様似・戦争の記録第2集−1

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一.はじめに

わたしが、この事件を知ったのは、「様似・戦争の記録第一集」の「五十年目の鎮魂−幌満 沖漁船撃沈事件−」の取材中だ。
「釧路沖で、様似の漁船が、アメリカ潜水艦の攻撃を受け、死んだ人がいる。船主は、『中 村マート』のおやじさんだったと思う」と、ある漁民から聞いた。
さっそく、様似町本町二丁目でコンビニエンスストア「中村マート」を経営する中村哲夫氏 (昭和十年生まれ)を訪ねた。
中村哲夫氏は、「確かに、父・中村謙次郎の多宝丸という船です。詳しいことは、様似町大 通一丁目に西村利春氏という生存者がいるので聞いてみて下さい。西村利春氏は、父の船で重 傷を負い、ほんとうに申し訳なく思っています」といわれた。
わたしは、何十回となく、西村利春氏を訪ね、事件の細部の聞き取りをした。本書は、西村 利春氏の証言に負うところが多い。
いちばん驚いたことは、日本の敗色が濃くなったとはいえ、昭和十九年六月という時期は、 北海道への直接攻撃は、まだ行われておらず、わたしの知る限り、この事件は、千島を除き、 北海道における、民間人の太平洋戦争における初の犠牲者を出した事件であることだ。
表題の「多宝丸の悲劇」は、わたしが最初に西村利春氏を訪ねた時、西村氏が、「わたしの 体験したことは『多宝丸の悲劇』という一冊の本になるほど、話したいことがいっぱいある」 といわれたが、ここに、文字通り、「多宝丸の悲劇」と題して、「様似・戦争の記録」第二集 として発刊する。
この事件は、「様似町史」は全く触れられていない。
戦後五十年が過ぎ他が、恒久平和を願い、戦争体験を風化させないためにも、また、「様似 町史」の充実に寄与したいと思い、「多宝丸の悲劇」の稿を起こす。

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