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選べるサービス・在宅ケアあれこれ

 こんにちは。川西市の老人保健施設ウエルハウス川西の上農です。

  今日は、在宅ケアのことについて宝塚市でお話させていただくことになりましたが、けっして自分の職場の宣伝などはいたしませんので、主宰者のかたもどうぞご安心ください。
 
 

自己紹介

 では、はじめに、なぜ在宅ケアのお話を私がおおせつかったのかという説明をかねて、すこし自己紹介をさせていただきます。

  私は1949年大阪八尾市の生れの、今年49才です。1973年に奈良県立医科大学を出まして、すぐに出身大学の第二外科、ここは当時胸部外科と脳外科、それに一般消化器外科を扱っていましたが、その医局に入れていただきました。一年間大学病院で研修したあと、大阪の河内長野市にある国立大阪南病院への出張を皮切りに、いわゆるローテーションで四ヶ所の病院の消化器外科と脳外科を回りました。そして1985年に縁があって兵庫県川西市の協立病院に就職しました。

  で、協立病院に着任後も脳血管障害や外傷を中心に脳外科を続けていましたが、それまでの国公立基幹病院での脳外科と違いまして、急性期治療を終えてもひとりの患者さんをずっと継続してお世話するという機会が俄然増えました。  つまり、いわゆる植物状態を含む重度障害患者さんのフォローもしなければならないということです。私どもの系列にリハビリテーション専門の病院もあるのですが、そこへ紹介して転院していただいても、いずれそのつぎの対応を求められるようになることが多くなりました。

  脳外科といえば、心臓外科などと並んで、昔「ベン・ケーシー」などというテレビ映画がありましたけれども、ま、まことに華やかな科であるような印象を持たれがちなのですが、じっさいには病棟に多くの植物状態の患者さんや寝たきりのかたがおられる、翳のある、ともかくそういうのが現実なのであります。

  で、ある程度後遺症として障害が固定した患者さんのいくにんかのかたが、どうせなら自宅で療養を続けたいというご希望を表明されまして、通院にたいへん困難が伴う、それならば自由のきく私が出かけていきましょうか、ということと、病院の理事長が在宅療養のサポートをしてみようと考えたこともありまして、10年あまり前から在宅患者さんの訪問診療を始めました。

  しかし、当時はまだ制度としての「訪問診察」「訪問看護」というものがなく、「往診」ということで対応していたわけですが、いまから考えてみますと、なかなか時代を先取りしたことをやっとったんだなあ、という気がいたしております。

  そして、在宅をし始めた経緯からお分かりいただけるかもしれませんが、始めた当初から対象の患者さんはけっこう重度の障害のかたが多く、経管栄養、これは鼻から胃に入れた管から流動食を入れる方法です、それに持続膀胱カテーテル、これは膀胱に管を留置して尿を管から出す方法、またおおきな床擦れの処置を要するかたなど、現在でもなにかと問題になる患者さんがつねにおられました。こういう患者さんはしばしば合併症をおこして濃厚治療を要することになりがちですが,その場合には母体である協立病院の救急病院である機能を生かして対応できることも、続けてこれた理由のひとつであると思っています。

  そうやって脳外科のかたわら在宅診療を続け、いつのまにか常時70軒ほどの訪問診察を担当するようになってきた1995年に、協立病院の母体である医療法人協和会が老人保健施設を作るという計画が持ち上がりまして、在宅の患者さんをお世話していてバックアップの施設としての老人保健施設の必要性をじゅうぶんに知っていたため、計画当初からかかわらせていただいて、そして昨年秋にオープンしたのがいま私が勤務しているウエルハウス川西というわけです。

  私は町歩きが好きで、旅行に行ってもしばしば普通の町をあてなく歩き回ったりするのですが、訪問診察や老人保健施設のデイケアの送迎の手伝いなどは、歩きではないものの、そういう町の景色の中にいられるということでなかば楽しんで仕事をさせていただいています。

  それとは別に、私は大手のパソコン通信のニフティサーブに「在宅ケアフォーラム」というものを開設しまして、全国規模での在宅ケアに関する情報交換の場を作ったり、インターネット上には1995年からホームページを置いて、在宅介護支援センターのリストや在宅ケア関係のデータを蓄積したりしています。もともとの道楽が実際の役にたつようになって、ある意味では楽しんでいます。 _**レジュメ**_ の**図1**は在宅ケアフォーラムの会議室のメニューです。ホームページのほうは、カラーで印刷したものを掲示してありますので、興味がおありのかたはご覧ください。
 
 

在宅ケアとはなにか

 さて、今日のお話の内容ですが、ちょうど介護保険への過渡期にあたるいま、介護保険下での在宅ケアのことはちょっと不透明な部分がありまして困っているわけですが、いちおう、まず**@** _在宅ケアが重要視されるようにになってきた背景_ を私なりに考察してみたあと、**A** _在宅ケアを成功させるためにはどのような条件が_ 必要であるのか、さらに**B** _在宅ケアをサポートするサービス_ にはどんなものが用意されているのか、そして最後に**C** _これからの在宅ケアについて避けて通れない介護保険について_ お話しすることにします。

