病気になったらどうなるの?21世紀


はじめに
自己紹介
プロローグ
これからの医療はどうなるか
これまでの医療の流れ
これからの医療
規制緩和
管理強化
情報公開
自己決定
それではどうすればいいか
まとめ
おわりに

はじめに

 ご紹介いただきました上農です。

 今日は「何かしゃべってくれ」というご注文で、これはいちばん難しいのですよね。指定してくださったほうがずっと気が楽です。昨年くらいまでは介護保険のことをほうぼうでかなりお話して回ってきまして、ま、そのときに心配した悪い事態がいままさに進行形になっています。それについては一部をあとでちょっと触れることにしますが、でもまあ介護保険の批判ばかり続けていてもしかたがありませんので、今日はべつの話題にしました。

 じつは、意外に世間では知られていないことなのですが、昨年4月に介護保険制度が始まったのと同じ時期に健康保険のほうもけっこう大きな制度の変更がありまして、とくに高齢の患者さんにとっては、とても深刻なことになりつつあります。それで、21世紀を迎えての医療をめぐる事情などをざっとご説明して、ではそれぞれの個人としては自分の健康や命をどのようにして守ったらよいのか、というようなことをお話してみようかと思った次第です。

 それで、時間との関係もありますが、今日のお話としては、まず最初に私はいったい何者なのかというようなことを簡単に自己紹介しまして、つぎにさきほど言いましたように介護保険が始まって、ある程度は予想されたこととはいえ、いろいろと問題になりつつあることを並べてみます。今日ここにおいでのみなさまは、ほとんどのかたはまだ介護保険のサービスをお受けになっておられないのではないかとお見受けしますが、たった一年でといいますか、まだ一年だからといいますか、事態はこういうことになっているのだという現実を提示します。

 注意しなければならないのは、介護保険制度というのは、将来の医療保険、健康保険制度のパイロット版であると思われることです。つまり、いま介護保険で発生している問題点は、そのうちきっと医療保険のほうでもみられるようになるということです。

 つぎに、いまやみなさん当然と考えておられる、国民が全員健康保険で治療を受けられるという制度ができあがってから約40年ほどの、これまでの医療をめぐるできごとをすこし整理しておきます。その流れの延長上に、21世紀の医療制度がどのようになっていくのかという推測ができるからです。そしてつぎに近い将来考えられる医療をめぐる事情についてお話し、最後にそれぞれの個人としてはこれからどのようなことに注意して医療を受ければいいのかということを、ご説明したいと思います。

 このあとスライドを出します。スライドではいろいろと難しい言葉が出てきますが、話のほうでできるだけ分かりやすくご説明したいと思いますので、よろしくお願いします。

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自己紹介

 これだけお集まりいただきますと、私のこの怖い顔を見たことがあるというかたもおられると思います。私はなんともう川西で診療しだしてから17年になります。

 私は1973年、昭和48年に奈良県立医科大学を卒業しました。すぐ母校の脳神経外科の医局に入りまして、奈良県と大阪府の国立や公立の病院をいくつか回って研修を受けました。医者といえば医学博士ですが、私たちはいわゆる学生運動の激しい時代であり、それをそのままひきずって博士号をほとんどの同級生が拒否しており、私もそのひとりです。博士号のための無駄な研究室の時間を過ごすことなく、現場の医者としての基礎的なものをある程度得たところで、といっても12年かかっておるわけですが、プイッと医局をやめまして1985年から協立病院にきて脳外科をしておりました。

 こまかい経緯は省きますが、1987年ごろから在宅の寝たきりの患者さんの訪問診療、いわゆる往診に手をそめ、その延長線で1997年にオープンした介護老人保健施設ウエルハウス川西に計画当初からかかわり、いまにいたっております。

 現在、ウエルハウス川西でご入所のかたの健康管理にあたり、また約50名ほどの在宅の患者さんの訪問診療と、さらに協立病院で1単位だけ外来診察を担当しております。

 介護保険関係ではケアマネージャーの資格を第一期に取得し、また委託を受けて川西市の介護認定審査会の委員をしております。それ以外にボランティアとして、医療をよくしようという活動をしている市民団体の協力をしたり、特定非営利活動法人が開設している老人デイサービスに関係したりしています。

 さらにいまはやりのインターネットですが、私は1989年くらいからネットに関わって健康相談などもし続けてきました。ネットは自分の時間をうまく使えるので、いろいろやっていてもそれほどの負担にならないのがいいところです。

 ところで私は小さな雑誌の連載などもしていますが、活字になる場合にはあまりえげつないことは書けません。しかし、いまのように口でしゃべるだけの場合はけっこう強烈なことをしゃべりますのでご注意くださいね。テレビだと「ピー」と音を入れられるような発言をするかもしれません。

 それでは電気を消していただけますでしょうか。

スライド1

 突然ですが、上の写真は私が奈良県立医科大学に通っているときに広島県で撮影したものです。そして、下の写真は昨年の2月に北海道網走駅で撮りました。右側のはオマケで一昨年撮影した江ノ電です。

