆に対する販売についてのみ実体法上の差止の手だてがなくなるという解釈はなるほど不合理であり、右の大阪高裁の判断には一理あると考える次第である。
3 ゲームソフトに対する頒布権は第一譲渡によって消尽するか
東京地裁、東京高裁 − 判断せず
大阪地裁 − 否定(現行二六条の三(貸与権)が消尽しない権利とされ、あるいは平成一一年法二六条の二(譲渡権)が消尽する権利とされながら映画の著作物をその対象から除外していることとの関係上、頒布権は消尽しない権利と解さざるをえない。)
大阪高裁 − 肯定(商品の自由な流通を阻害する頒布権は、最終ユーザーに商品がもたらされた時点で消尽により消滅する。)
【検討】
平成一一年法律第七七号により著作物一般に導入された譲渡権については、明文の規定によって著作権者による第一譲渡後の権利消尽が定められているが(二六条の二第二項一号)、映画の著作物の頒布権には同様の明文規定が存在しない。にも関わらず、大阪高裁はこのような規定が存在するかの如き解釈をなすものであるため、現行法体系との関係で矛盾があることは否めない。
これに対し、大阪地裁は、結果の妥当性に疑問を投げかけつつも条文解釈の整合性を優先し、中古ソフトに対する頒布権の行使を認める結論を採ったものである。
しかしながら、本件各ゲームソフトに消尽しない頒布権を認めるという結論が、他の著作物と比べて過大な保護を与えることとなり、立法時に念頭に置かれていた頒布権の趣旨からも逸脱するものであることは明らかであり、大阪高裁も、権利消尽の否定根拠としてオリジナル業者側が述べた事情(ゲームソフトには多大な資本が投下されており、これを回収するための多様な機会が与えられるべきである)に対する判断としてこの点に応えている(前記D−3−6)。
そこで、大阪高裁は、BBS最高裁判決が掲げた「特許権の国内消尽を認めるべき理由」に関する判示(民集五一巻六号二三〇四〜二三〇五頁参照)をそっくり著作権法に転用するという手法により著作権一般に関する国内消尽を論拠付け(前記D−3−2(注一三))、右最高裁判決の判示(「仮に、特許製品について譲渡等を行う都度特許権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通を害する結果を来」すことになる。)を考え方の基礎に置いて、映画の著作権においては「商品の自由な流通を害する結果を来」す蓋然性の小さい法二条一項一九号の後段頒布行為に対する頒布権は消尽の対象とならないが、著作権者によって公衆に対し第一譲渡(前段頒布)が行われた後のその商品の流通に頒布権を及ぼすことは正に商品の自由な流通を害するものとして、原則通り権利消尽が認められるとしたものである(前記D−3−3)。本件各ゲームソフト(あるいはビデオソフト)の類の著作物の譲渡(頒布)権について国内消尽の明文規定(法二六条の二第二項第一号に該当する規定)が存在しないのは言わば法の欠落であるが、特許権の分野においては特許法二条三項一号、六八条を解釈で補うことが一般的に認められている以上、同様の解釈を著作権法上の個々の権利について吟味し、場合によっては解釈により欠落を補うということも十分可能であると考える。
なお、本件の各事件においてオリジナル業者側は、法二六条一項の頒布権には貸与権が含まれているにところ、貸与権は消尽しない権利であることは明らかであって、法二六条一項が消尽する権利(譲渡)と消尽しない権利(貸与)を含むものと解することは不合理であるとの主張をなしたが、大阪高裁は、「貸与権は複製権と密接な関係を有し、複製利用を内容とする著作権の特質を反映した権利というべきところ、このような貸与権が第一譲渡により消尽するとすれば、一回の許諾に対応した対価のみで複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになり不当である」と述べ、貸与権もまた二条一項一九号の後段頒布と同様、第一拡布によって権利消尽するものではないと判断している(前記D−3−4)。ただ、この点については、それでは本件各ゲームソフトがユーザーあるいは中古ソフト業者のもとで容易に複製され得るものかどうか(現実には困難であろう。)、貸与を許すことによって複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになる実態の存否が吟味されねばならない。むしろ、貸レコード(音楽著作物)や貸本(言語著作物)では採用困難な複製制限技術(プロテクト)が導入可能なゲームソフト(プログラム著作物)に関しては、不法な複製を予備的に規制するために設けられた不正競争防止法二条一項一〇号(プロテクト破りを目的とする装置等の譲渡等の禁止)や著作権法一二〇条の二等によって処理されるのが本筋で、右の理由に基づき貸与権が消尽しないとの結論を導くことには無理があるように思われる。
なお付言するに、本件各ゲームソフトには中古ソフトの販売を禁止する旨の表示が包装箱上に記載されているようであり、大阪高裁のみが「このような記載により中古業者がユーザーから新品又は中古品のゲームソフトを購入した後にした販売の効力(所有権移転等の効力)を法律上否定できないことは明らかであり、また、権利消尽の原則は・・・取引当事者の個別的意思表示によりその適否が左右されるもので」はないと明確に判示している(注一四)。