  このような長丁場のしゃべりに慣れていませんので、時間配分がうまくいくかどうかわかりませんが、あとにご質問をお受けする時間もとりたいと思います。

  さて、今回の企画もそうなのですが、最近「在宅ケア」ということが非常に注目されています。この背景には、病院での非人間的な環境がイヤだとか、患者の自己決定権であるとか、とくに患者さん側の意識の高まりが、在宅を選ぶという選択肢をとられることが多くなってきたことは、もちろんあります。

  しかし、ちょっとだけ冷静に考えていただく必要があります。

  世の中で何らかの、まあいわば「流行り」「風潮」のようなものがでてきたとき、警戒しなければならないことは、それが何らかの意図をもって巧妙に仕組まれたものではないかということです。

  たとえば、バブルのとき、土地や株を買わないやつは馬鹿というような風潮がありました。私はもともとああいうことに興味がなかったし、なによりも金がありませんでしたので、まったく手を出しませんでしたが、まあ人からどれだけいろいろ言われたか。でもあれも結果としてみれば、そういうふうに土地や株を動かすことによってのみ儲けられる人たちがいたのですね。その人たちに乗せられていたのがバブルです。

  最近でのそういうものといえば、アロマオイルとかハーブ、すこし前だとアンティークでしょうか。

  週刊誌などで、これからは○○だ、というような記事が見られるときは気をつけなければなりません。ちょっと横道に逸れてしまいました。

  つまり、みなさまが在宅ケアこそ患者の自己決定の最たるものだと考えておられることが、じつは誰かが意識してみなさんに刷り込んだものであるかもしれないということなんです。

  今回の私のお話が、在宅ケアのすばらしさを説明するものであろう、在宅ケアをするためにどうすればいいのかというような情報を得られるであろうと思っておいでになったかたにはちょっと申し訳ないのですが、私はとりあえず在宅ケアを否定するような話から始めることにいたします。
 
 

ゴールドプランの背景

 21世紀の高齢社会を睨んで、日本では1989年にゴールドプラン、1994年にされを改訂した新ゴールドプランが制定されて、全体の制度としての在宅推進が着々と進められてきました。ゴールドプランは、在宅療養をメインとして、それを援助するものとしての施設を作り、今世紀末に問題になっている社会的入院、要するに介護だけが必要なかたに対してのサポート体制を提示するものとなり、そしてそのプランから介護保険のアイデアができてきました。

  つまりゴールドプラン制定の時点ですでに、国は、施設ケアでなく在宅ケアを主とすることを決定していたと考えて間違いありません。そして、その理由は、経費としては施設ケアより在宅ケアのほうがずっと安上がりだからです。なぜ安上がりかといいますと、在宅では家族という無償の労働力を利用できるからにほかなりません。

  で、介護保険のアイデアが具体化する前から、医療保険の分野では在宅医療を推進する施策がつぎつぎととられてきました。1986年の老人保健法改正による老人保健施設の創設、1991年の老人保健法再改正による訪問看護ステーションの制度化、そして度重なる診療報酬制度での長期入院や薬代の締めつけと、それに代わる在宅関連の報酬の大盤振る舞いなどがあります。

  さらにそういう制度とは別に、巧妙にプロパガンダされたとしか思えない「在宅療養賛美」の風潮がはっきりとありました。たとえば山崎章郎さんの著書「病院で死ぬということ」がベストセラー、ロングセラーになりました。これは、もちろん山崎さんのすばらしさがご著書ににじみ出てみなさんに感銘を与えたからでもありますが、じつは、私は、在宅ケアへの誘導にうまく利用されてしまったのではないかとさえ思っています。「病院で死ぬということ」は初版が発行されたときはそれほど注目されなかったのに、ある時期突然売れだしたのに気づいたかたはどれくらいおられるでしょうか。

  この時期、じっさいに在宅医療にずっと深く関わっている私など、在宅療養はそんなに生易しいものではない、非常にたいへんなんだとずっと言い続けてきましたが、ま、そういう声は大きくはなりませんでした。

  しかし、在宅への推進を制度として進めようとしても、厚生省の思惑どおりには進まなかったのではないでしょうか。その理由のひとつに、肝腎の医師たちの動きがいかに診療報酬で優遇されても、なかなか鈍かったことがあると私は思っています。

  それと並行して介護保険の制度が具体化してきたわけです。
 
 

医療系在宅と介護系在宅

 ところで、在宅ケアの話をするときに気をつけなければならないことがあります。

  それは、ひとくちに在宅ケア、在宅療養といっても、まったく性質の違ったふたつのものがあるということです。

  私はこれを「医療系の在宅」と「介護系の在宅」といっています。在宅の話題を扱うときには、この点をはっきりさせておかなければ、話が噛み合わなくなってしまいますから、注意が必要です。

  高齢のかたの寝たきりや、重度の障害のかたの長期の療養を在宅でなさる場合があります。こちらは医療よりも介護、生活の支援がより必要です。

  ただし、医療のサポートが全く不要なわけはなく、別のみかたでの医療が必要な場合が多くあります。その場合の対応をご参考までに _**レジュメ**_ の**表1**に提示しました。

