痴呆のかたの医療知識


はじめに
正常と異常
老年症候群
痴呆症の定義
個人を個人として


はじめに

 ご紹介いただきました、川西市にあります医療法人協和会の上農でございます。

 今日は、どういうわけか、このような場でお話させていただくことになってしまいまして、少々とまどっているところでございます。と申しますのも、私はかれこれ十年以上在宅医療に関わってきましたし、ケアマネージャーでもあります。それにもともと脳外科が専門であり、痴呆専門棟を持った介護老人保健施設の医者でもありますが、じつは「ふれあい・いきいきサロン」というものがあることは存じておりますものの、これまでに実際にサロンを見学したこともなく、つまり、どの程度のお年寄りが、どういう生活をなさっているのか、ほとんど知らないのです。

 したがって、今日、どのようなお話をさせていただければみなさまのお役にたてるのか、まったく不明なままでかけてまいりました。ただ、私は、いわゆる「宅老所」と分類されているのでしょうか、川西市にあります「ひだまり」のみなさまがたと、特定非営利活動法人の役員という形ですこしだけいっしょに活動させていただいており、まあ、医者のなかでは、「いきいきサロン」のような地域の活動に興味を持っているほうかなと思いまして、ご依頼がありましたのでともかく参上した次第であります。

 それで、今日ご依頼を受けましたのは、いわゆる「痴呆」について、その医学的な話を、というものでした。

 今日私が作成しましたレジュメでないほうのレジュメにかなり詳しくまとまったものがありまして、この教材の4ページから7ページに痴呆の医学的なことがかかれております。

 今日の私の話は、じっさいに多くの、そしてさまざまな段階の痴呆症のかたの診療をしてきて、また、痴呆症ではないけれども、老化のひとつとしての、いわゆる「ボケてきた」と自称するレベルのお年よりと関わってきた医療者として、老化としてのボケと病気としての痴呆の違いや、「いきいきサロン」のような施設ではどのような状態のかたとの生活までできるのだろうかというヒントになればというようなものにしたいと思います。

 そこで、老化による生理的なボケつまり記憶障害などの説明のために、まず老化、正常な老化とはどういうものなのか、病的な老化とはなにか、というようなお話から入りまして、そして老化のひとつの要素としての記憶障害についてお話し、そのあとで病的な記憶障害、すなわち痴呆症について、医学的というより医療的、ちょっと言葉遊びのようですが、大学や大きな病院などでの痴呆症治療ではない、じっさいの現場で経験する医療から見たものをお話できればと思っています。

 最後に、痴呆症のかたとのおつきあいのしかたについても少し触れようかと思っていますが、ここのところは別の講師の先生からも詳しいお話があるようですので、レジュメに提示しておくだけになるかもしれません。

老化とはどういうことか

 さて、ではあまり時間もありませんので、さっそく本題に入りたいと思います。

 「老化」とひとくちによく使いますが、老化とはどういう現象のことをいうのでしょうか。老化の定義というものはあるのでしょうか。それを探してみますと、教科書的にはレジュメの一番うえに書きましたが、

「人が生まれてから死ぬまでの生命サイクルのなかで、成熟期に達した個体が徐々に身体の機能の低下・衰弱をへて死にいたるまでの過程」

ということになります。

 しかし、私たちが現場で高齢のかたを診察したりケアにあたったりする場合、老化とはこのような身体的生物学的なものだけではなく、精神的、さらには社会的な要素も重要であるということも忘れてはなりません。

 さて、その老化に伴って観察される基本的な特徴について、ストレーラーさんというかたが1962年に4つにまとめておられます。レジュメの二番目です。

 まず、老化の過程は先天的な因子によって規定されているということ。ある個体の生体としての寿命は遺伝子的に決められているので、要するに不老長寿の方法はありえないということになります。

 つぎに、一時的に若返えるように見えるようなことがあったとしても、長期的にみれば老化は必ずおこり、しかも非可逆性、つまり戻ることがないということ。根本的な若返り法はない、と。女性はとくにこういうことを痛感されているかもしれませんね。

 三つ目に、老化は必ず進行性で、年とともに直線的に機能が低下していく臓器も少なくなく、しかもそれは足踏みすることがないということがあります。私はいま50歳すぎですが、すでに歯や目に機能低下が明らかになってきていまして、それらの衰弱はとても実感できるものです。

 さいごに、このような変化は生体に有害なものであり、生体を弱らすだけのものであるということ。

 そして、これらの変化の結果は、ホメオスターシス能力の低下、言い換えれば、正常から異常に傾いたときに復元できる余裕、予備力が少なくなるということです。このことは、高齢者とおつきあいするうえでいつも忘れてはなりません。