4 中古ビデオソフトには頒布権が及ぶか。
この論点は、本事案とは関係ないものであるが、どの判決の理論構成が普遍性を有するものとして是認できるかを測るために、若干の検討を行う。
東京地裁は、ゲームソフトが「連続影像を固定したもの」に該当しないから映画著作物性を否定するものである。この観点からすれば、「連続影像を固定したもの」に他ならないビデオソフトの映画著作物性が認められることは明らかであろう。しかし、一方で、東京地裁は、「劇場用映画の右のような利用形態、個々の複製物が持つ経済的価値及びその流通形態の特殊性を考慮し、映画製作者が劇場用映画の製作に投下した資本の回収を図る利益を保護する上で、複製物の流通全般をコントロールし得る地位を保障することが適当であ」ることから著作権者に排他性のある頒布権が認められたと説示し、「それ以外には映画の著作物のみに頒布権を認めるべき実質的根拠を見出すことはできない」とまで言い切っている。そうすると、大衆への頒布が予定さたビデオソフト一般については頒布権を認めないという判断に到達する可能性が十分にあるが、その結論が「映画の著作物」の定義に関する説示と相容れないと考えられることは、前記1のとおりである。
これに対し、東京高裁・大阪地裁・東京高裁によれば、当然ながらビデオソフトもまた「映画の著作物」に該当することになり、進んで、大阪地裁判決においては頒布権の対象として中古品の再販売が禁止されることになろう。しかしながら、大阪地裁がゲームソフト著作権者の頒布権を肯定する理由に選んだ「ゲームソフト製作者に対して投下資本の回収の機会を付与する必要性」(前記B−2−2)が、劇場用映画をコピーしたに過ぎないビデオソフトには援用できない事情であることは明らかである。即ち、劇場公開後にリリースされたビデオソフトであれば、映画製作者とビデオの発行元が同一の場合には製作者は劇場公開の時点で既に製作コストを十分に回収しているはずであり、重ねて、余祿の部分であるビデオソフトの流通にまで強力な権利を及ぼさせる必要性は存在しない。映画製作者とビデオ発行元が別の場合であっても、事情は異ならないものと思われる(ビデオの販売権を獲得するために投下した資金はビデオソフトの公衆に対する第一譲渡によって回収できるはずで、それ以後の流通に対しても対価を得る機会が与えられるというのであれば、このような権利の認められる余地がない言語著作物や音楽著作物の出版権者との間で明らかに均衡を欠くこととなる。)。ひとり、劇場公開を予定しないビデオソフトのみ、大阪地裁の論理のもとで頒布権を認める実質的根拠を有することになると思われるが、本稿の立場は、あくまで公衆に対する第一譲渡以後の流通に対し法二六条一項に基づく制限を及ぼすことは認められないと解するものである。
これに対し、東京高裁の立場にあっては、大量流通を予定したビデオソフトは法二六条の頒布権の対象となる「映画の著作物の複製物」に該当しないことになるから、中古ビデオソフトに対しては著作権者の頒布権は及ばない(前記C−2−3参照)。大阪高裁の立場においても、最終ユーザーの手もとに届いた時点で頒布権は消尽によって消滅しているから、同様の結論となる。
なお、東京地裁平成六年七月一日判決(一〇一匹ワンちゃん事件(注一五))は映画著作物の頒布権の国際消尽を否定することによってビデオソフトの並行輸入品に対する頒布権行使を認めたものであるが、国内消尽に関する大阪高裁の論理が一〇一匹ワンちゃん事件の結論に変更をもたらすことになるかは、現段階において不明である。
5 映画の効果に類似しないゲームソフトには頒布権が及ぶか。
「映画の効果に類似する視覚的又は聴覚的効果を生じさせる方法で物に固定」されていないゲームソフトも当然のこととして考えられる(麻雀ソフト、囲碁ソフト等)。これらのゲームソフトが本件各ゲームソフトと製作コストあるいは流通形態の面で大差があるとは思われないから(要はものによりけりであろう)、連続影像を構成要素とする(アニメ映画的要素のある)本件各ゲームソフトには頒布権を認め、そうでないゲームソフトには頒布権を認めないとの結論も、首尾一貫したものとは思われない。
そうすると、映画の著作物該当性を根拠に消尽しない頒布権が認められるとした大阪地裁の論理では、アニメ映画的要素のないゲームソフトには同様の保護が与えられないことになるが、その結論が同判決の論旨から一貫したものと言えるか疑問に感じられる。他方、本件ゲームソフトに第一譲渡以後の頒布権を認めないという立場(東京高裁、大阪高裁)であれば、右のようなゲームソフトについても同一の結論(頒布権否定)を導くことが出来る。

三 以上見たとおり、本件では大阪地裁のみが頒布権侵害を肯定し、東京地裁・東京高裁・大阪高裁がそれぞれ理由を違えながら否定したわけであるが、本稿においては本件各ゲームソフト以外の同種商品にも普遍的に適用可能であり、且つ、現行法の条文との関係でも(相対的ではあるが)最も無理がないと思われる大阪高裁の判旨をもって、妥当と考える。
