様似・戦争の記録第1集−1

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一.はじめに

平成七年(一九九五)は、「終戦五十年」にあたる。その「終戦五十年」が過ぎ た。
私は、戦後五十年に当り、多少とも郷土史に関心のある者として「様似における 戦争」の記録を書き留めたいと思っていた。
また、「様似町史」の戦争に関する記述が、わずかなスペースしかないことも、 私の意欲をかきたてた。
「終戦五十年」の前年、平成六年(一九九四)六月十二日の「北海道新聞」の、
「様似沖、米潜水艦の攻撃
3漁船、撃沈から半世紀
えりも町、遺族が法要」
という、三行見出しの記事が目にとまった。
この事件の被害者は、全員えりも町の漁民である。しかし、事件の起きた場所は 様似町幌満沖だ。
この事件は、「様似町史」にも「えりも町史」にも、全く記載されていないが、 事件を調査した先達の記録がある。北海道新聞記者・菅原淳氏による、昭和六十年 (一九八五年)の「日高の戦災記録」のなかに「様似町幌満沖の艦砲射撃」と題し 九ページの「聞き書き」だ。(本文で引用する際、「菅原聞き書き」とする)
終戦五十年を迎え、あらためて私なりに、「事件」に遭遇した三漁船乗組員全員 の氏名の確定、生存者や遺族からの「証言」をできるだけ詳細に聞き取ろうと思い 立った。
「事件」の概要を述べると、昭和二十年(一九四五)六月二十三日、幌泉港所 属の三隻の漁船が、幌満沖で米軍潜水艦の攻撃を受け、乗組員十六名中十名が死亡 (行方不明者も含む)した。
その聞き取りの記録を週刊紙「さまに民報」と「民主えりも」に一九九五年六月 二十五日から十月二十九日まで十九回連載した。
本稿は、その連載に若干の加筆をしたものである。
なお、表題の「五十年目の鎮魂」は、一九七七年、「河北新報」が東北戦災の記 録を連載した「三十三年目の鎮魂」から借用した。

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