  これに対して、医療系とは、いわゆる在宅ホスピス、つまり、癌などの末期のケアや、人工透析、神経難病たとえば筋萎縮性側索硬化症とか脊髄小脳変性症などの在宅ケアなど、医療行為、それもかなり高度な医療行為が必要なものです。

  この場合は、生活に対する援助よりも、医療の援助により重点をおかなくてはなりません。麻薬を使ったり、高度な医療機器を使っていることも少なくありません。

  これらに関して、現状の健康保険の制度には、 _**レジュメ**_ の**表2**に書いたような在宅対応がありまして、それなりにサポートする医療機関に対する報酬が用意されています。

  このふたつの在宅ケアをごっちゃにして話をすすめますと、議論が噛み合わなくなってきたり、間違った結論に向かってしまったりしますので、注意が必要です。

  私自身は療法の在宅ケアのおてつだいをしていますが、でも数のうえではやはり介護系のかたのほうがずっと多いので、これからのお話は主として介護系の在宅療養を頭においてお聞きください。
 
 

在宅ケアの条件

 そもそもずっと昔、日本では在宅で療養することは普通でした。かかりつけの医者は気軽に往診してくれました。ところが、高度成長期に、病気は病院に入院して治すもの、死は病院で迎えるものというのがいつのまにか普通になってしまいました。

  そして、とくに高齢者の長期入院が問題になり、医療費の高騰が問題になってきたころ、主として米国の在宅ケアのことが紹介されることが多くなり、在宅ケアのすばらしさがいろいろと紹介されるようになってきました。それがさきほど言いましたプロパガンダの始まりであったのではないでしょうか。

  しかし、すでに当時在宅のサポートをしていた私は、米国の在宅の事情を紹介されても、それがどないしたん、という態度を取りつづけました。それはかの地と日本の事情があまりにも違うからです。

  では、私なりに考えている、在宅ケアをするためにはどのような条件が必要かをお話します。 _**レジュメ**_ の**表3**です。

  その第一は住宅です。意外に思われるかもしれませんが、私が在宅療養の支援を続けてきて、最初に思ったことがこれ、しかも今でもそう感じています。

  在宅療養をなさっていますと、当然療養のための部屋が必要です。多くの場合ベッドを置きますし、介護のためのスペースがいりますし、器材類を置く場所も必要です。健康な人が眠るためのベッドを置くだけの大きさではまず無理です。いかに寝たきりだとはいっても、ときには病院に出かけなければならないこともありましょうし、入浴サービスに連れていっていただくために、ストレッチャーという移動寝台を入れるスペースがいります。訪問入浴サービスの場合は、ふつうはベッドに平行して浴槽をセットします。ストレッチャーでなく車いすであっても、ベッドに横付けできなければなりません。

  車いすで移動できる程度の病状でしたら、食事はご家族といっしょにしたいところですし、たまには外を散歩もしたいものですが、日本家屋の床にはけっこう段差がありますし、玄関から土間に出るにも段がありますね。川西市やこの宝塚市では門から道路まで階段になっているお宅が珍しくないでしょう。エレベータのない中層集合住宅ではもうどうにもなりません。建った時期が古い市営、県営などの公営住宅の多くがこのタイプで、しかもそういうところに高齢者世帯が多くあります。ただ、余談ですが、震災後にできた公営住宅は、さすがにバリアフリーの思想が徹底されていて嬉しいかぎりです。

  最近、大企業が在宅療養関連に続々進出してきています。儲かりそうなら何にでも手を出すという姿勢は下品きわまりないと私は思いますが、在宅支援に米国のノウハウを持ってきたものの、思ったほど業績が上がっていないらしい会社もあるようです。その理由のひとつに、日本と米国の住環境の違いがあると私は思っています。

  つぎに重要なのはとうぜんのことですが介護なさるご家族です。

  患者さんの介護を継続して中心になってなさるキーパーソンが絶対に必要です。複数のご家族が交替で、とか、隣の家に住んでいて世話をする、などという場合はトラブルをまねきがちです。病状の変化などに気がつくのが遅くなったり、介護の責任の所在がはっきりしなくて、サポートスタッフとの連絡がうまくいかなかったりします。そして、だれかが中心になって介護するということになりますと、ご家族のうちのある一人に大きな負担がかってくるのは当然です。問題なのは、その多くが妻や嫁などの女性だという点であります。主婦である女性が介護という仕事にも当たらなくてはならないケースが非常に多いのです。

  主婦業に加えて介護にもあたるわけですから、主要な介護者以外のご家族は、介護者の介護以外の部分の負担をできるだけ減らせてあげるような協力がぜったいに必要になります。そして、それを理解していない男がまだまだ多い。

  この問題は今回の主題ではありませんのでこれ以上触れませんが、日本の男性がたは、言葉だけの男女機会均等などというのではなく、本気になって意識改革をしなければどうしようもないところになっていることを理解していただかなくてはなりません。

  ただ、ニッポンの男の名誉のために急いでつけ加えておきますが、非常に几帳面で熱心な介護をしておられる男性、あるいは、介護に当たっている妻のために家事分担を積極的にしておられる夫、というかたも、多くはないものの、おられます。

  つぎに公的な制度です。介護保険のことは時間があればのちほどご説明しますので、ここでは現在の制度について簡単にお話したいと思います。 _**レジュメ**_ の**表4**です。

