頚城鉄道自動車


 高校3年生の夏である。
 学割切符購入のための書類を作ってもらいに職員室に行ったら、担任の教師(あだ名を「パンチ」という漢文の先生)からこっぴどく叱られたのだった。
「きみたちはねぇ、あと半年足らずで大学の受験なんだよ。みんなが追い込みの受験勉強している夏休みに、学割切符を買ってどこへ行くつもりなんだね」
「えーと、もうすぐ廃止になる軽便とか、信越本線の碓氷峠のアプトがなくなるし、そのほかいろいろ見てまわりたい鉄道があるので、だいたい1週間くらいの予定で北陸から信州、北関東方面を回ってきます」
「おまえたちなー、1週間って、そんなんで受験する気あるのかい」
「はー、まー、いちおー」
というようなヤリトリがあったような記憶がかすかにあるが、ともかく北陸線の夜行で新潟県に向かった。直江津のひとつ東、黒井駅で降りて、あこがれの頚城鉄道自動車に対面した。そして、終点の百間町まで行っていくつか撮影したものの2枚。
 上越平野の米どころの、独特の風景のなかをのんびりと行き来する軽便列車の、いまは昔のなつかしい写真である。


 地図の左側に斜めに横切っているのは高速道路。右下に近いところに頚城村百間町がある。黒井駅は左へずっと行ったところ。鉄道の跡地は、この地図ではトレースできない。もっとも、路に沿って街村ふうに家並みはあるが、その外側は一面の水田という風景を彷彿とさせる図面である。米どころはおそらく今も変わっていないのではないだろうか。
 直江津や黒井の近辺は、工場などが目立っていて、もうひとつの軽便である東洋活性白土専用線などはその面影すらない。

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2001/10/25