 なにがいいたいのかといいますと、ま、ひとつは私がいわゆる鉄ちゃん、つまり鉄道マニアであるということと、もうひとつは私が医者になってから30年近くたつのに、もちろんいま私がここで使っているパソコンのシステムのように激しく変わったものもありますが、この写真の列車のように見た目にはあまり変わっていないものもあるということなのです。

 さて、医学は発展したのでしょうか、ということをいいたいわけです。もちろんある部分ではきわめて目覚しい進歩があります。いろいろな検査や、治療方法や、不治の病の解消など、私が医者になったころには夢物語だったようなことが現実になっています。それはそれで喜ばしい。

 しかし、いっぽうでは、この写真の蒸気機関車と流氷ノロッコ号のように、一見変化していそうで、じつは中身があまり変わっていないものがあります。それは、医者をはじめとする医療者の、じつはいわゆる「意識」なのです。

 最近、医療機関でも接遇、つまりサービス業としての接客などについていろいろと言われるようになってきました。病院で「患者さまぁ」などと呼ばれてなんとなくくすぐったい思いをされたかたもおられると思います。しかし、いかに表面上の言葉使いをいじっていても、病気を治してやっている、患者を診たってる、というような潜在意識を持ったままだと、とってもシラジラしく聞こえます。

 とまあ、前置きはこのくらいにしておきまして…。

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プロローグ

スライド2

 やっとタイトルが出てきました。よけいな前置きが長いのが私の悪いクセです。

 介護保険時代の医療と介護という副題をつけて、これからの時代、不幸にも病気になってしまったとき、いったい医療はどのようにしてくれるのか、介護はちゃんとみてくれるのか、というのが今日の主題です。

 で、……というわけで、たいへん申しわけないのですが、この青い字のように、「健康と生命は自分で守るしかおまへんで」というのが結論です。

 では、自分で守るためにはなにをどうすればいいのかということを、順を追ってお話していくことにいたします。

これからの医療はどうなるか

 では、これからの近い将来、医療はどういうふうになっていくのか。

スライド3

 よく言われていることですが、高齢化とそれに伴う医療費の高騰がまず確実になっています。私らでも分かるのですから、東大出の優秀な人たちの集まりである厚生労働省の官僚さんたちはもうかなり前からじゅうぶんに分かっていらっしゃいます。

 でもこの時代、あまり露骨に医療費をケチって国民にバレてしまっては具合が悪いので、やはり頭のいいかたがたは、すぐには分からないようないろいろな方法をとってきておられます。逆に、官僚さんたちが考えたことでも、医師会にとって具合の悪いこと、つまり、患者さんを減らすことによって医療費を抑えようという制度は、圧力団体としての医師会から政治家への働きかけで、お医者さんたちの損にならないようにされることがあります。もっとも、このほうは、医療費のひどい高騰のもとで、昔ほどのパワーがなくなりつつあるようですが、この官僚さんと族議員さんの綱引きで国民は翻弄されるわけです。

 たとえば「薬漬け検査漬けの医療」をなくそうということで、定額制、マルメというやつですが、その制度が導入されつつあります。ある病気での料金が決まっていて、その限度内ならどういう治療をしてもよい、という、いっけん患者さんにはありがたく感じる方法ですが、よく考えてみますと、何もなくても同じお金をもらえるわけですから、悪い医者はいわば「やらずぶったくり」をしかねません。

 病院の性格をきちんと整理して、その患者さんに最適の医療機関での治療を促すという制度。この場合はそれぞれの病院でのセクト主義というか、モンロー主義というか、必ずそれらの狭間に入り込んでしまう患者さんがでてきます。あるいは、病院の都合で患者さんの選別ができるようになります。

 規制緩和の一環として、公益法人以外の、たとえば株式会社などが病院経営できるようなことが検討されています。

 しかし、さきほど言いましたような患者さんの選別は、営利企業が企業論理だけで病院経営をしている場合、おそらくかなり露骨にサービスの「商品化」とじゃさんの選別が行われるようになるでしょう。詳しいことはのちほどご説明します。

 そして、介護保険制度では、このような弊害がもうすでに現れてきていまして、医療も介護の二の舞にならないという保証がないわけです。

 さて、そこでとりあえず私が自分で情報を確認できている範囲内での介護保険での具体的な問題をちょっ並べてみました。

スライド4

 とくに施設サービスで目だつのですが、要介護度の高い人を優先して対応しているところがあります。その点を指摘すると、そういう業者の言いわけは、ほぼ必ずといっていいほど「要介護度の高い人は介護者がたいへんだから」というものです。

 でも、待っていただきたい。そもそも介護保険の要介護認定ではあくまで介護の手間だけを考えて、家族や環境、社会的な要素は考慮してはならないとされていますから、そういうことになりますと、要介護度が低いけれども独居であるとか、介護者がいないとか高齢だとか、住宅事情がきわめて悪いなどという、ほんとう困っておられるかたは浮かばれますまい。要介護度の高い人から対応する理由は、言うまでもなく介護報酬が高いので業者の収入が多くなるからです。