  在宅ケアをサポートする制度として、医療側では訪問看護や訪問診察、訪問リハビリテーション、デイケア、ショートステイなどがあり、福祉行政のほうでデイサービス、ショートステイ、ホームヘルパー派遣、入浴サービスなどがあります。

  福祉、といいますと、これはたとえば経済的に困っている人や、弱者が受けるもの、「ほどこし」である、普通の市民は受けられない、あるいは福祉の世話にはならん、と考えていらっしゃるかたがまだまだ多いようです。でもそれは違います。若いころから一生懸命働いてこの国を維持してこられた高齢者は、いまの身体や生活に合わせてすべての人が福祉のサービスを受ける権利があり、またそれは何も恥ずかしいことではありません。

  福祉の窓口で「ほどこしを受けているような応対をされた」と感じたというようなお話をたまに聞きますが、そういうときこそ抗議の声をあげましょう。なにもお役所から、あるいは窓口のお役人からほどこしを受けるわけではありません。

  演歌な介護、とおっしゃったかたがおられます。また、私はかねがね、ずぼらな介護、ということを提言しています。在宅ケアをうまく続けるためには、バックアップをうまくしてもらうよう、福祉制度を主体としていわゆる社会資源を可能な限り利用することが必要です。

  ところで、これらはいずれにしましてもすべて最後にはマンパワーです。人手がいります。政府は新ゴールドプランで施設の数やヘルパーの人数を大きく設定しています。ところで、新ゴールドプランに想定されているヘルパーさんや施設の介護職員には誰がなるのでしょう。

  新ゴールドプランではホームヘルパーの数を全国で17万人としています。日本の成人人口を1億人くらいとして、ヘルパーさんになっていただけそうなほとんどが女性として単純に計算しますと 300人に一人くらいがヘルパーさんである必要があります。そんなになり手がおられるでしょうか。みなさんの周囲におられるでしょうか。そしてとうぜん現在ははるかにヘルパーさんの数が少ないのはいうまでもありません。

  そのうえ、ヘルパーさんや施設の介護職員の待遇は信じられないくらい悪いのが現実です。正職員でない不安定な立場で仕事はきつく、そのうえ賃金はきわめて安いんですよ。身体をこわしたり、燃え尽きたりして仕事をやめてしまうヘルパーさんが少なくないという話は、どこの職場ででも聞いています。

  そのことはさておき、制度についてもうすこし詳しく説明しておきます。

  訪問看護や訪問診察は、ふだん病状が安定しているときには、正直なところどうしても必要だということがないことも少なくありません。とくに介護系の在宅ケアの場合にはそうです。

  問題はなにかの変化があったときのサポート体制だと思います。経験なさっていないかたなどはきっと救急車を呼べばいいじゃないか、とお考えになるかもしれません。しかしそれではだめなのです。もともと入院すると長期になりかねない高齢のかたや難病のかた、あるいはいろんな点でたいへんな末期癌の患者さんの受け入れを渋る病院が少なくありませんし、ましてや自宅で寝たきりで療養しているなどという情報を聞くと断られる恐れがじゅうぶんにあります。けっきょく遠く離れた病院にいかざるをえないというような事態になります。また、救急車を呼ぶほどではないにしても、時間外や休日にちょっと相談したいというようなことも少なくないでしょう。

  私は、こういうサポートをこそ公的病院がすべきだと思っています。地域の在宅療養中の患者さんの情報は市町村で完全に把握されるわけですから、あ、これには説明が必要ですね。訪問看護ステーションが訪問看護している患者さんについては、たいてい簡単な報告書を毎月各市長村長宛に提出しています。つまり市町村の担当部署では、少なくとも訪問看護中の患者さんについてはある程度把握できているのです。ですからその患者さんたちをともかく一時的にでも収容するべきベッドを、公的医療機関に確保すべきだと思うのです。

  私の場合は母体が救急病院ですから、そういう場面に普通は対処できるのですが、現在も将来も想定されている在宅療養では、訪問看護ステーションと家庭医としての開業医の先生がたとの連携で医療面をサポートするようになっていますから、緊急時の対応については必ず考えておかなければならないのですが、私の印象ではそこのところは頬かむりされているように感じるのです。

  救急車を頼むということができない場合がもうひとつあります。それは事態の急変が患者さんご自身ではない場合です。つまり介護なさっているご家族が病気になったとか、急に家を明けなければならなくなったとか、あるいは記憶に新しい大震災などのような災害に関わる場合です。

  予定できる場合はショートステイという方法がとれます。しかし急な場合はどうしようもないことが多いのです。もっとも、福祉のショートステイでは、緊急の場合にはなんとか対応しようとしてくれる自治体もありますし、ちょっとだけ宣伝させていただければ、私の施設でもなるべく緊急ショートステイを受け入れる方向で動いています。

  さて、最期を自宅で看取りたいというご希望がある場合に、その最期のときをちゃんとサポートしてもらえるだろうかという不安があります。いざとなったら病院に運ばざるをえない状況になりそうだったり、ちゃんとした死亡診断書を書いてもらえないのではないかという点、世間から「何もしないで見殺しにした」といわれないだろうかという心配。

