医療とコンピュータ/2000年11月号

介護保険・在宅現場からの報告


●はじめに
●筆者の背景
●制度開始前から懸念はあった
●訪問調査の公正・公平
●主治医意見書に関して
●医師は主役ではない
●一次判定の有名な矛盾
●介護認定審査会のばらつき
●介護支援専門員は計算係か
●訪問介護の質
●通所サービスは手軽なハコモノ
●ショートステイの混乱
●施設のこといろいろ
●同じ基準で異なる施設に入る矛盾
●従事者の待遇の問題
●施設の質と武家の商法
●医療福祉複合コングロマリットの功罪
●介護保険でよかったか
●おわりに


●はじめに

 制度の発足前からなにかと落ちつかず、始まってからもいろいろと混乱して現場が対応に追われつづけた介護保険制度も、施行から半年を越えてさすがにようやく安定してきたようだ。もちろんそれとともにさまざまな問題点が具体的なものとなってきて、内容を見直しをすべきだとか、今はそういうことを考えるべきではないとか、政府や与党のほうでもなにかと喧しい(それにしても「子が親をみる美風」と言っていた人はもう介護保険には興味がなくなったのか)。
 しかし、この号が出ているころには、第一号被保険者の保険料徴収の猶予が終わり、国民はいやでも『強制保険』だということを思い知らされている。そしてそのことでまたしばらく市町村の担当部署を含む現場がざわついているにちがいない。
 ここでは介護保険が始まって半年の現場のありようを、ときに主観が入りすぎてしまうかもしれぬことを承知のうえでまとめてみた。しかし本稿は、懸命に業務を遂行しておられる多くの関係者を批判したり、制度を頭から否定するというものではなく、すこしでもよくなることを願ってのものであることを最初にご理解いただいておきたい。

●筆者の背景

 本稿の内容がある意味ではやや辛辣なものであり、少々斜に構えているかもしれないので、そのような見かたをする筆者の背景についてまず簡単にご説明しておかねばなるまい。
 筆者は1973年に医学部を卒業し、出身大学脳神経外科で出張を含む研修を受け、1985年から現在所属している医療法人の病院脳神経外科に勤務、1987年ごろから訪問診療を始めた。1997年に法人がはじめて開設した老人保健施設に異動、1999年春から在宅医療センター長となっている。
 現在は介護老人保健施設の診療を中心に、母体病院の訪問診療と外来診察をし、県の介護支援専門員の資格を得たうえで市の介護認定審査会の合議体の長を拝命している。高齢者の生活を支援する市内の特定非営利活動法人にも関係している。いっぽう、約12年前からパソコン通信「ニフティサーブ」(現「@nifty」)に加入しており、ここで1997年7月から「在宅ケアフォーラム」を運営している。
 なお、筆者の所属する医療法人は、5ヶ所の病院・4ヶ所の介護老人保健施設をはじめ診療所・訪問看護ステーション・訪問介護事業所を配し、専門の居宅介護支援事業所を持つ、いわゆる「医療福祉複合コングロマリット」(以下「複合体」と表記)である。本稿では複合体の功罪についても触れる。

●制度開始前から懸念はあった

 前置きが長くなったので本題に入る。
 筆者は、介護保険法が法案として審議されていたころからしばしば依頼を受けて介護保険に関する講演をしていた。そして法案が具体化し、法が成立し、関連法令類が整備されるのにあわせて、その時点時点での問題点を講演で指摘してきた。もっとも、最終的な法令類の整備は法施行直前の本年3月下旬にまでずれこんだため、その後は利用者がじつに直接その問題点の影響を受けるという形になっているのは周知のことである。
 ここでは指摘していた問題点について具体的に触れる余裕がないので省略する。筆者のホームページ(注1)に講演原稿を登録してあるので興味のあるむきはご参照いただきたい。
 これら予測された問題点が実際にはどうなったかというと、これらはみごとに恐れたとおりになっているようである。現場に直接関わるものを詳しく報告していく。

