地域医療のいま
「高齢社会を生きるシリーズ2002 『地域医療のいま』
2002/07/25 大阪ガスビル3階ホール

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目 次

はじめに
今日のお話の流れ
私のやっていることなど(自己紹介にかえて)
地域医療とは何か
地域医療に関するこれまでの流れ
地域医療はいまどうなっているのか
地域医療はこれからどうなっていくのか
市民は自分の命・健康を守るのにどうすればいいのか
おわりに


はじめに

 ご紹介いただいた上農です。今日は、天神祭だというのに、私のような者の話を聞きにきていただいてありがとうございます。さすがに天神さんのときは一年中でいちばん暑いといわれるだけありまして、今日も暑かったですね。

 すこしでも涼しくということで、オホーツク海の流氷の写真をまず提示させていただきました。一昨年2月に網走の流氷観光船の甲板から撮影した氷点下20度の世界でございます。

 さて、今日は「地域医療のいま」などという、ちょっとだいそれたタイトルにしてしまいました。

 今回想定した地域医療というのは、あとでご説明しますが、要するに私たちの日常に密接に関係した医療のいろいろ、心臓移植や遺伝子治療、クローンやなどというような先端医療ではなく、いわば「町の医療」というようなもののことであります。

 そういう、市民生活に密着した医療はいまどのような状態であるのかということをお話して、不幸にして病気になったり身体の障害が残ったりしたとき、一人の患者としてどのようにしたらいいのかというようなことに、すこしでもお役にたてればいいかなと思っています。

 ただ、最初にお断りしておかなくてはならないのは、私の今日の話はあまり明るいものではないということです。自分たちの身を守るのは自分たちしかないということに、結論はおそらくなりますので、地域医療の明るい展望を期待してきていただいたかたには申し訳ないことになると思います。ご容赦ください。

 なにぶんこういう大きな場には不慣れですので、どのようなことになるのか私自身も不安ではありますが、よろしくお願いいたします。

今日のお話の流れ

 さて、それでは時間もありませんので、さっそく始めたいと思います。

 まず、今日のお話の大雑把な予定をご説明しておきます。

 最初に、私がどういう経歴で、いまどういう立場にいるのかというようなことを、自己紹介もどきということですこしお話させていただきます。脳外科をしていた一人の医者が、なぜ地域医療にズブズブに浸かるようになったかをご理解いただければ幸いです。

 つぎに今回私が想定した「地域医療」とはどういうものなのかを、ま、定義しておこうと思います。そのあたりをきちっとしておかないと、いろいろな話がピントはずれになってしまうかもしれないからです。

 そして、これは自己紹介ともすこし関係しますが、医療を巡るこれまでの流れを、おもに健康保険を中心としてご紹介します。話が退屈で難しいかもしれませんが、ここのところは現在の医療を考えるうえで押さえておかなければならないと思いますので、ご辛抱ください。

 そのつぎに、今日のお話の中心であります「地域医療はいまどうなっているのか」ということを、病院や介護施設や在宅現場に関して、制度や現場の状況を含めてすこし詳しくお話していきます。現実は、みなさまがたが断片的にご存じであるよりかなり悲惨な状態であることが、残念ながらおわかりいただけるかもしれません。

 では未来は明るいか、これからどうなっていくのかということをつぎにご説明いたします。しかし、じつはいまのところこれについてもあまりいい話ができそうもありません。ちょっと情けないことではあります。

 そこで、ではもし一市民である私たちが、あ、これは途中でもいいますが、医療者である私も人ごとではないので私たちというわけですが、自分や家族の身を守り、すこしでも快適に生きていくにはどのようにすればいいかということを、最後にお話して、すこしでもお役にたてることがあれば思います。

私のやっていることなど(自己紹介にかえて)

 さて、それでは、このようなお話をする私の経歴を簡単にご紹介しておきます。

 私は1949年生まれの53歳、いわゆる団塊の世代です。1973年に奈良県立医科大学を出ましてすぐに母校の第二外科という医局に入りました。いま東京女子医大の問題で医局というものが取りざたされていますが、教授を頂点とする運命共同体としての医局の姿は昔も変わりません。

 1年間基礎的な教育と麻酔科の研修を受けたあと、ごらんの病院にいわゆる出張に出ています。このときに脳外科の実践を教えていただきました。私はもともと博士号をとる気がなかったというか、学生運動の中心だった世代で、医局制度の歪みの原因である博士号はよくないという運動をしていたこともあって、臨床の教育をじゅうぶんに受けた時点で、いわゆる地域医療の中に飛び出しました。

 そうして入ったのが今も拠点のひとつにしている川西市の病院です。そこで脳外科をしているうちに、障害を持ったかたには通院していただくのではなく、往診でフォローしようとしたのが、在宅医療に重きを置く動機でありました。これが本格的に地域医療に没頭するきっかけになりました。

 そして、話が長くなるのでいまは省略しますが、在宅医療をしていて必ず必要だと思っていた「まともな」老人保健施設を作り上げたいために、いまの医療法人初の老人保健施設の計画段階から関わらせてもらい、初代の施設長として転進しました。

 その後、在宅医療や、そのほかの仕事をしやすくさせてもらうため、いまの立場へ再転進して、いったい上農は何をしとるのやわからんというような、ちょっと自由な立場で仕事をさせていただいています。

 で、それでは現在実際にはどのような仕事をしているのかと申しますと、まず、オープンに深く関わった老人保健施設、これは老人保健施設としてはかなり規模の大きいもので、痴呆専門棟も初めからもっておりますが、その施設でのご利用者の健康管理をしています。ときには最後の看取りまですることもあります。

 つぎに、もともとの病院での脳外科の外来診療があります。週1度と予約診療ですが、やはり専門診療科ということもあって、近隣の開業医さんからのご紹介が多いので、なかなかやめることができていません。

 それから、その病院を拠点にした訪問診療があります。これは偉いさんから指示されてやっているわけではなく、十数年前から始めたものがそのまま残っているものです。だいたい常時40名くらいの患者さんの在宅療養をサポートしています。高齢のかたの寝たきりから、癌の末期のかた、そして難病での寝たきりのかたもおられます。

 これは、私がサポートしている患者さんのうち、最も機材類が必要なかたで、人工呼吸器はもちろん、吸引器や、パソコン、まぶたの動きでスイッチをオンオフする器具など、ごらんのとおりの状態です。