 さて、そのようにおきる老化ですが、ストレーラーさんの定義にあったように、老化が遺伝子的に規定されているはずなのに、その老化が人それぞれに違った形ででてくるのはなぜなのかという疑問があります。

 それを説明するのがこの漏斗のような図でして、この図は私の創作ではなくある論文から引用させていただいたものなのですが、インパクトがあって分かりやすいので使わせていただきました。

 生まれたときにはフルスケールで持っている遺伝的素因の部分は、なにも阻害されなければ生理的に老化していきますが、生きている間に環境因子や疾病のためにさまざまな病的老化の要素が加わって、黒い影の部分のボリウムが侵害されていきます。その影の部分が幅広いほど、年齢よりも老化が進んでいることになるわけで、要するに若いほうの自慢でよく使われる「肉体年齢」の反対側の「身体年齢」が予測できるわけです。

 正常老化に影響を与える環境因子としては遺伝的な素因そのものや放射能、人種、男性か女性か、生活環境などがあり、疾病因子としていわゆる高血圧や糖尿病、高脂血症などの生活習慣病や、喫煙や食事の内容、また発癌性のある物質、ストレスなどが考えられます。

 ついでながら喫煙に関してすこしだけ申し上げておきたいのですが、いまや喫煙は嗜好ではなく「ニコチン依存症」という一種の病気であるということは常識になっています。「禁煙してても吸いたいよ〜」というテレビのコマーシャルがありますが、あれを見るとよけい吸いたくなるという喫煙者の声はともかく、あの「吸いたいよ〜」というのが依存症の特徴ですね。

 喫煙者がアルツハイマー病になりにくいという結果がでたと一時米国で発表されましたが、その後それが証明されたという話はありません。

 私は嫌煙、煙が嫌いと書きますが、その嫌煙主義者ではないものの、医者として禁煙を勧めることも仕事だと思っています。

 喫煙者ご本人はまあ自業自得ですが、いわゆる副流煙が他人の健康を直接害するという点で、喫煙は飲酒などと根本的に違うものです。そのようなわけで、いきいきサロンでも少なくともみなさんがいらっしゃる部屋は禁煙にすべきです。高齢のかたのなかには、肺や心臓の持病をおもちのかたもおられますから、そのようなかたの健康を損ねる環境を作ってしまっては「いきいき」とはいえないことになりましょう。

 今日のこの会場も、私はこの場所だけでなく外の廊下やロビーも含めて全面的に禁煙にしてほしいという要望を事前に出させていただきました。

 趣旨を理解していただいて、フロアを全面禁煙にしてくださったことに感謝いたします。このご英断を兵庫県喫煙問題研究会のほうにもご報告させていただきます。

老年症候群

 さて、ちょっと脱線してしまいました。レジュメのつぎの項目をごらんください。あまり普及した概念ではありませんが、老年症候群ということがいわれています。

 ここにあげた症状といいますか、兆候を見ていただきますと、これがある程度進行していますと、まさに要介護認定の対象になるといえないでしょうか。介護保険とは、病気によって障害を残した高齢者などと、このスライドのような老年症候群のかたを対象にしているといえます。

 逆に、介護保険のサービスを受けるほどではないものの、ここにあげたような兆候を多かれ少なかれもっておられるかたが、まさに「いきいきサロン」の対象のかたでもあるのではないでしょうか。

 そして、老年症候群のかたを単純に病人として治療しようとしたり、あるいはご本人が老化を理解と受容できずに治療を求めたりしたときに、ここにもある「医原性」という疾患にかかってしまうことにもなりえます。医原病については今日はテーマと離れますので触れないでおきますが、高齢者の医療ではとても深刻な問題になっています。

 老年症候群を病気ととるか老化の結果としての正常範囲内の変化ととるか、専門職にとってもご家族ご本人にとっても難しいところでありましょうが、こういう概念があるということはぜひ覚えておいてください。

 さて、この老年症候群の兆候のなかにもありますように、正常な老化によっても痴呆やせん妄などというものがみられるようになってきます。

 脳の神経細胞の数は25才くらいがピークで、その後一日に10万個づつくらい死滅すると言われています。年をへるにしたがって記憶が悪くなり、新しい学習が難しくなるのも当然かと思えます。

 ですから、高齢者ではそれぞれ個人差はあっても、多少なりとも記憶障害や認知障害というものはあるということです。では、どこまでが正常範囲で、どこからが病的なのかという問題があります。

