今日は、「高齢者の慢性期医療について」ということについて何かしゃべってほしいというご依頼を受けました。医学的なことをお話できるほど、私は老年医学に通じているわけではございませんので、今回は、私がこれまで経験し、現在も従事しています高齢者の医療や介護、福祉をとりまく現状と今後のことについて、おそらく先生がたにはもうすでにじゅうぶんご承知のことばかりかとも存じますが、なにか少しでものご参考になればと思いまして、不勉強を省みずお話させていただきます。
まず、私のこれまでの経歴と、私が高齢者の医療に関わることになった経過を説明させていただいたあと、現在とくに高齢者の医療や関連部門が直面している問題、今後の見通しなどについて、介護保険制度が医療にどのような影響を及ぼすかというようなことを含めて、医療機関の経営という視点と、私たち医者個人からの視点で、私が現在考えていることをお話したいと思います。あくまで私の個人的なみかたであるということで、みなさまがたへの「問題提起」となればという程度の話としてお聞きいただければ幸いです。
私自身のことが長くなるかもしれませんが、それは私がなぜ現在高齢者の医療に興味を持って従事しているのか、そのモチベーションの形成に強く関係していますので、なにとぞご勘弁ください。
私の知っているかぎりでは先祖に臨床医の係累はありませんで、母の弟がこの滋賀県にある医科大学の基礎系の教員をしているくらい、ただ、私の従兄弟には何人か医者がいますし、末の弟も某私立医大で麻酔科の教員をしています。なぜか私の世代にだけ臨床医がいまして、おそらくまたつぎの世代ではいなくなりそうです。
そういうことで、いい意味でも悪い意味でも、いまの私には大阪の商売人の血がけっこう濃く流れているのではないかと自己分析しています。ところで、よく大阪のヤツはがめついなどと言われますが、大阪の商売人のルーツはここ近江のかたがたであるというのは周知のことでありまして、大阪の人間の性根には近江の心がかなり影響しているのではないかと、私は昔から勝手に滋賀県に親近感を持っております。
1973年に奈良県立医科大学を卒業しました。すぐに大学の第二外科、ここは当時胸部外科と脳外科、それに一般消化器外科を扱っていましたが、その教室に入局させていただきました。
一年間大学で研修しましたあと、例によってローテーターとしていろいろ回ることになったのですが、この大学のときに麻酔科で数ヶ月研修を受けまして、そのときに直接いろいろご指導いただいたのが、こちらの関川院長でありました。ですから、私は関川先生に頭があがらないのです。
それはともかく、国立大阪南病院脳神経外科への出張から始まって、奈良県吉野郡の町立病院や、大阪府立病院、大阪府下の市民病院などの脳神経外科を回って、このときに脳外科の手ほどきを受けています。
私の時代は、いわゆる「学位拒否」という運動をしていたわけで、私は医者になってからもそれをそのまま引きずってしまいまして、ローテーションを12年ほどしている間は、脳外科と臨床のコツなどだけを集中して教えていただきました。そして教室からの学位の仕事をせいという圧力を避けるため、1985年に兵庫県川西市の医療法人協和会協立病院に就職いたしました。
つまり、地域密着のの脳外科施設ではいわゆる植物状態を含む重度障害患者さんのフォローをしなければならないということです。私どもの系列病院にリハビリテーション専門の協立温泉病院がありますが、そこへ紹介いたしましても、いずれつぎの対応を求められるようになることが多くなりました。
脳外科といえば、心臓外科などと並んで、ま、まことに華やかな科であるような印象を持たれがちなのですが、じっさいには病棟に多くの植物状態の患者さんや寝たきりのかたがおられる、翳のある診療科なのだというと、えー、反論を受けそうではありますが、ともかくそういうのが現実なのであります。
当時はまだ診療報酬に「訪問診療」「訪問看護」というものがなく、「往診」ということで対応していました。
