『働くということ』

 遅い夏休みをとって、四国の西の端の海辺に行ってきました。目的はもちろん「遊ぶこと」ですが、詳しいことはヒミツ。それはともかく、その漁村で泊まったお宅のお母さんのお話に感動しました。

 彼女は、遠く離れた島から半世紀以上も前にここに嫁いできたといいます。実家も半農半漁で生計をたてていて、昔のことであってもとくに貧しい生活だったようです。小学校から帰ると畑の作業を手伝い、家事をし、漁にでるお父さんの舟に、女性が乗っているとヨソの舟から嫌がられるので、ムシロを被って隠れて港を出たりもしたそうです。ともかくずっと働いていた、と。

「でもそれはそれで普通だったんだよ」

との言葉は、遠い昔のことなので、苦しいことより楽しいことを思い出そうとしていらっしゃるからなのかなとも思えました。

 私たちが泊まった夜、大人数の食事の用意をすませた彼女は、私たちが酒盛りをして騒いでいるのを尻目に、窓の掃除をしたり外回りの整理をしたり翌朝の仕込みなどもされていました。昼過ぎから続いた賄いがすんだのだから、ご自分もすこし座って一杯やればいのに(アルコールがかなり好きらしいし)と私は思っていたのですが、彼女がようやく私たちの輪に近づいてきたのは、あらかた食事がすんで食器を洗い終えてからでした。

「よく働きますねえ」

と水を向けた私たちに、彼女は前のような身の上話を始めてくれたのです。

「なにしろ、じっとしてるのが嫌いなんだよね」

と彼女はいいます。じっさいそのあとの日を見ていても、ともかくなにか仕事を探して動いている。

「疲れませんか」

と尋ねると

「じっとしてると疲れるねえ」

 こうして健康で働いて体を動かすことができるというのは幸せだ、と本心からおっしゃいます。そして、その働くことが、健康につながっているのでしょう、女性に年齢をお尋ねしては失礼なのですが、つい興味をこらえきれずに訊いてみましたら、なんと私の母の年に近いのです。

 好きで働く、働くことがストレスでないということが、心身のよい緊張感を維持し免疫力を高めて健康でいられるのでしょう。ほんとうは辛い労働だったかもしれないのに、それを楽しみに転化してしまうパワーは、この女性の持って生まれたものかもしれませんが、それにしても彼女のひとことひとことに思わず唸って何度も我が身をふり返ってみたことでした。

 数日後、大阪に戻って街を歩いていて、四国の海辺にいたときには一度も「腹たつなあ」という気分になっていなかったことに気づきました。大阪の街では数分に一度は腹がたちます。

 前の車の運転ヘタやなぁ、にいちゃんら道いっぱいに広がって歩くなよ、ねえちゃん歩きタバコはみっともないでぇ、店員の応対が悪いなぁ、なんでこんなにヒトが多いねん…。

 自分の仕事もときにはちょっと嫌々しているフシがあります。こんなだからストレスを感じて、よくない酒の飲みかたをして翌日に影響したり、イライラが続いて眠れなくなったり、あげくのはては健康を害したりするのかもしれません。
 四国のお母さんの「じっとしてると疲れるねえ」とおっしゃるような働きかたを、なんとか私もしてみたいなどと思うのでありました。


「ゆとり」の目次へ
原稿集の目次へ
湾処屋のホームページへ