  こういう不安要因があるうちは、なかなか在宅療養に踏み切れないのは無理からぬことだと思うのです。

   _**レジュメ**_ の**表5**は在宅療養の支援を目的としている施設の比較表です。ある意味では、在宅でなく施設療養のための施設ともいえるものですが、現在のところ「入所」という形で介護系のケアができるところはこの四つですし、これは介護保険下になっても、病院のふたつは指定介護療養型医療施設、老人保健施設は介護老人保健施設、特別養護老人ホームは介護老人福祉施設と名前をかえて存続することになっています。

  詳しい説明は省きますが、時間がありましたらあとですこしお話いたします。
 
 

どういう場合に失敗するか

 さて、つぎに非常になまなましいお話になるかもしれませんが、在宅療養をいくつかのパターンに分類して、どういう場合はうまくいって、どううものだと失敗しやすいかということを私の経験から考えてみたいと思います。

  誰が在宅を望んでいるかということを考えてみると、 _**レジュメ**_ **表6**のような4種類の組み合わせになると考えられます。

  私の場合、カルテなどのどこにも記載したりはしていませんが、頭の中では各患者さんについて、どの状況なのかをよく考えて行動しています。そうしておかないと、同じアクシデントでも患者さんの側のニーズには違いがあるので、患者さんやご家族、そしてわれわれ医療者にも無用の混乱とストレスを起こすもとになるのです。

  在宅療養にあたって最も理想的なのはいうまでもなく1のパターンでしょう。そしてその対極は4ということになります。じっさいサポートにあたる側にとっても、1の場合と4の場合とでは対応にきわめて大きな違いがあることはお分かりいただけるでしょう。

  1の場合の典型的なのが、高齢の寝たきりのかたが、いわば老衰という形で最期を迎えられる場合とか、あるいは告知を受けた悪性腫瘍末期の患者さんに対する「在宅ホスピス」の場合などです。最期の時期にはとくに医療チームは、いろいろな意味でかなりの負担を覚悟しなければなりませんが、しかし反面、在宅医療に携わっていてよかったと「やりがい」を実感することが多いものであることも確かです。

  患者さんが家に居たいと強く希望し、ご家族が一致してその患者さんの希望をかなえてあげようと真剣に思っておられる熱意を感じますと、私たちサポート側も非常にリキが入るものです。仕事とはいえ私たちも感情を持った人間です。

  4の場合の多くは、患者さんやご家族が意に反して在宅療養せざるをえなくなっているということで、医療や福祉に対する不満を持っておられることが少なくなく、在宅チームの対応によってはいろいろなトラブルになることもありますので、別の意味でやはりたいへん気を遣います。

  しかしながら、逆説的になるかもしれませんが、在宅医療に従事する者に対しては、じつはこの4のケースについて最も期待されているはずです。これは、行政や医療機関、福祉施設などからの期待もありますし、患者さんの側からもあります。在宅医療・福祉チームは、患者さん側からは施設療養でのキュア、ケアの完全な代理を在宅チームに求めている場合が多いのですし、行政や施設からは、退院や退所の条件としての手厚い在宅医療・福祉を「餌」として提示されていることがあります。

  また、最近はすこしはマシなようですが、大きな病院の多くが在宅ケアについて実情をほとんど理解していないのではないか、理解していないのだからそれに対してどうサポートするかという頭もないのではないかと思えます。三ヶ月を過ぎて長期になったから、あるいはたとえ障害が残っていても内科の治療はすんだから退院しなさい、しかしその後をどうするかということは患者さんの側で考えなさい、という冷たい対応をされたということもよく聞きます。

  アフターケアなしに長期を理由に退院させられ、ここではあえてさせられ、といっておきますが、しかるべき施設の手当ができずにやむをえず在宅で療養なさる場合。福祉面や医療面のサポートに関する情報がほとんど与えられていないので、介護者が悲壮な覚悟で頑張っておられることが多いような印象がありますが、こういう場合は長続きしない、介護者が燃えつきてしまったり、体調を崩したりしやすいのです。

  2の、患者さんが望んでご家族はできれば入院させていたいというケース。これもまことに多いものです。患者さんはすでに医療を必要としない状態であっても、しかし再発するのではないかとか、自己管理ができないなどの理由でご家族が在宅に難色を示されるようです。

  あるいは単に介護の手がとれないのが理由の場合もあります。いずれにしても2のケースでは、患者さんへのバックアップよりも介護者へのバックアップを考えなければならない場合が増えると考えてよさそうです。

  3についてはある意味ではちょっと問題があります。患者さんご本人の意思に反してご家族が家でみたいとおっしゃるわけで、こういうケースのなかには遺産相続を巡っての家族間の確執や嫁姑小姑のゴタゴタなどが関係していることを私は少なからず経験しており、そういうゴダゴタに在宅チームが巻き込まれないよう注意が必要な場合があります。

  親は長男が見るものだ、などという、いわばミエで介護しようとする場合もあります。長男の家ですから、介護は「嫁」がすることになるのがほとんどです。嫁はまた主婦業のまっただなかにあります。奥さまにご自分の親の介護をしてもらっているわけですから、ご主人は介護や家事に充分協力すべきなのですが、えてしてお仕事おお忙しだったり、協力するスベを知らなかったり、家事も介護も女の仕事だという石頭だったりしますと、これは破綻します。介護に心がこもっているかどうかは、しばらくお付き合いすれば、私たちには見えてしまいます。