 それから、介護保険制度開始にともないまして、川西市で10ある介護認定審査会の合議体のひとつの責任者をおおせつかっいます。この仕事はけっこうストレスです。私たちの決定で要介護度が決まるわけですから。

 いちおうケアマネージャーの資格ももっておりますが、いまのところケアマネージャーとしての業務はしておりません。しかし、研修などには参加しなくてはなりません。

 もともと地元の女性たちが、いわゆる宅老所のようなものをボランティアとしてやっておられ、私も間接的にお手伝いしていたのですが、昨年、特定非営利活動法人化することになり、理事のひとりとして引っ張り込まれました。しかし、現場はほとんどこの女性たちがしておられます。大きな組織にはない、地域に根ざした活動はみごとです。

 そして、これはごく最近ですが、いろいろ考えるところがありまして、友人たちとベンチャー的な会社を立ち上げまして、理想的な介護サービスを目指して活動を開始しています。大手がひしめくところに参入しますので、どうなることか分かりませんが、医療や介護を違った目で見ることができるのではないかと、ある意味楽しみです。

 さらに特定非営利活動法人の理事をもうひとつおおせつかりまして、この団体については前回のこの会で代表の辻本好子さんがお話されていることと思います。詳しいことがお知りになりたいかたがおられましたら、終了後にでも個別にご説明します。

 そして最後に、趣味が高じて半分仕事となったのがこちらです。パソコン通信歴は13年ほどになります。

 なお、本業の上3つと市の審査会の仕事以外は、いまのところすべてほぼ無償のボランティアであります。

地域医療とは何か

 さて、タイトルにもつけた「地域医療」とは、ではどういうものなのでしょうか。

 じつは、この言葉は医学用語ではありません。したがって、一般的には、医学部で学生に教える言葉ではありません。ということは、私がいまからお話するような医療については、医学部では教育していないということになり、そのことはかなり大きな問題ではあると思いますが、でももし医学部で教えるとしたら、いったい誰が講師をするのやろとも思ってしまいます。

 しかしながら、地域医療という言葉そのものは、かなり古くから使われていまして、もともとは僻地や離島などでの、いわば特殊な環境下での医療をさしていたように思います。熱心な医者が寝食を忘れ自分の生活を犠牲にして診療に当たっているというような状況を想像してください。

 しかし、このあとお話しますように、高齢者が増え、平均寿命が延び、医学が発達したことでわが国の医療の状況が激変したために、ともすれば「ごく普通の」「市民の生活に密接に関係した」医療がなおざりにされる傾向、あるいは、医療費削減のためにそれらがしわ寄せされる傾向が出てきて、危機感を持った市民や行政や医療者が「地域医療」という言葉を、このような意味で使うようになりました。

 したがいまして、今日のお話も、みなさまがちょっとした機会に関わらざるをえなくなる、民間の中小病院やせいぜい市民病院クラスまでから下の、要するに「町の医療」というふうにお考えになっておいてください。もっとも、市民病院といっても、この大阪市では桜宮にある「大阪市立総合医療センター」などは、高度医療のセンターという役割ですから、ちょっと違っていますね。

地域医療に関するこれまでの流れ

 さて、そういうわけで地域医療とは、私たち一般市民の日常に深く関係した部分の医療や介護であると定義づけましたが、では、この地域医療はこれまでどのような経過をたどってきているのかということをご説明しておきましょう。

 現在の問題点を説明するには、どういう経緯でいまの制度になってきたのかということをあるていど知っておいていただいたほうが分かりやすいと思います。

 いまや、日本では、建前としてはすべての人が医療の保険に加入している、つまり「国民皆保険」であるということになっています。

 よけいなことですが、これは、保険に入れるというより、入らなければならないという義務であることには注意が必要です。

 この法律にこのように規定されています。会社などの健康保険や、公務員の共済保険が優先で加入させられ、それらの対象でない人たちが国民健康保険に加入しなければならないことになっています。病気にならんから保険には入らないというわけにはいかないわけです。これは、40歳以上が加入する介護保険でも同様です。

 ただ、これをみますと、市町村の住所を有しない者は被保険者ではないわけですね。住所不定の人が健康保険に入っていないことはよくあります。その場合は、医療機関に受診したり入院したときに生活保護の手続きがとられてそちらから医療費が支払われるのがふつうです。

 したがって、医療機関としては、無保険の患者さんであっても、治療費の取りはぐれがないのが普通でして、その意味でもいい商売です。

 ちょっと横道に逸れてしまいました。

 この国民健康保険法は昭和33年、1958年に成立し、各自治体が作業をして昭和36年、1961年に完了しました。約40年前と、私が小学生のときですから意外に最近のことだったのですね。

 このスライドはその後の、とくに地域医療関係の制度などの経過をまとめたものです。ピンクの数字は、男性と女性の平均寿命、右端の列は、私の勤務先を書き留めたものです。

 この表と同じものは、白黒でちょっと字が細かくて申し訳ないのですが、お配りしたレジュメにありますので、ゆっくりとご参照ください。

 で、この健康保険という制度によって、建前上は国民のすべてが同じ医療を受けることができるということになりました。年表にありますように、都市や過疎地で差があった医療費も1963年には全国一律になっています。一見、非常に平等な制度で、一時は欧米諸国もお手本としようとした国民皆保険制度でありました。

 しかし、この制度は、平等ではありますが、きわめて規制の厳しいものになっていまして、医者の裁量という部分も強く制限されています。保険診療をするかぎりは、オカミが決めた枠のなかだけで診療をしなければならないわけです。お金がいくらある患者さんでも、カネは出すから上乗せした治療をしてほしいという希望もかなえられません。これは混合診療といいまして、健康保険の法律では違法になります。保険診療に縛られない治療をしてほしければ、その治療のすべてを自費で支払わなければならないのです。

 このあたりから、医者への袖の下制度、といいますか、付け届けができてきたのではないかと私は考えていますが、ともかく「平等という名の不自由」がずっと続いております。なお、介護保険では、支給限度額を超えたサービスを自己負担で受けてもいいことになっておりまして、これは医療でいう混合診療の容認ということであり、あとでご説明しますが、おそらくこの流れはまもなく医療保険にも及んでくるものと思われます。

