在宅介護について



はじめに


 こんにちは。ご紹介いただきました上農です。

 今日は、ご縁があって、このような高いところでお話させていただくことになりましたが、私はまだまだこういうことに慣れていませんので、みなさまにご満足いただける咄ができないかもしれませんが、在宅医療を15年近くやってきた経験から、みなさまのお役にすこしでもたてばと思っておひきうけした次第です。

 1時間以上しゃべるというのはたいへん難しくて、配分をうまくできるか自信がありません。いちおう原稿は用意していますが、ぜんぶお話できるか、あるいは時間が余ってしまうという無様なことになるのか心配です。もし時間が足りませんでしたら、この原稿は私のインターネットのホームページに掲載しますので、後日またお読みいただければと思います。

今日の話の予定
--------------

 それで今日のお話の内容ですが、まず私がなぜ在宅医療をするようになったかということのご説明に、簡単に自己紹介をいたします。そのあと、現在の在宅療養をとりまく事情をご説明したあと、在宅療養をするための条件などのお話、そして最後に4月から始まる介護保険の問題点などについて私の独断と偏見を交えてお話します。

 今日の話が、在宅療養についてとても薬にたち、在宅療養のすばらしさを聴けると思ってきてくださったかたには、たいへん申し訳ないのですが、おおすじのところは、在宅療養のたいへんさ、困難さなど、ネガティブなことばかりになると思います。

 しかし、現実がどのようなものかということを知っていただいて、いざというときにあわてることのないよう、ご立腹なさらずにお聴きいただければ幸いです。あとでご質問をお受けする時間もとりたいと思っています。

go top go end

自己紹介


 私は1949年生まれの50歳、まもなく51歳になります。生まれは大阪の八尾市で、両親はそのまま八尾市に住んでおりますが、私は仕事の都合で池田市に住まいがあります。

 1973年に奈良県立医科大学を出まして、すぐに大学の第二外科、ここは当時胸部外科と脳外科、それに一般消化器外科を扱っていましたが、その教室に入れていただきました。一年間大学で研修しましたあと、河内長野にあります国立大阪南病院への出張を皮切りに、いわゆるローテーションで四ヶ所の病院の脳外科を回りました。1985年に縁があって兵庫県川西市の協立病院に就職させていただきました。

 で、協立病院に着任後も脳血管障害や外傷を中心に脳外科を続けていましたが、それまでの国公立基幹病院での脳外科と違いまして、急性期の治療を終えてもひとりの患者さんをずっと継続してお世話するという機会が俄然増えました。

脳外科の患者さん
----------------

 このことは、脳外科ではいわゆる植物状態を含む重度障害患者さんのフォローをしなければならないということです。私どもの系列病院である協立温泉病院へリハビリテーション目的で紹介いたしましても、いずれつぎの対応を求められるようになることが多くなりました。

 脳外科といえば、心臓外科などと並んで、ま、まことに華やかな科であるような印象を持たれがちなのですが、じっさいには病棟に多くの植物状態の患者さんや寝たきりのかたがおられる、ちょっと翳のある診療科であるのが現実なのです。

 で、ある程度後遺症として障害が固定した患者さんのいくにんかのかたが、どうせなら自宅で療養を続けたいというご希望を表明されまして、通院にたいへん困難が伴う、それならば自由のきく私が出かけていきましょうか、ということと、たまたま協立病院が所属している医療法人の理事長が在宅療養のサポートをしてみようと考えたこともありまして、10年すこし前から在宅患者さんの訪問診療を始めました。

訪問診療
--------

 当時はまだ診療報酬に「訪問診療」「訪問看護」というものがなく、「往診」ということで対応していたわけですが、いまから考えてみますと、なかなか時代を先取りしたことをやっとったんだなあ、という気がいたしております。

 そして、在宅をし始めた経緯からお分かりいただけるかもしれませんが、始めた当初から対象の患者さんはけっこう重度の障害のかたが多く、経管栄養や持続膀胱カテーテルの装着、おおきな褥創の処置を要するかたなど、現在でもなにかと問題になる患者さんがつねにおられました。こういう患者さんはしばしば合併症をおこして濃厚治療を要することになりがちですが,その場合には母体である協立病院の救急病院である機能を生かして対応できることも続けてこられた理由のひとつであると思っています。

