教化リサーチ第19号(佛教大学浄土宗文献センター)/教化説苑

ネットワークでコミュニケーション・ギャップを埋める


 インターネットがここ一年ほどで急激に特別なものでなくなってきた。インターネットの原型ともいえるパソコン通信に私が手を染めた十年あまり前には、パソコンを使ってネクラに交信する「おたく」な人種という目で見られていたことを思えば、予感はあったもののまさに隔世の感である。しかしいっぽうでは、そのようにしてインターネットが普及しだすとともにインターネットに関連した事件が新聞の社会面をしばしばにぎわすようになり、残念なことに世間一般にはある種のマイナスイメージがはびこってもいるようだ。

 ところで話は変わるが、私が身を置く医療の世界が、事故や隠蔽体質やコミュニケーションギャップで批判にさらされている。最近とくに医療過誤やケアレスミスが多発しているように見えるが、じつはこういうものは多くなっているのではなく、これまで隠れていたものが顕在化しやすくなってきたにすぎないことが、現に医療の世界に身を置いているうえでインターネットやパソコン通信などのネットワークを使って医療に関するコミュニケーションの試みを長く続けてきた私には感じられる。

 いっぽうそのようなミスや過誤とはべつに、医療現場での不愉快なトラブルの発端の多くがちょっとしたコミュニケーションギャップだという事実がある。コミュニケーションギャップによってこじれた患者さん側と医療者との関係が、その後の治療や信頼関係に悪影響を及ぼし、過誤でもなんでもないものが訴訟騒ぎにまで発展するという残念な事例が珍しくない。医療者と患者さんとのコミュニケーションに関して、インフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンということが注目されているが、私たちが続けているネットワーク上の健康相談では、診療を受けた医療者からの説明不足やコミュニケーション拒否を補完しなければならないという状況がしばしばみられている。

 しかし、実際に診察などをしている場合とは違って、ネットワーク上では補完するにも限界がある。したがって、私たち医療者の回答は、客観的な情報の提示やあるいはコミュニケーションギャップを埋めるための提案をすることにとどまらざるをえないわけである。ところが、そのことが結果として患者さんの側に「自己決定」を促すきっかけになっていることが少なくない。

 そしていっぽうの医療者にとっては、ネットワーク上でのさまざまな立場のかたとのいろいろな出会いが、実際の医療現場での自らの姿勢をもういちど見直すきっかけにもなっているのではないだろうか。

 これらのことを経験してきて、私たちはさらに一昨年から、介護に関わる相談や情報交換をインターネット上で実践し始め、介護保険制度への移行時期にも重なって盛況である。  もちろん、最初に書いたようにネットワーク上でもいろいろな「困った人たち」は少なくない。しかしながら、その人たちは実生活でも「困った人たち」であることが多いというのが、私の経験からほぼ断定できる。

 私は宗教の世界には縁がなく、したがって宗教がインターネットとどう関われるかということは分からない。ただ、けっきょく、インターネットとは単なる道具であり、インターネットのバーチャル世界、サイバー空間も、たんに一般社会の一断面であることは間違いない。魑魅魍魎が跋扈する異空間だと特別視することは間違っている。

 このように有用な道具を商業勢力や学術分野だけに利用させておくことはあるまい。しかも、これからは好むと好まざるとにかかわらず避けることのできない道具だ。いや、もうすでにインターネットはごく普通の道具になっていると考えなくてはならないのである。

2000年3月


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