医療的ケアって何やろぅ
2003/03/15 大阪NPOプラザ 医療的ケア連絡協議会発足記念集会
目 次

はじめに
自己紹介
今日の話の要点
なぜいま医療的ケアなのか
在宅療養の実態
介護施設の問題
医療行為の定義
医療的ケアの問題点
医療的ケア解禁の解決法
まとめ
はじめに

【スライド】

 今日お集まりのみなさまは、それぞれにいろいろな理由があって、医療的ケアのことに興味をお持ちなのだと思います。そして、私などよりももっと医療的ケアに関してお詳しいかたもおられることと思います。したがいまして、今日の医療的ケア連絡協議会の設立記念集会で、私のような者が前でお話するのは、ちょっとおこがましいような気がしています。

 私は医療的ケア連絡協議会の事務局次長をおおせつかっています、上農と申します。なんで私がお話することになったか、またそもそも私はどういう立場の者かということをまずはじめにご説明しておこうと思います。

自己紹介

 私の本業は医者であります。1973年に奈良医大を卒業して、脳外科を専門にやってきていましたが、1985年に川西市の医療法人で仕事をするようになり、その2年くらいあとから在宅医療に手を染めるようになりました。今から16年くらい前のことになります。

 脳外科の仕事をしていますと、寝たきりや麻痺などの重い後遺症をもった患者さんとのおつきあいが多く、以前からそのような患者さんにたいへんな思いをして外来に通院していただくことに疑問を感じていました。川西にくるまでは、大学医局のローテーションというヤツで、大阪や奈良の国公立病院勤務でしたし、ヒラの医者だったので、あまり勝手なことはできなかったのですが、川西ではほぼ永久就職のつもりでしたし、また一人での脳外科でしたので、自分のやりたいようにしてみようと思ったわけです。

 当時はまだ現在の在宅医療の制度はなく、往診という形で患者さんのお宅に訪問することから始めておりました。もっとも、そのころはまだまだ病院での入院に今のような制限はなく、在宅におられる患者さんの多くは、みずから、あるいはご家族が在宅を希望されたものでありました。いまのように、短期間のうちに無理矢理退院させられてしかたなく在宅へという状況のかたはほとんどいらっしゃらなかったわけです。

 その後、あとですこしお話しますように、高齢社会を迎えてわが国の医療政策は大きく変化し、1990年ごろからは在宅医療の制度がじょじょにできてきました。私自身もしだいに病院の脳外科から在宅のほうに主力をシフトし、私が病院で担当した患者さんだけでなく、他の医療機関からのご紹介の患者さんも引き受けるようになり、その後、私の所属する法人で初めての老人保健施設の開設責任者として異動し、現在にいたっているのがざっとした経歴です。

 私の経歴でお分かりいただけるように、私は脳外科的な病気やケガ、あるいは高齢者のかたの医療や在宅療養については、それなりに経験と知識があると思っています。また、最近の医療制度の激変もあって、在宅で難病患者さんの担当をすることが多くなり、さらにまた、受け入れるドクターが少ないために、いわゆるターミナルケア、在宅ホスピスというのも経験しておりますので、在宅でいろいろ重度の医療ケア、医療的ケアを要する患者さんとの接点がきわめて多い立場になっています。

 いま現在でも私が担当している約40名の在宅患者さんのうち、お一人は人工呼吸器を使用されており、そのかたを含め3名の気管切開、5名の経管栄養のかたがおられます。でもこの数字は最近ではかなり少ないほうです。

 いっぽう、老人保健施設のほうは、開設のときから気管切開や経管栄養のかたもを受け入れるという方針でいましたので、つねに重い医療ケアが必要なかたが入所しておられます。残念ながら人工呼吸器を使っておられるかたは、設備などの関係でいまのところ対応は難しいのですが。

 そういうわけで、もともと介護の専門職にあるていどの医療行為を許すべきであるというのが私の持論、そうしないと在宅や介護施設での重度の患者さんの療養は現実に不可能であるという主張をしていましたので、今回のこの医療的ケア連絡協議会の発足にあたって、熱心な呼びかけ人のみなさまからご依頼をうけて、それではいっしょに活動しましょうかということになったわけです。