●訪問調査の公正・公平

 要介護認定は利用者からの申請を受けた市町村が対象者の訪問調査をし、主治医意見書の作成を依頼するところから始まる。そして、問題はその始まりからいきなり出てくるのである。
 認定を受ける人の状態は日々一定ではないし、それを一時間程度の訪問調査で正確公平に判定できるかということがまずある。また、介護のための施設はバリアフリーになっているが、家庭はほとんどそのような設計ではないため、施設で訪問調査をした場合と在宅での場合とでは、判定に違いがでてくる可能性がある。さらにこのような不可避な矛盾とはべつに、日本でもそれなりにはびこっている『賄賂』とまでは言わないが、利用者がより手厚い給付を受けようとして障害が強いように装うこともそれなりに不可能ではない。
 施設では収入を上げるために施設ぐるみで介護度を重度にしようとするかもしれない。居宅サービス事業者はサービス量を多くするために、支給限度額を大きくとろうとするかもしれない。訪問調査は原則として市町村の職員がすることになっているが、実際には居宅介護支援事業者などに委託している市町村が少なくない。そのため、代行申請→訪問調査→ケアプラン→サービス提供、という囲い込みの原因になると同時に、調査結果に手心を加える隙ができている。
 訪問調査の結果から要一次判定するシステムの「シミュレータ」がインターネットなどで公開されている(注2)。これを使えば、どの項目の組み合わせがどういう判定結果になるかを簡単にトレースすることができる。
 いっぽう、不正とはべつに、調査員の資質の差がかなり大きいことも実感する。委託調査は原則として研修を受けた介護支援専門員が当たることになっているが、習熟した調査員が実施したものであるのか非常に疑わしいケースが見られる。基本調査部分では目だちにくいが、特記事項の記述で調査全体の信頼性を疑うことになるのである。

●主治医意見書に関して

 認定のいっぽうの柱である主治医意見書はさらに問題が多い。作成するにはそれなりに手間のかかる意見書であるが、介護保険会計からは一通5000円が支払われている。利用者から直接文書料を受け取っている診断書などでも「これで何千円もとるのか」と同業者である私が思うような内容をしばしばみかけるくらいであるから、利用者の目が直接届かない主治医意見書の内容を危惧した私のカンは残念ながら当たっているようだ。「やらずぼったくり」という少々品のない言い回しがあるが、まさにそうだと感じる意見書がある。医師の品位を著しく損なっている。
 「開業医は文書料が自分の診療所の収入になるが、勤務医は書いても本人のフトコロに入らないのが普通だから、もともと書類を書くのが嫌いな医者が『よけいな仕事』という感覚になるのもやむをえない」と喝破した意見に反論するだけの自信が私にはない。
 それにしても、半年ごとにくり返される意見書の作成がかなりの負担になるということを、筆者は最近になって身にしみてきた。日本医師会が開発した作成ソフト『医見書』を駆使しても、要介護状態のかたを中心に診療している筆者が作成しなければならない意見書の数は尋常ではない。しかし、ケースワーカーに主治医意見書の作成を代筆させているどこかの施設のようなことをするわけにもいかないのである。
 ここに近畿地方某市の介護認定審査会から市医師会への『かかりつけ医意見書の記載について』という文書がある。ここには筆者が感じていることとあまり変わらない『医師への要望』が並んでおり、おそらく全国的にも共通するものであろう。
 さらには、意見書の作成そのものを拒む医療機関や医師がいた。介護保険に関しては、とくに大病院勤務の医師にとっては、まったく興味の外であることが少なくないようで、「ここは専門的な医療をするところだから主治医意見書は書かない」ということが珍しくなかったのである。しかしさすがにここまで露骨な拒否は、最近は見聞きすることがなくなった。