 介護保険で中心になるのがケアマネージャーです。先日の、利用者を殺して金を横取るなどというような和歌山のケアマネージャーの行状は論外ですが、理想的には一人のケアマネージャーが30人くらいのケアプランを管理するのが限度だといわれているものの、それではケアマネージャーの人件費がでないということで、その倍、3倍というかたのケアプランを管理させられているところもあるようです。すると、個々の利用者のよく検討されたプランなどできるはずもなく、けっきょくパッケージにして画一的なプランを強要することになります。しかしまあ、介護はパック旅行ではありますまい。

 そして、パッケージ化しやすいのは、この「医療福祉複合コングロマリット」です。グループ企業で多くのサービスを持っていて、自在にパックケアプランを作りやすいわけです。あー、私が所属している協和会は、まさにこのコングロマリットの典型なんです。

 そのようにしますと、利用者をある企業グループで囲い込むことができます。そして、その企業クループのサービスをなかば強要することができるようになるわけです。イヤならヨソに行ってくださってかまへんよ、といいつつ、現実にはヨソにはじゅうぶんなサービスがなく、ヨソのケアマネージャーからの依頼は後回しにするようにすれば、必然的に囲いのなかに利用者が入らざるをえなくなります。

 私どもの介護老人保健施設でももちろんですが、介護老人福祉施設つまり特別養護老人ホームでも、介護療養型医療施設つまり療養型の病院でも、ある利用者が入所・入院して30日間は介護報酬に「初期加算」という特別ボーナスがあります。要するに、ひとりの利用者を長くみるり、回転をよくしたほうが施設の収入が増えるのです。

 どういう方法で回転をよくするか、それはみなさん悪知恵を働かせておられるのでしょう。要介護度の高い、かなり重症のかたを入れて、短期間のうちにお亡くなりになるようなことになれば、回転はよくなります。そういう意味でも、元気で、要介護度が引くて、若い利用者は敬遠されるのでしょう。

 介護保険では、値引きが許されています。すると、お客を集めるためにダンピングをする業者がでてきます。ユニクロと違って、人の力が必要な医療や介護の現場では、合理化には限度があります。したがって激安のしわ寄せは、スタッフの待遇や経費のえげつない切り捨てに走るしかなくなり、けっきょくサービスの質の低下になるしかありません。世間では「安くても物がよい」でないと生き残れないいま、介護現場では「安かろう悪かろう」がまだ生き延びていく恐れがあります。

 けっきょく、要介護者を金儲けのネタとしか考えない介護事業者が間違いなく存在し、ということは、患者さんをも同じように考える医療事業者が、いまもあるけどますます増えかねないということになります。

 以上のようなことは、くり返しますが、それぞれいちいち医療でも当てはまることだという点に、じゅうぶんに注意しておく必要があります。

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これまでの医療の流れ

 さて、介護保険に関する話はこのあたりにしておいて、次にこの半世紀弱の医療の流れについて簡単におさらいしておこうと思います。

スライド5

 いま、みんなあたりまえと思っている「国民皆保険」ですが、これはこのスライドのように1958年、昭和33年に新しい国民健康保険法が成立したところから始まります。そして、法律ができてから3年たってようやく全ての市町村でこれが実現しています。昭和36年といえば私が12歳のころ、小学校の6年生というときですが、ほとんど新聞もよんだこがなかった少年上農は、そんなことはぜんぜん知らなかったのでした。子どもってノーテンキなもので、いまはやりの「あしたがあるさ」の歌ではありませんが、いまの子どもは…っていっても私らのころよりマシじゃないか、なんて思ったりします。

 ちょっと脱線してしまいました。

スライド6

 つぎの、ちょうど私が医者になった前後は、日本医師会に武見太郎という怪物のような会長がいまして、厚生省を足蹴にしていた時代です。健康保険法を改正しようとした厚生省に対し、医師会の会員が全国一斉に保険医辞退をするという暴挙もありました。患者さんは保険を持っていても医療機関が保険を扱わないために自費で治療をうけなくてはならなくなる事態の寸前でした。

 そして、医師会の圧力が勝って、昭和48年、私が医者になった年ですが、この年に老人は自己負担ゼロになりました。これがずーっと尾を引いて、医療機関に高齢者は金になるという刷り込みができたのに違いありません。

 医師優遇税制というのがありますが、正確には開業医の税制です。私のようにずっと勤務医である者は無縁なので、ついでに言っておきますね。私は厳重に給料の源泉徴収をされておりますので…。

スライド7

 老人医療を無料化したために、タダで医療を受けられるということで高齢者の患者さんが増え、みるまに医療費がアップしだしたため、この時期に老人医療をべつのものとして制度化しようという動きが加速しました。ちょうど十年で老人医療費無料が廃止され、さらに高齢者の社会的入院が問題化しだして老人保健施設の制度が考えられました。

 介護保険の考えかたのルーツは、おそらくこの時期にあります。

スライド8

 それと重なるようにして、それまでほぼ無制限だった病院のベッド数を制限する方向になりました。「地域医療計画」という制度がそれで、全国をブロックに分け、人口の比率で病院ベッドの上限を設定しました。つまり、入院治療の必要のない人の入院を減らす政策が始まったのです。同時に、ベッドほを減らしたぶん、在宅での療養をサポートするという名目の制度がつぎつぎに加えられていきました。