 また、地域によって医療費に差がないというのも、介護保険では地域差がつけられているところからみて、ふたたび議論されるようになる可能性があります。

 さて、1971年には保険医総辞退騒ぎなどもありまして、この時期は武見太郎という会長がいて日本医師会がとても強い時代、そしてその恩恵で医者、とくに開業医さんはとてもいい時代だったようです。おりしも平均寿命が延び、高齢者が増えかけてきて、1973年には老人の医療費の自己負担ゼロという、いまから考えると信じられない制度が始まりました。お年寄りはいくら医療機関にかかっても負担がなかったわけです。

 するとどうなるか。タダでなんでもしてもらえるから、お年寄りはどんどん診察に行く、そして自己負担分がないので、医療機関はいくらでも保険診療ができるということになりました。おそらく、薬漬け、検査漬けのきっかけはこのあたりにあるのではないでしょうか。この点でも医療機関はとても儲かったはずです。

 ちょうど私が医者になったころですが、先輩の診療所に行きますと、薬を買ったら買ったと同じ量のオマケがあって、そのうえカラーテレビも貰った、ときにはアゴアシつきで旅行にも行く、というようなことを聞いて、これはちょっと違うのではないかと思った記憶があります。

 で、そういう時期が十年ほど続いたのですが、昭和57年、1982年に武見太郎氏が引退し、その後日本医師会の発言力はどんどん低下していきました。ちょうど、将来の高齢化社会と、それに伴う医療費の激増が懸念されるようになり、この年に老人保健法が制定され、翌年には老人医療の自己負担が復活しています。そして80年代後半からは、社会的入院が問題視されるようになり、在宅医療、介護という言葉がじわじわと広がりだしてきた、正確に申しますと、行政のそういう誘導がされだしてきたわけです。

 1985年の地域医療計画というのは、簡単にいいますとある地域に入院ベッド数をいくつ作るかという計画、その当時の実情では、いくつ減らすかというものです。それまでは病院はいわば作り放題といってもよかったのですが、入院での医療費が高くつくことと、医療の必要のない社会的入院が目立つようになったことで考えられたわけです。

 その代わりに1989年にゴールドプランというものが策定されまして、これは在宅での介護、医療機関の入院でない介護施設での入所という変更で、医療から介護を切り離そうという政策の決め手になるものであり、この時点で介護は医療から切り捨てられたわけです。その到達点が介護保険というわけです。

 その後もとくに健康保険の診療報酬の改訂のたびに入院医療、とくに高齢者と長期の入院の締め付けがなされ、在宅医療の優遇という誘導がなされ続けてきました。三ヶ月しか入院させてもらえないという神話はこのころからできてきたのではないかと思います。また、行き先のない社会的入院のかたをともかく引き受けてやるということで、劣悪な病院経営者がでてきたのもこのころのことでした。大阪では住吉の安田病院などがやり玉に上がりましたが、あのような病院はかつては珍しくありませんでした。ま、いまでもちょっとその残党のようなところはありますが。

 そして、2000年に介護保険制度が始まりまして、ついに介護というものが医療から正式に切り離されました。ただ、制度から2年たってみますと、医療費を減らす目的で介護保険を作ったものの、そのぶんだけの医療費の削減はできておらず、けっきょくその後も医療費の押さえつけ政策が続いているのは、あとでまたお話したいと思います。

 介護保険制度そのものについても、現場の人間として私はいろいろと言いたいことはあるのですが、それだけで数時間費やすことになりますので今日はあまり触れないでおきます。

 忘れてはならないのは、介護保険と医療保険・健康保険は、地域医療の両輪であり、どちらが欠けても患者さん、ご利用者はとても被害を受けることになるという点、それはそうですよね、もともとひとつであった制度を財政政策のためだけとはいいませんが、けっこう社会の都合でふたつに分けたのですから。で、あとでまた触れますが、そのことを肝心の医療者が理解していないために、介護保険制度が始まってからは、かえって在宅療養がしにくくなったと思われるのです。

 また、介護保険は医療保険に比べてさらに行政や監督官庁から管理されやすい制度になっています。おそらく医療保険も介護保険にならった変化をさせられるでしょうから、医療についての不自由は、さらに強くなることになるかもしれません。

地域医療はいまどうなっているのか

 ちょっと難しい話が続きましたので、ちょっと小休止しましょう。北海道の美幌峠から見た屈斜路湖の景色です。この写真、じつは先月の下旬に私が撮影しました。前日は霜が降りるくらいの低温でしたが、この日は快晴で、梅雨のない北海道を堪能しました。この写真を撮る前に摩周湖にも行きましたが、何度か行ったなかで一番美しい摩周湖を見ることができました。

 私はもともと仕事が好きでなく遊ぶのが好きなので、平日に数日休みをとってこういう旅行をします。勤務医でいると、このような便利さがあります。昔と比べれば携帯電話がありますから、在宅でサポートしている患者さんたちの連絡にもすぐ対応できますので、ほんとに楽になりました。ちなみに、いちばん最初の流氷の写真も仕事をサボって行ったときに撮りました。

 あとで出てくる写真もすべて私が撮影していますが、ぜんぶ平日に撮っております。

 さて、本題に戻ります。

 こうして、地域医療というものが、介護を切り離す形で縮小化圧力をうけてきたことがお分かりいただけたかと思いますが、では、いま、地域医療の現場の状況はどのようになっているのか、まず、総論的なものをお話して、あとから個別具体的な状況を私の知っている範囲でご説明いたします。

 まず、すべての状況はここからきています。ここでいう医療費とは、国民総医療費といいますか、要するに国が支出する医療費のことです。昨年までの医療費の変化というもののグラフをみててみますと、たしかに国民総医療費は30兆円を超えてきています。公的な統計をいろいろ当たってみたのですが、故意ではないと思いますものの、介護保険制度が始まってからの変化が見あたりません。

 それにしても、あらためて見てみますと、毎年毎年新聞などで「また医療費が上がった」といわれているわりには、たいした右上がりにはなっていないじゃないかというのが私の印象です。このあたり、なんとなく世論誘導されているような気もします。

 他の、いま話題になっている、いろいろな公共投資に比べればしれているというふうに思うのですが、間違っているでしょうかね。

 で、医療費を減らそうということで、いろいろな締め付けがありまして、この4月の診療報酬の改訂では始めてマイナス改訂になってしまいました。なかでも入院に対する締め付けが、以前からではありますが、目立ってなされています。