●医師は主役ではない

 いっぽう逆に介護保険でも医師が中心になっていると誤解して、要介護認定の申請をするかどうかを患者に指示したり、認定に対して利用者に無神経に説明をしたりする医師はいまだにあとをたたない。
 ある意味では「医師の裁量」という、医療での「あいまいさ」を排除しようという行政の意図を介護保険の制度全体に筆者は感じているのであるが、そのことの賛否はべつにして、現実に要介護認定や介護サービスの中身に関しての医師の関与の度合いは『介護チームの一員』であるという以上でも以下ではない。ながらく医療の主役でありつづけた医師が、医療と隣り合わせの介護の世界でも主役たりうると思いこみやすいことは理解できなくもないが、いずれほんらいの医療の分野でもその裁量を狭められる方向に向かうに違いないことを踏まえて、根本的に医師としての意識を改革する必要があるのではなかろうか。

●一次判定の有名な矛盾

 周知のことだが、施設での介護の手間を統計処理して作成された一次判定のアルゴリズムは、居宅や施設や病院などさまざまな状況でなされた調査から逆算する実際の要介護認定の実情に即していない。前述のように多くのシミュレーショタが公開されているが、それを使ってみればきわめて説得性のないものだということが分かる。
 明らかに介護の手間がかかることになる変更をしてみたら要介護度が軽くなったということは珍しくない。上着の着脱を「見守り」するほうが「一部介助」するより要介護度が重くでるといういわばバグのようなものもいまや有名である。痴呆症の問題行動が一次判定で重視されていないことはすでに世間の『定説』になっているが、それもこのシステムの開発に施設でのデータが使われたことと無関係ではないはずである。
 いろいろと欠陥があるとの関係者の意見は一致しているが、しかしある意味での公平性を考えればいまはそれに従わざるをえない。一部の市町村のように、これを無視したローカルルールで判定することは本末転倒であろう。

●介護認定審査会のばらつき

 一次判定と調査員の「特記事項」そして「主治医意見書」を参考に、介護認定審査会で個々の最終的な要介護度が決められるわけだが、いままで述べたように、二次判定の材料であるこれらのすべてがそれぞれに問題を抱えている。したがって、介護認定審査会の二次判定はある意味では公平な認定の最期の砦であるべきだが、現実には「人間の集合体」である審査会の審査にばらつきがでることは避けられない。
 それぞれの審査会では、判断をいわゆる『平準化』すべく工夫されつつあるものの、最終的にはある程度の誤差がでてくる。公平性とはいかに難しいものであろうというのが、審査会委員でもある筆者の感想である。

●介護支援専門員は計算係か

 さて、介護保険で中心になるのが介護支援専門員の存在である。
 ケアプランを何度も時間をかけて研修させられたのはいったいなんだったのだろうか。現在の煩雑な給付管理では、介護支援専門員は『ケアプラン』にまで手が回らず、単に金の計算をしているだけであることが多いのではあるまいか。数少ない良心的な業者の介護支援専門員が、いわば採算性を無視するか、あるいは勤務時間外の自分の時間を削ってほんらいのケアプランをかろうじて管理しているのが現実である。
 そして、ここでもそれぞれの介護支援専門員の能力に差がありすぎたり、所属する居宅介護支援事業者の経営方針の違いによって、正当なサービスを受けることができない利用者がでてきている。訪問調査が委託されている市町村では、調査の時点で利用者の運命が決まってしまうという恐れさえあるのだ。