スライド9

 そして、昨年の介護保険に繋がることになります。

 介護保険は、乱暴に定義してしまいますと、医療保険の高齢者関連の大部分を別の制度として焼きなおしたもの、いってみれば、赤字の親会社を助けるために、そのためだけに設立された儲けは無視の別会社ということになりましょうか。

 まとめてみますと、政府の方針として、昭和40年代に医師会よりの政策に偏っていたためにまねいた医療費高騰が高齢者の医療におもな原因があったということで、20世紀末からきわめて分かりやすい形で高齢者医療を閉めつけるように旋回してきており、21世紀にはますますその流れが加速するだろうということになります。

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これからの医療

 というわけで、もう時間的には結論部分になってしまうかもしれませんが、じつはこれからが本題の「これからの医療」という部分なります。

 ここではまたまた難しい言葉がスライドに出てますが、お話でできるだけ分かりやすくご説明いたします。

 要するに、これから、といいますか、もうすでに一部ははじまっているわけですが、医療はどういう状態になっていくのだろう、そして、患者さんがたはれに対してどのようにしていけばいいのか、ということです。

スライド10

 こと医療関係に限りませんが、行政改革の一環として規制緩和ということが進めれております。医療や介護や福祉の業界は、他の業種に比べて規制がきわめて厳しく、いわばがんじがらめの状態でこれまでやってきていました。

 緩和されそうな個々のことについてはのちほどお話しますが、ともかく施設や人員や運営など、ほとんどあらゆる点が規制の対象であり、したがってIT化などの合理化によっても収益性が上がらない業界です。

 で、これらの規制のいくつかを緩和しようという動きがあります。

 しかし同時に、監督官庁は、その業種の特殊性、つまり人間の命や健康に直接関わるということで、その事業者に対する管理監督を強化しようという意図がみえます。

 じっさいに表立ってどうこうということは、いまのところなさそうですが、たとえば介護保険の介護報酬請求が原則的に電子データで電送することになっている点があります。医療保険の診療報酬のように紙で提出していると、いろいろな統計処理や情報分析はとてもたいへんですが、データが電子化され、共通化されていればきわめて簡単です。

 どこの医療機関がどのような傾向で診療報酬を請求してくるか、架空請求があるかどうか、適応外の治療の有無など、ごく簡単に管理できるようになります。

 このことは一例ですが、規制の緩和は必ず管理の強化ということがつきまといます。強化された管理のために、逆に医療機関が萎縮した対応をするようにならないかという心配があります。

 そしていっぽう、市民、患者さんの側にとっては、これも最近どんどんそうなりつつある情報公開が目前の問題になることでしょう。

 レセプトつまり医療機関から保険者に提出される診療報酬請求書の公開は、ある種の条件がつきまとうものの、いちおうできるようになっているものがほとんどです。そしてその次にはカルテ、診療録の公開があり、最近はかなりそういう傾向になってきています。

 しかし、患者さんが自分の病気についての情報を公開されたとき、こんどはその患者さんには治療などの可否について「自己決定」を迫られることになります。

 そして、自己決定というのは、非常に意地の悪い解釈をしますと、これまでパターナリズム、つまり「病気のことは医者に任せといたらええんや」的な感覚でなれてきた患者さんには酷な対応が必要になるということです。

 また、患者さんに自己決定を促すことで、医者のほうは「患者さんの結論」ということで責任を転嫁できるこにもなりかねません。

 私が上げましたキーワード、これらの流れは市民にとりましてはいわば「飴と鞭」ということになるのかもしれません。鞭ではなく、圧倒的に飴だ食いたいと思われるなら、このスライドにある流れを逆にたどってみていただいくのがよいかもしれません。

 それでは、これらのキーワードについて、それぞれ具体的にどのようものがあるか簡単にご説明してまいります。

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規制緩和

 まず、規制の緩和についてです。

スライド11

 さきほども言いましたように、医療関係だけでなく、行政全般として規制を緩和し、競争原理で活力を引き出そうという世の中の流れがありまして、その一環としてこれまでともかくがんじがらめだった医療分野も少しづつき姓を緩和しようという方向になってきています。

 たとえば医療機関の広告に関わるものがあります。一般には知られていませんが、これまで医療機関は基本的に広告してはいけないことになっていました。駅などの看板広告がありますが、その内容はほんとに味も素っ気もないものだということにお気づきでしょうか。

 じつは医療機関の広告について規定している医療法と関連法令が平成10年から数回改正されてやや緩和されるまで、医療機関は、@医師であること A診療科名 B医療機関の名称・所在地・電話番号 C医師の氏名 D診療日や時間 E入院設備の有無 しか広告できませんでした。

 いまはこれら以外に、特別な病室などの施設基準、看護体制、食事基準、予約診療や往診・訪問診療・夜間診療の有無、ドックの有無、ベッド数、医師や看護婦などの数、併設施設の有無、駐車場の情報などが広告できるようになりました。

 もっとも、おそらく多くの患者さんがお知りになりたい情報は、医師の経歴や手術の成績などのもうすこし本音の部分ではないかとも思いますが、それらは解禁されておりません。もつとも、こういうものが広告されても、それがその医療機関の良否に直接関係するとは思えませんが。