 そして、この制度上の締め付けが、じっさいには患者さんの入院医療に対する、主として期間の短縮という形で出てきています。三ヶ月しか入院させてもらえない、というお話をいまだによく聞きますが、いまや一般病院では三ヶ月なんてとんでもない、ひどい場合はまだ病気が治っていないような状態でも退院させられたりしています。

 それで、入院医療が締め付けられ続けてどうなってきたかと申しますと、このように、在宅医療、在宅介護へひどいしわ寄せがきているのが現状です。

 病気がじゅうぶん治っていないうちに退院させてしまう、在宅で病状が悪くなって入院を依頼してもいい返事をしてくれない、そもそも在宅では無理な患者さんもなんとか退院させようとする、というようなことが頻発していまして、私たち在宅療養のサポートをしている人間の神経を逆なでしてくださいます。それよりなにより、つらい目をする患者さん、ご家族が気の毒でなりません。彼らの多くは、長くは入院できない規則なんやと、なかばあきらめに似た形で気持ちを抑えておられるようです。

 じつは、十年以上やってきた在宅医療を、すこしたたみにかかろうかと最近私は思い始めているのですが、それは、最後のバックアップとして在宅患者さんを引き受けているうちに、退院させればなんとかなるやろという気分が私の周囲の医療者たちにあるのではないかと思うようになってきたからです。

 ま、この在宅療養へのしわ寄せについては、これも話をしだすとキリがありませんのでまた機会があれば、ということにいたしましょう。

 つぎに、最近お医者たちが急激に感じてきているらしいのが、情報に関してのことです。情報公開につきましては、カルテの開示こそまだ十分ではないものの、じわじわと診療に関する個人の情報をその個人に公開する方向に動いてきていますし、医療機関の情報もあとでお話しますように、広告規制の緩和という形で変化してきています。また、インターネツトによる医療機関や医療者の情報開示もすすんでいます。

 それとは別に、このまさにインターネットの発達という現象のために、いままでたどりつきにくかった医学情報にアクセスすることが簡単にできるようになり、問題意識を持った患者さんがたが医療者よりねたくさんの医学情報を持つことが珍しくなくなってきました。

 この春に惜しくも亡くなられた井上平三さん、朝日新聞でご自身のガンとの生活を連載しておられたかたですが、井上さんがよく提唱しておられたことに、病院に患者さんや一般の人たちが医学情報に簡単に接することができる図書室をおくべきだというのがありました。私もそれには賛同していたのですが、時代は図書室を飛び越えてしまったようです。なにしろ、自宅で休日であろうと深夜であろうと、簡単に多くの情報を得られるわけです。最近、お医者さんたちが、患者さんが病気についての情報や文献で理論武装しておられることが多くなったと言っています。自分たちもうかうかしていられない、と。

 で、こういう情報武装はいいことなのですが、逆にどのような情報でもそのままおいてあるインターネツトの危険性というものがあります。間違った情報や、カルト的なものや、悪意を持ったものも、誰もそれをコントロールしていません。

 一ヶ月ほど前から問題になっている中国製のダイエット食品など、その典型的なものでしょう。ほかにも、視聴率を重視するあまり、これはちょっとどうなん、と思えるような内容や説明の医学情報を売りにしている低俗テレビ番組もあります。

 情報は多くなりましたが、その情報を見分ける力というものが、こんどは必要になってきています。

 さて、話は変わりますが、規制緩和や、郵便や道路公団の民営化など、いま世の中は大きく変わろうとしています。そのなかに、医療への株式会社参入解禁という問題もあります。医療側は、営利ばかり追求する法人では医療は荒れるとして、この動きに激しく反発しています。

 介護の世界では、介護保険になった当初から、営利会社の参入を認め、それまで医療法人や社会福祉法人にしか許されていなかった事業が解放されました。それで、荒れたかといいますと、たしかに荒れた面もあります。しかし、荒れたのは営利企業だけが原因ではありません。

 誤解を承知でいうなら、いまの医療法人のなかにだって営利ばかりを追求しているところは、なんぼでもあるやん、というわけです。詳しくはいまは触れる時間はありませんが、エゲツナイ商売をしている医療者が現実にいるのば間違いありません。

 ですから、私は、いい意味での競争原理が働くようにすれば、株式会社の病院経営もいいのではないかと思っています。ま、現実には、たとえばセコムなどはすでにいくつかの病院を持っているわけではあります。

 そして、さきほどちらっと言いましたように、医療でも介護でも事業者は玉石混交です。体裁からだけでは見分けがつかないのが難しいところですが、レベルの低い医療機関や事業者に当たってしまうと、ほんとに命に関わってしまうのが恐ろしいところです。

 つまり、これらの人たちのいろいろな事情、思惑が交錯して、いまの医療や介護の世界はほんとに混沌としています。私は医者になってまもなく30年になりますが、ここ数年のような閉塞感を感じたことはありません。まさにみなさん、いま、病気になったらたいへんですよ、と言っておきたいと思います。

 そして、さきほども申しましたように、そういう混沌はけっきょく誰にしわ寄せがいくかと言いますと、これはもう患者さんとその周囲であるということになります。あと、ほんとにまじめに医療や介護をしようとしている現場の人たち、この人たちも一種の被害者です。

 みなさんがたお聞きになりますとびっくりするような安い報酬で、けっしてきれいでない仕事を熱心にしている彼ら彼女らを見ますと頭が下がります。私は経営者ではないので、ウチのスタッフの給料を上げることができませんので、せめて気分よく仕事をしてもらえるようにと、せめて頭を下げることにしているわけです。

 冗談はさておき、ここに書きましたように、けっきょく患者さんやご利用者、ご家族が「こうできれば便利だし手間が省けていいのにな」ということは、まずほとんどできないように制度が規制しています。

 たとえば、デイケアで送迎のあるときに、医者に診察をしてもらって点滴もしてもらえれば楽でエエと思うでしょうが、それはできない、というか、しても医療機関の収入にならないようになっていて、だから医療機関は「サービス」になってしまうわけで、それは経営上問題があるのでしてくれないことになります。