  在宅ケアのサポートというのは、ご家庭の中ある程度入り込んでいかざるをえませんので、いかに線をきちっと引いておくか、これはけっこう大切な問題であります。もっとも、いわゆる植物状態や高度の痴呆のある場合にはご本人の意思の確認というものは不可能であり、この場合は現実にはご家族の意向を尊重するしかありません。
 
 

介護保険

 それでは最後に一年後から始まる介護保険の制度についてご説明しておきます。

  介護保険は、21世紀の超高齢化社会の対策として考えられたもので、『介護を要する状態の人たちが、それぞれの能力に応じて自立した生活をおくれるように、必要な医療や福祉のサービスを行なうことができるように』という目的で創設されました。

  この制度は、現在の老人福祉法と老人保健法の一部を合わせ、現実に即したものにしてできています。

   _**レジュメ**_ の**図2**が、それぞれのどのサービスを介護保険でカバーするのかという概念です。

  このように、これまでは、医療と福祉で似て非なるサービスが混在し、またそれぞれのサービスがバラバラに提供される傾向にあったのを一元化し、在宅ケアを総合的にサポートしようというもので、その方向については、じっさいに在宅に関係した現場にいる私から見てもなかなかよくできたものであると思えます。

  さて、で、実際にどのようなサービスが行われることになるのかということを _**レジュメ**_ の**表7**にまとめておきます。
 
 

介護保険の問題点

 今年は介護支援専門員の試験もありましたし、全市町村でモデル事業が始まっており、事実上もう介護保険は始まっているわけですが、ではこの保険で考えられる問題点はどんなものがあるのか、私が現場例連から思いついたことをご紹介しておきます。

  まず、介護保険は高齢者の多くが対象になるというように錯覚しますが、じつはそれほど多くはないという事実があります。

  厚生省の試算、これにもあとで少し触れますように、厚生省に都合のよい試算が少なくなくてけっこう問題はあるのですが、ま、とりあえずその試算によりますと、介護保険実施の2000年の時点での第一号被保険者つまり65才以上の人口は約2200万人、そのうち、虚弱の人を含めた要介護要支援の状態の人は約280万人とされています。この人たち全員が介護保険の適用を受けても、その率は12.7%。つまり87.3%のかたはサービスを受けません。

  第二号被保険者にいたっては、人口4300万人のうち10万人と推定されていますから、0.23%にしかすぎません。

  掛け捨て保険であるとはいえ、なんとなく釈然としないものです。

  つぎに介護保健法はその第一条『加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり…』とありまして、給付対象を老化に関係する疾病と限定しています。とくに第二号被保険者の場合はさらに具体的に政令で限定されることになっています。たとえば階段から転落して脳の外傷で寝たきりになったような場合は適用されませんし、しかも保険料は徴収され続けるという情けないことになります。

  当然のことながら、先天性の障害や一部を除いて難病も対象外であります。

  さて、介護保険の目的のひとつに社会的入院の解消というのがあるのですが、ほんとうにそれはなくなるのでしょうか。

  厚生省による社会的入院の定義は『介護のみ必要で医療は必要としていない入院』となっています。そしてその数は、70万人、そのうち半年以上入院している高齢者が28万人で、その40%程度の17万人が本当の意味での社会的入院だといっています。

  しかし現実には福祉施設に入所している人でも医療の必要な人は少なくないし、在宅の人でも必要な人がいらっしゃるのは、訪問看護という制度があることからも明らかです。だから、社会的入院の定義とは『入院するほど医療が必要でない人が入院していること』というのが正しいはずです。

  ところで、なんだかペテンのような話ですが、療養型病床群の病院とは、その社会的入院直前の入院患者さんに対する『医療的なケアをしながら生活を重要視した施設』とされていますが、じっさいにはここでの医療的なケアは名目だけのことで、おそらく老人保健施設での医療ケアと現実にはそれほど変らないはずです。なのにコストは一ヶ月あたりひとり16万円もよけいにかかっています。その高コストは人件費、とくに医者のそれや、施設の償却費用なのです。

  厚生省は自身がいう17万人の社会的入院を介護保険下に移すことによって医療費を低減できるとしていますが、じっさいには『入院するほど医療が必要でない人が入院している』数はそれほど減らず、けっきょく逆に介護保険で高コストの社会的入院を温存してしまうことになるのではないでしょうか。

  さらに、療養型病床への転換が間に合わないとみるや、今年の3月10日には正式に介護力強化病院(いわゆる老人病院)も申請すれば3年間の猶予をもって介護療養型医療施設とみなすということを決めました。これは劣悪な環境の老人病院をそのまま追認したということになります。なぜ療養型施設に「指定」という接頭語がついていたのかが分かりましたね。指定さえすれば、さきほど説明いたしましたような、古い古い規格で作られて療養ということにほど遠い病院でも、療養型医療施設と名乗れるわけです。ついでながら、介護力強化病院といえば聞こえはいいのですが、これは極端にいえば介護力を強化するかわりに、医療力を落としてもいい、という制度であります。