 病院が儲かっているとかといような話をよくききますが、個人経営の医療機関はともかく、いわゆる医療法人は公益法人ですから、儲けることはできてもその利益を出資者に還元することはできません。したがって、儲けを出資者に還元する株式会社などの営利企業が直接医療機関を経営することはできないことになっています。

 医療法人が別のトンネル会社を作って利益をそちらにプールして出資者に分けているという抜け道的な現実に関してはここではこれ以上触れませんが、規制緩和の流れのなかで株式会社が病院などを経営することを許すべきだという議論があります。

 介護保険の事業者ではすでに「法人」でさえあれば指定を受けることができますから、究極の公益法人である特定非営利活動法人から株式会社や有限会社までが同じ土俵にいます。そのことが必ずしも介護保険での問題の原因であるとはいえない、つまりあくどいことをしよるのは営利企業とは限らないというのが、規制緩和の追い風になりつつあるようです。

 が、現実にはもうかなり以前から営利企業が医療機関の経営に参画してきております。営利のためというより、本業を助けるサービスとしてのそれが多いようではありますが、たとえば警備保障のセコムなどはすでに複数の診療所や訪問看護ステーション、病院を持っています。セコムのような動機で医療に参入してくる企業ばかりであれば、それほど心配することもないのですが、介護保険での例のコムスンなどの動きをみますと、あれが医療でなくてよかったと思ったりもしています。

 現在の健康保険の制度では、保険診療と自費診療を併用することは禁止されています。ある治療をしていて、これは保険が通らないというとき、お金のある患者さんが、じゃ金払うからやっとくれ、ということもできないことになっています。

 介護保険では、要介護度に応じた支給限度額を超えてもその部分を自己負担することで事実上青天井のサービスを受けられます。それで、あとで述べるように保険診療の制限を強くする代わりに、混合診療を認めることにしようという動きが加速しています。

 ま、金さえあれば、という難しい条件つきですが、各個人の希望どおりの治療を受けることができるようになる可能性があります。

 もともと病院や診療所を経営する医療法人は、診療や医学教育など、医療に直接関係する業務以外に手を出すことができませんでした。しかし、これも平成10年からの医療法の改正で、訪問介護つまりホームヘルパーの事業やグループホームの開設が可能になっており、今後さらに一般的な事業への解禁が検討されています。

 どういうことになるかといいますと、医療法人協和会がホテルやマンションを経営したり、自然食レストランを作ったり、フィットネスクラブを併設したりという時代がくるかもしれません。悪い冗談ですが、葬儀や墓地の経営もやればできなくもないことになるかもしれません。

 医師や看護婦などの専門職には、たとえば医師の場合では目が見えない、耳が聞こえない、口がきけないという身体的ハンディキャップがあると国家試験の受験資格がありません。つまり医師になることができないわけです。これら以外に精神病者や麻薬中毒者などというのもありますが、こちらは「受けさせないことがある」という猶予のある制限になっています。

 視覚障害者や聴覚障害のかたを締め出すというのが、時代についていけていないということで、これらの制限を撤廃することが検討されています。

 以上以外にも細かい部分でいろいろな規制緩和が検討されていますが、総じてこれに関しては患者さんの側としては歓迎すべき方向ではないかと思います。

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管理強化

 しかし、規制を緩和するかわりに、ひそかに管理を強化する動きがあります。

スライド12

 これは直接患者さんや市民の目にはつかない部分ですが、しかし間接的にたいへん大きな影響が出てくる可能性があります。

 医療機関が保険診療をしたときに保険者にお金を請求するときに使う書式をこのスライドのように診療報酬請求書といいます。いわゆる「レセプト」です。現在のところ、この診療報酬請求書は昔ながらの紙で提出されるのがふつうです。いまや手書きのものよりもプリントアウトされたもののほうが多いのは当然です。すると、いったんコンピュータで処理したデータをわざわざプリントアウトするより、直接コンピュータのデータで渡したほうが合理的だという考えがでてきます。

 介護保険のレセプトは介護報酬請求書といいますが、こちらはさすがに新しい制度のもとで、原則的には電子データで送ることになっています。

 それで、電子データで送ることがなぜ管理強化になるのかということですが、それはある医療機関の診療の傾向が瞬時にまとめられたり、いろいろな統計が簡単にとれるようになったりして、不正や、そこまででなくとも「ズル」をしにくくなるはずだからです。いまのように紙が数十万枚もあると、そういう作業は実際には困難です。

 これは、いわゆる「マルメ」のことです。ある病気の治療に関して、どのような内容の治療をしようとも、診療報酬が定額であるというもので、これはもえすでに一部が実施されています。この方法ですと、薬をたくさん出したり検査ばかりしたり、あるいは治療が下手で日数がかかったりすると医療機関側の持ち出しになりますから、これまでの薬漬け検査漬けの医療はなくなるでしょう。

 しかし、世の中には悪い人がいまして、では定額なんだったら、なるべく何もしないのが儲かるということになって、必要である治療や検査をもしなくなる恐れがあります。そういうのをどのようにして防ぐか、またほんとうに不要な治療なのか手抜きなのか患者さんが分かるかどうか、そういうことが課題でしょう。

