1.小さな町工場の過去と今


千葉県のある町に小さな町工場がある。
社長は、中学を出てから東京の大田区で光学機器(カメラ)を製造する仕事をしていた。
約10年程、技術を学び 結婚して子供(私)が出来たので千葉県に戻り機械加工屋として自営を
始めた。

S49年の事である。
次男である社長は、実家付近の団地に住みながら実家の片隅の納屋を使わせてもらい、旋盤とフライス等を駆使してカメラを造っていた。

やがて、手狭になった納屋では仕事が思うようにいかなくなり私が6歳の時に現在の場所に引っ越した。

土地は広かったが、ボロボロの家だった。

家はボロくても、スレートの綺麗な工場が建てられていた。

私が10歳の時、Sというメーカーの下請けになった。
と、同時にVHSビデオがはやり始める。NC旋盤も買った。
以前より光学系を得意としていた町工場には、VHSのヘッド(ドラム)の製造が沢山きた。
M,S,T色々なメーカーのヘッドを生産した。
工場には、ロボットが導入され勢いは増していった。従業員も沢山いた。

Sメーカーは、町工場に8ミリやベータのヘッドを依頼した。試作だ。
試作は問題なく完成したが、ご存知の方もいるかもしれないが、ベータは一般受けはしなかった。
次第に消えていく・・・。

しかし、バブルで乗っている日本と同じように町工場も伸びていった。
機械加工と精密機器の組み立てを請け負うようになる。

私が中学に入ると、成金よろしく凄い事になっていた。
裸一貫で始めた町工場が、従業員30人を超える有限会社になっていた。

親父は、私を無理やり工業系の高校に入学させた。
嫌だった。男ばかりだったから。

私が高校3年の時には、バブルが崩壊していた。
内定が決まっていた機械メーカーが倒産。そして見つけた会社も内定取り消し。
散々だった。

仕方ないので2ヶ月程アルバイトをし、車の免許を取った。

さて、就職しなきゃ・・・私
で、ちょっと地元で働き東京に出た。
長男という責任感は無かったが、機械加工をしてしまっていた。

小さな町工場はというと

相変わらず仕事はあった。
機械が増えていた・・・。

しかし、あまり動いていない様子。
社長は、電子機器の組み立てをメインにしていた。

実は、新しい機械を買って仕事を貰う約束をしていたSの管理職が飛んだらしい。
当然、話はなくなり、買った機械は手元に残ったと言う訳。

騙された騙されないというより、その辺で社長の手腕が問われるのかもしれない。

その後、購入してしまった機械を動かす為に、カメラの部品加工をはじめる。これも大きい会社だ。

小さな町工場の社長は営業はしない。
運と技術でここまで来たようだ。

運が尽きる・・・・技術は残る

私は25歳になる少し前に結婚し、家業を継ぐ事を決める。
でも、婿に行ったので苗字が違う。

入社して1年半後。
運は尽きたようだ。
負債を抱えて「夜逃げ」の話も出る。
私は婿にいったからと笑ってられない。

親族に助けて貰い、町工場は生き残る。

カメラ部品の加工取引先が、取引停止。
賢い選択だと思った。私が取引先なら同じ事をしたと思う。

続いて、Sのお偉いさんと何社もの下請け企業との間に不正な行為があった為 外注が全部切られた。
ちなみに町工場は悪い事はしていない。

切られると同時に、15人位いたパートさんにやめてもらう。仕方が無いけど雇っていたら町工場の家族は死ぬかもしれない。



また、昔みたいな小さな町工場になった。


技術は残った。

機械加工を本業として再出発をはじめる。
同業者から仕事がくるようになる。
機械加工を本気でやり始めた噂が出始めたようだ。
忙しかった。徹夜も続いた。

いつしか、社長と私はノイローゼ気味に・・・。

本当は、やってはいけないのだが、仕事を断わりまくった。
食べていければ良いと社長が判断したんだろう。

その後、私は取引先に頼まれ遠くへ数ヶ月3セット行く。



町工場の仕事量は激減していた。

これでは、いけないと私は前に取引のあった会社に仕事を貰った。
難しい仕事。しかも、やり始めたら叩かれまくって安い仕事。
でも、町工場の半径50キロ以内にはこれをこの単価でやれる所は無い。
全国を巡り巡って、小さな町工場に来た製品だ。
現在も続いている。




規模は小さくなったが、そこにいる3人は凄く技術は上がった。
でも、もっと磨くのだ。



個人ではじめた頃の規模に戻っただけ。
違うのは、そこに息子がいる事と、空調設備の整っている概観が綺麗な工場そして機械。


親会社が仕事をくれない?そんな甘ったれた町工場は潰れるでしょ?
自分が親会社だったら、不景気に仕事を外に回しますか?

町工場だってビジネスです。
でも、そこに宿る物は少し違うかもしれません。
仕事は、家族であり、仲間でもあります。

じゃなきゃ、自分の身と収入を削ってまで工場(こうば)を続けないでしょ?

続ける理由がなければ、とっくに潰しています。自己破産(親父)しています。

小さな町工場を経営しているそんな両親を尊敬しています。

と、同時に私は妻に感謝しています。
妻がしっかりと働いてくれている為に私の生活が成り立っています。
公務員万歳って感じです。
こんなヒモ男をず〜っと突き放さないで下さい。
必ず苦労させた分は返します。



小さな町工場

この先、どうなるかわかりませんが、工場(こうば)が続く限り・・・・・・・・・・・・でしょ!やっぱり!


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