 ただ、私の経歴でもお分かりのように、お年よりや成人の、脳卒中や難病や悪性腫瘍の在宅医療、あるいは介護施設の現場の医療についてはそこそこ詳しいのですが、先天的な病気のことや、子どもさんの対応、教育現場でのケアの問題などについてはほとんど知識も経験もありません。

 たとえば、介護保険のことに関しては、私はケアマネージャーの資格を持っていますし、川西市の介護認定審査会の委員を平成11年の介護保険発足前から務めていますし、医者とはべつに介護サービスの会社を立ち上げたりもして、ふつうの医者よりもかなり詳しいつもりですが、この春から始まる「支援費制度」のことについてはほとんど知らないのです。

 したがいまして、今日ここでお話することが、どうしても私自身のフィールドに偏ってしまうということに関しては、どうかご容赦いただきたいと思います。

 以上のような予防線を張ったうえで、本題に入っていくことにしましょう。

今日の話の要点

 さて、いいわけじみた話でえらい時間をとってしまいました。

【スライド】

 はじめに、今日これからお話する内容をざっとご紹介しておきます。時間がなくなったら吹っ飛ばしてしまうことがあるかもしれませんが、私はこのスライドのようなことを今日お話するつもりで用意してきました。

 1時間ほどでこんなにいっぱいしゃべれるんかという気もしますが、まず「なぜいまこのように医療的ケア」が問題にされるようになってきたのかということを、主としてわが国の医療制度の点からご説明し、つぎにでは実際に病院や施設や在宅の実態はどのようなものであるのかということを私の経験、見聞からお話いたします。

 三つ目に、それでは問題になっている「医療的ケア」の具体的な内容はなにか、そしてそれらはなぜ医療職以外に許されていないのか、あるいは、許されていないことによってどういう問題ができているのか、いわば今日のお話の中心になるわけですが、それを私なりの解釈でご説明します。

 そして、それらに対して解決策はあるのか、私なりの提案を交えて最後にお話しようと思います。

なぜいま医療的ケアなのか

【スライド】

 ではまず、いまなぜ医療的ケアが大きな問題になってきているのかというお話です。

 この連絡協議会の会長である、折田涼さんや土井淳二さんたちは、もうかなり以前から医療的ケアの問題を主張してこられました。しかし、おそらくこれまではこの問題に対して、監督官庁である厚生労働省は完全に無視、あるいは門前払いの状態だったはずです。
 それが昨年秋の、ALSつまり筋萎縮性側索硬化症の患者さんの団体を中心とした働きかけに対して、坂口厚生労働大臣が前向きの方針を表明し、にわかに現実味を帯びてきたきらいがあります。

 以前から患者さんや関係者の要望があったにもかかわらず、ここにきて急に状況が変化したような形になっていますが、それにはいくつかの理由が考えられます。

 まず、行政側、医療政策としての問題があります。

 とくにここ十年あまり、高齢者医療を中心に医療費を抑制しようという強烈な流れがあります。はじめのころはソロソロとなされていた抑制策ですが、ここ数年はなりふり構わぬ強引さで進められているといっても過言ではありません。

 とくに、入院医療を抑制しようという動きは強烈なものがあります。三ヶ月で退院を迫られるという話題がしばしば出ますが、いまや一般の病院、つまり療養型のような病院以外の急性期病院ですが、そこでは三ヶ月も置いてはくれません。目安は二週間だと思ってください。したがって、そういう病院でリハビリテーションまで受けようということは期待してはいけませんし、そもそももう急性期の病院ではリハビリテーションや寝たきり予防という視点はないと思っていたほうがいいのです。

 目の前の病気が軽くなりさえすればすぐに退院。しかし、これは病院だけが悪いわけではなく、そのようにしなければ経営がなりたたないように制度が変えられてきているのです。もともと厚生労働省は病院のベッド数を三分の一にしようともくろんでいますので、病院が潰れてしまうことはじつは歓迎なのです。

