第一回 「老健施設の医者ですが…」

■センセ、老健の医者でエエのん?■
■独立型老健の悲哀■
■医師の営業活動■
■老健での診療は僻地医療■


センセ、老健の医者でエエのん?

 私がいま仕事をしている介護老人保健施設「ウエルハウス川西」の計画が、阪神淡路大震災の被害がまだ生々しく残っているころに法人内で具体化してきて、施設の医者として仕事をしたいと私が手をあげたとき、当時勤務していた急性期中心の病院の某医師から言われたひと言です。
 しかし「どーゆー意味でしょうか」というようには反応しませんでした。尋ねるまでもなく、この医師が考えている老健施設の医師像が分かっていましたし、それはまた現在でもけっこう蔓延しているイメージでもありましょう。「エエんです」とだけお答えしたことを覚えています。
 病院にくらべて老健施設はヒマである、治療をする必要がない、老人ばかりでオモロない、医者は飾り物だ云々、というようなところでありましょうか。
 それはまた、医療職のパートナーである看護師さんのほうにもあてはまるようでありまして、老健施設の看護は病院のそれよりレベルが低いと思いこんでいらっしゃるかたが少なくないようであります。「病院で使いものにならない」からこの看護師を老健施設に異動させよう、などということをお考えになる看護のトップもいらっしゃるようですが、これはとんでもなく迷惑な誤解であると申しあげておかなくてはなりません。
 この連載でおいおい触れることになるかもしれませんが、とくに介護保険制度になってきてからは老健施設が扱うご利用者の重症度は重くなり、医療への依存は大きくなってきています。
 どういう職業でもそうでしょうが、ある仕事に従事する人数は、少ないほど一人あたりの負担は大きくなるはずで、そういう意味では、看護師さんがひとつの病棟に20人いらっしゃる病院より、6人だけで動かしている老健施設のほうが、看護師さん一人にかかる責任も重くなるのは当然です。少ない人数で、急性期病院とまでは言いませんが、少なくとも介護療養型医療施設と同じようなご利用者の看護をしなければなりません。ついでに申しますと、原則的に一人で活動している訪問看護師さんは、さらに大きな負担になっていると言えます。
 ちょっと話がそれました。医者のことに戻ります。
 正直なところ、老健施設での医者は、楽をしようとすれば楽ができ、それなりに煮詰まって仕事をしようとすれば、とことんしんどい目にあいます。なにしろ、ご存じのように入所されているかた100名あたり医者は1名というのが人員基準です。ちなみに介護療養型医療施設では3名の常勤医が配置されているはずです。
 老健施設入所の対象として「病状が安定し…」とありますから、少なくとも病気の治療が必要なかたは入所されないはずですが、しかし持病のある高齢者のかたがたがほとんどであるわけですから、やはりなにやかやと医者の出番はあってあたりまえ。病院と違って夜間の当直医は置かなくていいのですが、そのぶん夜間帯のできごとまで責任を持たなければならない、携帯電話が恨めしいという毎日です。
 けっきょく、老健施設の医者がその施設でどこまでするのかで、仕事がたいへんかどうかが決まることになるようです。

独立型老健の悲哀

 ところで老健施設には、病院に併設されているものと、病院とはまったく独立している私の勤務先のような施設とがあります。私は併設型の施設で仕事をしたことがありませんので、ここからは推測がほとんどで、ひょっとしたら間違ったことを書いているかもしれないということをはじめにお断りしておきますが、独立型の施設には独特のつらさがあるように思います。
 前に書きましたように、老健施設は医者の当直がなく、夜間の医療職といえば1人か2人の夜勤の看護師だけというのが普通です。したがって、看護師で判断できないことや、医者の指示がないとしてはいけないことは、けっきょく常勤医師に連絡するしかないことになります。
 併設型の施設ですと、屋根続きあるいはエレベータ続きで病院があり、そこには必ず当直医がいるわけですから、いざとなればその協力を得られるはずだと思うのです(そんな協力してくれへんというところもあるようですが…)。ところが独立型の場合はそれがありません。したがって、夜間でも休日でも私の場合はオンコール、ときには夜中や休日に施設に駆けつけなければならないということになります。
 もっとも、ある老健施設では、いろいろな理由で看護師さんたちがご自分で判断せざるをえないこともあるらしいと聞いたこともあります。
 さらにまた、施設の管理者である施設長は、もちろんその施設の管理のために専属でなければなりません。老健施設の仕事以外にも法人内で在宅医療の仕事などもみている私は、ですから施設長ではなくヒラ医者として勤務しているわけです。併設型の場合ですと、その母体の病院のほうにいても実質的には「施設にいる」と理解され、したがってその病院で外来診察を持てると解釈されると聞いたことがあります。(注)

