の磨(ま)■


■ 歴史

 『川柳』というのは、人の名前が元になっています。柄井川柳(からい・せんりゅう)が、その人。亨保3(1718)年に東京・浅草の名主の家に生まれ、寛政2(1790)年に亡くなっています。
 なぜ『川柳』という文芸に名を残すことになったかと言えば・・・


■前句付(まえくづけ)

 川柳の元祖、『前句付』。どのようなものだったかというと、まず選者が題を出します。これが『前句』で、たとえば「わらひ(い)社(こそ)すれ わらひ社すれ」という具合で、同じ言葉を2回繰り返したものです。それを見た人々が、この題に合う『付句(つけく)』の五・七・五の言葉を考えて句料(入花料)を添えて応募します。前述の『前句』に対しては

   うちわでは思ふやうにはたゝかれず

(団扇では思うようには叩かれず)という句が入選したりしました。
 入選者には箱入りの高価なお椀だとか、句料の何十倍という賞金が出たそうです。一度に1万句以上の応募もあったそうで、現代の投稿マニアの血って、江戸からのものなのね〜と思い知らされます。ちなみにもっと後の話しですが、江戸では、相撲番付のようなかたちの『魚尽見立評判・会席献立料理通』なるグルメ案内が売られたりしています。江戸時代って平成と近いですよね。
 ・・・と、話がずれてしまいましたので、元に戻します。
 この『前句付』の選をする人はたくさんいましたが、その中で特に人気のあったのが柄井川柳さんだったのです。選句眼に優れていたのでしょうか。
 その柄井川柳さんが仲間と語らい、『前句』がなくても面白い句を集めて本にしたのが『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』です。
 その中には、

   親孝行したい時分に親はなし

など、現代では諺(ことわざ)のように扱われて残っているものもあります。 
 『誹風柳多留』は明和2(1765)年が最初で、その後柄井川柳さんが亡くなったあとも幕末まで、名前を変えながら続刊が出され続けました。(ネ! すごい人気でしょ?!)
 というわけで、『前句』のとれた『前句付』を『川柳』と呼ぶようになったのです。明治・大正・昭和にかけてと今では、江戸時代の川柳を『古川柳』と呼んで現代の川柳と区別しています。

 (古川柳は“COCONのこの一句”でも時々紹介しています。“COCONのこの一句”過去の記録のNO.019・NO.027・NO.033・NO.052・NO.054・NO.057・NO.069・NO.089・NO.102などをご参照ください。)


■狂句100年の不作

 長い年月のうちにだんだんと下ネタ・言葉遊び・放送禁止用語・下品になり、『川柳』よりも『狂句』と呼ばれるようになっていきました。大正から昭和のはじめにかけて、「これではいけない! 本来の『川柳』の姿に戻そう! 文学として目覚めよう!」とがんばる人たちがでてきました。それを再び川柳へ戻すために明治30年代ぐらいから頑張った方々がいました。阪井久良伎(さかい・くらき)さんと井上剣花坊(いのうえ・けんかぼう)さんです。このお二人は『川柳中興の祖』と呼ばれています。
 このお二人に刺激受けて活発に活動する方々が続々とでてきました。当時とくに活躍した岸本水府(きしもと・すいふ)、麻生路郎(あそう・じろう)、椙元紋太(すぎもと・もんた)、川上三太郎(かわかみ・さんたろう)、村田周魚(むらた・しゅうぎょ)、前田雀郎(まえだ・じゃくろう)の6氏を『川柳六大家』と呼びます。彼らは、句を作り柳誌を作り日本全国を指導して歩き議論をたたかわし……精力的に活動しました。このような方々のおかげで今の川柳があるのです。

 (岸本水府氏の句は“COCONのこの一句”過去の記録のNO.003・NO.063・NO.064を、川上三太郎氏の句はNO.017・NO.068・NO.075を、麻生路郎氏の句はNO.0105ご参照ください。) 

 (「川柳六大家」ではございませんが、同じ時代に小樽で活躍した田中五呂八(たなか・ごろはち)氏は“COCONのこの一句”過去の記録のNO.045・NO.106を、昭和初期の厳しい弾圧の中プロレタリア川柳を発表し続けて獄死した鶴彬(つる・あきら)氏はNO.049・NO.041を、井上剣花坊夫人で女性川柳作家の草分け井上信子(いのうえ・のぶこ)氏の句はNO.127をご参照ください。)


 ■基本のき

 もちろん『五・七・五』の17音字。でも現代ってカタカナ言葉が多くて『五・七・五』におさまりきらないです(^^;;)。そういう時は長い言葉を一番上の『五』にもっていきましょう。真ん中の『七』や、一番下の『五』を字あまりにするのは、良くないといわれています。
 また、『五・七・五』でなくても数は少ないですが『七・七』というかたちも川柳はあります。


 以前は、『滑稽』『軽み』『穿(うが)ち』のどれかひとつが入っているのが、川柳だといわれました。しかし、今はそんなことはありません。ただ、『句の間(ま)』を見て、通称『サラ川』(サラリーマン川柳)とはちょっと違うなと、思った方もいらっしゃると思います。もっと、詩に近いものもあります。現代川柳の幅は、限りなく広いのです。

 川柳も『五・七・五』、俳句も『五・七・五』。その違いは???と疑問に思っている方も多いと思います。俳句の最大の特徴は『季語』があるということでしたが、『無季俳句』なんてのも今はありますし。確かに、句だけ並べて「さっ、どっちだ?」と分けさせたら100%当たる人はまずいないでしょう。ビールの銘柄当てコンテストみたいなものです。
 川柳と俳句の違いでよく言われるのが、『句の内容が、川柳は人間が中心。俳句は自然が中心で、人間はその自然の一部』というものです。
 さて、みなさんはどう思われますか?
 俳句をなさる方で「私は句がヘタで、川柳みたいなんですよ」とおっしゃる方がいらっしゃるそうですが、この発言、川柳作家の毛細血管をブチッブチッと切らしております。認識を改めていただきたいものですね。


 ■さぁ、作りましょう!

 いろいろ書きましたが、難しいことはイイんです。日常の中で『アレ? 今の会話、そのまま句になってる』・・・ということあるかも。そこまでいかなくても、ちょっと推敲すればちゃんと句になるっていうことはあるんです。句の材料になることは身のまわりにゴロゴロころがっています。ホームページ“COCON”の『句の間(ま)』から投句できますので、お気軽にあなたの一句をどうぞ!




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