 それで、病気は治っているが、いわゆるADL、日常生活動作の障害は残ったままで自宅に戻ってこられるかたが増え、そうすると介護の手助けがより必要になるという状況になります。

 つぎに、とくに小泉内閣になってからの規制緩和の流れがあります。

 医療に限っても、最近話題になっている「病院経営への株式会社参入」などというものもありますが、地味なものでも、救急救命士が気管内挿管すること、看護師が点滴することのふたつが最近許されるようになりました。

 このふたつは、じつはもう現場ではすでに公然と行われていて、でもじつは建前上やることは違法であるという点で、今回私たちが問題にしている医療的ケアの問題と共通しています。また、救急救命士の気管内挿管については、救急の第一線の医師たちが患者さんの救命率を上げるために許すべきだという考えなのに対し、医師会側はもともと危険性などの点で医師だけに許された行為であるという、一種の既得権益を盾に反対していました。

 そしてどちらも「追認」というような形、市民やマスコミの声に負けたような経過で規制が緩和されました。そういう意味で、この医療的ケアのことも、命に関係するのだという患者さん、市民の、そして私のような現場を知っている医療職の声で、既得権益を盾に反対している一部医療系職能団体や、様子見を決め込む介護系職能団体を巻き込んで規制緩和にもっていく道があるものと思うのです。

 つぎに、医学や技術が進歩し、以前なら病院の高度な管理下でなければできなかったような医療が在宅でもできるようになり、そのために在宅患者さんの重症度が格段に高くなったということがあります。

 いまや人工透析さえ自宅でできるという時代、もっとも、それが患者さんやご家族にとって本当に幸せかどうかは別です。以前に小説家の故遠藤周作さんの奥さまのお話をお聞きしたことがありますが、遠藤さんはその末期に、自宅で簡単にできるからという説明を受けて「在宅腹膜透析」をする選択をされたものの、ご本人もご家族もたいへんつらい目にあって、医者なんて現実を知らないで患者に説明するのだと痛感したとおっしゃっていました。

 つい先日はポータブルの超音波診断装置が開発されたという報道もありましたが、高度医療が家庭でできるようになればなるほど、専門職から遠い場所でそれらの世話をする必要ができてくることに注意が必要です。

 つぎに、これは医療的ケアの問題だけではないのですが、介護保険制度になって、要介護度によっていわゆる「支給限度額」というものが設定され、重度の介護が必要なかたの介護サービスに上限ができてしまったことがあります。

 医療的ケアの話題が出ますと、しばしば吸引などを訪問看護師にしてもらえばいいじゃないかというような反応が出ますが、介護保険制度ではたとえば要介護5のかたに訪問看護が30分未満で425単位、これはこの4月からの改訂の数字にしていますが、身体介護の訪問介護が231単位であるのに対して訪問看護は倍近くいります。もともと重度で限度額を目いっぱい使ってホームヘルプなどを受けておられますと、医療的部分を訪問看護に移すということが非現実的なのです。

 もっとも、そのまえにそもそも医療的ケアのために訪問看護にきてくれるとはとても思えないのではありますが。

 つぎに、このあたりは私は詳しくないので、すこしだけ触れておくにとどめますが、この4月からの支援費制度の実施によって、障害者のかたが在宅生活に戻られる機会が増えると考えられます。そうなりますと、じつはいままで施設ではすでに暗黙のうちになされていた医療的ケアを、在宅といいますか、世間に開けた場でも行う必要ができてくるという問題が起きてきたのではないかと思います。

 いままで矛盾を先送りしてきたツケのようなものでしょうか。

 最後に、これに関してこそ、私の弱い部分なので、ほかのみなさまにお任せせざるをえないところですが、つまり平等に教育を受ける権利をのためには、教育現場での医療的ケアの問題を解決しなければ先に進まないという問題が、子どもたちにみんなと同じ教育を受けさせてやりたいという、しごくまっとうな意識を持った親御さんたちの活動によって、大きなうねりになってきているのも、医療的ケアが注目されるようになってきた理由であるということを指摘しておきます。