 なぜ、患者本位に制度をしてくれないのかといいますと、必ずそれを悪用、拡大解釈するヤカラが出てきてしまうからなのです。どこの世界にもあるのでしょうが、医療の世界でもごく少数ながら下品な連中がいることは、みなさまも折に触れ感じておられるのではないかと思います。

 ではつぎに、いま具体的にどのような問題が起きているのかということを、病院や介護保険施設、そして在宅での具体的なことを指摘しておきたいと思います。その前に、ひとくちに病院や施設と申しましても、なかなかいろいろあるのだということをちょつとご説明しておこうと思います。

 医療機関は、医療法という法律で定義され規定されていまして、このように6種類あります。病院というのは20ベッド以上の入院設備を持つものをいい、そのうち『地域医療支援病院』とは「地域における医療の確保のために必要な支援に関する一定の要件に該当」するものを言います。要件とはたとえば紹介患者に対する特別の体制や、救急医療、医師の研修などです。『特定機能病院』は、つい先日東京女子医科大学が指定を取り消されたばかりですが「高度の医療を提供する能力がある」「高度の医療技術の開発及び評価を行う能力がある」「高度の医療に関する研修を行わせる能力がある」など、要するに最高の医療を提供する病院が指定を受けます。一般的には、そこでなら最高の医療を受けることができると信じられるはずのところですが、ま、一部には女子医大だけではないということが公然の秘密だったりするので困ってしまいます。

 診療所には19ベッド以下の入院設備を持つものと、それがないものとがあります。町の普通の開業医さん、医院はこの無床診療所です。

 助産所というのは、要するに産婆さんのところですが、すっかり見なくなってしまいましたね。どうでもいいことですが、私は産婆さんのところで生まれました。私の弟二人は病院でしたので、大阪近郊での助産所の存在の変化はそのころにあったようです。もちろん、まだがんばっておられる助産所はあるようですが。

 つぎにこれは、医療法で規定されている病床の種類と、健康保険の診療報酬で規定されている保険診療での病棟の種類です。いろいろややこしいので、私たちでも混乱しますが、左側にある療養病床というのは「長期療養にふさわしい療養環境を持った病床」であり、介護保険でいう介護療養型医療施設もこれに当たります。そして介護療養型医療施設意外の医療保険対応の療養病棟は、右側の療養病棟ということになります。

 一般病床というのは、療養病床から精神病床まで以外の病床のことになります。どうですややこしいでしょう。

 ここで時間をとるわけにはまいりませんので、細かいことは省略します。というか、私も間違いなく理解できているかどうか、ちょっと自信がないのが本音です。

 ひとつだけ、健康保険でいう病棟で、いちばん療養環境が悪いのはどれだかおわかりになりますか。

 じつは、それは老人病棟なんです。この病棟は、ここ数年間にいろいろと基準が作られて、すこしでも療養環境を改善しようとしてきた制度から落ちこぼれた病棟といえばいいと思います。この病棟は平成15年8月末で廃止されます。一年後に、療養病棟か一般病棟の設備や人員の基準を満たせなかった病棟は、保険診療の対象外となりますから、実質的には潰されることになるわけです。

 さて、一般病院、ここでは、みなさまがたが病気かなと思ったり、ケガをしたときに、ふつうに診察を受けにいく病院を想定していただければいいわけですが、民間の救急指定病院などもこれに肺っています。

 何度か言ってきましたように、入院期間を短縮させなければ入院料が少なくなる制度になっていまして、その基準が改訂のたびにどんどん短くなっていますので、今年の4月からまたさらに厳しくなっています。

 それから、いったん入院するとどうしても入院期間が長くなったり、家庭復帰が困難になる高齢者を避ける傾向が顕著になってきています。もちろん、制度的に高齢者の入院が多いと経営上の不利がおきるようになっていることが原因のひとつでもあります。

 医師をはじめとする医療職が忙しすぎることと、患者さんが大きな病院に集中するということは無関係ではありません。3時間待って3分間診療などと揶揄されますが、その原因は医療の側だけにあるとは思えません。

 大きな病院では、医師の確保を大学医学部に頼っているということが、ずっと昔から延々と続いています。とくに若い医者は、一定期間を「出張」と称する勤務で病院にきますが、それでは地域に帰属意識を持つわけはありません。退院したかたが在宅でどんな暮らしをすることになるのか、たとえば病院近辺の土地勘もない医者が分かるわけはありません。また、長期にわたって通院している患者さんは、何年かするうちに何人も主治医が交代してしまい、けっきょく誰が責任を持って診ているのか分からなくなつたりしてしまいます。

 このことと関係しますが、地域に興味のない病院の勤務医は、在宅療養がどうなのか見えていないし、また興味をもつこともないということもあります。在宅医療をサポートしているある業者さんの担当者が、ある病院から退院して在宅にもどられる患者さんのことで病院と打ち合わせするたびに、また一から説明しなければならないということを何年も繰り返しているのです、と嘆いていました。

 さて、慢性期の病院ではどうでしょうか。すくなくとも介護が必要な患者さんの割合が多いでしょうし、忙しい一般病院と違ってすこしは地域医療に理解があるはずだと思いたいところですが、これがまた悲しいんです。

 もちろん、私の知っている病院で、みごとに地域と連携していい医療を提供している慢性期主体の病院もありますが、つまり、差が激しいのです。しかもレベルの低いところの低さがナミではありません。

 これにはいろいろな要素が関係しますが、経営がしんどくて人手が少ないことや、必要悪という考え方が強く感じられます。どんなところでもいいから、年寄りを預かってくれさえすればエエのやという人たちがいて、なんでもエエからねかしとけという病院経営者がいる、そういう世界でもあります。

 そういう病院からしますと、もっと低額の料金ででもやっているレベルの高い介護保険施設がありまして、いわば逆転現象がおきています。極端にいいますと、病院で寝たきりを作り施設で回復させるということになるわけですね。

 さて、つぎに介護保険施設の問題です。

 介護保険施設にはこのように3つのものがあります。これについては、じっさいに介護保険に関係している者でも完全に理解できている人が少ないのが実情ですから、みなさまがたが混乱されても無理はないでしょう。

 介護療養型医療施設と介護老人保健施設は、施設としての規定はさきほど説明しましたように「医療法」です。介護老人福祉施設はこれとは違って「老人福祉法」で規定されている特別養護老人ホームです。もともとは医療機関であった左二つと、福祉施設であった右とが、介護保険でいっしょくたになったため、いろいろと矛盾がでてきています。

