審査会に疲れてきたかも


はじめに
更新審査で一次判定の矛盾が…
更新審査で調査への疑問が…
認定のためだけに主治医意見書が…
二回目以降の主治医意見書が…
認定審査会委員の研修が…
みんな疲れていないか…
おわりに



■はじめに■

 はやいような長かったような、この連載も4回目、一年になりました。
 昨年のはじめにご依頼を受けたとき、そりゃあいっぱい書きたいことがあるでといきりたったのでしたが、さすがにこれだけの紙数をいただきますと、ややネタ切れかという状況にもなってきました。  いや、じつのところはまあまだいろいろあるにはあるわけですが、やはり公共の雑誌に活字にするわけにはいかないことも少なくないわけで、とうぜん「みなし公務員」や医者としての守秘義務も遵守しなければなりません。
 というわけで、おそらく最終回となる今回は、これまでの3回で書きおとしてきたことや、その後に気づいたことなどと、審査会に限ることなく介護保険制度下での二年間に感じたことなどを書いておきたいと思います。

■更新審査で一次判定の矛盾が…■ ページの先頭へ

 さて、このシリーズの第一回「『状態像の例』は状態像の例たりうるか」で私は一次判定の矛盾についていろいろと例示しました。当時いちばん感じた矛盾点は、複数の審査対象者を比較してみて、なぜある審査対象者が別の審査対象者と差ができてしまうのか、というものでした。
 じっさいに悩んではみたものの、その場合はやはり「無関係の二人」の比較になるわけで、「直接対比することそのものに無理がある」といわれてもやむをえない状況ではありました。合点がいかないと思いつつも、最後にはそれぞれになんらかの判断で二次判定をしてきましたし、その審査対象者ご本人どうしが顔を合わせていわば『答え合わせ』のようなことをするわけでもないので、それほど矛盾が表面化することはないはずでした。
 ところが、この一年で新たな問題に気づくようになってきました。
 認定作業がじっさいに始まってから二年をこえ、調査や審査に習熟、平準化がすすんできた最近、いわゆる更新の場面で一人の審査対象者の前回までと今回の一次判定にひどい矛盾がみられることが少なくないのです。
 前に説明しましたように、当市の審査会の会場では委員一人一人に端末が与えられており、この端末で過去の履歴も参照できるようになっていますので、会場でという制限はあるものの、ある審査対象者の初回認定からその内容を参照することができます。  矛盾のひとつは、本人の状態にほとんど変化がないのに一次判定が変わってしまう場合です。
 多いかたでは、すでに四回目、五回目の審査などという例があります。もちろんこの間になんらかの状態の変化があれば判定結果に違いが出てくることは当然です。しかし、概況、特記、主治医意見書のどれを読み込んでも、とくになにかが変化したとは考えられないのに、基本調査のちょっとした変化が一次判定に大きく響いて、要介護度が変ってしまうのです。
 二次判定でなんらかの修正を加えて、前回認定と同じ結果を出さないことには、おそらく審査対象者は認定に疑問をもち、クレームを申し立ててこられるに違いないという思いをだれもが持つようなケースです。極端なものでは、認定のたびに一次判定結果が要介護2から4の間をフラフラと動いていました。もっとも、さすがに二次判定ではその変動を2と3に収束させてありました。
 もうひとつは、前回に比べて明らかに介護の必要性が増えているのに、一次判定が逆に軽くなっているものです。一次判定の状態像の七角形で、今回のはすっぽり前回の中にはまりこんでしまうほどすべての群で悪化しているのに、基準時間は明らかに短くなっていて、しかもそれが要介護度の段階が変わる分数をまたいだため一次判定が軽くなってしまった例も経験しました。  このような場合、二次判定をどうするか、非常に悩ましいのがお分かりいだけますでしょうか。もちろん、特記事項か主治医意見書に「障害の程度が強くなって介護の手間が増えている」という具体的な内容の記載があれば変更できるわけですが、私が経験したこの例ではそれがはっきりと書かれていませんでした。けっきょく、状態像の例から変更、という形で前回の認定と同じ二次判定に変更したのですが、このつぎはどうなるのだろうかという心配までしてしまいました。