  これは、社会的入院の合法化にほかなりません。

  いまから分かっている問題点はそれくらいにしまして、じっさいに制度が始まってからはどうかということを考えてみたいと思います。

  医療を受けるためには、医療期間の窓口に出向いて申し込みをすれば、ほとんどの場合その場で対応され始めるのが普通です。どんな対応をしてくれるのかということは今回はちょっと置いておきます。介護保険の場合、給付を受けたいと思ったときに、すぐに対応してくれることは例外になります。それは _**レジュメ**_ の**表7**にある『特例居宅サービス』という制度です。これはともかく緊急を要するので先にサービスを開始し、追認して給付するというものですが、おそらくこれについては適用される範囲は限定されるに違いありません。

  ですから、通常の場合はに _**レジュメ**_ の**図3*あるような手続ならびに検討を経て給付の決定がなされます。

  現在の福祉制度では、何らかの相談が市町村の担当部署に持ち込まれますと、担当者が訪問し、必要なら翌日からでもサービスが開始されます。正確には開始することもできます、ですが。しかし介護保険下では、いくつもの手続や会議があって、おそらく迅速な対応は無理でしょう。また、すでにモデル事業でも指摘されていますが、かかりつけ医意見書がなかなか書いてもらえないという恐れがあります。医者はなかなか書類を迅速に処理してくれないのようです。

  入口になる訪問調査こそ、私どもの施設のような居宅支援事業者は、企業活動として委託された認定調査員を即座に派遣する努力はすることになりましょう。いわばお客さんですからね。しかし、その調査が当日にできたとしても、介護認定審査会がすぐに審査してくれるとは限りません。やはり通常は順番待ちということになりますでしょう。30日という期限があるので、こういう場合はこれまでの例からしておそらく30日ぎりぎりに認定通知がくるのではないでしょうか。

  つぎに公平な認定ができるかという問題があります。ま、世の中これほど賄賂がはびこってますと、私など人を信用しないほうなので、ついいらんことを考えてしまうわけですが、まあそこまでひどい話ではなくとも、認定を受ける人の状態は日々一定ではないでしょうし、それを一時間程度の調査で正確公平に判定できるとは思えません。また調査員の職種というか出自によってもバラつきがでるおそれを感じます。

  医療系の調査員だと個個の活動性に重点を置いてしまい、生活全体としての質を見極めにくい傾向があるのではないかと思いますし、福祉系の調査員だと生活を見るあまり身体的な条件を軽視することがあるかもしけません。

  また、より手厚い給付を受けようとして、障害が強いように装うことも不可能ではありません。いま身体障害者手帳の認定をごまかしまくった和歌山の夫婦のことが話題になっていますね。笑い話ですが、お年寄り対象の介護認定のための塾を作れば流行るのではないかなどというのもあります。

  モデル事業でも看護認定審査会で調査員の一次判定を、かかりつけ医の意見書も加味して修正した割合が3割以上という報告もあります。ついでながらモデル事業での介護認定審査は1件あたり平均5分程度であったということです。

  それで、このような認定に不服を感じる人がいがいにおおぜい出てくる可能性が予想されますし、件数をさばくことができずに期限を大幅に越えて通知できなくなったりも予想されますので、都道府県に設置される介護保険審査会への不服申し立てが殺到することも考えられないことではありません。

  この介護保険審査会は、やはり非常勤の委員が9人程度とされていますから、こちらのほうもさばけなくなるおそれがあります。ちなみに、1995年に同じような制度が実施されたドイツでは、スタートから一年の間に8万件の不服申し立てがあったということです。

  さて、つぎにわれわれの経済的負担の増大の問題です。いまのところ介護保険開始時の第一号被保険者のひとりあたり保険料は月額2500円程度といわれていますが、高齢者人口のピークは2020年だといわれていますから、その後の財源の必要量は増えるばかり、したがって保険料も間違いなくアップするでしょう。法129条で国庫財政を見つつ3年ごとに見直しをするように謳われています。

  また定額の保険料は、低所得であればあるほど負担が大きいことはいうまでもありません。年金が支給されていればそこから天引きされてしまうので、なんだか「搾取」という言葉さえ浮かんできます。

  つぎに、実際に介護給付を受ける場合のことを考えてみますと、重度の障害で介護度が高いほど給付金額は高く、これはじっさいにはサービスで提供されることになるのでしょうが、その場合には定率1割の利用者負担ということで、やはりじっさいに負担は多くなります。寝たきりで月30万円分のサービスを受けられるとしたら、利用者は3万円を負担しなければなりませんが、現実に1万円しか負担できないとなると10万円分のサービスしか利用できないということになります。

  現在の福祉サービスでは、利用者の負担額は利用者の所得に応じた負担ですので、同じサービスを受ける、とくに低所得者にとっては明らかに負担増となります。いまのところ低所得者に対する減免規定が介護保険制度にはありませんので、負担できない場合はケアプランをフルに利用することを諦めなくてはなりません。

  居宅介護支援事業には営利企業の参入も認められていますから、利用者負担ができない人の場合はサービスの提供を拒否されることになるかもしれません。施設でも入所拒否などをされることになるかもしれません。私の施設のことを考えますと、おそらくギリギリの運営でしかできないでしょうから、やはり利用者負担のできない人は敬遠するしかないと思われます。サービス提供側にとっても収入の1割が減るのはリスクが高すぎます。

