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2006年3月10日〜12日 東京漫遊記 −正義はあるのか− (たつや)

思い立ったが吉日、そんな言葉がある。
私達も例外ではなく、出発の10日前にこの旅行の計画を本格的に立てることになった。
面子は私を含めた男4人で、日程は2泊3日で行き先は東京と決め、時間的、場所的に好条件であった私が幹事を務めることとなった。

早速代理店に行ってみた所、さすがに10日前だと考えていたホテルは予約で一杯。
だから手当たり次第にホテルを探してもらったところ、池袋のホテルに空室があった。
「サンシャインプリンスホテル」と言う、サンシャイン60にほど近い所であった。
値段も希望通りであったため、その日に予約を入れ、東京行きは決定したのである。

<1日目>

出発当日、何度も鞄にチケットを入れたことを確認し、和歌山組2人で新大阪を目指した。
予定していた時間通りに電車は運行し、新大阪駅で無事に大阪組の2人と合流できたのであった。
私達が乗車したのは新幹線「ひかり号」である。
今は「のぞみ」が最速なのだが、如何せん格安パック旅行なので追加金を払わないひかりを選択した。

出発時刻に関しても同様で、10:43発と言う何とも変な時間に乗ったのである。
東京まではちょうど3時間であって、2時前に東京駅へ到着した。

到着後まず、池袋を目指した。チェックインの為である。
山手線に乗ったのだが、山手線はダイヤが2分ごとにある為時刻表を見る必要がない。
東京に行ったことが無ければ嘘のような話であるが、事実である。
・・・と、ヨタ話をしているうちに、池袋駅に到着した。

ここで、今回の旅行の目的について説明しておこう。
目的は、靖国神社を訪れることである。
小泉純一郎氏が首相の座に座ってから2度ほど、論争になったことは記憶に新しいだろう。
ここに行き、いわゆる「戦争」とは何かと言うのを知りたかったのである。

池袋から靖国神社までは近くなく、地下鉄を乗り継いでいくことにした。
乗り継いで「九段下」と言う駅につき、地上に出てすぐ大鳥居が姿を現した。

鳥居

同時に、ここが靖国神社の入り口だと言わんばかりの石柱もあった。

石碑

そこを直進していくと大村益次郎の銅像がある。更に直進すると、社があるのである。

しかし、参拝前に資料館である「遊就館」へと足へ運んだ。
生憎もう閉館時刻間際らしく、先行していた1名以外、資料館へ行くことはできなかった。
その1名を待つ間、ミュージアムショップや零戦等を見て回ることにした。

零戦

そこだけでも、その徹底ぶりに靖国神社を十分に堪能することが出来た。

確かに、ここまでの徹底ぶりであれば靖国神社の参拝問題が起こっても不思議ではない。
しかし、これほどの内容だとどれほどの人間が知っているのだろうか。
戦争が良いとは決して言うつもりはないが、考えさせられる事ばかりであった。

その後は、地下鉄を乗り継ぎ新宿へ行き、歌舞伎町を散策し夕食にした。
この日はもんじゃを食べ、食べ過ぎた感があったので池袋までの4駅を徒歩で帰ることになった。

途中、東京らしからぬ光景を目の当たりにしながら、霧雨の舞う中、
スタンドバイミーではないが、線路沿いを1時間かけてホテルへと帰った。
着いた頃にはもう、カラダが鉛のようであった。

<2日目>
この日は、皆が行きたいと口を揃えていた浅草へ行くことになった。
例によって地下鉄を乗り継いで仲見世に着いてすぐ、大勢の人が目に飛び込んできた。
まだ朝も早く、完全に仲見世が開店していないと言うのにである。
とりあえず、話し合った結果人並みをかき分けて雷門へと行くことになった。

雷門

そのまま仲見世を散策しながら浅草寺へと向かった。
やはり線香の周りには、人だかりができていた。
五重塔や大草鞋も浅草寺付近にあった。

五重塔大草蛙

昼前になりますます人も多くなってきたので、おみやげを購入し浅草を後にした。
その後は地下鉄に乗って上野駅へと行き、上野公園を散策した。
ここには西郷隆盛の像があり、その巨大さに思わず失笑してしまった。

西郷どん

上野公園は広く、到底歩ききることができないと判断したので早々に切り上げ、
道路向いのアメヤ横町(アメ横)へと行くことになった。
ここは商店街のような所で魚屋や乾物屋、服屋など様々な店が乱立している。
よくテレビなどで年末のにぎわいを放送しているが、
年末でもない週末の昼下がりでも十分、身動きがとれない程の人だかりであった。

アメ横を抜けるとすぐ、御徒町という駅についた。
そこで地図を調べてみると1駅向こうは秋葉原だと言うことだったので、
前日を思い出しながら1駅歩いて秋葉原へと向かった。
その途中、少々寂れたような街が続いていたが突然近代的なビルが眼前に見えてきた。
秋葉原駅前の開発工事のようであった。それと同時に、人も次第に多くなっていたのである。
それからまもなく、電気屋街であった。

