『魔獣戦線 THE APOCALYPSE』レビュー その(3)

#7「ヨハネの黙示録 我はアルファにしてオメガ」 <2003.4/6(日)>

吹雪荒れ狂う来留間源三の研究所で、今新たな生命が目を開こうと していた。「今より洗礼を行う」厳かに宣言する源三の声を合図に、 水槽内で膝を抱えた少年の額にある第三の「目」が開く。

国防軍による慎一殲滅作戦は、失敗に終わろうとしていた。街一つが 燃やされたにもかかわらず、死体すら見つかっていないのである。 そこへ、戦闘中に慎一の体内へ流し込まれたマーカーの反応が。 それは高エネルギー溶液を運ぶトレーラーだった。 その中で生きられる生物はいないはず、という常識を 覆して慎一はタンク内に息を潜めていた。光る目。

一方新宿副都心。兵士相手の売春で黄金を儲け隠していた女が、 人々に追われていた。復興もままならぬ地獄で肩を寄せ合う人々に とって、全ては共有されねばならない、その掟を侵したのだ。 逃げる女の前に、金髪の美少年が現れる。彼は暴徒に向かって問う。

「石を投げるがいい、ただし一度も罪を犯したことのない者だけだ」

暴徒はそれを聞き入れず、踊りかかる。「愚かだな」少年の第三の 目が開かれた。投げられた石はことごとく跳ね返り、自ら を襲う。逃げ出した暴徒を見て安堵した女は、「神よ」と少年に ひざまずく。だが、少年はにべも無くその愚かな女を念動力でひね りつぶした。

国防軍本部基地。高エネルギーを体にまとわり付かせた慎一が、 ついに乗り込んできた。常識を覆す出現に慌てる間もなく、 蝉丸国防大臣が消滅させよ、と命令を下す。雨嵐と打たれる銃弾 だったが、慎一の目は弾の動きを捉え、全てを避け常人の目には 止まらない動きで、基地に潜入する。

その頃蝉丸はロックウェルから魔獣・慎一の誕生と、自らが得た 神の細胞に関する真実を聞いていた。「蘇る神の精神体を受け入れる 器の開発過程で生まれた2つの可能性」なのだと。

どちらが神にふさわしいのか…天上を突き破り出現した慎一 を前に、蝉丸は青銅色へと変身し、念動力で戦いを始める。 牙を跳ね返し、手も触れず首を締め上げる圧倒的なその力の 前では、慎一はまったく反撃できない。エネルギー弾が 動けぬ慎一へと放たれたその瞬間、あの少年がそれを跳ね返した。

動揺する蝉丸。少年は無感動に彼の体内の「神の細胞」を 反乱させ、肉体をずたずたにして殺す。そして慎一に近づき、 彼のまとった高エネルギー放射性物質を除去するのだった。 「お前は…」「私の名は…ノア」

無事帰還した慎一を喜んで迎える富三郎・亜矢可と少年たち。 亜矢可は言う。「来留間源三は彼自身の生み出した神によって裁かれる、 その日まで、平和な楽園へ行きましょう」

…つーワケで、先週『聖魔伝』やりたいのかなあ、などと思った んだが、今週で国防軍との戦いもあっさり終了。先食いするのも 何だが、翌週は南の島へバカンス行くんだけどさ、顔さらして国 防大臣殺しておいて(殺したのはノアだが、国からはそうは見え なかったろう)、どうやって脱出したんだよ。

困ったことに一事が万事、こういう「投げっぱなし」な作りなのが この作品の悪い所だよな。で、その都度慎一は「うおー」と叫んだ直後に 絶体絶命になりながら、誰かに助けられて次のステージへ。これじゃ 出来の悪いRPGです。

もうコレは根本的な問題なのだが、この作品は慎一の敵を何と定めて いるのか、慎一がどうすればドラマを進められるのか、という煮詰めが 無さ過ぎる。「復讐」なのか、「神」なのか、「国家」なのか、 「現代の人間のありよう」なのか。あるのは、ただただ慎一への危機。 それは「真の敵」が次第に明らかになる構成を取ろうとした結果だろ うけども、ならば尚のこと、慎一が追われる構図をより強調していって、 その「敵」と対峙せざるを得ないところまで行かねばならない。

だが、慎一は結局被害者のまま、常に受け手である。しかも防戦 を果たすことが出来ず、常に誰かに助けられる。これでどう感情移入 しろというのだろう?

