機材紹介

注.使用機材の中には、借り物もあります。ここで紹介するのは、自分で持っている物です。

ヤシカ エレクトロ35

1965年(昭和40年)発売です。
元は父親のカメラです。当時、一眼レフは販売されていましたが、今のように手軽に買えるものではなく、
カメラといえばこのタイプが一般的だったと思います。
1960年代後半で2万円くらいですから、これでも思いきった買い物だったに違いありません。
45mm F1.7のレンズでシャッターは30秒から1/500秒の絞り優先オートですから機能としては十分です。
しかし実際のシャッタースピードはわからず、露出オーバーの赤ランプと手ぶれ警告の黄色ランプのみだったため、
電車を撮るときは、赤ランプを点灯させてから一段絞って撮るという使い方をしていました。

当時、旺文社の中1時代という雑誌があり、そこにオリンパス OM−1の広告が載っており、
なんとなく一眼レフがほしいという思いがありましたが、その後、同級生のなかに一眼レフを買ってもらった人が出てきて、
ファインダーをのぞかせてもらった時、暗くてオレンジかったのではなく、明るく肉眼と同じ色の見え方に衝撃を受け、
一眼レフが欲しいという思いが次第に強くなっていきました。

ミノルタ XD

1977年(昭和52年)発売です。
高校入学のお祝い金でカメラを買っていいことになって、やっと手に入れた一眼レフです。
当時の候補としてはオリンパス OM−2、キヤノン A−1もありましたが、
シャッター優先と絞り優先で、LEDの目盛り数字が機械的に切り替わるのがメカっぽくて気に入ったのと、
オリンパス OM−2はファインダー内で絞り値が確認できないのと、
キヤノン A−1はマニュアル露出ができない点でXDになりました。
アキュートマット採用で、明るいファインダーの先駆となりました。

予算のつごうで、フラッグシップ機には手が届きませんでしたが、次にはフラッグシップ機(ニコン F2、キヤノン F−1等)
が欲しいと思うようになりました。当時の通常の一眼レフのシャッタースピードの最高は1/1000秒でしたが、
フラッグシップ機は1/2000秒がついており、
シャッターダイアルに2000の文字があることがステータスだと思っていました。

ニコン F2

1971年(昭和46年)発売。Ai化は1977年(昭和52年)発売です。
就職してフラッグシップ機が買えるようになったころ、ニコン F2は製造が終了しており、
次の目標はニコン F3になると思われました。
ところが当時、日本カメラショーが日本橋高島屋で行われており、それを見た帰りに立ち寄った銀座のカメラ屋に
程度のよいF2(アイレベル)があったのでF2になりました。
当時、ボディは製造終了になっていましたが、ファインダーはまだ販売中だったので、
フォトミックAファインダーを買って載せました。これは露出センサーがCdSですが、
シリコンを使ったフォトミックASファインダーは、カタログ価格59000円と、普及品のボディ価格に匹敵する価格で、
理解しがたい価格設定でした。

スクリーンはP型(斜めスプリット十時線入り)を入れています。斜めスプリットは水平線でも垂直線でも
ピント合わせができるというふれこみですが、斜め線でピントを合わせると精度が落ちるそうなので、
カメラを斜めにしてピントを合わせることが多いです。



スターマーク(シュリロの正規輸入品についている)

ハッセルブラッド 501C

1994年(平成6年)発売です。
次の興味は中版カメラになりました。
6x4.5にするか、6x6にするか、6x7にするかが悩みどころで、さらに6x6のハッセルブラッドについては
シュリロ(正規代理店)品と平行輸入品があり、平行輸入品でアフターサービスに問題はないのかが
悩みどころでした。
ところがハッセルブラッドが値上げするという話があり、
さらに501Cという、ボディ、レンズ、マガジンがセットになった入門用モデルがあるということで
急遽決まりました。
Yカメラ価格で25万円弱で、ニコン F5+50mmより安い破格の価格設定でした。

当初は単体露出計(入射光式)を使っていましたが、逆光、半逆光で露出に失敗があったため、メータープリズムファインダー
(この製品名では味気がないので、私の通称フォトミックファインダー:本来はニコン製カメラのファインダーの名称です。)をつけました。
通称が示すとおりAi方式ではないのでレンズの開放F値を設定しなければなりません。当面レンズは80mm一本の予定なので私にとっては問題ありません。