在宅医療センターへ
------------------

 そうこうしているうち、1995年に医療法人が老人保健施設を作るという計画が持ち上がりまして、在宅の患者さんをお世話していてバックアップの施設としての老人保健施設の必要性をじゅうぶんに知っていたため、計画当初からかかわらせていただいて1997年9月にウエルハウス川西をオープンしました。オープンから1年半あまり施設長をしまして、在宅医療のほうへ戻るため、昨年6月から施設長職をやめまして、在宅医療センターという部署を作ってそこで仕事をしています。

 このセンターは、老人保健施設と訪問看護ステーション、在宅介護支援センター、それに訪問診療とその支援のための外来診察を包括したものとしています。

 私は町歩きが好きで、旅行に行ってもしばしば普通の町を歩き回ったりするのですが、訪問診療やデイケアの送迎などは、歩きではないものの、そういう町の景色の中にいられるということでなかば楽しんで仕事をさせていただいています。

 また、こういう経歴から、しかたがないのかもしれませんが、昨年から川西市の介護認定審査会の委員を委嘱されております。

go top go end

中年と親の介護の心配


 さきほどいいましたように私はいま50歳です。父が78歳、母が75歳、幸い、両親とも健在でして、大正生まれの超マジメ男の父など、ある病気のため2日に一回点滴をしなければならないのに、それでも電車に乗って通勤して仕事を続けています。

 しかし、両親の健在など、80歳近い高齢でありますから、一瞬にして破綻する恐れがあります。また、昨年、私の同級生の内科の医者が蜘蛛膜下出血で死んでしまいましたが、50歳といいますとけっこう脳や心臓の病気が出てくるころ。自分自身がなんらかの介護を必要とする状態にならない保証もありません。

 今日ここにおいでになっておられるみなさん、高校のご父兄が中心だと思います。私のいちばん下の娘が昨年高校を卒業してちょっと遠方の大学に行きましたが、つまり、私と同年代かすこしお若いみなさまが多いのではないかと思います。

 世代が同じくらいということになります。

 私が老人保健施設や在宅で仕事をしていましても、患者さんやご利用者さんのご家族が私の世代であることがかなり多いという印象があります。

突然ふりかかる介護
------------------

 しかし、今回の介護保険に関して、同世代の多くのかたがあまり関心を持っておられないことを感じています。つまり、自分たちにはまだ関係がないと思っていらっしゃるわけです。

 しかし、事態は突然やってきます。

 のちほどご説明いたしますように、現在の医療環境は、数年前と比べてもたいへんシビアになっていまして、たとえば親御さんがなにかで倒れられたとしますと、その後の療養のことを考える時間がじゅうぶんにあるとはいえません。大きな病気で、命が危うい状態が続いて、ようやく山を越えて安心したとたんに、退院後のことを考えなければならないようになるのです。

 いま、介護休暇の制度などがありますが、しかし、現実には、働き手が親の介護のために長期休暇をとることができるような雇用の環境でしょうか。ま、私は医療という特殊な職場にいますから、ふつうのお仕事の雇用については誤解しているかもしれませんが、やはりなにかと不安がつきまとうのではないかと思っています。

go top go end

なぜ在宅療養か


 ところで、在宅療養ということがここのところ非常に注目されるようになってきました。この背景には、病院での非人間的な環境がイヤだとか、患者の自己決定権であるとか、とくに患者さん側の意識の高まりが、在宅を選ぶという選択肢をとられることが多くなってきたものと思われがちです。

 しかし、ちょっとだけ冷静に考えていただく必要があります。

 世の中で何らかの、まあいわば「流行り」のようなものがでてきたとき、警戒しなければならないことは、それが何らかの意図をもって巧妙に仕組まれたものではないかということです。

 たとえば、バブルのとき、土地や株を買わないやつは馬鹿というような風潮がありました。私はもともとああいうことに興味がなかったし金もなかったので、まったく手を出しませんでしたが、まあ人からどれだけいろいろ言われたか。でもあれも結果としてみれば、そういうふうに土地や株を動かすことによってのみ儲けられる人たちがいたのですね。その人たちに乗せられていたのがバブルです。

 週刊誌などで、これからは○○だ、というような記事が見られるときは気をつけなければなりません。ちょっと横道に逸れてしまいました。

 つまり、みなさまが在宅療養こそ患者の自己決定の最たるものだと考えておられることが、じつは誰かが意識してみなさんに刷り込んだものであるかもしれないということなんです。

ゴールドプランの背景
--------------------

 21世紀の高齢社会を睨んで、日本では1989年にゴールドプラン、1994年にそれを改訂した新ゴールドプランが制定されて、全体の制度としての在宅推進が着々と進められてきました。ゴールドプランは、在宅療養をメインとして、それを援助するものとしての施設を作り、今世紀末に問題になっている社会的入院、要するに介護だけが必要なかたに対してのサポート体制を提示するものとなり、そしてそのプランから介護保険のアイデアができてきました。