映像面。

キャラ絵というなら極端な破綻は無いが、見せ場で枚数が使えない 弱みと、ロケーションの設定の甘さが今回も裏目に出たカンジ。

まずは枚数制限以前の問題。『マトリックス』を髣髴とさせる 「目のいいヤツで見ている」慎一がことごとく雨あられの銃弾を 避けるシーンがあるんだけど、ビールケース持ち上げた直後の バイトのにーちゃんみたいな正面+真横2枚のポーズのOLで処理。 全くワケがわかりません。こういうと語弊もあるが、どうせ戦い になってしまえば、止め絵でも血が吹き出たり腕の一本でもへし 折られれば危機感の演出は可能だ。

むしろ魔獣の魔獣たる部分、というのは戦いのシチュエーション に応じて体内に取り込んだ細胞が効果的に発動し、危機を回避する …簡単に言えば、銃弾を避ける目に必要に応じて切り替えられる、 というこのシーンは非常に意義ある演出なのだ。

ここをたかだか2枚のOLで終わらせることが出来るという、コンテ は何なんだろう。

ロケーション設定の甘さについて。これは初回から副都心とそうでない 地域の陸続き感が全く出せていなかった所から、今回の「どーなってん のよ国防軍基地の建物」まで一貫している。蝉丸が慎一を念動一発で 飛ばし、そのイキオイで壁を割りながら幾つもの部屋を突き抜け、 最後は戦車庫へ突っ込む。どう設計したら、お役所が大臣指令室と 戦車庫を同一階に並べられるのだろう。

思い起こせば『侍ジャイアンツ』で長嶋が蛮を殴り飛ばし、壁突き抜ける という有名なシーンがある。アニメなんで、誇張するのが悪いワケではない。 ギャグすれすれのこの演出自体責めるわけではないが(でも笑えないギャグに なってるけど)、蝉丸という強大な敵に対する以上、立派な建物を 立体的にもう少し使うように考えるべきだ。

大臣はエライので当然最上階にいて、慎一は様々な手を使って上を目指す。 しかし慎一のイキオイに危険を感じ、地下にある司令室へ移動する。 その途中のニアミスがあって、それは何とかスレ違い地下へ。 国防軍は蝉丸以下モニタで見ながら慎一へ攻撃するが、一つ一つ 砂の嵐になるモニタ。最後の一つににやりと笑いかける慎一。 それが消えた時、司令室の扉が開き…なんて作りにすると、アニメと しちゃ燃えるんですけど。

もーホント、この作品途中経過をキチンと見つめるってことに、 どうにも無神経だよなあ。先週の実験室爆破もそうだが、 そういう「過程」を大事にしないのは、勝手に脳内補完して くれる一部アニメファンへの甘えよ、甘え。

ところでラストシーン。

亜矢可が、笑っちゃうしかないくらい平和ボケしたねーちゃん なのだという設定は良く分かった。

つまり、来留間源三は神を復活させようとしているワケだが、 その神自体に様々な可能性があるワケだわな。源三を裏切る かも知れないし、ソレを皮肉にも慎一と共闘して戦うという 選択肢もありうる。一方で、亜矢可が無邪気に信じる「エデン」 の神でないコトもありうる。花咲き乱れるゴルフ場みたいな場所は 作るけど、亜矢可はそこにふさわしい生き物と判断されないかも 知れない。

で、源三が作り上げた理想であるはずの生物・ノアは売春した女を 虫けら扱いして殺す。コレ、もちろん新約聖書の「マグダラのマリア」 のくだりのパロディなワケだが、こういうノアが慎一を助ける所に 謎掛けが仕込んである。亜矢可はいずれ裏切られるのだろう。

ノア。

不満があるとすれば、ノアは魔獣でなかったという設定。 来留間源三は自らが動物と合体した時「こんなすばらしい体を 手に入れたぞ!」と狂喜していたワケで、そうでない念動の 化け物作ってたというのは納得行かないんだけどねー。

やっぱし俺原理主義者だし、腹立つ作品なんで、必要だと思えば、 原作リスペクトして欲しいところは書く事にする。決めた。

#8「創世記 エデンの園 」 <2003.4/13(日)>

#9「」 <2003.4/20(日)>


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