湾処屋亭主(wando)のプロフィール

update:2011/06/22 Rev. 4.2

本 名 上農哲朗(かみのうてつろう)
生年月日 1949年3月
生 地 大阪府八尾市
住 所 兵庫県宝塚市
勤務地 兵庫県川西市
勤務先 在宅療養支援/おおむち診療所

好 き  鉄道・飛行機(民間機/航空無線)・活字中毒・地図鑑賞・生物飼育・音楽鑑賞・釣り・衝動買い・川・里山歩き・町歩き・八重山・宮古島・ダイビング・料理・ビール・焼酎・泡盛・植物・アンティーク家具・鍋物・麺類・赤身の刺身・豆腐・温泉・カレー・陶器・昆布・香辛料・野菜・写真・ドライブ・木工

嫌 い  ギャンブル・喫煙・虚礼・贈答・会議・戦争・蒟蒻・柑橘類・注射・蛇

資 格  医師・三級アマチュア無線技師(JR3ASX)・二級小型船舶操縦士・三級特殊海上無線技師

所属団体  日本医師会

ネット  @niftyにはニフティサーブ時代の1989年に加入。「医と社会のフォーラム」「在宅ケアフォーラム」「介護と医療のフォーラム」などのフォーラムマネージャを勤めてきましたが、@niftyそのもののフォーラム離れのため退任しフォーラムは閉鎖しました。@niftyのフォーラムそのものも消滅し時代の流れを感じます。1990年から1997年まで個人BBS「わんどねっと」を勤務先の病院内に開設し、阪神淡路大震災でも稼働していましたが、勤務先の異動に伴い廃止しました。朝日ネット上のホームページは1996年12月から設置しています。複数のブログを運用中ですが、「わんどの身辺雑記」が毎日更新のメインのブログです。流行のtwitterfacebookも始めています。

医 療  医療の周辺は過誤や経済的な問題、医師不足などで騒がしいことですが、私自身は「人間の尊厳」と「自己決定」を考えた医療をしたいと努力しています。医療に対する世間の目が激変しているのに、世の中にはまだまだ多い傲慢、不遜、自意識過剰な医者。困ったもんです。
 病院勤務医として続けてきた在宅医療の総仕上げに「おおむち診療所」を2003年10月1日に開設しました。在宅医療に特化して一人で運営しています。最近の医療費抑制政策のあおりで、在宅医療の必要性が増しており、年々重度の患者さんが在宅に戻ってこられます。私自身の健康問題もありますが、いましばらくはこの仕事を続けていくつもりでおります。医者の仕事は患者さんを治療して健康にしてさしあげることではありますが、しかし人の最期を看取っていくこともまた医者の使命だと思っています。死が「医療の負け」ではあまりますまい。

課外活動  10年以上前から「ささえあい医療人権センターCOML」の協力医としてできる範囲で活動しています。「賢い患者になりましょう」というCOMLの視野の広い活動には共感することが多いのです。2002年4月にCOMLは特定非営利活動法人化しました。ご依頼を受けてその理事を務めています。
 残念ながら、ずっといっしょに活動してきたCOML理事長の辻本好子さんは、2011年6月18日に胃癌のため逝去されました。辻本さんの遺された大きな業績を守るべく頑張っていきます。
生いたち  大阪で生まれてからずうっと関西。高校兵庫大学奈良県ですが、いずれにしましても上方だけしか知りません。使用言語はベタベタの大阪弁(河内弁)です。そのうえ団塊の世代のどマン中ですから、けっこう嫌がられるおっさんだと思います。
 卒後は阪奈の国公立病院で研修を受け、1985年から医療法人協和会に勤務、13年間脳神経外科の診療にあたった協立病院から、同じ医療法人が新設した介護老人保健施設に異動、介護保険が始まっていろいろな矛盾が実際に噴きだしてきて、大きな組織での医療介護に限界を感じて2003年9月に退職し、前述のように診療所を開業しました。10年くらいのつもりで診療所での医療を始めてすでに8年。さて、ほんと、どうしようかなと。

 車は好きですよ。自動車免許を18歳になってすぐ取得しまして40年あまり。なんと免停なし。数年前のレンタカーによる駐車違反のため一時ゴールド免許ではなくなりましたが、その後の「よい子」の成果でいまはまたゴールドカード。愛車は新古車で入手した2001年型マツダ・ロードスター1600、家の主力車は2005年型シトロエンC4エクスクルーシブを乗り換えたシトロエンDS3、往診車は26,000キロ走行の中古で買った2000年型マツダデミオ1300。白浜での足に10年落ち10万キロ超えのEKwagon。どれも絶好調。エコカーに買い換えるつもりもありません。
 夢はポルシェですが、ライトウエイトスポーツが好きなので911などは荷が重い(負け惜しみか)。大きな車はあまり好きではないのですが、シトロエンC6はあこがれてます。ハイドロニューマチックにまた乗りたい(笑)。

これから  周囲で先輩や同級生の訃報が続き、がむしゃらに仕事をするのに疑問を持つようになりました。診療所では余裕をもった仕事をしていくつもりで、じっさい同業者にはいえないような仕事ぶりではあります。
 じつは「遊んで暮らせたらいろいろしたいことがいっぱいあるのになあ」と本気で考えたりしていますが、いずれにしてもあまりガツガツせずに、いかに人生の幕を閉めにかかるかということをけっこう本気に考え始めています。
 年に数回ではありますが、リフレッシュの時間をとれるようになってきました。数年前から沖縄県南部の離島にたいへん興味があり、海外旅行よりも八重山諸島や宮古諸島へとしばしばいっていました。
 若いころから「定住」に興味がなく、ずっと賃貸集合住宅を転転とする暮らしでしたが、還暦を目の前にしてちょっと縁のある和歌山県に「終の棲み処」を想定した小さな家を造りました。あと10年くらいは別宅として使うことになりそうですが、新たな楽しみが増えればいいな、と思っていました。そして、きわめて偶然の出会いがあり、いまや白浜の家を拠点にして釣り三昧の週末を過ごしています。
 2009年末から毎年白浜町に「ふるさと納税」をしています。これからは、仕事をやめて白浜に居を移すまで続けるつもりです。

そのほか  2000年7月13日、尊敬する父が肝臓癌で逝きました。父のDNAを持ち、心意気が父の鋳型であると自認する私は、父の遺志の後押しも得ていつまでも硬骨道を邁進します。
 また2005年11月19日には優しかった母も父と同じ病気で亡くなりました。両親ともいわゆる「介護」の必要なく人生を閉じるという、まことに子ども孝行をしてくれました。
 いつまでも青臭いことを言う父親譲りのヘンコなヤツでご迷惑をかけるかとは思いますが、ひとつよろしくおつきあいください。


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