●訪問介護の質

 じつは筆者は制度発足前にホームヘルパーの不足を危惧していた。もっとも、新ゴールドプランでの目標数値は、いまになってみればほとんど根拠のないものであることが分かった。現実にはホームヘルパーの数は不足どころか余剰になっている地域すらあるようだ。異業種から参入して訪問介護を始めた企業が、業務を縮小せざるをえなくなったことは記憶に新しい。その弁にいわく「単価の安い家事援助の割合が想像以上に多かった」。しかし、そもそも要介護のかたはあとに書くように多くない。しかも高齢者の約12%とされる介護保険給付の対象者が必ずしも身体介護を要するとは限らない、というあたりまえの現実を知らなかっただけではないか。
 そういうわけでヘルパーの数はいちおう足りているようだが、多くは身分の不安定な非常勤であり労働条件や待遇はきわめて低レベル、身分保障もじゅうぶんではない。多くの介護関連職種の給与水準がきわめて低いなかでも条件の悪さはきわだっている。
 いろいろな業種、企業がこぞってヘルパー養成講座を開き「介護の技能を持っていれば就職に有利」という謳い文句で人集めをしているようなところもあって、まともなヘルパーが揃うのかどうか心配していたのだが、やはり懸念したとおりである。低賃金で過酷な労働をしいられる職種、それなりの動機を持っていなければ質のよい仕事をすることは難しい。もちろん悪質なヘルパー、業者は淘汰されるだろうが、そうなるとこんどは量を維持できなくなる恐れがある。また都市部以外ではそもそも業者を選択する余地がない。質の良否など言っておれないわけである。
 それとはべつに、長期入院を減らすという政策のもとで、難病や重度障害の患者さんがどんどん退院させられ続けているが、たとえば気管切開部からの痰の吸引や、経管栄養の流動食の注入の管理、持続膀胱カテーテルの管理などが『医療行為』であるとして、在宅では医療職以外のサポートが受けられないという問題もある。これについては受け入れる施設がきわめて少ないという点も含めて早急に改善するよう望みたい。

●通所サービスは手軽なハコモノ

 どうも通所サービスはケアプランに組み入れやすいようで、筆者の周辺で需要がたいへん増えている。しかし、ことは介護支援専門員の資質にも関係するのであるが、どう考えてもまともなケアプランとは思えないものも少なくない。たとえば、完全に寝たきりのかたの介護負担軽減という目的のためだけに通所リハビリテーションを組んだり、ヘルパーの派遣の都合がつかないので通所介護をあてたりというのを実見している。
 いっぽう、デイサービスセンターは比較的安価に造れてそれなりに市民にアピールできるハコモノであるからか、これを異常に多く整備した自治体がある。入所施設に併設された通所施設もあるので、人口の多い地域では午前9時ごろと午後4時ごろの時間帯には、各施設の送迎車(注3)が入り乱れて町を走り回っている風景がみられる。供給は需要を掘り起こすことになるのだろうが、アンバランスなサービス供給になることだけは避けてもらいたいものである。

●ショートステイの混乱

 介護保険制度になっていちばん混乱したのがショートステイ(短期入所)であった。厚生省の諮問機関で医療関係委員が「ショートステイを増やすと介護意欲が低下して施設入所の希望が増える」と主張したというが、その委員は現場をまったく知らないのだ。ショートステイがあるからこそ在宅介護で頑張っているという状況が少なくないのだ。そのショートステイの日数が、介護保険では要介護度によっては極端に減らされてしまったことで大混乱とブーイングの嵐となった。
 それで、きわめて異例なことと思われるが、ショートステイ枠を特別に拡大できるように早々に改訂されたのだが、特例を市町村それぞれが決めることになっているため、自市町村にショートステイの供給元が少ないという理由で特例を認めなかったり、自市町村内の施設でのみ特例を認めるという市町村がある。介護保険では他市町村のサービスも使うことができるという実情を無視している。利用者のサービスを受ける権利の平等性を損なう処置である。