 これらの違いはこの表、レジュメにもありますが、それをごらんください。

 介護保険の給付は左側ほど高くなっておりますが、じっさいに現場でやっていることはこの三者でそれほど大きな差はありません。基本的に人件費の差だと考えてください。入所者100明あたり、医者3名必要な介護療養型医療施設と、常勤の医者はいない介護老人福祉施設、看護師の数なども比べていただければお分かりいただけるでしょうか。

 もちろん、介護療養型医療施設は医療法でいう病院ですから、夜間の当直医も必要ですので、医療の必要度の高いかたが入所するのに適しているというのが建前ですが、じっさいには3つの施設の利用者に厳密な違いはありません。

 ですから、介護療養型医療施設はとても中途半端です。医療保険の介護療養型医療施設病棟と基準がほとんど同じですし、やっていることは介護老人保健施設とそれほど違いはない、おそらく、将来的には介護老人保健施設の基準に収束させて安上がり化させる、つまり、「病院」という名前の施設をぐっと減らす狙いがあると私はみています。

 介護老人保健施設に関しましては、現に私の主たるフィールドですから、いくらでも意見は述べることができますが、今日はあえてこの3点に絞ってご説明しておきます。

 まず、さきほどから言っておりますように、病院では入院期間を短くしようとしますので、退院して自宅に戻れないかたや、自宅に戻るまえにもうすこし回復させたいというかたが介護老人保健施設にこられますので、医療の必要度の高いかたがとくに最近は増えています。持続膀胱カテーテルを挿入していたり、インシュリンの注射を血糖値をはかって調整しながらしていたりというのはもちろん、経管栄養や気管切開のかた、人工透析をしているかた、あげくには癌のターミナルケアまで関わらねばならなくなっています。

 また、介護保険が始まってからとくに顕著になっているのが、在宅に戻れないかたの利用です。いわゆる「老健巡り」というのですが、特別養護老人ホームに空きがないうえ、介護老人保健施設には長期に入れないため、ある介護老人保健施設を退所してそのまま別の介護老人保健施設に入所するというケースです。私のところでは、新規の入所のお申し込みの、おそらく半数以上は他の介護老人保健施設のケースワーカーからの問い合わせだったりしています。これは、介護老人保健施設という施設の理念にきわめて反することだと思っていますが、現実は理念などといっていられないほどせっぱ詰まっているのです。
 それから、これはすべての施設や病院でもいっしょですが、施設によってひどく格差があります。介護保険になってから、地域によって違いはあるかもしれませんが、監督官庁の指導監督がすこし緩い状態が続いていまして、それも一因かと思われます。

 つぎに介護老人福祉施設、特別養護老人ホームですが、こちらについては医療との関係がたいへん微妙になっています。

 さきほどから言っていますように、介護保険施設間で利用者の基準に大きな違いがないために、病院から直接特別養護老人ホームに入所というようなケースもあるわけで、医療体制の格差をどうするかは今後大きな問題になることでしょう。

 そして、しばしば話題になっていますが、入所待ちが数百人というような状況で、介護の必要性の高い人がなかなか入所できないという現状があり、ついに厚生労働省は要介護度の高い人、それ独居などの事情のある人を優先するようにと指導することになりました。それはそれである意味けっこうなのですが、おそらくそうなりますと、私の職場である介護老人保健施設では、介護老人福祉施設に入れないし在宅療養もできないという人が、もっともっと老健巡りをされる状態になると考えられます。

 さて、時間もなくなってきましたので、急いでいきましょう。

 つぎに在宅ではどのような問題があるのか、ざっと指摘しておきます。

 まず、これまでの説明であるていどご理解いただけたと思いますが、とくに高齢のかたの場合、医療や介護の施設でのバックアップが心許ないという問題があります。病状が悪くなって救急車で病院に行ったけど、入院は無理とかいわれて、応急的に点滴くらいされそのまま自宅に戻されてしまったという現実はすでにあります。極端にいえば、ほんとに死にかけでもなければ入院できなくなるという…。

 また、介護者の都合で自宅で介護できないとき、どの施設もほとんど満杯、急なことだとほとんど無理ということも少なくありません。私の施設でも綱渡りのようなことがあります。

 たとえば、痰を吸飲したり、流動食を管から注入するというようなことは、家族がするぶんにはなんら問題はないのですが、ホームヘルパーなどの介護職員がやりますと、医師法違反ということになってしまいます。昨年でしたか、救急車に乗っている救急救命士が気管に管を入れていて問題になりましたが、あれと同じようなことです。

 かといって、医療職である看護師が、それに合わせて自宅に赴くというのは現実的ではありません。在宅であるていど以上の重度のかたの世話をするときに、必ず出てくる問題であります。

 それから、繰り返しになりますが、とくに病院の医療者の在宅療養への無理解があります。とくに医者連中の多くはほとんど興味がないといって間違いありません。

 また、知らないからこそ、簡単に在宅療養しなさいといえるわけで、けっきょくえらい目にあうのは患者さんご本人とご家族ということになります。

 そして、在宅在宅というものの、ずっと在宅をみてきて最近経験的に分かったのがこれです。地域医療のうち、在宅医療を導入するのにぜったい必要な医師ですが、在宅に関わる医師の割合はいつまでも増えないのです。

 「こんど改行しはった何々センセは在宅に力を入れて往診もどんどんしてくれはるそうです」という話を何度聞きましたか。開業当初こそ熱心に往診されている医者も、だんだんと経営が軌道に乗ってきますと、もともと好きで始めたのではない、立ち上げのときの経営上の都合で始めた在宅医療、豊かになってくればいつの間にか立ち消え、というような状況なので、だから一部の本気に熱心な医師以外は、入れ替わりが激しいだけで数は増えない、という仕組みです。

 介護保険での問題はないかといいますと、ケアマネージャーの能力の差や、所属する介護事業所の囲い込みなど、利用者にとってほんとうによいケアプランができているかという問題が目立ちます。

 いらぬサービスを提供されたり、とうぜん受けられるサービスを知らされなかったりというケースが少なくありません。

 さらに、これはわたしの勤務先の医療法人などがその典型なのですが、病院や介護施設や在宅サービスをずらりと揃えた大手が地域のサービスを独占してしまうという問題が指摘されています。私などそのなかにいるので、ウラ事情もよく分かり、中から批判的に発言はしますが、やはり組織人である現場はなかなか呪縛からは逃れられないようです。