しかしながら、本件の東京高裁判決において「上記のような解釈(注:法二六条一項の「複製物」を一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物に限定する解釈)が、法二六条一項の文理に反することは、前述のとおりである。」との措辞が用いられ、また、大阪高裁判決において「右の立論(注:消尽する権利である譲渡権及び貸与権から映画の著作物が明文で排除されていることの反対解釈として、映画の著作物の頒布権は消尽しないと解さざるを得ない)は形式論理としては一理ありこれをむげに否定することはできないけれども・・・前記のような解釈が十分に成り立つというべきである(この点については、本件のような紛争を防止するためにも、前記の映画の著作物の概念をも含めて、早期に立法的解決が図られるべきである)」との説示が敢えてなされている如く、いずれの判決も現行著作権法の文理との関係で矛盾を指摘されるものであることは、各判決の自認するところである。
本論点について最高裁が統一的な法律判断を示す日も遠からず到来すると思われるが(注一六)、事の本質は、中古ゲームソフト全般について著作権者に流通をコントロールする権利を認めないという価値判断に合致した明確な法改正を早急に行う必要があるということに帰着しよう。

(注一)判例時報一六七九号三頁
(注二)符号は筆者が参照の便宜のために付したものである。
(注三)判例時報一六九九号四八頁
(注四)頒布権に関する国際的動向につき、泉克幸「ゲームソフトの譲渡制限と頒布権」知的財産権法の現代的課題(紋谷暢男教授還暦記念)五〇七頁
(注五)加戸守行・著作権法逐条講義(三訂新版)六六頁
(注六)パックマン事件(無体集一六巻三号六七六頁)において東京地裁が示した判断基準ないし判断は、以下のとおりである。
(一)表現方法の要件(映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること)。
必要的要件としては「視覚的効果」すなわち映写される影像が動きをもって見えるという効果を生じさせることで足り、聴覚的効果の有無を問わない。また、鑑賞用に供されるものか否か、物語性を有しているか否か、あるいは影像を視聴者が操作により変化させうるものか否かはいずれも視覚的効果とは関係ないから、表現方法の要件として考慮する必要はない。
(二)存在形式の要件(著作物が物に固定されること)。物に固定されることによって、影像が同一性を保ちながら存続し再現可能であることであり、ROM中に電気信号の形で記憶されている影像データがプレーヤーの操作によって変化しながら画面上に現れる場合であっても、いかなる操作によりいかなる影像変化を生ずるかが決定されている以上「同一性を保ちながら存続し再現可能である」ものであると言い得る。
(三)内容の要件(著作物であること)。著作物の外部的表現形式に著作者の個性が現れたものであれば足り、また、学究目的で利用されようとパックマンのように娯楽目的(遊戯目的)で利用されようと著作物性に影響はない。
(注七)前掲泉論文五一一頁
(注八)前掲泉論文五一二頁
(注九)加戸・逐条講義六六頁、作花文雄・詳解著作権法九〇頁
(注一〇)パソコン用アプリケーションソフトとゲームソフトとの利用態様上の相違点は、ゲームソフトの場合は消費サイクルが短いため(一回のプレイで消費者が満足してしまう。)、常に新規のソフトを開発して市場に投入し続けなければ競争上の不利を避けられないことがあると思われるが、そのような著作権者側の事情それ自体もゲームソフトに特有の問題とは言えず、流行歌等の音楽著作物においても娯楽小説等も言語著作物においても、量的な違いはあれ、質的な違いはないものと考えられる。
(注一一)競争法上の視点から中古ゲームソフトに対する頒布権の行使を否定するものとして、前掲泉論文五一八頁
(注一二)片山純一・永山裕二「著作権法の一部を改正する法律の概要」NBL一九九九年九月一日号一八頁参照
(注一三)もっとも、BBS事件は国際消尽に関する事件であり、最高裁判決は国内消尽に関するのとは異なる理由付け(日本国特許権者が国外で拡布した商品が第三者を通じて我が国に輸入されることは当然に予想されることであり、当該製品の転売先から日本国を除外する旨を合意し特許製品に表示しない限り、日本国での特許権不行使を黙示的に認めたものと解する)によって並行輸入品に対する権利消尽を認めたものである。よって、大阪高裁が引用した説示部分はBBS最高裁判決のレシオ・デシデンダイではない。
(注一四)因みに、法二六条の二第二項の譲渡権の消尽規定は強行規定と解されている。前掲片山・永山論文一八頁参照
(注一五)判例時報一五〇一号七八頁
(注一六)両高裁判決に対し、平成一三年四月一一日までにオリジナル業者側の上告受理申立がなされた旨報道されている。

補遺 なお、本件の中古ソフト側代理人が本論点に関する学説を整理したものとして、金井重彦、小倉秀夫・著作権法コンメンタンール【上巻】一一九〜一二二頁(映画の著作物性に関し)、三四二〜三四六頁(頒布権に関し)参照(いずれも小倉秀夫執筆部分)。