(4)    与次郎ケ浜        

     ○与次郎ケ浜(よじろがはま    

荒田八幡神社前の八幡通りを下がっていくと、国道225線との交差点に「はま橋」
があり、そのたもとに「与次郎ケ浜の碑」と 「塩田跡の碑」がある。天保年間 (183
0−1844) 「荒田村」百姓平田与次郎が塩田を開いたとある。そこから南側が与
次郎ケ浜で、昔は白い砂浜が広がり夏は海水浴場として賑わっていたが、昭和4
1年(1966年)から昭和47年(1972年)にかけて、太陽国体の競技施設建設のため
海岸が埋めたてられた。一帯には野球場・陸上競技場・市民文化ホールなどの
施設のほかに、熱帯植物園・ジャングルパーク遊園地があったが、それぞれ縮
小閉園された。

塩田跡の碑 与次郎ケ浜の碑
塩田跡の碑 与次郎ケ浜の碑
昭和40年与次郎ケ浜 現在の与次郎ケ浜
昭和40年与次郎ケ浜 現在の与次郎ケ浜
野球場周辺 与次郎ケ浜のD51
野球場周辺 与次郎ケ浜のD51
県立陸上競技場 市民文化ホール
県立陸上競技場 市民文化ホール
ジャングルパーク遊園地 ジャングルパーク遊園地
ジャングルパーク遊園地 ジャングルパーク遊園地
ジャングルパーク遊園地 ジャングルパーク遊園地
ジャングルパーク遊園地 元ジャングルパーク遊園地
閉園のお知らせ
閉園のお知らせ
 

                      与次郎ケ浜のD51714 (2次形)

             
    昭和18年(1943) 3月 日立製作所笠戸工場で製造
                 昭和18年(1943) 4月 小郡機関区
                 昭和31年(1956) 12月 出水機関区 
                 昭和45年(1970) 10月 吉松機関区
                 昭和47年(1972) 5月 南延岡機関区
                 昭和48年(1973) 7月  廃車 与次郎ケ浜ジャングルパークで保存

   
 
              D51形機の要目
  
  貨物輸送の急増に伴いD50形機の後継として、昭和11年(1936)

  から昭和20年(1945)にかけて製造され、主に貨物列車牽引用と
  して活躍した。
     1次形    1〜  85   91〜 100
     2次形   86〜  90  101〜 954  955〜1000欠番
     3次形  1001〜 1161(戦時形)    計1115両製造
   2次形は昭和13年から19年に製造され、 給水温メ器を煙突の
   前に乗せ、 蒸気ダメと砂箱を一つのドームに収めた D51の基
   本形となっている。
     車輪配列 1D1(従輪1+動輪4+従輪1) 
     最高運転速度85Km/h   愛称「デゴイチ」