地域医療はこれからどうなっていくのか

 というわけで、いやはや、かなりしんどくなってきましたでしょ。現実はそうとうに難儀な状態なのです。

 小休止です。京都嵐山にある大河内山荘です。ご存じのかたもいらっしゃると思いますが、私はかなり感激してしまった山荘です。

 さて、もうすこし暗い話におつきあいください。

 これから地域医療はどうなっていくのだろうかという話です。

 国民医療費を減らそうというのが大前提、要するに公費負担を減らしたいのがオカミの考えなのですから、当然保険が適用される部分は次第に減らされていくものと思われます。

 これは、広井さんという、医療政策や医療経済を専門にしていらっしゃる千葉大学の助教授の著書から引用したものですが、網のかかった部分が現状での医療保険の部分でして、これによりますと、真ん中の本体部分にさえすでに穴が開いております。今後は、この穴がどんどん大きくなるとともに、とくに上と右への広がりは経済的に余裕のある階層から求められて、次第に拡大していく可能性があります。上と右については、いまでも差額ベッドや、たとえば歯医者さんでのインプラントなどの先進医療の部分でのびていくでしょうが、従来「混合診療」として禁止されていた本体部分の穴は注目すべきです。

 つまり、これまで保険診療だけでしか対応されなかった「ふつうの医療」が金で買える時代がすぐにくるということになります。

 逆に言いますと、保険診療部分は、ほんとに最低限の医療や介護を保証するだけ、それによって公費の負担を減らしていこうという流れです。我々は、金がなければ、ほんとに最低限の医療や介護しか受けられなくなるということです。

 そういうわけで、経済的な余裕があれば、いわばファーストクラスの医療や介護を受けることができるように、近い将来なると予測しています。

 しかし、それはサービス提供側についてみれば、エコノミークラスからファーストクラスまでのいろいろなメニューを提示し、集客力を持つ必要があるわけで、それができない事業者は、もちろん病院を含めて淘汰されることになるはずです。

 介護保険制度は3年ごとの検討がうたわれておりまして、さきほど申しましたように、介護老人福祉施設への入所の基準について通達が出ましたし、痴呆をもつかたの要介護認定の一次判定がヘンだという矛盾を修正しそうですし、またそもそも介護報酬の額を来春に変更しようということになっています。

 医療のほうでは、ほぼ2年にいちど診療報酬は改訂されていますし、さきほどご説明しましたファーストクラスをどんどん増やすみことなど、おそらくしばらくは朝令暮改の状態が続き、私たちサービス提供側はともかく、患者さんやご利用者には、いつもいつも制度変更の可能性におののかなくてはならないでしょう。

 で、こういう将来を思いうかべていますと、あと15年ないし20年ほどたったとき、私のような団塊の世代の年寄り連中は、いったいちゃんとした生活ができるのだろうかと、これは実に真剣に考え込んでしまいます。

 そういう未来のことに思いはせていますと、なんのなんの「いま」なんてまだまだ序の口などと思ってしまったりするのでした。

市民は自分の命・健康を守るのにどうすればいいのか

 ま、将来につきましてはしょせん予測でしかありませんが、現状だけでもそれなりに大変な状況であることはお分かりいただけたでしょうか。

 最後に、ではふつうの市民は、自分や家族の命や健康を守るためにどうすればよいのかということを、私の独断と偏見を交えてちょっとご説明しておきたいと思います。

 そもそも、たいていのかたがたは、たとえばご自身が病気になって入院したとか、親が痴呆になってきてたいへんだとか、そのように自分の身に直接降りかかってくるまでは、こういう話を聞いていらっしゃっても、しょせん人ごとなどというふうに考えておられるのが大部分です。

 そして、なにか起きてはじめて、いろいろと調べてみたらほとんどドツボ、こんなことくらいでけへんのんか、などと八つ当たり、落ち込みしてしまわれます。

 そうなってからあわてても遅い、いや、そのときには焦っているぶんだけ、かえってババを抜くおそれが大きくさえなるかもしれません。なにしろ、たとえば脳卒中などは、ほとんど一瞬のうちに一人の人を要介護者に落としてしまうのです。「関係ないやん」と思っているアナタ、この会場から帰ろうとして天神さんの雑踏に巻き込まれて骨折するかもしれませんね。あるいは、あまりの暑さに脱水になって脳梗塞を発症するとか…。

 そういう意味で、とりあえず健康問題に懸案事項もとくにない平和ないまのうちに、いろいろな情報を集め、その情報の質を見極める修行をしておくというのが大切だと思いますし、私はこういう機会があるたびに、そのことをまず申しあげております。

 ではそういう情報をどのようにして集めるか。ここが難しいところであります。しかし、せっぱ詰まった状態ではなければ、焦らずにいろいろと情報にアプローチできると思いますし、そのうちに雑然としたなかから本来掌握しておきたい情報を入手する「勘」のようなものを身につけることができるかもしれません。

 これは、情報の、すこしはタシになるかもしれない、医療機関の広告に関するトピックスです。今年の4月から、規制緩和の一環として、医療機関の広告規制がゆるめられました。このスライドのような項目が広告として表示してもよいということになったのですが、でもよく考えてみますと、これまではこのていどのことまで医療機関が表示してはいけなかったことに気づきます。

 内容を見ていただければちょっとあきれるかもしれませんが、規制を緩和したといってもこのていどなのです。逆に、ということは、これまではほとんど情報は公開することはできなかったわけで、患者さんから「どこかいい病院はおまへんか」と、いわばインサイダー情報を求められる機会が少なくなかったのも頷けます。

 もっとも、患者さんが医療機関を選ぶ現実的な状況から考えますと、これらの項目だけではまだまだ不十分だといえなくもありません。

 そのようにして集めた情報をもとに、つぎには何かあったときには「自己決定」をする必要があります。もっとも、自分の身体のことは自分で決めるという自己決定ですが、自分で決めても医者がOKしなければなにもなりません。そして、自己決定したものは、かならず自己主張して意志の表明をしなくてはなりません。間違っても「センセにお任せします」という言葉は使わないこと。

