で、テーマとしてこのような振りかぶったものになってしまったわけで、今日が近づいてきて何をお話しようかと思えば思うほど、なんと無謀でつかみ所のないテーマにしてしまったものかと後悔ばかりしておりました。
そういうわけで、おそらくとりとめのない話になってのではないかと心配ですが、たまにはこういう漠然としたものでもお許しいただけるかと、ともかく話題提供としてすこしお時間をいただくことにいたします。
老人保健施設の医者であって、訪問診療もしておれば、私が関係しているかたのほとんどが介護保険の対象になるかたなのは当然で、私はおそらく 200通は意見書を書かねばならないだろうと覚悟をしています。よけいなことですが、川西市だけではなく、近隣の池田・宝塚・伊丹・能勢・豊能・猪名川などの意見書が届けられますので、この北摂の市や町それぞれの介護保険に対する姿勢の違いがけっこう見えるようです。おもしろがっては不謹慎なのでしょうが。
ちょっと話が脱線しましたが、それで、この介護保険制度こそが「医療と福祉のはざま」ではないかと私は考えています。ということは、これまでこの「はざま」が抜け落ちていた、あるいは溝があった、そして、かろうじて私がいま勤務している老人保健施設や訪問看護というものが、「はざま」というか「すきま」というか、そういう仕事をしていたのではないでしょうか。
冗談はさておき、制度からみますと、これまでの医療保険のうちの老人保健の多くの部分が介護保険に移行し、福祉制度の「措置」のうち、身体介護の部分が介護保険に移動してきたということになっています。たまたま「福祉の措置」とされてきたもののなかに医療的な考えかたが必要な部分があり、医療と考えられてきたもののなかに「生活をみる」視点が必要なところがあったということでしょう。それが介護保険として統合されたということになります。
現になんらかの介護系のサービスを受けておられるかたのなかに、要支援や自立の判定のかたが続出しているのです。これは川西市でも同じ傾向にあります。
ところが、実際にどういうサービスを受けておられるかというと、大部分が「家事介護」や「デイサービス」、つまり、掃除や洗濯、買い物のヘルプや、デイサービスセンターでの入浴やレクリエーションなどです。つまり、これらは、医療とはあまり関連しない、社会的、家庭的な問題が原因のものです。
そう考えますと、これからの福祉制度は、その本来のもともとのはじまりである「生活をみる」という部分に集中できることになると、私は思うわけです。これら自立や要支援のかたの援助は当然福祉で行うべきで、介護保険の始まりと同時に、市はこの新たな福祉制度を初めていただかなくてはなりません。
ご存じのように、医療機関は「高度医療」を担当するところと、「指定介護療養型医療施設」のような介護のためのところに分化せざるをえません。それぞれの医療機関、あるいは、それぞれの医者は、みずからがその軸のどの位置で仕事をしているのか、つねに計っていなければならないし、その位置に応じた戦略が必要であり、またその位置での研鑚を求められることになります。
それぞれの開業の先生がたがどの位置、協立病院だったらどこ、ベリタス病院は、という具体的なことになりますと、もっと細かいスケールでの位置のチェックが必要になると思われます。
念のために申し上げますと、これらの医療・介護・福祉の軸はけっして途中で切れているわけではなく、あたかもグラデーションのように境界不鮮明に連続しているのです。
ですから、私など、メインは介護軸の医療側の端にいつつも、しばしば医療軸の介護側に近い部分にちょっかいを出しにいったりするし、たまには福祉領域のおせっかいまでしたりするわけです。
しかし、いかに医者のライセンスを持っているからといっても、いまや私が高度医療の部分に手をだそうと考えるのは身のほど知らずであり、ハタ迷惑でありましょう。大学の出身医局の同門会などで後輩が最新の検査や手術手技のことを話題にしているのを聞き、それに合わせた話ができないのは、しょうしょう寂しくもありますが、逆に同年輩でぼつぼつ第一線からリタイヤを考えている脳外科医が、私の仕事について尋ねてくる場面も増えてきています。
医者でいえば、開業の先生がた、地域医療に特化している協立病院のような急性期病院で勤務する医者も、ご本人がどうお考えになろうとも、以前なら「はざま」となっていたところにも入らざるをえないと思います。
しかし、急性期病院や市立系の病院の勤務医たちは、こういう問題意識をいちばん持っていないように思えてなりません。困ったものです。
しかし、現役時代から、脳外科的疾患の経過、結果としての重度障害の患者さんのサポートにいろいろ考えがあったので、手術から離れてからもその仕事だけは続けようと思ったわけです。
そのひとつの方法としてやりだしたのが、在宅医療でありまして、それは今のように「在宅」が制度として推進されるよりかなり前からでした。思い返せばもう10年以上前になります。