電車男から一世を風靡した秋葉原であるが、最近では専ら「萌え」が流行である。
いわゆるメイド喫茶に代表される文化である。
それを示すとおり至る所にメイドに扮した女性がチラシを配っていた。

チラシ

話し合った結果メイド喫茶に行こうかと思ったのだが、
思ったよりも遊びで行くには少々お高い所だったので見るだけに留めた。
今思えば、この2日目のアメ横から秋葉原まで、写真撮影をサボっていたようである。

その後は東京駅を見に行くことになった為、山手線を2駅乗り継いで東京駅へ着いた。
途方もなく広い駅構内を歩き、地上に出ると赤煉瓦の駅が姿を見せた

東京駅

丸の内のオフィス街の中で「昭和」を感じさせるその作りは、
近代的ビルのような威圧感はないが、見る物を虜にする妖艶な魅力を持っていた。

そこでまた地図を広げて名所はないかと見ていると、目の前に皇居があることが判ったので早速向かうことにした。
歩くとすぐに門のような物が見えたので、迷うことはなかった。
その時であった。何故かその門に人が10人ほど集まっていた。
何やらざわざわしてるので聞いてみると、あと数分で皇后様がお見えになるとのことであった。
これはラッキーな場面に遭遇したとおもいながら待つこと数分。
白バイの姿が遠く離れた所に見えた。本当に皇后様を乗せた車が来たのである。
信号が青に変わって進み始めたその時、前から2台目のセンチュリーの窓が開いた。
紛れもない、皇后様であった。あっと言うまであったが、画像に収めることに成功した。

皇后様

興奮さめやらぬ中、一通り付近を散策した後に江戸城本丸跡へと向かうことになった。

上野公園よりも遙かに広い皇居の中を歩くと、大きな芝生の場所が見えた。
ここが江戸城本丸跡であった。
今は憩いの場・・・むしろ睡眠の場として賑わっているようであった。

江戸城の芝生

そのすぐ横には天守閣跡があり、上って改めて本丸の広さを感じた。

天守閣跡

この時点でもう5時を過ぎ、4人の体力は殆ど残っていなかった為、一旦ホテルに帰り、休憩の後夕食へと繰り出すことにした。

今日の夕食は巷で話題の「Chanko Dining 若」にしようと言うことを決めていた。
事前に場所をwebで調べていたので、前日同様に新宿へと繰り出したのである。
新宿はさすがに土曜の夜というだけあって前日の比にならないぐらいに人が多かった。
全く動けない所もあった。その中で、昨日行ったもんじゃ屋のすぐ近くに、おなじみの看板を見つけることに成功した。(画像:若)

ちゃんこ若

早速突入してみたところ、生憎予約で一杯らしく、すごすごと池袋まで帰ることになった。

池袋では牛タンネギ塩焼きを食べ、その後は付近を散策しながらホテルまで帰った。
東京最後の夜は、一層更けていくのが早く感じた。

<3日目>

最終日は、電車の時刻の関係で昼過ぎまでしか滞在できない為、前日夜から行こうと決めていた渋谷へと繰り出すことにした。
渋谷と言えばかの有名なハチ公だが、思ったよりも人は少なかった。

ハチ公

その後しばらく109前などを散策してみたが、思ったよりも収穫が少なく、4人の興味も薄れてきたので早々に離れることにした。

その後は新橋と言う駅まで行き、銀座を堪能することにした。
ちょうど時間的に歩行者天国になる少し前だったらしく、あちこちに通行止めの看板が見えた。
そして12時になると銀座全体に放送がかかり、すぐに歩行者天国になったのである。

銀座ホコテン

広い銀座中央通りを人がひっきりなしに動いているのがよくわかるだろう。

銀座もホコテンであれば秋葉原もホコテンだと言うのが東京で、時間も迫っていた為にすぐに秋葉原へと移動した。
秋葉原は片側3車線ぐらいの大通りがあるが、そこが完全に人でごった返していた。

アキバホコテン

その中に、メイドさんがたくさん目についた。

アキバメイド

一通りホコテンを堪能した所で、時間を見ると出発まで微妙な時間であった。
立ち止まって話し合った結果、その時間で国会議事堂に行くことに決定し、道を急いだ。
地下鉄で国会議事堂前駅につくと、衆議院が目の前に立ちはだかった。

国会議事堂衆議院門

コレもネタかと思いながらも、広い永田町を歩き、正面に来た。

国会議事堂正面

修学旅行で見た光景、そのままであった。

人も疎らな駅までの帰り道に今回の東京旅行をおさらいしつつ、見物を終えた。
帰りの東京駅構内では土産物を散策し、帰路へついた。
帰りの新幹線の中では爆睡かと思ったが、普段通り話に花が咲き、あっという間の3時間であった。

今回私は、自分で企画して旅行へ行くのが初めてであった。
しかも気の合う仲間4人と言うシチュエーションも初めてであった。
終わってみると、短かったが非常に充実した3日間であった。
普通の東京旅行にはない、考えさせられる旅行がココにあった。

真の正義とは何か。その答えにはまだたどり着けないが、今、このときにしか味わえない有意義な旅行だったと言えるだろう。


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