  さらに保健外負担のことがあります。

  医療保険では保険給付と保険外負担の併用は「混合診療」として禁止されていますが、介護保険では保険給付に上乗せしてサービスを受けることは禁じられていません。レジュメ4ページの表5を見ていただければお分かりかと思いますが、たとえば日中独居、つまり家族が全部仕事をしていて昼間は一人暮らしになる場合、要介護Tでは一日分空いてしまう日があります。週休二日だろというのはお役所の論理でしかないでしょう。ではその一日をもう一回分ヘルパーさんに来ていただきたいとすれば、その分はまるまる利用者負担ということになるわけです。

  医療保険と同じようにサービスを「最低限」ではなく「充分量」にして上乗せを禁止するのがスジだと思うのです。

  さて、まあお金のことはどうにかなったといたしましょう。

  いよいよケアプランが提示されて、金はなんとかやりくりすることができそうだと、でようやく家族の介護もすこし楽になる、あるいはしばらく施設に入って家族を休ませてあげようとして、サービスを申し込んでも、肝心の供給がないという事態が考えられます。

  またおそらくホームヘルパーもたらないと思います。じつは、ヘルパーの多く、8割といわれていますが、身分の不安定な非常勤、つまりパートタイマーでまかなわれているのも原因です。非常勤職員の労働条件や待遇はきわめて低レベルで、身分保障もじゅうぶんではありません。

  もうひとつ、ホームヘルパーには家事だけをする3級と身体介護をできる2級がありますが、しかし2級ホームヘルパーといえども医療職ではありませんので、たとえば経管栄養、鼻などから胃に入れた管を通して流動食を入れる栄養法ですが、これの介助はしません。痰を吸い取る吸引という処置もしないよう指導されているとききます。寝たきりに近いかた中にはこれらの処置が介護の大きな部分を占めている場合がありまして、そういう場合はヘルパー派遣はあまり介護負担の軽減にはならないわけです。

  救急隊の救急救命士のような、ある程度の医療類似行為もヘルパーに認めるような制度の検討が必要です。

  さて、では施設はどうでしょうか。じつは数のうえではなんとか目標に近づいているようです。

  ところで、現制度では、特別養護老人ホームは行政の措置で入所しますから、市町村の行政境界が入所に影響しています。介護保険では、じっさいには他の市町村の施設を利用することも可能になります。老人保健施設と病院はもともと市町村の壁はありません。

  そうしますと、たとえば川西市にある私の施設に、たとえば老人保健施設のない猪名川町や能勢町や池田市のかたが入所なさることはじゅうぶんありえます。現在はもちろんあります。市町村の人口で施設の定数を決めていても、それはあまり意味はないのではないでしょうか。

  そのうえ、療養型病床群の病院と老人保健施設は、現在は医療法、介護保険法では介護保険事業支援計画の必要入所定員総数の規制で、その数字が満たされている地域では新設は認められません。

  そして、特別養護老人ホームでは、介護保険開始時に入所なさっているかたは5年間の猶予で無条件に入所が認められます。それはいいのですが、ある統計では、特別養護老人ホーム入所者のうち要介護度Xの人は16%しかいないというものがあります。5年が過ぎますと、要介護判定に従って退所ざるをえない人が続出する可能性があるわけです。つい先日、高知県の試算が発表されまして、14%のかたが要支援または自立として退所させらるだろうという報告がありました。

  また、現在特別養護老人ホーム入所者が入院した場合には3ヶ月程度以内であれば特別養護老人ホームでの場が確保されますが、介護保険実施後は、入院すると即医療保険の適用になりますから、特別養護老人ホームは即日退所となってしまいます。
 
 

さいごに

 現に重介護のお母さんをみておられる私の知人が奇しくもおっしゃっていました。

  介護は、原則的には施設でしてもらうべきである、そのなかで在宅を希望するかたには、充分なサポートの下で在宅「も」選んでもらえるというのが正しいはずだ、と。

  国立病院医療センターという、日本の病院のおそらく最高峰のところで何年間もお母さまが入院なさっておられるかたがおられました。前の首相です。きっとご自身もこの私の知人と同じお考えなのでしょう。それにしては、そのかたが統括してきたこのニッポンという国の制度、施設や病院での介護は許さぬという態度が強烈なのはなんとなく釈然としませんね。

  今日の話は、おそらくみなさまのご期待とは逆に在宅ケアへの期待に水をかけるようなものだったかもしれません。

  現実には長期の入院を許されない事実があり、これとは別に病院での非人間的な扱いに辟易して、すすんで在宅ケアを選ぶかたがおいでになるわけです。また、いまここにおいでのかたのなかには、人生の最後のときは自宅で静かに過ごしたいとお思いのかたもおられると思います。私自身もそうです。私は医療機関の内情を知っているからよけいに病院で過ごしたくないと思ったりします。

  それで、最後にもういちど私自身の考えを申し上げておきます。

  私は、自分が療養する身になったら、やはり自宅で過ごしたい。けど、条件が許されるだろうかと不安は不安です。


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