■更新審査で調査への疑問が…■  ページの先頭へ

 更新審査では、一次判定手順の矛盾がより明確な形になってきただけではなく、第二回「訪問調査は公平・公正に行われているか」で指摘した訪問調査そのもののの問題点もあらわになる場合があります。
 いちばん顕著なのは、施設におられる審査対象者の調査を前回と今回で別の調査員がしたと思われる場合です。第二回で書きましたが、施設におられる対象者をその施設の調査員が調査する場合、その気になればいわば密室状態で調査できますから、言葉は悪いですが「ちょっとメイキング(making)」をしようと思えばできないことはありません。もちろん大部分の施設ではマジメに調査しておられると信じておりますが、やはり更新を重ねてきますと「?」と感じる調査結果の変化を見る機会が散見されるようになってきました。
 いまこれを書いているうしろのテレビで、ある有名ブランドの食品会社(の職員)が狂牛病に関連した制度を悪用したと報じています。この会社は、親会社が食中毒騒ぎをおこして大変なことになったのを目の当たりにしているはずなのですが、「みんながしているからいい」と思ったのか、「自分の成績のためならなんでもする」ということなのでしょうか。この事件に限らず最近のわが国は何かひとつタガが緩んでしまっているような気がしてなりません。このシリーズで私がとても疑り深い、あるいは人を信用せんやつやと思っておられる読者がおられるとは思いますが、介護や医療の世界でも「ん?」というよう ななことが私の周りでもじっさいにしばしば見受けられていまして、もはや疑うなというほうが無理な世界になってしまっています。
 確証なくあまり具体的な例をあげるわけにはいかないのですが、明らかに調査結果が恣意的であるという確証を持てる例を偶然に経験しました。
 前回に比べて第七群の問題行動が集中して悪化している在宅療養中のかたの「変更申請」の審査がありました。ところがこの対象者、前回の審査のさいの主治医意見書は私が作成しており、今回はいろいろな事情があって意見書はほかの医師が作成されたものの、しかしなお私が現状もよく知っているかたであったのです(註1)。このかたにはそんな問題行動などほとんど見られないことを私は知っていたわけです(註2)。現在のいろいろな情報を持っている私には「要介護度を重くして居宅サービスをもっと増やそうとしているのではないか」と映りました。
 居宅の場合は要介護度は支給限度額に反映されるだけですが、施設介護ですと要介護度が施設の収入の多寡に直接関係するので、施設での調査に手心が加えられやすいということを前にも指摘しました。しかしこのかたの場合は不必要なほど目いっぱいの居宅サービスがすでに設定されており、さらにそれを増やそうとしているということをなぜか私が知っていたのです。もちろん利用者のために必要であればサービスを増やそうとすることに問題はないのですが、このかたの場合は私にはそうだととても思えません。
 調査の運動機能系の部分に手をいれることはやはり目立つと考えたのか、身近な人でないとなかなかわかりにくい第七群が狙われたのでしょう。しかし、よく知られているように、第七群というのは一次判定での要介護度にあまり影響しません。調査員は一次判定のこの「クセ」をご存じなかったのか、けっきょく基準時間が1分ほど増加しただけで、要介護度はなんら変化していませんでした。  さらに、第七群に「ある」「ときどきある」のチェツクが多くされているわりには、特記欄に具体的な状況があまり記載されていない点も、この調査を疑わせることになった理由であることもつけくわえておきます。

■認定のためだけに主治医意見書が…■  ページの先頭へ

 話はがらっと変わります。
 私が主治医意見書をあまり嫌がらずに早く作成する(喜んで書いているわけでは、もちろんありません。あとで書きますが、本心としてはめんどうだと思っています)ことが知られてしまったからか、たびたび『認定のためだけの主治医意見書』の作成への協力を求められています。
 病院に意見書作成依頼がきて、お名前にあまり記憶がないので診療録を見たら、それは前回の認定のときに「書いてくれる医者がいないから」と泣きつかれて引き受けてしまったかただったりするのです。そして当然のことながら、前回の診察以降にはいちどもお顔を見ていない。なんとも釈然としないのであります。ほとんど知らないかたの心身の状況に関して公的文書を発行するのですから、あまり気軽に依頼されるとたいへん困惑してしまいます。
 法的には、主治医がいない場合は、市町村が指定する医師か市町村の職員である医師が作成することになっています(註3)。私は市町村の職員ではありませんから、篭絡した結果として市町村は私を指定するわけでしょう。個人的には、自治体立の医療機関がすべき役割のはずだと思うのですが、全国的にはどうなのでしょう。