在宅療養の実態

 さて、ではつぎに現在の病院や在宅医療の現場はどのようになっているのかということを、すこし詳しくお話しておきましょう。ただし、これは私の見聞できている範囲でのことでして、医療や介護の現場にはけっこう地域差がありますから、たとえば在宅医療の先進県である長野県や、過疎に苦しむ北海道の郡部などでは、また違った状況であるということをお断りしておきます。ほぼ大阪近郊など、比較的大きな都市圏でのことであると思ってください。

【スライド】

 さきほどもすこしご説明しましたが、このスライドにありますように、政府の医療費抑制政策は、1980年代のなかばから始まっており、とくに2000年の介護保険制度の実施以降は、急激かつ露骨になっております。

【スライド】

 その最も軸になるのが、高齢者の、とくに入院医療の抑制です。詳しい数字などは今回の本論ではないので省きますが、1992年の医療法の改正以来、今年の夏の経過措置期間の終了にいたるまでの約10年間で、病院を一般病院と介護系の病院に色分けし、一般病院には過酷な条件を課しています。その影響で、高齢者だけでなく、すべての患者さんの入院期間が極端に短縮させられることになったのです。

 そして、介護系の病院はさらに今後、介護保険施設に限りなく近づけなくてはならない状況に追い込まれるはずです。病院という形のままでは、医者という「裁量権」を持つ、つまりどう治療するかは医者の勝手という権力をもって、医療費のコントロールを難しくしている職種を排斥できないので、これらを介護という形にすり替えてしまおうというわけです。つまりわが国では近い将来、ごく短期間の入院で治療する病院と、介護を業務とする施設しか残らなくなる可能性が高いわけです。

 そういうわけで、病院、とくに一般病院としてやってき、これからもそうしようと考える病院は、国立公立私立をとわず生き残りに必死です。

 すこしでも油断すると、一般病院から介護系、療養系の病院にならざるをえなくなり、さらに病院ではなく介護施設に転換しなくてはならない可能性もあります。で、このときには、もともとあったベッド数を基準の関係で減らさなくてはなりませんので、これが総ベッド数を減らして医療費も減らそうとする政策の根幹なのです。

 さきほどから申していますように、これらの病院はまず入院期間を短くしなければなりません。長くなると極端に収入が減るような価格体系といいますか、要するに診療報酬の制度になっているわけで、すると、急性期の病院では患者さんの生活のことなんか見ていられないのが現実になります。

 今後急性期の病院ではリハビリテーションなどはすることはほとんどなくなるでしょう。そして、患者さんは生活の質などおかまいなしに退院、在宅療養へと押し出されてくることになるでしょう。というか、もうすでにそのような事態は珍しくありません。

 それで、このような重度でリハビリテーションも満足にされていない患者さんが在宅に戻ってこられることへの代償として、制度上は訪問診療や訪問看護や訪問リハビリテーションなど、さらに介護保険でのサービスなどを揃えたという建前になっています。

 しかし現実には重度の医療処置が必要な患者さんであるほど、とくに医療での在宅サポートを受けにくく、この理由はあとの話とも関わるのですが、けっきょくご家族の負担ばかりということになります。

 そこに医療的ケアの必要性がまた増えてくると予想できるわけです。

介護施設の問題

 さて、それでは在宅療養の難しいときにアテにすることになる介護施設の状況はどうなのでしょうか。

【スライド】

 病院の事情でご説明しましたように、介護施設でも入所してこられるかたの医療依存度はひどく増大してきています。

【スライド】

 介護保険制度の説明をされるとき、介護療養型医療施設と介護老人保健施設と介護老人福祉施設の違いは、医療の関わりの濃さの違いであるとされてきました。じっさい、医師は入所者100名あたり、介護療養型医療施設は3名の常勤、介護老人保健施設は1名、介
護老人福祉施設では嘱託医、つまり非常勤で1名という基準であり、看護師もその順に少なくなり、介護老人福祉施設では夜間は医療職がだれもいなくていいことになっています。