 マルメとともに議論されているのがこれです。

 ある疾患に関して、これこれの検査をしてその結果からどういう薬を使うのかというガイドラインをあらかじめ決めておいて、医療機関はそれに従って治療する、そして、それ以外の治療を望む患者さんには自己負担をしてもらうというものです。

 医者の立場としては、こういうものが幅をきかしだしますと、いったい自分の力はどこで出るのかという疑問を感じざるをえません。コンピュータ診断と同じことだともいえます。人間には感情や心理というものがあることを忘れないようにしてほしいものです。

 入院したら「お世話料」というわけのわからない別料金、それもけっしてお安くない額を請求されたという話をよく聞きます。入院しなければならないのに、個室しかないということでやむなく個室料金を払って入院したという事態もあとをたちません。

 しかし、これら、治療に要する費用はじつは厳密に規定されていまして、ここでは長くなりますので詳しくは説明しませんが、基本的には治療費以外に請求されることはないのです。しかし、いろいろと手をかえ品をかえてこういう請求をされています。

 厚生労働省は、いままでもいろいろと通達で禁止してきましたが、介護保険が始まってからとくに医療の保険外負担に目を光らすようになっています。ちなみに、介護保険ではかなり厳しく保険外負担を禁止しています。

 先日もある患者さんがいわれのない個室料金を400万円ほど返還してもらったということもあります。

 このあたり、患者さんの側できちんとした知識を持っているかどうかで、けっこう負担に差ができたりしますので注意が必要です。

 さきほどのマルメの話とも関係するのですが、老人保健法が制定されたころからじわじわと締めつけが始まっていた高齢者の医療ですが、介護保険の始まりをきっかけにさらに厳しくなっております。

 よく、入院して三ヶ月たつと退院しなければならないという規則、というようなことを聞きますが、これは規則ではなく、診療報酬での入院料がガタッと少なくなるために、病院の儲けが少なくなるため、病院は退院させたがることが原因です。

 それが、昨年からはもっと過酷になりまして、これまでだと三ヶ月を越えてもいちおう治療や検査に要した費用は支払われていたのですが、こんどはここが定額になってしまいました。つまり、入院三ヶ月を越えた70歳以上の患者さんについては、一部の例外を除いて一日1000円ほどしか支払われなくなったのです。マルメですから、この間になんらかの治療や検査をしますと、すべて病院の持ち出しとなります。

 そういうわけで、いまや三ヶ月を越えたかたへの退院圧力、そしていったん退院したあとの入院拒否傾向はとてつもなくシビアになっているようです。

スライド13

 で、この赤字にしたところが、高齢者のかたが病気になって入院なさったときにとくに注意なさらねばならないことです。

 三ヶ月なんてすぐですから、不幸にも入院となったとき、その病気やケガが三ヶ月で落ち着かなさそうと考えられるようなとき、はやくからつぎの段取りを考えておくべきです。そうしないと、いまの病院はたいてい血も涙もないので、その時期になるとかなり強硬に退院を迫ってくるはずです。そのときになってあわてても、たとえば私の職場である老人保健施設でもすぐに入れるとは限りません。こちらもたいてい満員だからです。

 奥の手として、主治医にたっぷりと鼻薬をかがしておく、という方法もありましょう。もっともこの方法は、まさにたっぷりとという点でご自身に経済的な余裕が必要ですし、またなにより主治医先生が金にたいへん汚いという条件が必要ですね。

 医者への付けとどけのことについては、きっと興味がおありでしょうがまたの機会に…。

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情報公開

 さて、つぎは情報開示のことです。

スライド14

 これも行政全体の流れとして情報の公開が加速しつつあります。

 診療報酬請求書の開示はすでにできるようになっています。これを見ることで、自分の治療の内容を間接的にチェツクすることがある程度可能になります。ただし、陰険なことに、開示するかどうかの条件として、主治医の承諾というものがありまして、開示請求をしていることが主治医に知られてしまい、のちのち関係がギクシャクしてしまったという話も少なくありません。

 診療録つまりカルテやレントゲン写真などを開示することについては、まだ制度としては成立していません。一部の先進的な医療機関や医師たちが個々に対応している段階ですが、いずれ制度化されることになるでしょう。

 カルテ開示を声高に叫んで活動している団体もありますが、気をつけなければならないのは、医者のカルテってたいして役にたたんことが多いんです。字はきたないし内容はメモのようだし必要なことを書いてないしというカルテが少なくなく、見るとたいてい失望されることでしょう。入院カルテの場合は看護婦さんの記録のほうが情報としては有用なことが多いようです。

 日本病院評価機構という公的な組織があります。各病院からの依頼によって病院のいろいろな状態をチェックし、ランク付けをしていくという作業をしています。一種のオンブズマンですが、しかしそこはそれ日本のこと、関係学識経験者が予告をして病院を検査するというような形なので、どれだけ正確な評価ができているか疑問はあります。しかもそういうものでさえ一般には公開されていません。よい結果をもらった病院が広告のために結果を公表するくらいです。