 初期の、ごく軽度の痴呆症と、正常な老化に伴う記憶障害の見分けかたはどうするのか。このようなことがしばしば痴呆症のお話のときには興味をもたれます。

 ご本人やご家族にとってはそのことはとても気になることでしょうし、痴呆症のなかにほんらいの痴呆症ではなく、なんらかの病気に伴って痴呆症状をひきおこしているものがあって、これらがいわゆる「治る痴呆」であることは、医療にとっては見分けることが重要な仕事になります。

 しかし、人間関係、社会生活のなかで、医学的にいろいろな検査などをしても区別できないほどのものをわざわざ区別する必要があるでしょうか。お年よりに対する態度というものが、ごく軽度の痴呆症のかたの場合と、たんに老化で物忘れが激しいかたの場合とで分ける必要は、私はまったくないと思うのです。

痴呆症の定義

 それで、医学的な点からの痴呆、痴呆症の定義というものをみますと、レジュメ一番下のようになります。

 ここで強調されなくてはならないのは『日常生活に支障がでる』という部分です。つまり日常生活に支障がなければ、記憶障害や認知障害がみられても、わざわざ痴呆症として区別しなくてもよいということです。

 たとえば、仕事をしているかたが、記憶障害のために仕事に不都合がでてくる場合、これは痴呆症とした扱ってあげ、ビジネスという社会生活が無理であるという診断をしなくてはなりません。しかしそのかたが仕事をやめて自宅におられるとき、家庭ではとくに具合の悪い事態が起きなければ、痴呆症として特別扱いしないほうがよいと、私は考えています。

 レジュメのつぎのページをご覧ください。

 人間の記憶はこのように分類されます。簡単にご説明しますと、短期記憶とは、たとえば町ですれ違った人の服装がどんなだったかというようなものです。とくに興味を持つようなものでなかったら、瞬間的には服の色などを覚えていることはないでしょう。

 近時記憶とは、それこそ「出てくるときに玄関の鍵をちゃんと閉めたか」などのことです。あるいは、今日ここで出会ったかたのお名前とか。これは私のような歳でもかなりヤバくなってきていますね。

 陳述記憶のうちエピソード記憶というのは、若いときに自分が経験したエピソードなど「覚えている」こと、意味記憶とはたとえば「雪印」って何度も問題を起こした会社だということを「知っている」ことなどです。これらはあまり障害されません。

 手続記憶というのは、料理の作りかたなど、いわゆる「体が覚えている」と表現されるようなもので、こちちらはときには高齢化によって進歩することもあります。

 それで、次の表が正常な老化に伴う記憶障害と、病的な記憶障害を比較したものです。

 いちばん大きな違いは、病的記憶障害が記憶全体の低下を示すことと、病識、つまり自分の記憶力が低下していることを自覚できていないことです。

 もちろん、ごく初期の痴呆症の場合は、記憶全体の障害にはいたりませんし、ある程度は病識をもっておられることがあります。自分が覚えていないということを自覚するために、なんとかごまかして忘れたことを悟られまいとする行動が見られます。

 そして、その下の表にまとめましたように、軽症の痴呆症では、さきほども言いましたように、ビジネスなど社会活動には不具合がでてくるものの、家庭内ではそれほど問題をおこさずに生活できています。

 これは、生理的な記憶障害をきたしておられる、いわば正常な老人でも同じことがみられる可能性があります。

 とくに最近のように世の中の変化がとても早くて激しい環境では、ふつうの高齢者はとまどうことが多いでしょう。そういう意味では、医学的にはともかく、社会的にはこの軽症の痴呆症のかたも病気としてとくに区別する必要はないかもしれません。

 そして、おそらく「いきいきサロン」で対応することがある痴呆症のかたはもこの軽症レベルのかたまでではないかと思います。この時期では、近時記憶の障害がはっきりしてることがあるかもしれませんが、エピソード記憶や手続記憶はほとんど障害されていないと思われますので、ふつうのコミュニケーションはできる状態です。

 つぎの中等症になりますと、ちょっと応対が難しくなるかもしれません。専門職や、ある程度のトレーニングを受けたかたであればあまり戸惑うこともなく対応できるでしょうが、ごく普通のかたでありますと難しいかもしれません。

 また、サロンのように、集団生活をする場では、他の高齢者のかたとのトラブルが発生する可能性がないともいえません。一般のかたといっしょに活動できるかどうか、ギリギリの線だと思われます。