 つまりこの時点ですでに国は、施設ケアでなく在宅療養を主とすることを決定していたと考えて間違いありません。そして、その理由は、経費としては施設ケアより在宅療養のほうがずっと安上がりだからです。なぜ安上がりかといいますと、在宅では家族という無償の労働力を利用できるからにほかなりません。

 で、介護保険のアイデアが具体化する前から、医療保険の分野では在宅医療を推進する施策がつぎつぎととられてきました。

在宅療養への誘導
----------------

 1986年の老人保健法改正による老人保健施設の創設、1991年の老人保健法再改正による訪問看護制度、医療機関の診療報酬制度での薬代の締めつけとそれに代わる在宅関連の報酬の大盤振る舞いなどがあります。

 さらにそういう制度とは別に、巧妙にプロパガンダされたとしか思えない「在宅療養賛美」の風潮がはっきりとしてきました。たとえば山崎章郎さんの著書「病院で死ぬということ」がベストセラー、ロングセラーになりました。これは、もちろん山崎さんのすばらしさがご著書ににじみ出てみなさんに感銘を与えたからでもありますが、じつは、私は、在宅療養への誘導にうまく利用されてしまったのではないかとさえ思っています。この本の初版が出たころ、在宅療養はそれほどブームではありませんでした。何年かして、この本がいちやく脚光を浴びたというか、表舞台に出るようなしかけが組まれたように感じています。

 この時期、じっさいに在宅医療に深く関わってきた私など、在宅療養はそんなに生易しいものではない、非常にたいへんなんだとずっと言い続けてきましたが、ま、そういう声は少数だったようです。

 しかし、在宅への推進を制度として進めようとしても、厚生省の思惑どおりには進んでいません。その理由のひとつに、肝腎の医者たちの動きがいかに診療報酬で優遇されても、なかなか鈍かったことがあると私は思っています。

go top go end

現在の実情


 で、たとえば、病院では3ヶ月しか入院させてくれないというような話がずっとありまして、みなさまもお聞きになったことがあると思います。しかし、なぜ3ヶ月しかダメなのかというちゃんとした理由をご存知のかたはそれほど多くないかもしれません。

 そして、現在では、3ヶ月しか入院させてもらえないというのは間違いである、ということはご存じでしょうか。いまや、ふつう、3ヶ月も入院させてくれないところが多いんです。

 そのあたりのことを、ちょっと実情をお話しておきます。

入院
----

 たとえば、さきほどお話しました私の両親のどちらかが病気になったと仮定してみましょう。父が現に病気もちですから、これが悪化して入院になったとしましょうか。


 両親ふたりで暮らしていますから、父の病状が悪くなったら母一人で病院に連れていくことはできないでしょうから、おそらく救急車のお世話になって、いま通院している病院に行くことになると思われます。

 この病院は、いわゆる急性期の病院ですから、入院期間を長くとってくれることはありません。さきほど言いましたが、ちょっと前までは3ヶ月というのがひとつの目安でした。それは、患者さんを入院させたときに医療保険から病院に支払われるお金、この主なものは「入院時医学管理料」といわれるものですが、それが入院後2週間、1ヶ月、3ヶ月、半年という区切りで安くなり、特に3ヶ月を超えるとぐっと安くなってしまうためでした。

平均在院日数
------------

 ところが、毎年毎年景気が悪くなる病院では、すこしでも収入をあげるために、急性期を扱うことを前提に、「別に厚生大臣が定める基準に適合している」病院としての届出をするところが増えました。

 これは、平均在院日数、つまりすべての入院患者さんの入院日数の平均が28日以内であることが大前提になっています。つまり、すべての入院患者さんをできるだけ早く退院させなければならないわけです。この基準をとりますと、2週間以内の入院時医学管理料は、通常だと5220円のところ、6150円になります。しかし、2週間を超えますと、こんどは逆に通常の場合は1ヶ月まで4300円というのが、基準をとっていると4050円、3ヶ月以内だと2600円と2300円というふうに逆転してしまいます。

 さらにもう一ランク上の基準がありまして、平均在院日数が20日以内で、紹介患者さんや救急車で搬入された患者さんが初診患者さんの3割以上であれば、2週間までだと7600円になります。