 私が協力している市民団体である「ささえあい医療人権センターCOML」は「病院探検隊」という行動をとっています。これは簡単にいえば、一部の病院幹部の依頼で隠密に病院をチェツクしてあとで感想を伝えるというもので、ナマの現場が評価されるというメリツトがあって、まじめな病院経営者からけっこう評価を受けているようです。

 さて、最近はとても医療事故が多いとお感じになりますか。

 じつは事故が増えたのではなく、たぶん事故が表沙汰になることが増えたのです。なぜ表沙汰になるかといいますと、それはいろいろな理由での内部告発、チクリも少なくないようですが、やはり患者さんの意識の高まり、世の中での医療に関する情報へのアプローチのしやすさの進歩などが理由であると思われます。

 先進的な医療機関では、積極的に事故に関する情報公開をしようとする姿勢がありますが、しかしまだまだ少数でしょう。これからは事故の情報が積極的に公開されて、再発を防止するために利用されるべきだと考えられています。もっとも、個々の医療機関がそれに積極的になるのはいつのことになるかは分かりませんね。

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自己決定

スライド15

 さて、最後に自己決定ということがあります。これまでの医療に慣れておられる患者さんや医者にとっては、簡単なようでなかなか難しいことであるかもしれません。

 このインフォームド・コンセントという言葉、最近しばしばお聞きになっているのではないでしょうか。もっとも、なじみのないカタカナ言葉で、いったいなんやねんと思っておられるかもしれません。

 日本語では一般に「説明と同意」などと言われてきました。病気やケガの治療のときに、その治療の方法や検査の必要性などにいて医者が説明したことをきちんと理解して、そして患者さんの意思でそれを承諾してから先に進むというものです。

 古い社会では、患者さんは医者に「お任せします」とおっしゃり、医者は治療のことはワシに任せといたらええんやシロウトは口を出すな、というのが普通だったようですが、いまやそういうことは許されない時代になっているわけです。

 しかし、さらに新しい考えかたは、「説明と同意」ではなく「理解と選択」とされています。「説明と同意」という概念では、あるひとつの方法だけを説明して、ほかに方法があるという情報を抜きにして同意を強制するということになりかねないという心配があり、実際にそのような例がみられているからです。ワシに任せといたらええんやというのを「パターナリズム」といいますが、その意識の抜けない医者が形だけ説明、それも患者さんには理解できないような難しい言葉を使って説明し、さあどうするとばかりに同意を求めるというのがまだまだ少なくありません。

 ある治療に関して、ぜっいに必ずふたつの選択枝があります。つまり、治療方法はたったひとつしかなくても、治療しないという方法は必ずあるわけです。

 ある治療法をとるとこういう効果があるがなんらかの苦痛が伴いこういう危険性がある、また治療をしないこういう結果になるが治療に伴う危険性や苦痛はもちろんない、というような選択はできます。

 説明と同意の意識では、治療せんかったら死ぬで、というような恫喝じみた説明になりがちです。そして、医者が説明した治療を選択しなかった場合、それならここですることはないからもうこないでいい、ということになりがちです。

 理解と選択で患者さんの選択を得た場合、それが医学的に間違っていようとも、医者は選択した患者さんをひきつづきサポートすることになるでしょう。何もしないライフスタイルだってありえますし、その場合でも患者さんの希望があれば苦痛をとる処置をしなればなりませんし、すくなくとも精神的なサポートが必要でしょう。

 またまたカタカナ言葉ですみません。これは「第二の意見」と訳せばいいでしょうか。インフォームド・コンセントのための説明を受けてどうするか選択しようとするとき、やはり患者さんはいろいろと迷われるはずです。そのときに主治医とは別の医者に相談して意見を聞くということをいいます。

 これは「そっと別の医者に聞きにいく」とか「勝手に別の病院に変わる」というのではありません。主治医にセカンド・オピニオンを求めたいということを話して、検査データや主治医の判断などの情報をすべて持って別の医者に相談するというのをいいます。

 これもどの医者も気持ちよく応ずるかというと、まだまだ難しいところがあります。ワシを信用でけんのか、という反応になる恐れがあります。

 一般的にイ正しいンフォームド・コンセントを実践している医者は、セカンド・オピニオンも積極的に患者さんに勧める傾向があります。病院全体としてセカント・オピニオンを推進しているところも増えてきています。

 さて、そのようにしてきちっとたインフォームド・コンセントを受けて自己決定した場合、当然のことながらその結果に対する責任は自分自身にあります。これはどうしようもありません。

 しかし、気をつけなければならないのは、形だけインフォームド・コンセントのふりをして患者さんに決めさせ、ときには患者さんの決定をうまく誘導するような、あるいは脅して決めさせるようなことをして、その結果が悪くなったときには責任を患者さんのほうに押しつける、というようなズルい医者がいることに気をつけなければなりません。

 こういうタイプの医者はたいていセカンド・オピニオンをいやがりますから、形だけでも別の医者の意見も聞いてみたいというような話をしてみれば見分けられるかもしれません。