 この表の右端、重症期になりますと、これはもう専門職によるケアをする場でなくては難しいものと思われます。

 私が仕事をしている介護老人保健施設の痴呆専門棟が対象としている高齢者のかたはほとんどこの時期のかたであります。

 なお、アルツハイマー病でこの時期より重症化しますと、つぎには寝たきりの状態になってしまうことを付け加えておきます。

 ところで、痴呆症といいますと、徘徊したり暴力行為があったり、興奮状態になったりというような状態を思い浮かべられることが少なくありません。もっとも、今日おいでになっておられるみなさまは、もう少し正確な知識を持っておられるものと思いますが、最後に痴呆症の中核症状と周辺症状ということについて、いまいちど整理しておきたいと思います。

 痴呆症は治らない、と申しますと、しばしば「どこそこの先生は治るとおっしゃっている」という反論を受けることがあります。しかしながら、もし治ったなら、それは本当の痴呆症ではなく、別の原因で痴呆症状があっただけということです。

 また、痴呆症に詳しくない医者が、この中核症状と周辺症状を理解せずに間違った治療をしていることもあります。

 また、正常な高齢者でも、これは今回の主題ではありませんから詳しくは触れませんが、体調が不良のときや急激な環境の変化で痴呆症の周辺症状のような症状をきたすことがあります。

 これはいうまでもなく「せん妄」というものなのですが、これと痴呆症の区別がつかない医療者がじつに多いのは嘆かわしいことです。

 レジュメ2ページ目のいちばん下の図をごらんください。

 痴呆症の中核症状、要するに、痴呆症そのものの症状はつねこの中核症状だけです。さきほども少し触れましたが、痴呆症がとてもたいへんだという認識は、中核症状と周辺症状について正確に理解されていないところが原因であるかもしれません。

 周辺症状、問題行動のない痴呆症のかたは、ケアにあたってほとんど苦労はありません。「おとなしい痴呆症」といわれるかたがたは、周辺症状のない、純粋な痴呆症のかたであるわけです。

 そして、この中核症状に対する治療方法はありません。つまり痴呆症そのものに対する治療法はいまのところないわけです。

 せっかく中核症状だけで、いわば平和に説かつされている痴呆症のかたに、なんらかの原因で周辺症状が加わりますと、これは一気に家族や医療者や介護スタッフから嫌われる状況がでてきます。

 この図にありますように、その症状はまさに世間さまが思い込んでおられる痴呆老人そのものののすがたでもあります。

 さきぼも申しましたが、こういう周辺症状というのは、痴呆症であるというだけでは見られることはありません。痴呆症になんらかの身体的、あるいは精神的、社会的な刺激が加わっておきてきます。極限すれば、周辺症状の原因は、痴呆症のご本人以外にあるといえます。

 そして、いったん制御が困難なほどの周辺症状がみられるようになりますと、その程度によっては医療処置を要する、というか、それなしには家庭や社会で過ごせないという状態になります。ケア現場での対応だけで解決することは難しい場合がほとんどであることを覚えておいてください。

 とくに陽性症状が強いときは、専門的な治療によって症状のコントロールを受けなければ、ケアだけでなんとかしようというのは無理であることがほとんどです。

 こういう場合は、いかに薬嫌いの私といえども、効き目や副作用のことをいろいろ考えながら、薬物の使用をせざるをえません。

 もっとも、環境によっては、つまりご家庭では対応できない周辺症状であってもそれなりの条件をもった施設ではその周辺症状が問題にならないこともあるわけで、施設介護のためには、私は逆にそれまでなされていた薬物治療をいったんすべて中止してみるというような荒業をすることもあります。

 いっぽう、陰性症状のほうは、えてしてケアスタッフの力でなんとかできるのではないかと、つい思いがちです。

 しかし、こちらも対応は難しいものがありまして、間違えますと逆効果になるどころか、かえって病状を悪化させてしまうこともあります。

個人を個人として

 けっきょくのところ、痴呆症のかたも、正常な経過の高齢者のかたも、その個人を個人として認め、なにをされたくないかというような配慮をしつつ、対応する必要があると思います。

 そういえば、いろいろな場面で高齢者のかたと接するとき、

『なにをしてあげれは喜んでいただけるか』

というアプローチはやめたほうがよいと、私は思います。

『なにをしてほしくないと思っていらっしゃるか』

ということをまず想定すべきではないかと思うのです。

 これはじつに個人的な希望でもありますが、世の中には「みんなといっしょになにかする」ことがとっても嫌いだという人たちも少なくないということを、ぜひ頭の隅においておいてください。それはまさに私のことでもあるわけですけれど。


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