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2005年3月12日 山歩き 名草山登り編(masakazu)

昨日までの春の暖かさから、手のひらを返すように冬に逆戻りして寒風吹きすさぶ中、耐寒登山の様相で近所の山へ散策に出かけました。

名草山と言う標高200m位の里山ですが、山頂からの眺望が素晴らしく、和歌浦湾、和歌山市街地、淡路島だけでなく、天気が良ければ遠く四国の山々までもが見えます。また、山頂には桜の木も植えられ、花の満開の頃は花見登山の人でにぎわいます。

瓢箪を横たえたような形の山なので、東西南北いたる場所から登れる道がありますが、私はいつも、お寺の横から登るコースで頂上を目指します。海に面した山の西斜面を登ることになります。
登り始めは、お墓の中を通る階段です。以前に段数を数えたことがあります。確か二百五十段ほどありました。階段登りは、ひたすら足元ばかりを見て回りを見ることもなく、さらに早足になるのは、ご先祖さんが背中を押しているからかな(恐いからと言う人もあり)。

階段


階段を登り終えると神社の横に出ます。ここの神社には大きな楠が数本立っていて厳かな霊気を放っています。時々、ヒヨドリなどの山鳥が飛び交い鳴き声が聞こえてきますが、普段は騒がしく思う鳴き声も、ここでは雰囲気にマッチして、心地よい響きとして身体にしみ込んできます。
鳥居をくぐって境内に入り、柏手を打って登山の安全を祈り、階段登りで跳ね上がった脈拍が落ち着く程度の休憩を取って、登山道に戻ります。

神社


神社を過ぎると、ここからが本当の山道の始まりです。
山道は、山の愛好家の皆さんが整備してあるので運動靴で十分登れますが、私はカメラを背負って登るので、転倒して機材を壊すことのないように、手には杖代わりのカメラ用の一脚を持ち、足元は登山靴でしっかり固めています。
山道に、時々敷かれたように顔を出す青緑色の綺麗な岩石は、日本三大青石の一つの紀州青石です。紀州青石は庭石として有名で、京都の庭園でよく使われているそうです。それを踏みしめて歩くのは、もったいないような気がします。

椿の道


緩やかな登りの山道は、うっそうとした林の中を、西斜面から巻くように北の斜面の方に回って、中腹にある広場「一本松の休憩場所」に続いています。
山道は、一本松が見え始める辺りから北側の視界が開けて、そこから急坂になります。急な登りで息が上がってきた頃に遠くに見えてくる街並みは、和歌山城を中心とした和歌山市街地です。大パノラマに見とれながら登ると、すぐに一本松の休憩所に着きます。
街並みに浮かんでいるように見える小山の上に建てられた和歌山城は、工場の煙突と市役所の高い建物に邪魔をされ、小さく縮こまっています。市役所の建物の高さは、バブルに踊った人々のアホさ加減を表しているような...。最近、新しいホテルも完成したようで、街並に不釣り合いな焦げ茶色の高い建物も見えます。
さらに遠くの山並みの中腹に、風をとらえて回る風力発電の風車が見えます。その横には白い和歌山大学の建物があります。よく目をこらしてみると、屋上にある天体望遠鏡のドームが銀色の輝きを放っています。たつや副会長に案内されて、学術用の反射式望遠鏡を見せてもらったことを、昨日のことのように思い出します。宇宙物理学の最先端を行く、天文マニアのあこがれの地です。

遠景


休憩所は、西向きに開けた立木の少ない斜面にあるので常に風が吹いています。今日は、強い西風が吹き抜けてとても寒く休憩どころではなかったですが、普段は、丸太で作った椅子に座って景色を見ながらお茶を飲んで、呼吸が整うまでゆっくり休みます。
丸太で作った机や椅子は、山の愛好家の皆さんが、ふもとから材料を背負って登ってきて作ったのもです。この山の魅力を下支えしている皆さんに、深く感謝します。
この休憩所は、山道の大交差点で、5本の山道が集合し分散しています。紀三井寺への参道もあります。

一本松


ここから登る山道は、方向を南に大きく変えて、ほぼ真っ直ぐに頂上まで続いています。
再び山道を歩き始めると、両側は木立に囲まれて景色が見えなくなりますが、深呼吸をしたくなるような柔らかい空気が流れてきます。落ち葉が風に吹き寄せられて山道の両側を埋め尽くしている情景は、秋にはとっても良く似合うのですが、冬には、踏みしめる枯れ葉のカサカサ音は、よけいに寒々として物悲しくなります。