 しかしながら、入所しているかたの状態は、正直なところこの3つの介護保険施設に大きな違いはなくなってしまっています。つまり、夜間に医療職がいない介護老人福祉施設で、医師の夜間当直がいる介護療養型医療施設や、看護師の当直がある介護老人保健施設と同じような状態の入所者をみているのが現状であり、これからますますその傾向は大きくなるでしょう。

 するとどう考えても、介護老人福祉施設でも夜間の医療職がほしいし、せめて日中は医師という職種の後ろ盾がほしいと思うのは自然でしょう。しかし、そのような人員配置をしますと、もう施設の経営はなりたたなくなるほど、介護報酬の設定がされているのです。

 そこで、とくに夜間はしかたなく介護職がヒヤヒヤしながら医療的ケアをすることになってしまうわけです。いまのままでは、この状況はずっと続くことでしょう。

 結局、医療費の削減の大前提が病院経営にしわ寄せられ、そのしわ寄せが介護施設や在宅サービスにまたやってきているというのが、いまのわが国の構造なのです。

 そのなかで、医療的ケアが是か非かとか、専門職の目でみなければ危険だとか、あるいは既得権益ばかりにしがみつくようなことをしていても、迷惑するのは患者さんであり要介護者であるだけです。

医療行為の定義

【スライド】

 さて、医療的ケアと先に言葉が出てしまっていますが、では私たちが想定する医療的ケアとはどのようなものであるのかということを定義しておかなくてはなりません。

 このスライド、お手元のレジュメにもありますが、これは「どこまで許されるヘルパーの医療行為」という本の編著者である篠原良勝さんというかたが、介護保険が始まる前に当時の厚生省に質問して得た、ヘルパーが行う可能性のある行為のうち、医療行為とはなにかというリストです。

 これがだいたい現在の医療的ケアの是非のさいの議論のネタになるわけですが、篠原さんによりますと、いまの厚生労働省がどう解釈しているかを質問しても、最近はノーコメントを通されて確認できないとおっしゃっています。それでいまなおこのリストが基準になっているわけです。

 今日ここにお集まりのみなさんのなかには、私よりこのことに詳しいかたも多いと思いますが、もし初めてこのリストをご覧になったかたがいらしたら、きっと驚かれるでしょう。

 まあ、膀胱洗浄や気管カニューレの交換などは、ふつうやはり医療者がすべきものと考えるのが自然でしょう。しかし、爪切りや外用薬の塗布、点眼などは、よほど特殊な場合でなければ、医療行為とは考えないのではないでしょうか。

 そして、これら23項目についていえば、その処置が受ける側にとって「待ったなし」で「しないと苦痛や危険がくる」もの以外は、とりあえずそれほど深刻に要求しなくてもいいのではないか、ま、つぎの課題としてもいいのではないかとも思えます。

 しかし、痰の吸引や経管栄養、摘便、人工肛門の処置、服薬管理などは、考えようによっては日課であり、遅らすことができないものであり、日常生活に密接に関係しているものとして、逆にいえば医療行為の範疇には入らないのではないかと思っています。

 にもかかわらず厚生労働省や医師会、看護協会などの職能団体が反対するのはなぜなのでしょうか。

医療的ケアの問題点

 医療的ケアは医療者がすべきだという主張の理由をまとめてみました。

【スライド】

 まず言われるのが、これらの処置は心身に危険が及ぶおそれがあるというものです。しかし、気管カニューレの交換と爪切りを同列の危険に並べるのは疑問を通り越してアホらしくさえあります。しかも、ほんとうに危険だと思うなら、家族にさえ許すべきではありますまい。それとも家族がした場合には、仮に危険であってもかまわないと言い切るのでしょうか。事故があっても勝手にせいや、ということなのでしょうか。