●施設のこといろいろ

 ところで施設の数は足りたのであろうか。筆者の地域ではこの10月前後に計画最後の特別養護老人ホームが完成した。従来、特別養護老人ホームは行政の措置で入所していたので市町村の行政境界が入所に影響していたが、介護保険では他の市町村の施設を利用することも基本的には可能になる。老人保健施設と病院はもともと市町村の壁はない。ところが、それぞれの施設の数(ベッド数)はそれぞれの市町村の人口から算出されているので、交通機関や時間距離に影響される生活圏と一致しない配置になっているところが少なくなく、言葉は悪いが「姥捨て山」的な環境に施設が開設される原因のひとつにもなっている。
 ところで、特別養護老人ホームでは、介護保険開始時に入所中の利用者に5年間の猶予で無条件に入所が認められた。統計では特養入所者のうち自立や要支援、つまりほんらいは施設給付を受けられない人が1割ちかくいるという。5年を過ぎると退所せざるをえない人が続出する可能性がある(5年たてば高齢者はほとんどが要介護になるに違いないという乱暴な論理は無視したい)。またそのまま入所が継続されることになっても施設の収入が少ないので、施設はなるべく出てほしいと考えても無理からぬことである。
 また、施設ではリハビリテーションなどを勧めて要介護度を改善すればするほど、給付の額が減り、利用者は要支援にまでよくならないことを望むということになりかねない。
 ここに某自治体担当部署の『介護老人保健施設運営上の留意点について』という小冊子がある。これには『身体的拘束の禁止』や『食材料費の適正価格』などとともに『施設サービス計画について』という項があり、
「介護保険制度の下では、全ての介護老人保健施設が全ての入所者に施設サービス計画(ケアプラン)を作成し、入所者に計画を説明し、計画に基づいたサービス提供を義務づけられることとなりました」
とある。老人保健施設では介護保険以前にはケアプランを作成することも条件のひとつである施設療養費U類と、そうでない安い給付のものがあり、多くの老人保健施設はケアプランの作成をめざしてきていたはずである。したがって介護保険になっても従来のままケアプランも実施できているはずなのだが、この小冊子からは『施設介護サービス計画をしていない施設がある』と読み取れる。そして老人保健施設でさえそのありさまであるから、もともとケアプランが給付の多寡に関係していなかった介護老人福祉施設や介護療養型医療施設での実情はいかばかりかと案じたのだったが、さまざまな情報を総合すると、やはりケアプランを規定どおり実施していない施設が少なくないようである。
 また、老人保健施設に限った事情でいえば、超長期あるいは無期限の入所がよくなったと理解していたり、入退所判定会議をしなくてよいと公言するケースをみかけるが、これらはいずれも正しくないはずである。
 保険給付を受けて運営している施設であるという点を忘れてはなるまい。

●同じ基準で異なる施設に入る矛盾

 要介護認定という同じ基準で認定された利用者が、ほんらい目的も費用も人手も異なる施設のどこにでも入所するという疑問がある。【表1】の各施設に関する厚生省令の『基本方針』に示したように、それぞれの施設の方針には微妙な違いがある。介護老人保健施設では明記され、介護老人福祉施設では軽く触れられている『居宅生活への復帰』という点がなぜ介護療養型医療施設ではまったく規定されていないのかはともかく、【表2】にまとめたようにこの省令で規定された基準には大きな違いがあるにもかかわらず、その入所についての明確な基準はなく、それぞれの施設間をひとりの利用者が移動することが普通に見られている。給付額の違いはほとんど人件費の差と考えてもよいようで、ではなんのために3種類の施設が混在しているのだろうか。
 業界では、これらの施設は近い将来におそらく老人保健施設を基本にして集約されるのではないかと公然とささやかれているのだが、介護報酬を具体的に定めた厚生省告示で人員や設備の増減でそれぞれの施設の報酬がほぼ隣接するまでになることを見れば、その噂もあながち突拍子もないこととは言いきれない。

●従事者の待遇の問題

 さて、ホームヘルパーのところでも触れたのだが、介護業務に従事する人たちの待遇の悪さということが介護保険でもまったく改善される気配がない。考えてみれば、医療従事者の待遇がよくならないうちは、介護従事者の待遇もよくならないわけで、この国ではこれからもずっと低賃金で重労働の従事者に責任を負わせ自分の命を預けていかねばならないらしい。
 ちなみに、筆者が関係している職場の介護職員は、共働きなしで所帯を維持できるだけの報酬を得ていない。