落ち葉道


しばらく歩くと、山道は、孟宗竹の竹林の真中を登る急坂に変わります。
木々の間を吹き抜ける風は、サワサワと心地よい葉鳴りを残して通り過ぎていきます。竹林を吹き抜ける風は、そよ風なら良いのですが強風だとちょっと困り者です。強風で竹がしなり葉がこすれ合い、「ザワザワ」「ゴツゴツ」「ギシギシ」それはそれは五月蝿い限りです。しかし、もうすぐあちこちから顔を出すタケノコはとても美味しいので、文句は言えません。
竹林の中の急坂は、落ち葉が厚く積もり、さらに粘土質で湿っていて滑りやすいため、手すりが作られ、足がかりに階段が掘ってあります。これも山の愛好家の皆さんの頑張りで作られたものです。
階段を使わないで坂を登ると、アキレス腱が伸びきって、足裏とふくらはぎはストレッチ状態になります。運動不足の足には辛いですね。
以前、ここで出会った山の達人さんに、坂の楽な登り方を聞いたことがあります。彼は笑いながら「自分と相談しながら登ることですよ」と答えてくれました。その日の天候やその日の体調を考えて、何事も無理をしないことが山登りの極意だそうです。人生の坂道を登るときも同じかな。

竹林


自分の体重を持ち上げる苦しみを十二分に味わって竹林を過ぎると、山道は、尾根を通るなだらかな道に変わり、両側の木々の間から遠景が望めるようになります。
尾根筋には、山桜の老木があちらこちらに見受けられます。老木は、幹に過酷だった年月の推移を刻んで、下の方の枝は朽ち落ちて、でも精一杯伸び上がった先にわずかに赤い新芽をつけています。老木が春に咲かせる小さな花は、派手さはなくても命の力強さを感じさせてくれます。
私は、山桜に囲まれたこの場所が、一番好きです。

尾根道


しばらく歩くと馬の背のような場所に出ます。ここにも山の愛好家が丸木で作った机と椅子が、東西の景色が見られる場所に置かれています。
西に和歌浦と和歌山市街地、東は竜門山から生石山に続く山並みが見えます。この場所は日の出の絶好のビューポイントで、元日の朝は数十人の見物人が並ぶそうです。ここに立っていると、大空に吸い込まれていきそうな気がします。
先日のこと、この場所でスケッチをとっている人がいました。話をしたところ、同じ場所に座り続けると、同じに見える景色も刻々と変わっていくことが良く分かるとのこと。写真は瞬間を切り取ることは得意だけど、時の流れを表現することは可能だろうかと、写真が好きな私にはドキッとさせられた言葉でした。

馬の背
和歌浦竜門山


ここまで来ると頂上はすぐそこです。頂上の手前には最後の急坂が待っていますが、勢いで登ってしまいましょう。
急坂を登り切ると、木々の間から見える空と雲と光と吹いてくる風が、ここまでの頑張りを誉めてくれます。

最後の坂


頂上は広場になっています。広場には沢山の桜の木が植えられています。この桜の木は、地元の自治会の皆さんが大切に育てたものです。
もうすぐ、桜の木は枝いっぱいに花を咲かせて皆を楽しませてくれます。花が開くにつれ登山人も増えてきます。満開の頃は、桜の木の下にシートを広げ、車座になってお弁当を食べるグループの楽しげな声で、広場も賑やかになります。でも、花見気分に水をさす毛虫軍団も出没するので要注意。
ちなみに頂上にも、丸太で作った椅子、ベンチ、机が設置されています。大事にしたいものですが、悲しいことに落書きをする不心得者がいます。自分の行動を律せない人が確実に増殖していますねぇ。

頂上広場


頂上の眺望は、眼下の片男波と和歌浦、和歌浦湾から遠く四国、北には和歌山市街地と海を挟んで淡路島、南には、遠い昔にお祭りごとのために作られたような記憶が残るマリーナシティが見えます。残念ながら、東側は木立に視界を遮られて遠景は望めません。
ここから見える海の色は、時々刻々様々に変わります。青空を映して紺色、藍色、青色、水色、雲と波が作る灰色、そして夕日が沈む時の、あかね色。
海は、色だけでなく全てを受け入れる母のような存在だと思えます。

和歌浦マリーナシティ


私にとって山歩きの魅力は、自然と触れ合えることと、自分との対話ができること。
自然に包まれて、ともすれば早くなりがちな日々の時間を、元のゆったりとした流れに戻して、知らず知らずに身につけた無骨な鎧兜(よろいかぶと)を脱ぎ捨てて、自分をリセットして...。

森は空気を綺麗にしてくれますが、人を再生する力も持っています。
それを活用するかどうかは、あなた次第です。
一緒に山へ出かけてみませんか。


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