松戸の早朝テニス物語


しゅうチャンはテニスが好きで、少しは強いと思っている。
しかし、松戸市テニス協会で発表している年度別の個人ランキング(Mop)によれば、
97年度は304位、
98年度は414位=98年11月10日現在
99年度は440位=99年6月30日現在

試合に出なければどんどんランキングが落ちていくという仕組みになっているのだ。

2000年度のしゅうちゃんのMopは、なんと813位!=2000年7月1日現在
嗚呼!そしてついにしゅうちゃんの名前はMopから消えた!
2002年7月31日現在

嘘だと思うならテニス協会のホームページで確認できます。
でもこのホームページはデータが大変重いので注意、しゅうちゃん自身何回フリーズさせられたか、わからない。

ただし、しゅうちゃんは95年松戸市シングルス大会では45才の部でベスト8という記録も残している。ただし、その時はもっぱら対戦相手に恵まれたという周囲のやっかみ半分の指摘もあるが---(^^)。


            松戸市テニス協会のホームページへLink


        

   

( 桜まつり 撮影1998.4.4 )

しゅうチャンは松戸市早朝テニスクラブにどっぷりつかってしまった。早朝テニスを始めたのは昭和57年、桜通りの桜が満開の時(写真上参照)だった。朝、勤め前の毎日1時間でもラケットを握れば、上達まちがいなし、さらに減量も---なんて甘い夢をみたんだ。コートには自転車で行っていた。

でも貴重な朝の時間を無駄にしたくないので、しゅうチャンはなんと32歳にして初めて原付き免許をとったのだ。普通はみんな、若い時分にとっくに取っているもんだが、しゅうチャンは会社を休んで松戸から千葉まで出かけて(試験勉強も少しはやったらしい)、おばさん達に混じって、歓声をあげて、原付き免許の合格、 不合格のランプがつくボードを見上げたもんだった。

それで、50ccバイク(赤のヤマハRD50だった)を手に入れて、背中にリュック、そのなかにテニスラケット、着替え、タオルなんぞを入れて、栗が沢コートに通ったのだった。バイクは後にアメリカンタイプのカワサキZLTD250に変わった。原付き免許をとったのをきっかけに、しゅうチャンは中型二輪免許を取得、さらに1年後、普通免許までとってしまったのだった。
さて、起床、早朝5時半、6時にはバイクをそっと団地の脇の道路まで押していって、エンジン掛けて(近所迷惑にならないように)、桜通りを抜けて走ること10分余り。コートに着いて、同好の士とボールを打ち合い、ゲームもして、家に帰って、8時。シャワー浴びて、ぱっと朝飯食べて、行ってきますとウチを出るのが、8時30分。会社は東京の大手町。9時30分に滑り込み。雨さえ降らなければ、そんな毎日(大体週3-4回)を10年間続けたそうな・・・・!!

   



早朝/日曜編 


日曜日、朝8時、しゅうちゃんは北豊島学園運動場のテニスコートに登場する。そのころは、大体、主だったメンバーは7時からの練習にも飽きて(疲れて)、2面あるハードコートでは4ゲーム先取の試合に入っている。クレーコートでは、試合よりも練習好きのメンバーが、サーブ・アンド・ボレーに取り組んでいる最中だ。

せめて日曜日には初心者へのボール出しをしようと、クレーコートは練習用に解放しているのだが、とんでもない初心者がくるわけでもなく、上達志向のメンバーが精いっぱい汗を流しているわけ。

 それらをチラチラ眺めながら(特に見馴れない若い女性が来ていると、視線がいきっぱなしとの声も)、アキレス腱伸ばしや屈伸運動でからだをほぐして、自ら持参のレジャーいすにどっかり腰を落ち着けて、二つのコートの戦況を見つめ、かわださんの「進歩のないフォア」に呆れ、佐藤くんの鋭いサービスに感心しながらも「フットフォールトだよ」と冷たく声を発し、佐藤くんはがくっと肩を落とすのであった。そんなしゅうちゃんは、自称、マナー委員会会長でもあり、神々しい威厳さえ感じられるのであった(?)。

 手前のコートで試合が終わる。さあ次はだれの出番?あらかじめ、じゃんけんで順番を決めていて、次の4人がコートに入る。ちょうど向こうのコートも試合が終わった。1人空きがありそうだ。「しゅうちゃん入って!」とあっちゃんの声。よーし、いっちょ、やってやるか!こうして日曜日、しゅうちゃんの戦いの幕があく。

【最新情報】
2002年8月から日曜日の舞台は、北豊島コートから東洋学園大学流山キャンパスのテニスコートに移っている・・。きれいなオムニコートだ。


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