 つぎに、これらの処置をするには専門的な知識が必要であるというものですが、それについては危険性の主張と同じ反論とともに、それではその処置に限った専門的知識とそれによる判断ができる状況さえあればよいのではないかと反論できます。

 三つ目に、高度な技術が必要とあります。でもその高度な技術、いや高度なのかどうか分かりませんけど、それを習得しているはずの医療職のみなさんも初めは初めてだったはずですよね、あたりまえですが。それではその技術を習得してもらえばいいと言うことになります。

 時代はどんどん変わっています。基本的に昭和20年代、半世紀も前に作られた基準、規定、常識に根ざしたもので縛る時代遅れさには、ほとんど笑ってしまいそうになります。

 これと同様に、いろいろなテクノロジーの発展は、かつては危険だと思われていた処置もいまやごく普通にしても安全だというようなことになっているものもあります。たとえば経管栄養などは、わたしが医者になったころには必ず下痢をするなど、いろいろと副作用、合併症があり、注入速度などかなりの熟練を要したものですが、いまや多くのメーカーさんからいろいろな製品が出て、しかも合併症の心配がほとんどなくなっています。

 痰の吸引にしても、昔は吸引チューブの質の問題もあって、気管を傷つけたり不潔になったりというおそれがありましたが、いまの材質、滅菌方法などはそれらの危険をかなり少なくしています。

 けっきょく、ある資格をもった人たちにとっては、既得権益を守るということだけが目的の反対ということをしているのではないかと邪推してしまいます。

 それから、これはけっこう医者に多いのですが、ご自身ができない、知らない、したことないということを知られては恥ずかしいというので、異常に反対するというパターンがあります。私など、看護師さんがしておられても自分ではできないこと、うまく処理できないことが少なくなくて、「そんなんよーせんやん」と臆面もなく言ってしまいますが、プライドがそれを許さないお医者さまも少なくないようです。そういう、自分ができないことを、看護師ならともかく、介護職がすることに我慢ならないという理由があるというのは、なんぼなんでも言い過ぎなのでしょうねぇ。

医療的ケア解禁の解決法

 さて、では文句ばかり言っていても前に進みません。最後に私なりに考えた、医療的ケアを解禁するための具体的名方法の提案をしておきたいと思います。

 そのために、まず「医療行為の定義by厚生省」について再検討してみましょう。

 前に出したスライドをこのように色分けしてみました。

【スライド】

 まず、どう考えても医療行為とは考えられないじゃないかと思えるものを上げてみましょう。これからの分類は私の経験上の独断ですから、ひとつの例としてお聞きください。もし実際にこのようなことが実施されるようになれば、多くの意見を集約して合意を得なければならないのは言うまでもありません。

【スライド】

 スライドで緑色にした項目、すなわち爪切り、血圧測定、外用薬の塗布、口腔内のかき出し、点眼は非医療行為として原則的に介護職が行うことにします。

 ただし、血圧は測定しても、評価はしてはいけません。あくまで測定と記録、そしてあらかじめ指定された条件にあてはまるか、たとえば入浴の前に血圧が指定されていたら、それに合致するかどうかまでの判断にします。高いから降圧剤の頓服をしようなどという評価は医療行為になります。

 また、特殊な外用薬や点眼薬に関しては除外すべきだし、それは診療情報として医師が指定するようにします。

 青色で書いたものは、ある条件のもとで介護職が実施してもよいのではないかと考えるものです。酸素吸入、人工肛門の処置、服薬管理、排痰ケアを上げました。

 酸素吸入は、在宅酸素療法をしておられるかたで、ご本人が吸入を開始したいときに指示されたとおりの条件でセットしてあげるもの、人工肛門もごく問題のない人工肛門に対しての一般的な処置、服薬管理はきちんと分類された薬剤を手元まで用意する、あるいは服用の介助をすること、薬に関してはなんらかの判断を要する場合は医療行為と考えます。

 つぎにオレンジ色で示したものを医療類似行為とし、あるいはこれが狭い意味の医療的ケアと言い換えてもいいのですが、あとで示すなんらかの資格をもった介護職が一定の条件が整った状態で実施しようというものです。

