あまり時間もありませんので、そのいま私がやっている仕事について簡単にご説明しておきます。
レジュメにありますように、私の肩書きは「在宅医療センター長」となっております。医療法人協和会に「在宅医療センター」という「センター」が毅然としてあるのかといいますと、ぜんぜんそんなものはありませんで、じつは、組織の都合で私一人のために命名された箱のないセンターなんです。
私は1980年に医療法人協和会に招かれまして、川西市にあります協立病院で脳神経外科の診療をしていました。そして、1983年ごろから脳外科患者さんのフォローの目的で在宅診療を始めまして、以来ずっと脳外科と在宅を続けてきました。その後の経過は話し出しますといくらでも長くなりますので省きます。
それで、現在私がしている仕事は、まず老人保健施設ウエルハウス川西に入所されている150名のかたの医学的管理、そして在宅の患者さん約40名の訪問診療、協立病院での、いちおうは脳外科の外来診察、これは実質はなんでもこいといいますか、最近は各科がどんどん専門領域化してしまって、逆にどこでもみてもらえないような場合ができていますが、そういうかたを診させていただく、私は「スキマ診療」と自称していますが、そういう外来、それから、川西市の介護認定審査会の委員、これらが、まあ公的な部分です。
そして、本業とは別に、川西市内のある介護系のボランティア団体のお手伝い、医療のことを考える市民団体の協力医師、パソコン通信「ニフティサーブ」で「在宅ケアフォーラム」ともうひとつのフォーラムを管理し、別のフォーラムで健康相談担当のスタッフ、というようなことでございます。
こういうふうにいろいろな場に顔を出していまして、それが10年以上にもなりますと、自然と人の輪が広がってきまして、じつは昨日の記念講演で介護保険のお話をなさった斎藤さんとも、いつのまにかちょっと懇意にさせていただくようになっていますし、今回の分科会の関係者のみなさまとも、そういう流れの中でのご縁かなと思っています。
じつは昨日は別の場所で、介護認定審査会の審査が始まってから感じた問題点というテーマでお話をしていたのですが、それを詳しくやりますといくらでも時間がかかるということになりますので、今日はレジュメにありますように、ちょっとバラバラな内容ですが、介護保険や在宅療養のことについて、私のような変な医者でなければできないかな、というようなことをお話してみたいと思います。
長期入院を減らすという政策のもとで、難病や重度障害の患者さんがどんどん退院させられてくるようになってきたのは、1995年ごろからでしょうか。いまや、人工呼吸器を装着したかたが在宅療養しておられることは珍しくなくなりました在宅で人工透析をしたり静脈からの高カロリー輸液をしたりというかたもおおぜいいらっしゃいます。
病院は3ヶ月したら退院させられるのや、という話をお聞きになったことがおありかと思います。でも、最近はこれは間違いです。いまや老人病院やリハビリテーションの専門病院以外のところ、つまり体調が悪くなって入院治療を受けるような病院では3ヶ月も入院させてくれません。それは、平均在院日数が28日以内かそうでないかで入院時医学管理料、つまり入院代のレベルが違うようなシステムになっているため、平均在院日数28日以内を維持している病院は、たとえばリハビリテーションをしてすこしでもよくなってから、などという悠長なことは許してくれません。ともかく早く帰そうとします。
厚生省はともかく在宅を重視したいわけで、それは病院や施設より在宅のほうが金がかからないからです。なぜ金がかからないかというと、家族という無料の労働力が使えるからです。そして、その延長線上に出てきたのが、介護保険であります。
それで在宅にどんどんと重度の障害のかたが増えてくるわけですが、ではそのときに在宅療養を支援するシステムが揃っているかというと、これがぜんぜんありませんね。
土井さんのお話で具体的になるでしょうが、たとえば気管切開のかたの痰の吸引や、経管栄養のかたの流動食の注入の管理、持続膀胱カテーテルの管理などが「医療行為」であるとして、在宅では医療職以外のサポートが受けられないし、たとえば通所や短期入所をしてくれる施設がありません。
私は、痰の吸引や経管栄養や持続膀胱カテーテルの管理は、医療行為ではなく「医療的介護」だと思っています。ある程度の訓練を受けた人なら、危険なく行えるはずで、だからこそご家族がやっておられます。
飲み込みが悪くなってきたかたに食事を介助するほうが、経管栄養で流動食を入れるより、誤嚥や窒息の危険がずっと高いのですが。
私は箕面市のことはあまり存じていませんが、たとえば老人保健施設で気管切開のかたや経管栄養のかたを受け入れる施設がどのくらいあるでしょうか。特別養護老人ホームが経管栄養のかたを門前払いしないという話を、私は介護支援専門員の実務研修の場でいっしょになった淡路島の社会福祉法人の栄養士さんに聞いてたいへん感激しました。それくらい施設入所は難しいんです。
重度障害者のかたにとって介護保険は、保険あってサービスなし、ということに、いまのままでは間違いなくなってしまいます。
