薬の知識 「味な話」 2003年第8号 『非日常の味、奥の味』


 大阪で『超』のつく一流ホテル(*1)の寿司屋さんで食事をした。もちろんかなりのお値段だから自腹ではない。たまたま勤務先の福利厚生でそのホテルの利用券をもらったので、私にしてはきわめて珍しいホテルディナーを経験してみたわけである。
 大阪に生まれ大阪で育った私は、大阪のB級グルメにずっと浸ってきたためか、まだ五十路半ばにもならないのになんだかなにを食べてもあまり旨いと感じなくなってしまった。加齢による嗜好の変化(笑)で、肉類を好まなくなり食の幅が狭くなっているのも原因かもしれない。
 それとは別に、そもそも「行列のできる店」がダメだ。大阪ニンゲンの私には「早い安い旨い」が当然というDNAがあり、食を提供するのに客に行列させる店というのははじめから選択肢に入らない。行列してでも食いたいという寛容さはイラチ(*2)の私にはまったくない。
 そのうえ私はかなりの酒呑みである。しかもビールでも日本酒でも焼酎(*3)でもけっこうこだわるので、店には好みの酒類が揃っていなければならない。
 さらにまた私は元重症喫煙者(*4)のくせに、今やタバコの煙がとても不快なので、ケムたい店では食べたくない。料理がまずくなる。すくなくとも分煙、できれば禁煙の店がいい。客から見えるところで料理人が喫煙する店は論外だ。
 そういうわけで、ちょっと外食というようなときに「あれを食おう」「あそこに行こう」とすぐに思いつくことができない。でかけて「さて晩飯どーしよ」という場面で、いつも迷いに迷ってしまうのである。情けない。結局は地元に戻って、いつものお気に入りのお店のカウンターに落ち着くことが多い。
 仲間うちで「きちゃない店」(*5)と呼ぶ小さな中華屋さんが近所にある。ここの雰囲気と味と独特のもてなし?に惚れてときどき顔を出すのだが、しかし頻繁には通えない。どうしてもカロリーオーバーになるのだ。だから行きつけのお店ではない。
 私のいちばんの行きつけのお店は、『鰻処・きし』(*6)という。鰻と鶏の専門店だが、それ以外にも酒呑みの嗜好をくすぐる旨い旬のモノが揃っていて、そのうえ昨年末からは禁煙になったのでつい長居をしてしまう。
 ところでホテルの寿司である。例によってしっかり呑んだためにかなりの追加料金はお支払いしたものの、さすがに一流どころは違う。こういう寿司屋さんにも少なからず常連さんがおられるのに驚いたのだが、ここならちょっと一杯やりたいときに自腹を切ってプチ常連になるのもいいかなとふと思ったことであった。
 しかし私が「食」でじつに至福に浸るのはこういう高級店でではない。なぜか懇意にしてもらっている陶芸家の京都府北部のお宅。薪で沸かした五右衛門風呂をいただいたあと、ゆったりとした時間が流れるなか日本海の新鮮な魚や裏の畑でとれた無農薬の野菜を「静かな酒」でいただく、この非日常はたまらない。もっとも当のご亭主は「これは私の日常なのでとくにどうということも…」とおっしゃる。
 うーむ、『味』はまだまだ奥が深いかもしれない。


(*1)ここのところ大阪では一流どころのホテルがうち揃った感がある。このホテルは梅田地区に数年前にオープンしている。
(*2)イラチ:「いらだつ人、せかせかする人、せっかちな人」の意の大阪弁。大阪人の典型であるらしい。
(*3)コーンスターチ添ビールやアル添日本酒や旧甲類焼酎はペケ。
(*4)私は禁煙して15年。日本禁煙推進医師歯科医師連盟会員。
(*5)きちゃない:「汚い、不潔な」の意の俗な大阪弁。しかしこのお店に対しては一種のほめ言葉として使っている。
(*6)阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅前。電話072-755-0548、URLはhttp://www.matikado.com/bn/kisi/。月曜定休。

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