そして、在宅をし始めた経緯からお分かりいただけるように、始めた当初から対象の患者さんはけっこう重度の障害のかたが多く、経管栄養や持続膀胱カテーテルの装着、おおきな褥創の処置を要するかたなど、現在でもなにかと問題になる患者さんがおられました。こういう患者さんはしばしば合併症をおこして濃厚治療を要することになりがちですが,その場合には母体である協立病院の救急病院である機能を生かして対応できることが、それ以来ずっと続けてこれた理由のひとつであると思っています。
ところで、病院では高齢の入院患者さんが帰ることのできないまま長期入院を続けておられる、いわゆる社会的入院が少なくない状態でしたが、しかし、次第に長期入院に対する制度の締めつけのため、ともかく退院というような圧力が強くなってきました。これは重度の障害を持ったかたにも行なわれているのはご存じのとおりです。しかも、そのようなかたを収容すべき福祉系の施設はご存じのようにまったく足りません。
また、重度の障害のかたは、福祉系施設への申し込みそのものが拒否されます。つまり行きどころがないわけです。
医療機関としては、医療サービスのメニューをできるだけ多く用意するべきだというのが常識になってきています。訪問診療や訪問看護はもちろん、病院や診療所で行われるデイケア、介護者の負担軽減のための老人保健施設、グループホーム、在宅介護支援センター、そして、老人保健施設の対象者より医療の比重の高いかたのためには療養型病床ということになります。
これら医療、福祉、保健のサービスを有機的に結びつけてこそ、在宅療養がしやすくなり、一般病院では経済効率の悪い長期入院を減らして急性期医療に専念できるということになるわけです。
というのが厚生省さんの思惑であろうと思います。
私が在宅でおてつだいしている患者さんのサポートをしてもらう老人保健施設にするためには、自分がやるしかないと思いまして、私にやらせてくださいと手をあげたのでありました。在宅を知らない医者に変な施設にされてはかなわん、というのが本音だったんですが。
ま、理事長は私のこれまでの動きと、川西市の福祉や保健のいろいろな組織と私がいい関係でいることを知っていましたし、病院では稼ぎの悪いカサの高いヤツと思われていたのでしょうが、私が施設長となることに決めてくれました。
ただ、そのときにある医者から言われた言葉を忘れられません。それは「カミノセンセイ、老健の仕事でエエのんか」というものでした。うーん、やっぱり老人保健施設の医者は何段も下に見られているのであるよなあ、だれやそんな風潮にしたのは、と実感した次第です。
1997年、つまり昨年の9月に、痴呆専門棟の30床を含む入所定員 150、デイケア30人の独立型老人保健施設がオープンしました。経管栄養のかたや気管切開中のかたも受け入れることを公言して始めましたが、ほぼ満床になるまでやはり1年かかっています。
で、私は老人保健施設施設長であり常勤医師となったわけで、いままでの在宅患者さんの訪問診療はどうしているかといいますと、じつはまだ私が協立病院からの訪問という形で続けているのです。現在約70軒です。また、協立病院で受け持っていた脳外科の外来診察2単位と予約診察の月2単位は、これもそのまま続けています。
じつはこれだけの業務になりますと、なかなか時間がないので、週に2回は「早出」と称して午前6時半から仕事を始めますし、訪問診療のほうは土曜日の午後や休日まで食い込んでしまっています。けっしてこれでいいとは思えませんが、とくに訪問のほうは代わりをしてくれる医者がいないのでしかたがありません。
で、もしこのことが問題になるならなったでいいと開き直っています。老人保健施設の医者が訪問診療する道を開けという訴えができる機会になるかもしれないと思っているからです。在宅との連続性を考えれば、老人保健施設の医者が訪問診療を担当することになんら不自然なことはありませんから。
老人保健施設という制度をしっかり勉強してみますと、老人保健施設では病院と違った視点で医者ができることがたくさんあります。在宅療養のサポートをしているということを考えるだけで、最近はやりの言葉でいえば「全人的医療」に自然に一歩近づくものであるはずです。老人保健施設が関係する利用者のかたは、心身の病状が安定しているぶん、社会的家庭的環境的な病理が明確になっている場合が多く、病人さんをみるうえで「目からウロコ」状態になることが少なくありません。
