昭和後半の部屋 経済


昭和34年(1959年)、三和銀行にコンピュータが導入され、
昭和40年(1965年)、三井銀行でオンラインシステムが稼働しました。
その前の通帳は手書きでした。
(厳密にいつから機械による印字になったかはさだかではありません。)

昭和44年(1969年)には給料の銀行振込がおこなわれるようになり、
それがひろまったのは三億円事件がきっかけだと言われているようです。



今の100円硬貨(昭和42年(1967年)発行)の前の100円硬貨(昭和34年(1959年)発行)です。
今の100円硬貨は白銅貨(銅+ニッケル)ですが、前の100円硬貨は銀貨(銀60%)でした。


昭和39年(1964年)には東京オリンピック記念に1000円と100円の銀貨が発行されました。
この100円銀貨は発行枚数が多かった(約8000万枚)ため、昭和39年は通常の銀貨(約1000万枚)の方が希少性が高くなっています。


ポイントカードができる前はお店ごとにサービス券やスタンプカードがあったり、
ブルーチップ(貼ってためるための冊子があったように思います。)がもらえたりしていました。



昭和35年(1960年)12月に図書券が発行されました。
始めのころは20円などの少額券を回数券のように綴り券にしたものだったそうです。
昭和51年(1976年)12月から1枚券になりました。
贈答品や、懸賞の景品に使われました。
写真上は昭和51年(1976年)12月から昭和61年(1986年)11月までの500円券で、
写真下は昭和61年(1986年)12月から平成10年(1998年)7月までの500円券です。
平成10年(1998年)7月からは直前のデザインから字体と背景が変わったものになり、
平成17年(2005年)9月で発行終了になりました。
図書カードは平成2年(1990年)12月から発行されています。



株の取引には指定銘柄という制度があり、新聞の株式欄には、特別枠で表示されていました。
写真は昭和54年(1979年)6月29日の毎日新聞夕刊のものです。
株式欄の全体はこちらです。

指定銘柄は昭和53年(1978年)から平成3年(1991年)まで設定されていました。
また、平成16年(2004年)まで、平均株価は、ダウ式で算出されていて、東証ダウ(東京証券取引所の場合)のように呼ばれていました。


昭和55年(1980年)にクルーガーランド金貨が国内で発売になり、金への投資が身近になっていきました。
当時3万円以上の金貨には15%の物品税がかけられており、右の1/4トロイオンス金貨には物品税がかかっています。(1トロイオンスは約31.1グラム)
その後、国内金価格は下降していき(下降は平成12年(2000年)まで続く)、1/4トロイオンスの金貨に物品税がかからない期間が続きました。
平成元年(1989年)4月1日からは価格にかかわらず消費税がかかるようになり、物品税は廃止されました。
クルーガーランド金貨は、南アフリカ共和国の金貨で、人種隔離政策への抗議として輸入が自粛され、
黒人政権が樹立して、この政策が廃止された後も販売量が少なくなっているようです。
現在、金貨の主流となっているウィーン金貨やメイプルリーフ金貨は、品位99.99%で金色ですが、
クルーガーランド金貨は22金(91.67%)で銅に近い色となっています。

なお、消費税の税率は、
平成元年(1989年)4月1日から 3%
平成9年(1997年)4月1日から 5%
平成26年(2014年)4月1日から 8%
令和元年(2019年)10月1日から 10% (一部8%)
となっています。


株式会社の株式は紙に印刷された株券というものが発行されていました。
株券は所有者のところで保管するか、証券会社に預けられていました。
売買がおこなわれると輸送がおこなわれました。
配当金をもらうなどの権利確定のためには、持ち主であることを登録する名義書き換えという手続きが必要でした。
平成21年(2009年)、上場会社の株券電子化により、輸送と名義書き換えの手続きは廃止されました。
写真の株券は平成20年(2008年)に発行されたものですが、平成13年(2001年)10月より前に発行された株券には、
1株の価額50円や500円などの額面が設定されていました。

株券には会社の事業内容を表すイラストが描かれていることがあり、写真の会社の事業は、
元禄時代(1688-1704年)に銅鉱石を採った跡地に植林したことが始まりだそうです。


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