ハッセルブラッドには標準でアキュートマットがついていますが、ピントの山がつかみにくく、
ピントが深く見えるような気がします。
旧タイプのスクリーンに交換する手もありますがメーターを補正しなければならないので、そのまま使っています。
それから引きぶたをしまうところがない点も不満です。新型のマガジンは引きぶたポケットがついていますが、
優美さが失われたように思います。実用性を考えて新型が欲しいですが。


ニコン FM3A

2001年(平成13年)発売です。
機械式シャッターと電子シャッターのハイブリッドシャッターというので買ってしまいました。
機械式シャッターと電子シャッターのハイブリッドシャッターは記憶ではペンタックスLX以来だと思います。
露出計の表示は世間一般でいう追針式ですが、ニコンではこの呼び方をしないようです。
このあとデジカメに移行したので、短期間の活躍となりました。


ニコン D5000

2009年(平成21年)発売です。
フィルムに信頼があったので、世間より遅くデジカメに移行しました。
デジカメは製品サイクルが短いので、あまり高級な機種は買う気になれず、手ごろなD5000になりました。
レンズキットのレンズはマウントがプラスチックなのが気に入らず、タムロンの開放F値2.8でお手頃価格の標準ズームになりました。
おおむね満足なのですが、コントラストAFがうまく動かない(電源ON後の1回は動く気がします)ので、
D5000の特徴であるチルト液晶が生かせません。


ニコン D5300

2013年(平成25年)発売です。
D5000の次はD5300になりました。
ボディにGPSが内蔵されていて、画像ファイルに位置情報を記録できます。
少し価格が高くなってもいいので、方位も記録できればよかったです。
タムロンのレンズでコントラストAFがうまく動かないのは変わりません。


プロフォトCD、フォトCD

1992年(平成4年)フォトCDのサービスが始まりました。
ブローニーをスキャンできるフィルムスキャナは高価なので、デジタル化する場合は、
プロフォトCD(Fujiのを利用)が選択肢のひとつですが、1コマ3000円と高価です。
また、画面の端の方はスキャンされないことがあるようなので、フル画面をスキャンしたい
場合は、自分でスキャンするほうが確実です。


一方、フォトCD(プロでない方)は、1コマ100円から120円で、お手軽です。(+基本料金1000円くらい)
昔撮った鉄道写真は、1993年に大事なものをフォトCDにしたので退色から保護されています。
(CDの寿命は不明ですが20年から30年という説があります。)
パソコンの性能が今よりずっと低く、パソコン、スキャナが高価だった時代に
フォトCDというシステムを実用化したのは、先見の明があったといえますが、
コダックは経営破綻し、フォトCDを開けたソフトウェアはバージョンアップにより開けなくなりました。
フォトCDは開けるバージョンでJpeg等に変換しなければなりません。


フィルム

デジタル技術が進んだ後もフィルムの改良が続けられており、これまでの写真文化を支えてきたといっていいと思います。
デジタルメディア(CD,DVD等)の寿命が20年から30年という説がありますが、
ベルビア100は100年は退色しないそうなので、デジタル化するより、フィルムのまま保存するのも一法のように思います。


写真を撮る運と根気について

写真は技術で撮るという人と、写真は心で撮るという人がいますが、
私はどちらも真実だと思います。(趣味で写真を楽しむレベルでの話です。)
しかし、カメラ(デジカメ)の進歩により、撮影技術は以前ほどには重要ではなくなってきました。
ですが、動くものを撮るときは、訓練と動きを予測する知識が必要になる場合があります。
また、技術よりも、運と根気が必要な場合があります。
撮影地に何度も通って、被写体の最高の状態を撮るなど、努力によっていい写真を撮れることがあります、
いっぽう、撮影地が遠地の場合は、
光線の加減や、雲の形、風の具合など、運によるところが大きいです。
運と対比するのが根気です。空振り(天気が悪くなるとか、予定の列車が来なかったとか)
を覚悟で何度も撮影地に通うと、良い結果がもたらされることがあるように思われます。
根気という言葉では言い表せないような、並々ならぬ情熱を感じる写真を見かけることもあり、
自分の写真のレベルの低さを思い知らされます。。
私は情熱も根気も、それほどあるわけではないので、成果もそれなりだと思います。