非常に厳しいいいかたをさせていただくと、ずっと慣れ親しんだ、受け身のお医者さまの仕事をしている限りは、このような新しい視点を持つことはまず難しいとは思います。
私は、いちおうウエルハウス川西という施設の管理職であり、法人の経営の一翼を担わなければならない立場ですが、しかし生来の商売人といいますか、金設けもさることながら、お客さんの立場を先に考えてしまいがちで、法人のなかでは異端視され、できれば排除したいと思っておられる経営陣のかたも多いくらいですので、逆に経営戦略というものを冷静に分析できているものと思っています。
そういう立場で介護保険制度が始まることを前提にしたこれからの病院について私なりのみかたを考えました。
誤解のないように言っておきますが、私は介護保険の制度はよいとは思っていません。地元の川西市で私はいろいろな集まりで介護保険制度の悪口を言って回ってきました。はっきり言って悪法ですが、ことここに至って制度を変えるとさらに悪い状況になるので、それよりまだ「マシ」という程度ではあります。
ところで、介護保険にも「施設療養費」という制度はありますが、介護保険というのはもともと在宅療養を重点に想定したものであり、さきほど申しましたように、在宅療養では、医療と福祉や保健の連携が必要なのは言うまでもありません。ケアマネージャーつまり介護支援専門員という制度はまさにその連携のコーディネートを想定したものです。
そうなりますと、施設の安定した経営のためには、いかに利用者を取り込むことができるかということになります。つまり、コーディネートすべきサービスをどれだけグループ内で用意できるか、ということです。
日本経済新聞に大手法人が患者さん、利用者さんを取り込んでしまう弊害について書いてありましたが、じっさい規制緩和で福祉分野にまで医療法人が進出できる余地ができてきたため、私の勤務先の法人理事長のような考えの人ができてくるわけです。
もっとも、必ずしもうちの理事長の考えが悪いわけではなくて、そのうえでサービスの質さえよければそれはそれで利用者さん側にとっても良いことです。多くのメニューをもつ大手組織がサービス提供を独占して、その業者が悪質だとえげつないことをすることもできるという点で、危険性があることを指摘しておきたいわけです。
医療法人協和会は1980年に開設した急性期主体の協立病院から始まって、現在病院が4ヶ所、老人保健施設2ヶ所、診療所1ヶ所、訪問看護ステーション3ヶ所、在宅介護支援センター2ヶ所、ホームヘルプステーション2ヶ所を持ち、さらに来年病院1ヶ所、老人保健施設2ヶ所、訪問看護ステーション1ヶ所が増えるという、職員数1600名、総ベッド数が1800床近い相当に規模の大きな法人です。
とくに川西市では、急性期病院―リハビリテーション病院―老人保健施設―訪問看護ステーションとホームヘルプステーションという流れを法人だけで作り上げていまして、それが゜さきほど申しましたような理事長の放言に繋がっているわけです。
で、今回の介護保険に対するシフトとしては、やはり慢性期の病院の病床の療養型への転換が積極的に行なわれていまして、すでに1病院は転換ずみ、来年既存の2病院で転換が終了し、平成12年までには急性期専門病院1、療養型を含む慢性期専門病院が1、急性期病床と療養型病床の併合型が3という体制になります。つまり、病院は急性期病床か療養型しかないということになりますが、それはまさに厚生省の目論見どおりということになります。
そして、私を含む各施設の責任者はもちろん、理事長も今回の介護支援専門員実務研修受講試験を受験して、じっさいにケアマネージメントをするかどうかはともかく、介護支援専門員の資格は確保しています。
私が1年あまり老人保健施設で仕事をしてきた印象からしますと、それらのシステムをどのように動かしていくかということが、利用者さんから信頼される施設になることができるかどうかということです。ま、これはあたりまえのことですが。もっとも、そのことを分かったということと、私の職場がそうできているかどうかは別のことではありますが。