この場に大病院にお勤めのお医者さんがおられたら、こういう場においでになっているドクターは例外だとまず予防線をしっかり張ったうえでキツいことを言わせていただきます。
介護保険については、おそらく大きな病院勤務のドクターにとっては、まったく興味の外でしょう。現に、要介護認定で必ず必要な主治医意見書の作成を大きな病院で拒否された話がいくつも報告されています。
拒否される理由のひとつに「ここは、あるいは、私は、専門的な医療をするところだから」というのがあります。
この話を聞きまして、私はハタと思い当たったのですが、そうか、「病を見て人を見ず」とはこういうことをいうのですね。はからずもひとりのドクターの、患者さんに対する考えかたが明確になったということです。
医者、とひとくちに言っても、町で開業しておられるドクターと、病院で勤務している医師とは、いろいろな点で同列に論じられないところがあります。
いま言いましたような、意見書作成拒否とその理由などは極端な例としても、下世話な話になりますが、それなりに面倒な意見書の作成、これは一通書きますと介護保険会計のほうから5000円が支払われますが、その5000円は、勤務医では描いた医者のフトコロには入らないのが普通です。開業のドクターはもちろんご自分の診療所の収入、つまり自分の稼ぎの一部になります。
もともと医者は書類を書くのが嫌いな傾向がありますが、それに加えて勤務医では「よけいな仕事」という感覚がどうしても出てきます。
そのうえ、開業医のほとんどはその地域でこれからもずっとお商売をしていかれるわけで、ご近所の評判、噂をかなり気にしなければならないのが昨今のご時世です。
しかし、勤務医の場合、病院への帰属意識にはたいへん差がありまして、幹部でない医師は地域の評価をそれほど気にしていない傾向があります。とくに基幹病院と呼ばれる、国公立の大病院の場合は、そういうことを気にする必要がまったくないといえます。患者さんは病院のネームバリューとハードウエアだけで集まってこられます。
これ以上は言い過ぎになりそうなのでやめておきますが、かかりつけ医、主治医としては、やはり身近の、家庭のことや家族のことや地域の事情に通じた信頼できる開業医を見つけておくのがいいのではないかと思います。
このあたり、私が昔の自分を反省しつつお話しておりますが…。
医者のことの最後にちょっとふれておきますが、主治医意見書は私の解釈では本人は開示してもらえるはずですので、ご自分の意見書の内容をみることで、いま主治医だと思っている医者の、ご自分に対する姿勢がある程度わかるかもしれない、つまり、医者選びのツールとして「も」介護保険の使い道があるかもしれません。
時間がありませんので、これについては今回はこれ以上は触れないでおきますが…。
それは、これまでいろいろな福祉サービスなどを受けておられて、要介護認定で自立あるいは要支援と認定されたかたのことです。
正直なところ、審査会の現場では、要介護4にするか5にするかというようなところはそれほどストレスと、私は感じていません。もちろん受けられるサービスの上限が違ってきますから、利用者のかたには気になることでしょう。
しかし、このことはあまりおおっぴらには言われていませんが、施設を利用されるかたにとっては、要介護度が高いのが必ずしもいいとはいえません。サービスを受けますとその1割が自己負担になることはご存じのとおりですが、施設ではほぼ同じサービスを受けても要介護度が低いほど自己負担は安くなりますね。
問題は、非該当として介護保険の適応がまったくなされないかたと、要支援として施設サービスが受けられないかたです。
審査会としては、ごまかしのない範囲でなんとか現状サービスを受けられるように要介護度をアップできないかと苦しむわけで、このような例が一回の審査会で必ず数例はありますのでつらいところ、そして疲れるところです。
つい今週、11月29日にあった厚生省の「全国老人福祉担当課長及び介護保険担当課長会議」では、「介護予防・生活支援対策について」ということで「軽度生活援助事業」、これは「軽易な日常生活上の援助を行うことにより、在宅のひとり暮らし高齢者等の自立した生活の継続を可能にするとともに、要介護状態への進行を防止する事業」と定義づけられていまして、現に家事援助のホームヘルプを受けておられて要介護認定で自立とされたような高齢者への支援も義務づけています。シルバー人材センターやボランティアを活用ということで、ちょっと虫のいい話のようにも思えますが、いちおう厚生省も正式にこのようなかたの存在を認めていることは間違いなさそうです。
しかし、これらについてはとうぜん予算の裏付けが必要ですから、現時点で確実に保証されていないというのが、これまた審査会の憂鬱となっているわけです。
選挙や今回のようなイベントを通じて、具合の悪い部分はどんどん変えていっていただくようにできる可能性がありますので、あきらめることなく声を上げていってください。行政にも、また私の同業者たちにも、です。