●アイスマン
 1991年9月19日オーストリアとイタリアの国境、エッツ渓谷の奥地、フィナイル峰近くのハウスラプヨッホ下方の氷河で遺体が発見された。
 その後、褐色の裸の遺体は5300年前に死亡したものであると判明。
 ”エッツイー”と名付けられた。
 インスブルック大学で冷凍保存されている。(2002.8.4)
【性別・年齢】
●男性、25〜40歳、約160cm
【服装&遺物】
●帽子−毛皮製,高さ25cm,球形,あご紐有り
●上着−毛皮製,ケープ状,細長い小断片をつなぎ合わせたもの
●ズボン−毛皮製,片足づつ
●腰巻−皮製,
●靴−毛皮製
●マント−縄あみ製
●入れ墨−左手首,背骨の左側,背骨の右側,右ひざの内側,左足のふくらはぎ,日がリア氏アキレス腱の左側,右足の甲,右足の外くるぶしの横,右足のうちくるぶしの上
●弓幹−イチイ材,182cm,矢柄5本
●斧−
●背負い籠−
●シラカバ樹皮製の器−
●短剣と鞘−
●修正用の小道具−
●袋付きのベルト−
(フリント製の道具が3つ,骨製の錐が1つ,火口が1つ)
●2つのキノコ−
●矢筒と矢−
●西洋スモモの実ー
■9月3日NHK教育(22:00〜22:45)ミイラのなぞ・アイスマンの死
 ★死の前に矢を射られ、出血していた。体内に矢じりあり。死亡は春。★
 たけパラの推測:
  アイスマンは、とどめをされていない。
  と言うことは、アイスマンに矢を射った人は、矢が当たったことで、
  気が晴れたということだ。
  しかし、矢を射る程までに、憎んだとも言える。
  盗みか?いやそれで、矢を射るだろうか。。。
  アイスマンは矢を射った人の奥さんとの逢引きを知られ逃げた。
  その途中で射られたのだ。
  矢筒に矢があったのは、争う意志がなかったからだ。
 なーんてね。
 しかし、春なのに冬支度だったのは何故???(2002.9.13)

●追加
  「手にも切り傷があり、衣服に本人以外の4人の血液がついていた」
  んだそうだ。ということは、殺し合いをしたということになる。
  その理由は何んだったのか。(2008.3.5)

●『完全解凍 アイスマン』
  2013年3月24日NHK総合21:00-21:50
  イタリアでアイスマンを解凍して胃や腸の内容物、脳、皮膚などを
  採取して行われた調査で新たなことが分かった。
  右目上打撲痕。これが直接の死因らしい。
  とどめをさして、左肩の矢を抜いたため左腕が変な形のまま
  死亡していたという推測がなされていた。
  うーっむ。
  そして、腸内から見つかった花粉によれば、高地ー低地ー高地と
  移動して死亡したそうだ。色々なことが分かるもんだ。
  ここは是非、科捜研の出番と思った(2013.03.25

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