ご存じのように老人保健施設にもいろいろありまして、私など同じ老人保健施設だと言ってほしくないわいと思うようなところもあります。しかし、これはいままでの病院でも同じことだったと思います。ただ、老人保健施設勤務は後退だというような感覚で仕事をしていると、悪意はなくても職員の士気は低下してけっきょくはレベルの低いものにしかならないのではないかと思います。
システムや入れ物を作って、その投資を取り戻すために目先のことばかり考えてしまうと、結局は医療機関としての信用を失ってしまって先々損をすることになりましょう。
逆に、とりあえず損がしばらく続くかもしれないが、地道に地域のためになる仕事を続けていれば、いずれは信頼を得て利益をあげられるようになるはずだし、医療や福祉というのはそういうものであるはずです。だいたい医療で儲けてやろうというのが間違いなんですね。こちらの病院ではそんなことあたりまえやと思っておられるでしょうが、世の中の経営者はそんな人ばかりではありませんよね。
第一線の華々しい臨床現場で仕事をすることだけでなく、地道に地域のためになる仕事をするということこそ、損して得取れということではないでしょうか。
新ゴールドプランの期限までに療養型病床への転換がいまひとつ進まないのを見て、今年の春になって、介護保険制度で3年間は現在の介護力強化病院を療養型とみなして介護療養型医療施設と認めることにしてしまいましたが、これなど、あとで転換しようとすると、規制が今よりずっと厳しくなっているに違いありません。なにしろ、厚生省は「病院は適当に潰れていい」と思っているフシがあります。療養型への転換ができずに廃業に追い込まれる病院が出てくることを計算ずみなのではないでしょうか。
介護保険施行3年後の平成15年以降に、病院病床数が激減しており、介護保険施設が新ゴールドプランどおりに整い、いや、これは正確には新ゴールドプランで決めた数で制限しということですが、つぎに介護保険施設である療養型医療施設と老人保健施設と特別養護老人ホームを統合整理してひとつの介護保険施設制度としてしまう、そういう計画になっているような気がしています。すると、10年ほど先には、医療機関として生き残っている病院は、いったい現在の何分の一になるのでしょうか。
幸い、まだあまり同業者が注目していない介護中心の世界に少し早く足を踏み入れたので、ま、元気で仕事ができる間は失業しないですむかな、と思っています。卒後25年、言いたいこと言いの私のようなカサの高い医者、買い手市場になりつつあるふつうの病院が雇い続けてくれるわけはありません。
外国での就職難の医者の話が冗談半分で語られることがありますが、日本でも人ごとではない時代になることも予想されます。10年ほど先というと、私は60才で、勤務医としては定年ということになります。
日本では、いつまでいまのような待遇で医者をさせていただけるのか、じつは不安でなりません。なにしろ、私は、医院が薬を買ったら同じ量の薬がオマケについてくる、景品にテレビをもらう、毎晩のように新地で豪遊それも業者の接待、ほんまにやりたい放題の医者天国だった時代の、ほんとに最後の部分を経験しています。そのころ、まさか医療にこんな時代がくるとは誰が予測したでしょうか。
つまり20年あまり後の医療業界がどうなっているか、これはもうほとんどSFかスプラスティックスの世界です。
いままでぼんやりと頭のなかで考えていたことではあるものの、じっさいに原稿として文字文章にしてみますと、ほんとうにガクゼンとしてしまいました。
医療の世界は縮小させられる、介護の世界は医療出身のものと福祉出身のものとさらに異業種の参入で混沌としてくるでしょう。施設として何らかの差別化を早い時期から、それこそ「損して」も用意して、将来の「得」を取るようにしなければならないのと同時に、医者個人としても差別化を計っておかなければ首が危うくなるのではないかと思ったことです。
ということで私の戯言を終わりにさせていただきます。しょーもない話ですみませんでした。