(注)平成12年3月17日老企第44号第2の1の(1)および(2)、平成11年3月31日厚生省令第40号第23条

医師の営業活動

 さて、私はウエルハウス川西がオープンして以来、施設に紹介してくださる医師にはできるだけ「礼を尽くす」ように心がけてきました。礼を尽くすといっても、盆暮れの贈り物をするとか、袖の下を渡すとかいうような下世話なものではありません。
 診療情報を提供してくださった医師に、患者さんが入所されたり、初めて短期入所療養介護に入られたりしたときには、必ずそのことをお知らせする葉書を出し、長期入所から退所されたり、病状が悪化して病院に入院されたり、あるいは順番がきて介護老人福祉施設に入居されたりしたときには、入所中の経過をご報告するとともに紹介していただいたお礼を述べるということを、こまめにに続けているのです。医者同士の礼儀、一種の社会常識をきちんと守ることに、私なりに徹しているわけです。
 私はこれが老健施設の医者の「営業活動」だと思っています。かつて、ウエルハウス川西オープン前に、老健施設のことについていろいろと教えを乞うたこの業界のベテラン医師は、いちいち開業医さんのところに出向いて挨拶するべきだとおっしゃいましたが、さすがにこれは相手の医師の時間を割いてもらわねばならない厚かましいことだと私は考え、原則的には郵送でご報告をすることにしています。
 事務長クラスのかたが患者さんやクライアントを紹介してもらうように病院や開業医さん、介護支援専門員のところに営業をかけているらしいのを見かけることがありますが、自分が医者である私が考えると、この種の営業活動はあまり効果的ではないと思えます。やはり当の医者が自らまっとうな営業をするのがよいはずです。難しくはありません。患者さんの情報をきちんと伝えることだけであり、このことは老健施設に限ったことではなく、病院の勤務医師にもあてはまることだと思うのですが、これがなかなか難しいようです。

老健での診療は僻地医療


 ところで、今回の最後に話は老健施設での診療に戻ります。
 私はよく老健施設、とくに独立型の施設での医療を僻地医療にたとえます。つまり、施設にはレントゲン設備ひとつあるわけではありませんし、まあ私のところの場合は血液や尿の検査なら検体を誰かが運んで母体病院で緊急検査をしてもらえますし、心電計は出入りの医療機器販売会社を恫喝して(笑)安く仕入れた中古機を置いてはいますが、いってみれば医者は「丸腰」、昔ながらの理学的所見と勘で診療にあたらなければなりません。いまはやりのEBM(証拠にもとづく医療)の考えかたを重視しようにも、そもそもその集められるデータがきわめて少ない。ともかくさらに検査などが必要なのかどうかを最低限判断して、病院に搬送して受診することを決定しなければなりません。病院までたとえ車で5分だとはいえ、それなりの機材(車)と人手と時間は必要になります。運転できるスタッフがいないときは、私が搬送することもあります。急を要するときは救急車を要請しなければならなりません。
 これはまさに僻地医療と同じだと私には思えるのです。
 もっとも、私の勤務先は僻地ではなく阪急電車の大きな駅の近くです。勤務を終えて施設を出れば、駅までのあいだにはいろいろと私の物欲食欲酒精欲を刺激するものがあって、あああ今夜もついまた馴染みの飲み屋さんの入口の戸を…。



「介護施設管理2003」の目次へ
原稿集の目次へ
湾処屋のホームページへ