オブチさんのこと―いまいちど脳卒中

 この原稿を書いているいまは総選挙に突入の直前です。でも、これが掲載された「ゆとり」が発行されるころには、小渕元総理の憤死のお弔いで与党が勝ったか、それとも後を継いだ脇の甘い総理のために連立政権存亡の危機になっているかの結果も出ていることでしょう。

 それはともかく、いま脳外科の外来診察をしていますと、オブチさんのご病気がとてもみなさんを動揺させていることに気づきます。某民放テレビで視聴者の健康不安をあおるだけあおっている〈ひらがな五文字の芸名のタレント氏〉の影響もよく感じるのですが、しかしやはり一国の最高権力者がとつぜん病に倒れたという衝撃はとても大きかったようです。

 「オブチさんがああなったので心配になりまして」ということで診察においでになる患者さんが増えています。有名人が亡くなりますと、その病気ではないか、その病気になるのではないかと心配されるかたが多くなることが珍しくありません。そのお気持ちはよく分かります。

 「せやけどねえ…」

と私は診察室で不安気に座っておられる患者さんに追い討ちするように大阪弁モロ出しでご説明するのです。

「脳の血管の病気、予測やら予防できるのんやったら、そういう手立ては真っ先にオプチさんのような偉いさんにやってるんとちゃいますやろか」

「そういう方法がないから、総理大臣ともあろうお人がああいうことになってしもうたんですよ」

「ある意味では、けっきょく神さん(注一)は寿命には差別をしてはれへんのやろね」

 脳卒中は、ほとんどの場合『前触れ』や『なりかけ』というものがありません。何かの症状が出たときにはもう病気が始まっているのです。予測はほとんど不可能なのです。

 そして、たとえば喫煙や飲酒や食習慣や運動や生活習慣病の有無や健康食品の使用など、いろいろと言われている脳卒中をおこす危険性に関係する要素も、やりようによっては危険性を減らすことがあると思われるものの、『絶対だいじょうぶや』ということは残念ながらありません。魔法のお薬もないのです。ある年齢に達したら、いつ、誰といるときに、どこで、どのような場面で倒れることがあるか分からないということを、つねひごろから心のどこかにとどめておかれたほうがいいと、私は思うのです(注二)。

(注一)言うまでもありますまいが、この場合の「神さん」は、例の脇の甘い総理がおっしゃった「神の国」の「神」とは別の、もっともっと大きな存在の「運命の神」のことです。

(注二)これは自戒をこめています。私はタバコこそ十年以上前にやめましたが、酒飲みですし運動不足で肥満ぎみだし高血圧症でありますから…。そういえば、毎年更新していた遺言書の更新をし忘れていました。


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