 しかし、医者のなかには、このような患者の自己決定を嫌ったり、逆に自分たちのミスの責任転嫁に使ったりする一部の人たちがいます。患者さんの側も、どのような表現で自己主張するかというコミュニケーション技術は身につけておいたほうがいいようです。

 しかし、いかに情報を持っているとはいっても、本やインターネツトから得られるものはしょせん一般論でしかありません。個々の患者さんの状況はそれぞれみんな違うわけで、最終的にはインフォームド・コンセントが重要になります。

 日本語で「説明と同意」とよく言われていますが、ささえあい医療人権センターCOMLの辻本代表は「理解と選択」という提案をしておられます。この違いについて詳しくお話している時間はありませんが、どんな治療方針でも最低2つの選択肢はあります。「これしかない」ということはありません。つまり、最低限「治療するかしないか」の選択はできるわけで、患者さんの側には「しない」選択をする自由もあります。もちろん医師は「しなかった場合」についての説明もすべきであることは当然であります。

 そして、いろいろ説明を受け、方針のなかで勧められるものがあっても、やはり迷って自己決定に踏み切れないとき、セカンド・オピニオンという手段があります。みなさんはもうご存じのことだと思いますが、これは主治医からすべての情報の提供を受けて、別の専門家に意見を聞くというもので、黙って別の医者にかかってみるというのではありません。したがって、セカンド・オピニオンのためには、主治医の協力が不可欠で、これを理解し積極的に提案する医師がかなり増えてきたものの、いまだに「ワシを信用でけんのか」といって非協力的な医者もいるようです。

 ところで、いろいろと医療者との関係ができ、医療現場を知ってきますと、医療に関しては、あいや、医療業界だけではありませんが、いわゆる「裏メニュー」に気づくことがあります。

 たとえば医者への付け届けです。はじめのころに、保険診療の平等性が付け届けという習慣の原因のひとつではないかとお話しましたが、これは患者さんの側からしますと「自分だけちょっと特別扱いしてほしい」とか「自分だけちゃんと扱われなくならないようにしなければ」という意識が働いているものと思います。政治の世界で、賄賂とか、先日副大臣をクビになつたおちゃめな代議士さんのような口利き疑惑など、世間には裏メニューがいろいろあって、裏なのにたいていの人たちは知っていて、知っているのに知らぬふりをするという、アホみたいなものではあります。

 医者への付け届けだけでなく、医療の世界にはまだまだ裏メニューのようなものがあります。私のような者でも医療の世界にずっといると、どれが表でどれが裏かということが分からなくなつてきたりしますから、問題意識のない医療者の無神経さは理解できるような気がします。

 そういう裏メニューを使うかどうか、これまた難しいところではあります。

 ちなみに、私は付け届けは、盆暮れの進物習慣も含めてご辞退していますし、それを無理にされると逆ギレしたりする危険な医者ではありますが、付け届けを受け取っている医者たちでも、その大部分は付け届けられてもられなくても、仕事に違いはつけないでしょう。ごくごく一部の品のない医者が、ゼニゲバって古い言葉ですが、要するにカネの亡者のような動きをしているだけのようです。

 結論、付け届けは、いりません。請求されるような医者にはかからないでおきましょう。

 で、付け届けはいりませんというのと一見矛盾するように見えるかもしれませんが、これからの医療においては「差別化」は容認せざるをえないと思います。

 さきほどの医療の本体部分と周辺部分の図をよく見ていただければ分かってもらえるかと思いますが、右側の部分と本体部分の網のエリア、これは必ず小さくされていくことでしょう。これまでも、たとえば差額ベッドなどの点では、まあ主として経済的な負担の有無で差別化されていましたから、そういうものが増えていくことはやむを得ないと思うのです。逆にそれが裏メニューでなく、公然とされていることで、へんな利権や裏金が防げるはずだと思います。

 そして、患者さん、利用者さんの側の希望でなくてこのようなメニューを使わなければならないときは、それに自己負担を押しつけることがないキチッとしたルールを作っておけばいいのです。現に、差額ベッド、個室ベッドでも、一定の条件のもとでは、患者さんから差額を徴収することができないことになっています。もつとも、これがなかなか徹底されていないのは困ったものですが。

 ご参考までに、これが差額を徴収できない場合なのですが、じつはこのルール、なかなか医療現場で徹底されておらず、これをみて驚かれる患者さんも少なくありません。

おわりに

 なんだか突っ走った話になってまとまりがなくなってしまいました。

 いずれにしましても、医療も介護も、あまり明るい展望はなく、一人一人が自衛し武装しておかなくてはならない時代であることはたしかです。

 おわりのまとめに行く前の写真が鹿苑寺金閣であるというのが何かの暗示かと思われるかもしれませんが、じつはまさにそのとおりでして、結論として、

 こういうタイトルをつけてしまいました。

 最後のほうで、差別化を容認せざるを得ないと言いましたように、これからはきっとおカネに余裕のある人たちは、そうでない人たちよりもいい医療や介護をうけられることになる可能性があります。

 保険というエコノミークラスの部分の範囲がだんだん少なくなるとともに、医療保険でも自費負担の併用ができるようになりますと、経済的な余裕があればこういうことになる可能性が強いわけです。

//SLIDE//ゼニか…2
 で、ほんとうならそうなれば裏メニューはなくなるはずですが、この国の裏メニュー習慣が簡単になくなるとも思えませんから、そのうえさらにこういうこともできるようになるかもしれません。サービス提供側も、ファーストクラスのお客さんならチップをはずんでくれるかも知れないという期待もするでしょう。

 ほんま世の中ゼニでんなあといいたいところですが…

 しかし、ここがいちばん大切なところでして、いくらお金持ちでも、健康や命そのものをカネで買うことはできません。寿命や運命というものは、金持ちにも貧乏人にも平等に被さってくるものであります。

 そして、たとえば家族や友人との関係などを含め、人は生きてきたようにしか死ねないのではないかと、30年も人さまの死をみてきた私としましては思わざるをえないわけです。
...さいごに

 なんだか「なまんだぶなまんだぶ」と読経してしまいそうな結論になってしまいましたが、私の話はこれでおしまいにしたいと思います。

 それにしましても、暗い運河をライトアップするよりも、明るい日の出になるような地域医療の未来を期待したいものです。

 ありがとうございました。

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