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2005年4月18日 山歩き 名草山下り編(masakazu)

名草山の和歌浦湾に面している西斜面には、立派な登山道が造られています。この道は、昭和の中頃に観光目的で造られ、山肌を大きく削って自動車通行可能な道幅を持たせましたが、山火事が多発したため、少しの間使われただけで最近まで通行禁止(登山禁止)にされていました。
長年の通行禁止の間に、道は樹木と笹に覆われて獣道と化していましたが、通行禁止が解かれてから地元の山の愛好家の皆さんが手入れを続けて、現在では、眺望に優れたなだらかで歩きやすい登山道に変わっています。もちろん車の通行は不可です。
また、この登山道は、道の各所に、西国観音霊場にちなんだ小さな観音石像が置かれています。登山道開設時に寄付を募って石像を作り設置したそうです。

では、頂上からこの道を下ってみましょう。

頂上広場の西端から北に向かって下り始めると、すぐに最初の観音像に出会います。
観音正寺の千手千眼観世音菩薩です。観音様は、木立の間から和歌浦を静かに眺めています。

千手千眼観世音菩薩 和歌浦遠景


背の高い木々の間を抜けると、草と落ち葉に覆われた広場に着きます。
広場は、車のすれ違いと急カーブを曲がりやすくするために作られたのでしょう。
広場の東側に、長命寺の千手十一面聖観世音菩薩三尊一体が置かれていました。

千手十一面聖観世音菩薩三尊一体 木立に囲まれた道


広場から道は折り返し、南に向かってなだらかに下りながら遠くまで続いています。
午後の日差しを正面から受けて、軽い足取りで進みましょう。
木漏れ日が当たる場所に、ひっそりと置かれている宝厳寺の千手観音菩薩に気がつきました。

千手観音菩薩 広場から南に続く道


しばらく歩くと、斜面は笹に覆われ、高い木々が減って視界が大きく広がります。
この場所は、見晴台と呼ばれていて、目の前に和歌浦湾が広がり、海が山裾まで迫っているような錯覚を起こします。
電線を引くために使われたと思われる鉄塔が、無粋なモニュメントとして残っているのが、何とも哀れです。
ここに置かれている観音像は、松尾寺の馬頭観音菩薩です。力強い顔の表情は、見晴台を守る使命に燃えているような...。

馬頭観音菩薩 見晴台


のどかな和歌浦の景色を見ながらさらに進むと、削り取られた道の地層が見られる壁に観音像が置かれていました。
成相寺の聖観音菩薩です。成相寺は、日本三景の天橋立を見下ろす山の中腹に建てられています。
西を向いた聖観音菩薩が見守っている景色は、天橋立に似た和歌浦の絶景「片男波」ですから、そのことを考慮して置いたのかな。

聖観音菩薩 片男波


飽きるほど南に向かって歩くと、道を塞ぐように立っている木々の異様な姿が目にとまります。
この場所に立つ木々は、皆一様に西側に少し傾いて立っていて、枝も西を指し示すように伸びています。何かの気の流れが強く作用しているのでしょうか。
気乱れを整えるために置かれているような観音像は、中山寺の十一面観音菩薩です。

十一面観音菩薩 道を塞ぐ木々


南に向かっていた道は、再び折り返し北へ向きを変えます。道の正面には、和歌山市街地が遠くの山の麓まで広がって見えます。
少し歩くと笹に覆われた斜面が広がってきます。この斜面は風当たりが強く、樹木にとっては厳しい環境のようで、冬枯れた木々が骸のように立っています。
ここには総持寺の千手観音菩薩像が置かれています。上部が欠けているのは何故?

千手観音菩薩 立ち枯れた木々


まるで海沿いで潮の香りさえ届きそうな雰囲気の道を歩いて行くと、斜面を覆ったシダの隙間に、穴太寺の聖観音菩薩像が置かれていました。
目の前には、どこまでも青い和歌浦湾が広がっています。
和歌浦湾の変遷を静かに眺めてきた観音様は、埋め立てられたマリーナシティをどのように見ているのでしょうか。「浅はかな人の成せる業」と優しく微笑むだけでしょうね。

聖観音菩薩像


少し歩くと、石碑が建てられている広場があります。
この広場は、その昔、乃木大将が名草山を崇め花を捧げた場所だそうです。
石碑の裏面に大正元年云々と記されているので、乃木大将が明治天皇崩御後に殉死したことを礼賛して建てられたのでしょう。
今や、その石碑も、存在意義も、時の流れのままに風化しています。
道は、この場所を過ぎると笹に覆われた斜面から灌木に覆われた斜面に変わります。

乃木大将献花祈念碑 桜の木


芽吹いたばかりの新緑を間を歩いて行くと、道横の高い場所に観音像が置かれていました。
善峰寺の千手観音菩薩です。

千手観音菩薩 新緑と花


さらに歩くと道は緩くカーブして、そこを曲がると、道を塞ぐように立っている木が目に入ってきます。その木は山桃で、濃い緑の葉が茂るさまは壮年期を迎えた木の力強さを感じさせます。
道の脇には年老いた山桜が、絡みついたツタを振り払うように枝を伸ばし、その枝の先に白い花をつけています。
山桃の木の側に置かれた観音像は、革堂(こうどう)の千手観音菩薩です。

千手観音菩薩 山桃と山桜


道はさらに山腹をえぐるように回り込み、正面に見える山肌は、山桜の花と葉が織りなす薄赤と、萌えいずる新緑の薄緑に鮮やかに染められています。
日の当たらない山陰に静かに座っていたのは、六角堂の如意輪観音です。

如意輪観音菩薩 色とりどりの山腹


道を曲がり終え、北に向かって歩くと、右手に閃緑岩を含む岩盤が迫ってきます。
その岩盤の割れ目に置かれた観音像は、六波羅蜜寺の十一面観音菩薩です。
この場所は風を遮るような地形のため、晴れた日に歩いていると、日差しをさらに強く感じます。

十一面観音菩薩 日当たりの良い道


足下の石や木の根につまずかないよう気をつけながら歩くと、道の両側の山桜が、花と薄紅葉をつけた枝を空一杯に広げていました。
その桜の花を見上げるように置かれている観音像は、清水寺の十一面千手観音菩薩です。

十一面千手観音菩薩 青空に映える山桜


ここを過ぎると道は、紀三井寺へ続く広い道と、一本松に帰る狭い道とに分かれます。
紀三井寺に続く道は、荒れるがままに草木に覆われていて獣道と化していますので、一本松へ帰る道を進むことになります。

一本松への道


一本松までは木々の間をぬうように進むので、鳥の声があちこちで聞こえて、それなりに楽しい道なのですが、この道の紹介は次の機会にしましょう。


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