 褥創の処置、痰の吸引、経管栄養の管理。インシュリン投与、摘便、浣腸を想定しました。これらはいずれも日常生活のなかで頻繁に、かつ不定期に必要になるもので、介護職しかそばにいないときにでも発生する行為であり、またしばしば患者さんの生命や生活の質に密接に関連する点が共通しています。

 これらがじつに今回の集まり、議論の中心になるものと思います。

 これらにはときに危険性が伴います。

 最後に、この赤字で示したもの、これらはやはり医療行為として実施を医療職に限ったほうが安全だと考えました。

 点滴の針を抜く、座薬の挿入、食餌療法の指導、導尿、留置カテーテルの管理、膀胱洗浄、期間カニューレの交換、気管切開患者さんの管理指導の8つです。

 座薬の挿入がなぜ?と思われるかたがおられるかもしれません。じつは座薬は種類や量や患者さんの条件によって、かなりしばしばショック状態を引き起こしたり、最悪の場合は死亡にまでいたる反応がおきます。医療者でも意外に無頓着な人たちがいますので、病院などではごく簡単に使用してしまうので、みなさまも「たいした処置でない」と思われるかもしれませんが、高齢者のかたや、なんらかの病気を持っておられるかたにとってはほんとに致命的になることがあるのです。医師のなかにも大容量の座薬を処方する無神経な人がいますから、油断は禁物です。注射と同じような速度で効果が現れる座薬の投与は、それで医療行為のままとしました。

 その他は、看護職ではなく医師がすべきだろうというもの、たとえば気管カニューレの交換などもあります。

 では、医療類似行為を実施するためにはどうすればいいでしょうか。

 私は、無条件にすべての介護福祉士やホームヘルパーにそれを許すのは適切ではないと考えています。じつは本音を言いますと、看護師や、さらに医師でさえしていただきたくないかたがたもおられるくらいの、ああるていどの技術や判断力や慣れが必要なものが少なくないのです。

 話が逸れますが、医師会や看護協会の偉いさんが医療的ケアの介護職への解禁に反対される根拠のひとつに、医師や看護師はそれなりの能力や技術を持っているというものがありますが、みなさんもご存じのように、そんなことあらへんやん、というものです。総じて資格は能力を表しますが、資格者が必ずしもそれに応じた能力を持っているとは限りません。とくに最近のように座学主体でライセンスがとれる状況では、無能なペーパー医療職がゴロゴロしております。

 患者さん、ご利用者さんにとっては、資格でケアをしてもらいたいのではなく、安全で的確なケアを受けられるなら、介護者の立場は問わないというのが本音なのではないでしょうか。そこで、介護福祉士やホームヘルパーのなかに一定の上位資格をもうけてその有資格者に医療類似行為を認めるという方法を提案します。

 この有資格者は現場経験の年数や実地研修、実技試験などを関門にして、しかしなるべく多くの介護職に門戸を開いておくべきです。

 そして、実際にケアが必要になったとき、訪問看護と同じように「訪問介護指示書」のようなものを主治医に作成指示してもらったうえで実施することにします。ハードルが高いように思えるかもしれませんが、訪問看護でさえ指示がなければ行えない制度である以上、この指示は必要でしょうし、事故などの際の責任の所在が明確になって、介護職の立場も守れることになるはずです。

 さらに当然のことですが、サービス実施の際の契約書や重要事項説明書には必要な項目をもうけてきちんと合意しておく必要があります。

 さて、このような制度がもし実現したとしても、まだ点滴の針を抜いたり、座薬を挿入したり、導尿など、積み残しになっているものがあります。これらを解決する手段として、私はスポット的な訪問看護を制度化してはどうかと思います。