 いずれにしてもエラい目にあうのは患者さんであって、医者ではないということを十分心にとめておいてください。

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それではどうすればいいか

 ということで、自分の健康やイノチは自分で守らなければならないということになるわけで、では実際にどのようなことに気をつければいいのかということを最後にお話します。

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 これは「ささえあい医療人権センターCOML」が厚生省、いまの厚生労働省の委託を受けてまとめた「医者にかる10か条」という小冊子です。残念ながら手元に残っていなくてここにお持ちできませんでしたが、この冊子には医者にかかるときに気をつけなければならないことがかかれています。

 伝えたいことはメモして準備、対話の始まりはあいさつから、よりよい関係づくりはあなたにも責任が、自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報、これからの見通しを聞きましょう、その後の変化も伝える努力を、大事なことはメモをとって確認、納得できないときは何度でも質問を、医療にも不確実なことや限界がある、治療方法を決めるのはあなたです、というふうにまとめられています。

 それも参考にしての私の提言としては、まず、信頼できるかりつけ医を持つというものがあります。最近は大病院指向が強くてちょっとした病気でも大きな病院にいかれるかたが多いのですが、すべてとはいいませんが、大きな病院の医者は一般的に地域への帰属意識があまりなく、病気に対する興味や知識はあっても個々の患者さんに対する総合的な熱意がない傾向があります。大学病院はその典型でしょう。

 ただ、ここに「信頼できる」という形容詞がついているのがミソでして、大病院の医者以外はみんな信頼できるかと聞かれれば、ここだけの話ですが、私はうーんと唸るしかありません。

 なにかあったときに「どこがええのやろ」とあわてるのはよくありません。健康であるいまだからこそ、いざというときのために医療機関や介護サービス業者の情報を集めておきましょう。情報源のためにも「かかりつけ医」の存在は貴重です。

 10か条にもありましたが、いかに医学が発達したからといっても限界があります。週刊誌やテレビなどで最新の治療などがとりあげられても、たいていは実験的治療だったりします。藁をもすがる患者さんの気持ちはわからないではありませんが、医療の世界でも眉唾ものは間違いなく存在することに注意が必要です。ましてや裏づけのない民間医療のなかには危険なものさえありますので気をつけましょう。

 これはさきほどご説明したとおりです。

 医療の世界は官僚や政治家の世界とおなじくらい世間からかけ離れた社会です。医者の常識は世間の非常識といってもいいくらいです。医者や看護婦のいっていることが分からないのを恥じる必要はありません。どんどん質問しましょう。

 ちなみに、彼らが「規則ですから」と答えた場合は、たいていその本人も理由を知らないことがほとんどです。さらに「どういう規則なのか」と聞きましょう。その規則は誰に対して適用されるものなのかも突っ込みする必要があります。

 これらはさきほどの話のとおりです。

 この考えかたにはまだ賛否両論がありますが、しかし、患者さんというのは、医療というサービスを健康保険というほぼキャッシュレス、現金でないもので支払う消費者であると考えれば、購入する商品である治療について、いろいろと調べ尋ね希望し、というのはあたりまえのことでしょう。値切れるかどうかは別ですけどね。

 具体的にはいいませんが、いってしまいますが、やれ国立循環器病センターだ阪大病院だ北野病院だと、いわばブランドの病院を絶対視なさるかたがおられますが、さきほどいいましたように、患者さん、病人さんへの思いと病気に対する興味とは別のものを持っている医者が少なくありませんので、そこでしかできない治療を続けるのならべつですが、わざわざ遠くまで行って何時間も待ってチョロっと診察してもらうだけにいつまでも続けているのは疑問です。

 それだけの体力のある患者さんばかりこられる外来診察って楽やろな、と思いますが、これは私のひがみかもしれませんね。

 最後にこれはまあ医療だけのことではありませんが、さきほどもいいましたうに、そんなにうまい話って世間にはころがっていません。気をつけましょう。

 というわけで、今回のお話は以上で終わります。

 このように、ご自身の健康や命はご自身で守っていかなくてはならないということをしっかり理解してください。

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まとめ

 で、最後に結論といいますか、まとめといいますかをちょっと…。

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 要するに、賢い患者になりましょう、ということをご提案します。これは私の言葉ではなく、さきほどから何度かご紹介しました「ささえあい医療人権センターCOML」の代表者である辻本好子さんがいい続けておられることです。

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 しかししかし、です。気づかれたかもしれませんが、こういうこともいえるのではないでしょうか。すくなくとも、ないよりあったほうがいいようです。

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 でもよく考えてみますと、医療というのは尋常の経済的負担ではありません。保険を使っているから分かりにくいだけで、ちょっと大きな手術で入院したら治療費が一ヶ月で百万円を超えることはザラです。だから、医療についてぜんぜん心配ないというほどのお金持ちって、そんなにおられませんよ。

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 というわけでやはりこういうことが現実的でしょう。

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おわりに

 ちょっとなんだかまとまりのないお話をしてしまいましたが、すこしはみなさまのお役にたてたでしょうか。

 以上で今日のお話を終わります。もういちど結論じみたこと。

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 しかし無責任な講演でした。すみません。

 ついでですが、もしインターネットをお使いのかたがおられましたら、私のメールアドレス、ホームページが青字の部分、役にたちそうなサイトを黄色の字で提示しておきました。

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 ありがとうございました。


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