(6)    天保山              

      ○天保山(てんぽざん)

天保年間に甲突川の氾濫を防ぐために、 川の土砂を積み上げてできたところで、
その松林(天保山公園)の中には旧薩摩藩の砲台跡がある。
また鹿児島市の友好都市である中国の 長沙市から資材を贈られてできた 「共月
」も近くにある。

共月亭 昔の天保山地図
共月亭 昔の天保山地図
天保山砲台跡碑 天保山砲台跡
天保山砲台跡碑 天保山砲台跡

        御船手跡

中州大通りを天保山の方へ下ると道路左側に御船手跡の碑があり、この付近は
幕末の頃薩摩水軍(海軍)の根拠地だった。

御船手跡の碑
御船手跡の碑

        坂本竜馬新婚の旅碑

天保山から与次郎ケ浜へ通じる太陽橋の近くに坂本竜馬 新婚の旅碑」がある。
薩長同盟を成立させた坂本竜馬は、慶応 2年(1866)1月24日、宿舎の寺田屋で
幕吏の襲撃を受けて負傷し、西郷隆盛のすすめに応じて薩摩へ湯治旅行をした。
妻のお龍、西郷隆盛、中岡慎太郎小松帯刀などと3月4日薩摩の藩船「三邦丸」で
大阪を出帆し、3 月10日に鹿児島の甲突川畔、御船手に上陸した。
坂本竜馬とお龍は小松帯刀邸などに身を寄せた後、船で浜之市(隼人港)に向か
い、日当山温泉を経て塩浸温泉や霧島温泉に赴き、傷の療養をした。
仲むつまじい竜馬夫妻の温泉をめぐる旅行が、日本初の新婚旅行と言われている。
坂本竜馬とお竜は「桜島丸」で、6月2日に鹿児島を離れて長崎に向かった。

竜馬新婚の旅碑(天保山) 竜馬新婚の旅碑(塩浸温泉)
竜馬新婚の旅碑(天保山) 竜馬新婚の旅碑(塩浸温泉)

      ○天保山橋

鹿児島市内を流れる甲突川の「激特工事・・8.6水害」に伴う架替えが完成した。新
しい橋は 石灯籠型の親柱や 和風の欄干は 旧橋のものを使用し、 橋脚は川の流
れを良くするために7本から3本になっている。

天保山橋 天保山橋
天保山橋 天保山橋
天保山橋の位置は武之橋(電車通り)と天保山大橋(国道225号線)の間です。

昭和33年頃の天保山橋
昭和33年頃の天保山橋

        天保山大橋

甲突川の河口に架かる橋で上記の天保山橋が、国道225線の交通量に耐えられ
なくなったため、昭和42年(1967年)に国道を拡幅するとともに架設された。
            
天保山大橋 天保山大橋
天保山大橋 天保山大橋

         天保山シーサイドブリッジ 

国道225号線の渋滞を解消するため、甲突川河口の海と接する場所に架けられ
ている。平成11年(1999年)3月に完成し、平成12年(2000年)8月には臨海道路も
出来上がり便利になった。

シーサイドブリッジ
シーサイドブリッジ