 介護保険には支給限度額という縛りがあります。訪問看護も訪問介護も最短は30分未満という単位しかなく、看護は介護の約倍の単位数があります。そこで訪問看護のほうに、たとえば15分未満というようなものを設定して、回数を多くできるようにする、これによって、介護職の資格化とともに、要介護者の負担の軽減が図れるのではないかと思いますし、いろいろな原因で経営不振にあえぐ訪問看護ステーションも生き返るところができるかもしれません。

まとめ

 さて、以上で私の今回の話を終わりにしたいと思います。医療的ケアとはなんなんだことについて、次のようにまとめてみました。

【スライド】

 医療的ケアの解禁というものは、

時代の自然な流れであり、

時代の当然の要求であり、

医療費を抑えようという医療政策にも合致しており、

患者さんや障害者のかた、要介護者のかたを救うことはまちがいなく、

そのことはまたご家族や介護にあたっているひとたちも救うことになり、

そしてなにより介護職の助けになるとともに、

結局は医療職も助かることになる。

 そういうものだと私は思っているのであります。

 最後に、しつこいようですが、今回の医療的ケアの問題を通じても見え隠れする、有資格者の既得権益の死守の姿勢に関して、いくつか指摘して終わりにしたいと思います。

【スライド】

 まず、こんなことは言うまでもありませんが、テクノロジーは劇的に進歩しています。たとえば、医療行為とされたインシュリン投与ですが、かつては注射器に薬液を吸って皮下注射をしなければならず、これはまさに医療行為でした。しかし、現在では、注射するという概念ではないような器材が普及しています。

 在宅医療の現場では、この一年ほどでとても普及したインターネツトのいわゆるブロードバンド、ADSLやケーブルテレビ回線などですね、これを利用していろいろなモニタリングをしようという試みもなされだしました。

 こういう時代に、なにもかも人手に頼ってたころの法律や基準や資格を持ち続けても有害だと思うのです。

 さらに医療の世界の後進性があります。ここに上げた病院への株式会社参入の問題などは、その最たるものでしょう。ここでは詳しく言いませんが、私は株式会社が病院を経営することを必ずしも悪いとは考えておりません。まあ実際にはすでに実質上株式会社が病院をやっている例もあります。

 また、私は今日パソコンを2台もあやつってお話していますが、じつは医療の世界ではパソコンの普及がかなり遅れています。事務的なレベルではそうでもないのですが、医者がからんでくると極端に遅れているのです。まあ最近でこそ驚くほどという状態ではなくなってきましたが、おそらく一般企業からみると信じられないぐらいだと思います。

 医療的ケアの問題に限らず、現実はすでに制度や基準などを追い抜いていることが多いということがあります。在宅介護の現場や介護施設ではなかば公然と医療的ケアは行われています。医師の指示がなくてもなんらかの処置をする訪問看護師は少なくありません。医師の資格さえあれば能力の有無は問われない介護老人保健施設では、実際の診療は看護師の仕事だったりします。ま、世の中そんなもんといえば身も蓋もないのですが。

 それから、さきほども申しましたが、資格と能力は一致しないということ。これについてはもう多くは申しません。

 さて、最後の最後にどんでん返しのようなことをひとつだけ指摘して私の話を終わりにします。

 私は、医療的ケアが介護職に解禁されたとき、このことをかなり恐れています。

 いま、重度の医療的ケアが必要な患者さんは、在宅での療養の意志がぜんぜんない場合は、さすがに病院も無理に在宅へと追い出すことはしないのがふつうです。ところが、吸引や経管栄養や褥創処置が在宅であまり問題なくできることになりますと、そのような処置が必要な患者さんに、ご本人やご家族の意志に変わらず退院圧力が強まって無理強いされるのではないか、また、介護施設がけっきょく病院のような状態になるのではないか、で、じつは厚生労働省はそれに気づいたからこそ、最近にわかに解禁のポーズを取りだし、マスコミも取り上げることが多くなってきたのではないか。私たちは世論作りをさせられているのではないか、全共闘、団塊世代ですぐに疑いの目で社会を見るクセがついている私の思い過ごしであったら幸いであります。

 以上、まとまりのない話でしたが、ご静聴ありがとうございました。

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