| 自分のこと 
 
        
          
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            | 私の父がカメラの好きな人でした。 写真が好きというよりは道具としてのカメラが好きだったような気がします。
 家にはいつもの本屋から、毎月、朝日カメラが届けられていました。
 父はいろいろなカメラを購入しては、自分の書斎でなでまわしていたように思います。
 晩年には、幾度も「贅沢かな〜」と言いながら、ライカのカタログを見ていました。
 
 そのような環境にいたせいか、私も小さいころから自分用のおもちゃのような写真機を買ってもらい、学校の遠足とか運動会には腕をふるっていました。
 家から歩いて、子供の足で15分くらいの堤川のほとりにあった堤写真店に現像に出し、3〜4日もしたら受け取りに行きました。
 店先で写真の入った大きめの袋の中をのぞくときの緊張感はなんとも楽しいものでした。
 写っているかな、失敗したかな、と思いながら封筒をそうっと開けてみると友達の顔が写っている写真が少し見えます。
 フー、と息を吐いて、安堵し、高鳴っていた心臓が落ち着き始めます。その時には写真屋のおじさんの顔を見ることができます。
 
 何かの拍子で、何にも写っていないときもありました。
 そんなときには失敗しことへの恥ずかしさから写真屋のおじさんの顔を見るこができませんでした。
 
 
 生まれは青森市。1945年、昭和20年生まれ。中学3年になるとき東京の区立松沢中学へ転校。ついでに高校と大学も東京で。もっとも大学は3年で中退。その後、西欧を5年半ほどぶらぶら。1ドルが360円の固定相場の時代。日本銀行からうやうやしく18万円と交換に500ドルを受け取り、横浜からカンボジア号というフランスの客船でマルセイユへ。
 英国の1ポンドが千円で分かりやすかった。
 
 途中を省略して・・
 
 59歳のときに腎がんが見つかり、かろうじて命拾い。たまたま人間ドッグでの検診を勧めてくれた妻に絶大なる感謝。あの時妻が勧めてくれなかったら・・いまごろ妻は未亡人で独身。
 多分そのことがきっかけになり、40年前に懸命に取り組んでいた写真を再開。
 
 2009年2月
 キヤノンギャラリー梅田 「玉撞き屋の千代さん」個展
 2009年9月
 ペンタックスフォーラム新宿「下北半島にて」個展予定
 2010年6月
 ペンタックスミニギャラリー大阪 「下北半島にて」個展予定
 
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