●施設の質と武家の商法

 介護が大きな市場になるということを喧伝したのはいったい誰だったのか。儲かるということで、志のそれほど高くない経営者たちがけっこう介護現場に加わってきた。そういう志の低い経営者がいい施設を作れるわけがなく、質の低い施設には、質のいいスタッフがいつかなくなりさらに質は落ちる。利用者はそれを見きわめる消費者の目をもつ必要があるのだが、どんな施設であれ預かってもらえさえすればいいという利用者側の事情がある限り、低劣な施設でも存続できるのは医療機関の場合と同じ構造である。
 いっぽう、これまで『措置』という保護のもとで運営してきた組織が、突然競争原理の中にほうりだされて、やみくもに慣れない営業をする結果、非常に悪質な運営になっているところがある。あるいは、良質な運営をしていても商売に慣れずに経営が悪化する『武家の商法』になって、将来を危ぶみたくなるような施設もみかけるのである。

●医療福祉複合コングロマリットの功罪

 最後に複合体について言及しておこう。筆者はまさにこのような複合体の一員として勤務しているわけである。
 在宅から施設まで、非常に広範囲のサービスをひとつの事業体で用意できると、利用者としてはいろいろなサービスを選べる点で有利だと感じ、そこに集まってくることになる。事業体側はこのような利用者の情報を囲い込んで、地域で事業を寡占化することができる。さまざまなスケールメリットによって、運営を合理化・効率化でき、人材の有効利用が可能になる。
 一部のサービスしか持たない事業者は、それ以外のサービスの供給を複合体に依存せざるをえなくなり、系列化されて実質上複合体の中に取り込まれてしまうことになる。あるいは、競争に勝つことができずに消えてしまう。
 そうして事業者の寡占化がすすみ、けっきょくのところ利用者側の選択肢が少なくなって『利用者本位』という介護保険の根幹が危うくなるのが目にみえている。地域で非常に強い病院について「あそこは嫌いだが他にいくところがないのでしかたがない」とあきらめながら受診している患者がいる現実が、近い将来の介護現場を彷彿とさせる。

●介護保険でよかったか

 厚生省の試算では2000年4月の時点での第一号被保険者人口は約2200万人、そのうち、虚弱の人を含めた要介護要支援の状態の人は約12.7%、第二号被保険者にいたっては、人口4300万人のうち0.23%が介護保険の対象になるにすぎない。冷静に考えれば、ビジネスチャンスとされるほどの規模の市場ではなかったのではないか。
 また、介護保険の創設は高騰し続ける高齢者の医療費を減らすためともいうが、社会的入院部分を医療保険から介護保険に移しただけだったり、ほんらい医療機関である介護療養型医療施設や介護老人保健施設での医療費を医療保険に計上しなくしただけで、じつは介護保険のねらいは別のところにあるのではないかと思ってしまうほど、この制度の利点は半年たっても見えにくい。
 介護報酬請求を電子化したり、病状を数値化してある種の診断を医師の裁量からはずしたうえで認定には公的な審査会で合議する仕組みにし、ある面では規制緩和の流れに逆行するような『管理の行き届いた』制度となっている点で、この制度の真の目的がすこし感じられるような気がする。  介護保険になってよかったかということになると、半年ではまだなんともいえないところである。

●おわりに

 かなり急いで半年間の介護現場の動きを書いた。内容が内容だけにまとまりに欠けた点についてはお許しいただきたい。
 この制度がこの国でうまくなじむかどうか、すくなくとも数年は判断できないように思えるのだが、しかし現場では一日一日待っているわけにはいかない。矛盾を感じつつも最大限に運用していくしかないのが公的制度の宿命でもあろう。
 幸か不幸か、介護保険からはたいした利権は発生しないようだ。これ以上に理不尽な変化がおきないことを期待して、とりあえず稿を閉じることにする。

(注1)筆者のホームページ「湾処屋
(注2)たとえば「CareCare
(注3)多くはハイルーフ仕様ワンボックス車で、車イス用リフトを装備されているものもある。独特の雰囲気をもつので目だつ。


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