住居の問題、家族の問題、社会の問題など、医療の世界ではなかなか見えていなかったさまざまなことが、ちょっと困るぐらいのリアリティを感じるような具合になってきました。もともと私は医療とはまったく縁のない環境で育ってきましたから、逆に抵抗なくそういう問題を受け入れることができたのかもしれません。
そういう仕事を続けていますと、病院の外来で診察していても、つい患者さんの背景まで考えてしまいます。それが医者の仕事として正しいのかどうか、私にはわかりませんが、少なくともその意識が「医療と福祉のはざま」で仕事をしようと思った動機のひとつ、かつ、そうせざるをえなくなった原因のひとつだと思っています。
私が老人保健施設の仕事をしたいと言ったとき、あるドクターから「それでええのか」と言われました。もちろん「ええのや」と答えました。はざま仕事は、じつはこれからのトップビジネスでもあることに、そのドクターはお気づきではなかったわけで、お気の毒だといまでも思っています。
ウエルハウス川西は入所定員 150名とデイケア定員30名で、だいたい入所が 140人前後、デイケア20人前後が毎日の数字です。入所のうち16名はいわゆるショートステイの枠で、これはたいてい 100%あるいはそれをすこし超えるくらいの状況です。
老人保健施設というのは、いちおう医療法などで規定された保険医療機関ではありますが、レントゲン装置をはじめとした医療機器は設置されていません。「病状が安定した人」を収容するという建て前がある以上、ご家庭で療養できる程度の入所者を想定しているわけで、病院や診療所のような検査や治療は必要ないはずだということになっているわけです。
ウエルハウス川西やウエルハウス清和台は独立型で、協和会のあとふたつの老人保健施設である吹田市のウエルハウス協和と西宮市のウエルハウス西宮は病院併設型です。この近辺の老人保健施設ですと、ステップハウス宝塚は独立、ケアハイツ伊丹はサンシティ診療所の併設型、池田市の巽病院老人保健施設は病院併設型です。
病院併設型の場合、母体の病院とはたいてい通路で繋がっていたり、高層ビルの中に病院と老人保健施設が同居していたりしますので、たとえば検査が必要になったり、急な処置などが必要になっても、ストレッチャーでそのまま移動できます。また、時間外でも病院の当直医がいますので、それなりの医療対応ができます。
つまり、独立型老人保健施設は、いわば無医村のようなものであります。
昼間の診察では、聞いて見て触ってという、いわばいちばんプリミティブな診察で診断しなければならない状況でして、設備の整った大病院で、検査結果でいろいろ判断することに慣れきっているドクターは勤まらないかもしれません。
ウエルハウス川西の場合、昼間は私以外にあとおひとりドクターが常勤しておりますし、私は24時間対応をしていますが、老人保健施設によっては完全に看護婦だけの判断で病院への転送などをしなければならないところが少なからずあるようです。
じっさいウエルハウス川西をごらんいただきますと、ほとんど病院と変わらないような業務をしていることに驚かれるかもしれません。それを医者は三分の一、看護婦が半分という人員でやっているわけです。ま、このあたりの有資格者の人数の少なさが、療養費が病院にくらべて安くあがっている原因のひとつでもあります。
始業のあとも療養部では申し送りなどをしていますので、すこし時間がたってから各サービスステーションを回ります。これにだいたい午前中をあてるわけです。
ウエルハウス川西には3フロアありますが、もう一人のドクターと手分けしていますので、私は痴呆専門棟と重介護の多いフロアの2つをみているわけで、全体の回診は週1回または2週に1回としています。
毎日のステーションでは、ほとんど病院と同じような動きになります。熱がある、腹が痛いという、胸が苦しい、食欲が減っているうんぬんうんぬん。それに対して、診察して内服や血液検査の指示をしたり、ムンテラをかましたり、ときには点滴と抗生剤の静脈投与の指示をしたりします。
もちろん、いろいろなことをすればするほど「マルメ」である給付は損になるわけですが、独立型として移送の手間や人員を考えればその程度は目をつむるしかないと思っています。
午後からは、入退所判定会議やケアプラン会議などがあり、最終的には入所者が夕食を終えられるくらいを目安に勤務しています。
朝食前の早朝に出てきて、夕食をみきわめて帰るのは、食事のときに誤嚥での事故が起こりえますし、それが致命的なことになりやすいため、できるだけ施設内にいたいということがあるのです。
しかしまあ、老人保健施設の仕事だけをしていると、毎日が同じ動きでとても退屈、私のような野次馬で飽き性の者には続けられないだろうなというのが本音のところです。
在宅医療が盛んになりかけてきたとき、私は脳外科のメスを捨てて医療と福祉のはざまに転進しました。そして、介護保険が始まって、初期の混乱がおさまったころ、私はひょっとしたら再度自分の今後について方向転換を考えることになるかもしれません。
異業種の参入で介護ビジネスが私の感覚とかけ離れそうな具合になってくるようなら、私はふたたび医療軸の端っこのほうに戻ることも考えます。それがどこでどのような形でかは、まだまったく白紙の状態ではありますが…。