■二回目以降の主治医意見書が…■  ページの先頭へ

 そして主治医意見書に関しては、ほとんど変わりのないかたのものを原則半年に一度書かなければならないのが、じつに負担に感じるようになってきました。
 第三回で紹介したように、私は「医見書」という主治医意見書作成専用パソコンソフトを使っていますから、二度目以降の場合に変化がなければ、日付などの部分の修正だけして発行すればよいのですが、それでもなんだか良心がとがめるといいますか、半年の経過の間に一度風邪をひいたとか、あるいはほんとうになにもなければ「なにもなかった」という一節だけでもつけ加えるようにしています。しかし、それも三回目、四回目となりますと、まったく同じ文面にせざるをえないわけで、更新審査の回を重ねてきますと、そういう意見書が増えてきます。
 ということになりますと、主治医意見書作成の代金(註4)がとてももったいないという、人の懐(介護保険会計ですが)によけいな心配をしたくなってくるのは、生来の貧乏性のなせる業でしょうか。
 つい最近は、ちょっとよけいなことかとは思いましたが、主治医意見書の特記事項欄に「ここ数年ずっと変化がないので、有効期間を延長してもよいのではないか」と書かせていただきました。たとえば二回目以降に前回にとくにつけくわえることがないような場合、ごく簡便な書式の意見書にして、その代わり作成の代金をぐっと安くするという方法はとれないものでしょうか。
 嫌がらずに書いていると申しましたが、それは「どうせ書かなければならないのだから、関係者に気をつかわせてもしかたない」というだけの理由です。本心はとてもめんどうくさいのです。初回は、まだ一種の「サマリー」の役にもたつという意識がありますから、データベースを整備するつもりで作成できます(それでも自発的なものでないのはやはり楽しくない)。しかし、ほとんど内容が違わないものを半年に一度作り続けるのはたいへん苦痛です。
 このあたり、制度の見直しのときになんとかならないものでしょうか。

■認定審査会委員の研修が…■  ページの先頭へ

 ところで、審査の平準化や基準の徹底などのために、審査委員は定期的に研修会や勉強会に参加するよう求められます。県レベルや市町村レベルのそれが数ヶ月に一度ていど開かれています。
 しかし、審査委員の研修の内容をどうするかはなかなか難しいようです。先日参加したそれは、終わってみればじつは「訪問調査」の研修だったのではないかというようなものでした。要するに、訪問調査の基準がこういうふうになりましたから、審査もそれを視野に入れて調査結果を読解してほしいというようなものだったのですが、講師のかたもつい調査員さんに説明するような口調になっており、「そんなこと審査委員にいわれても…」と苦笑せざるをえないような場面がたびたびでした。
 もちろん、ではどういう研修が必要かと私に問われると困るのですが、少なくとも印刷物として配布されたものを読み合わせするようなのは、受ける側にとっては時間の無駄でしかありません。もっとも、主催者(行政)側にとっては研修会を開催していることそのものが重要なのでしょう。
 研修会で配布される資料でいいますと、厚みが数センチもあるような冊子を何冊も持たされ、半年ごとくらいにマニュアルやQ&Aは改訂され、平成11年の開始前からのものをそのまま並べると書庫の二段を占領するほどになっています。まさに朝令暮改の体ですが、こうした状況が何年もたつと健康保険制度のように複雑怪奇になってしまうのかもしれません。紙への印刷物ですから、検索性がきわめて悪いし、どれが最新版なのかの検索さえたいへんです。
 事業者がわは介護報酬の請求が電子的なものに強制されている時代ですから、CD-ROMに焼き付けて配布するというような発想はないものか、先日は研修会で質問してみましたが、回答はしごく後ろ向きのもので、「この資料類の原稿はもともとぜんぶワープロデータやろ。PDF(註5)化したら一発やん」と悪態をつきながら、手にずっしりこたえるほどに資料を持たされて電車の駅に急いだことでした。インターネットでは検索できるかもしれませんが、ふと調べたいときに常時接続されたインターネットをパッと利用できる職場環境は、まだまだ一般的ではありますまい。

■みんな疲れていないか…■  ページの先頭へ

 ところで、介護保険、とくに調査や審査に関わっているみなさん、疲れていませんか。
 委託された調査は居宅支援事業者の介護支援専門員が、介護支援専門員としての仕事の合間にあたっていることが多いようです。施設では、施設の介護支援専門員が、多くが看護や介護、あるいは相談業務という本業を持ったまま調査しているのではないでしょうか。
 主治医意見書は、私たち医者にとって介護保険制度になってから突如増えた業務です。私のように、もともと介護に近いところで仕事をしていた医者はあるていどの覚悟をしていましたが、それこそ『専門医療』に従事しているセンセイがたにとっては<降って湧いた災難>と映っているかもしれません。
 介護認定審査会の委員のほとんどは、それぞれが本業を持っていて、その本業の合間を縫って予習し審査会に出席し研修を受けています。ある一定の時間帯を必ずとられるのが本業のうえでたいへんしんどい委員もいるはずです。
 そして、原則として半年に一度は更新審査に関わる作業があるわけで、しかもそれがこの先もエンドレスである可能性が高いということになると、たとえば審査委員の重要な一角を占めている医師の委員のなかには「来年はもう勘弁ねがいたい」とおっしゃるかたがでてきても無理はありません。
 制度開始からまる2年。ぼつぼつみなさん疲れて息切れしてきているのではないかと思ったりします。それとも、それは私だけなのでしょうか。

おわりに■  ページの先頭へ

 制度が始まったころのような混乱こそなくなったようですが、そのぶん具体的な矛盾点などがつぎつぎ明らかになってきています。このままで強行突破することはないとは思うものの、この不景気な時代にどのような形で修正されていくのか、すこし不安でもあります。人ごとのように思っていても、あと十年あまりで私も第一号被保険者の仲間入り、しかも私は栄光の『団塊の世代』です。  なんだかまとまりのない戯言を並べた文章におつきあいいただいてありがとうございました。
 介護保険制度はその性格上きわめて地域差が強くでてくるものだと思います。したがって、私がいろいろ書いてきたことが、全国どこでもということはないかもしれません。また、つい過激にキーボードを叩く指が滑ったこともありましたが、自分が身をおいている介護の世界をすこしでもよくしたい、介護は医療の下請けだというような空気をなんとかしたいという気持ちの現れでもありますので、お許しいただきたいと思います。

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註1)主治医意見書を作成したり訪問調査を行ったりした本人が所属する合議体でその対象者の審査するようなことにならないよう、あるいは、委員が所属する事業者や施設が関係しているかたの審査をすることがないよう、審査対象者の配分にあたっては市のほうで配慮するようになっている。しかし、今回の私はそのどちらにもあてはまらなかったわけである。

註2)なぜ私が対象者を特定でき、自信をもって問題行動がないことを断定できるのか 。家族構成やこの半年間の病歴、年齢や受けているサービスなどがわかれば、たとえ対象者のID部分をマスクしてあっても、長く診療でおつきあいしているかたなら特定することは難しくない。

註3)介護保険法第27条第6項。「市町村の指定する医師又は当該職員で医師であるものの診断」とある。

註4)金額的には居宅のかたのものが施設入所中のかたのより高く、二回目以降の場合は初回より安く設定はされている。

註5)アドビシステムズ社の「アドビ・アクロバット」というツールで作成される電子化文書ファイル。いまのところ世界標準である。厚生労働省のホームページにある介護保険関係の文書類もほとんどがこの形式。作成するソフトは有料だが、読み出すための「アクロバット・リーダー」というソフトはフリーウエアとして配布されている。http://www.adobe.co.jp/international/jpacrodown.htmlのアドビシステムズ社のサイトからダウンロードできる。

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