 もうおわかりだと思いますが、こういう病院では2週間を超えて入院されると逆に損になると考えられるわけです。

読売新聞
--------

 ただ、このことについては、さすがに厚生省もまずいと思ったのかもしれません。介護保険の施設との整合性も考えなければならなくなったのでしょう。ひょっとしたら今日の読売新聞に金額の変更についての報道がされていたかもしれません。

 1ヶ月を超えてからは入院時医学管理料の逓減をなくす方向で検討するよう、こういう制度についての厚生大臣の諮問機関である「中央社会保険医療協議会」で審議するよう諮問しということです。

退院強制
--------

 ちょっと細かい話になってしまいました。

 そういうわけで、病状が安定したら、早く退院退院といわれることになります。ひどい場合は、まだまだ病状が安定していなくても退院を迫られたりします。おそらく私の父もそういう立場にたたされることになります。

 ところで、人間の筋肉の力は、1週間使わないと2割落ちるといわれています。2週間病院のベッドでじっとしていると、半減近くなるわけで、高齢者の場合、手足の動きに直接関係しない病気でも歩けなくなる恐れがじゅうぶんにあります。

 これまででしたら、しばらく歩行練習、つまり一種のリハビリテーションなどをしてから退院ということになったのですが、病院の都合としてはそんな悠長なことをやっていられないわけです。

 大手の医療法人になりますと、リハビリテーションを専門に行う、いわゆる「後送病院」、後ろに送ると書きますが、そういう施設を持っていて、患者さんを送ることもあります。しかし、患者さんの心情としては、重病からやっと回復しかけたとき、その治療の専門家のいないリハビリテーション病院に移る不安もあるでしょう。

追い出し
--------

 後送病院を病院のほうで紹介してくれるのはまだいいほうで、すぐに退院できないのだったら紹介状を書いてあげるからつぎの病院を探してきなさい、という対応をされることが少なくありません。患者さん側で探せというわけです。そんな無茶な、と思うでしょうが現実はこんなものです。

 あるいは、自宅に帰る決断をしたとき、在宅でのフォローをきっちりしてくれる病院はそんなに多くありません。けっきょく、ご家族が保健所や市役所などを走り回らなければならないのです。ま、最近は、在宅介護支援センターという施設ができてきまして、ここで相談すればいろいろと手配してくれることになっていますが、ここにおいでのかたのどのくらいのかたが在宅介護支援センターのことをご存じでしたか。たいてい、こういうものは今の自分に関係ないとしてしまっているのではないでしょうか。

 もし私の父が自分で歩けないまま自宅に戻ってきたら、介護するのは私の母です。いわゆる老老介護ですね。母もそれほど丈夫ではありませんから、下手をすると共倒れです。息子である私は車で1時間以上はなれて暮らしています。ま、この距離はまだ通うことが可能な距離で、みなさんのなかには、ご両親を郷里に残しているというかたも少なくないでしょう。

環境を変えてはだめ
------------------

 じゃあ息子である私の家にふたりを連れてくるという選択はどうでしょうか。

 ま、私のところは狭いマンションで、現実にはそれも無理なんですが、もし連れてきたとしますと、いきなり違った環境になって、おそらくボケが出てきたり、鬱になったりするでしょう。それは父だけでなく、いちおう元気な母にも危険性があります。

 いままでご近所づきあいがあったり、慣れた自宅だったからこそ、微妙な綱渡りで健康だった可能性が大きいのです。また、私の両親など、自分の家に対する愛着がきわめて強いので、無理に帰ろうとして出ていってしまうかもしれません。ちょっとボケがあって外出して道に迷ってしまう、こういうのを世間では「徘徊」といいますね。世間的には立派な痴呆老人にしたてあげられます。父は自分の家に帰ろうとしただけなのに、です。

 同じ大阪弁エリアでもこうなのですから、たとえば九州のかたが大阪へ連れてこられたときにどうなるか、想像してみてください。

 つまり、高齢になってから環境を変えてはだめなんです。そういう意味では、入院はともかく、施設への入所もよく考えて判断しなければなりません。

在宅を助けてもらう
------------------

 だから、父が自宅へ帰ったら、在宅療養を手助けしてくれるサービスをしっかり入れて、ときには介護者にまとめて休んでもらう、そういう計画をしなければならないわけです。

 そのような視点を、各病院で医者もケースワーカーも持ってくれれば、もうすこし悲劇は減るのではないかと思うのですが、10年前に比べれば改善されたとはいえ、まだまだなかなか満足できる状態で゜はないのが現実です。

go top go end

医療型在宅と介護型在宅


 さて、そういう具合で、在宅療養をすることになったとして、在宅療養するための条件というのはどのようなものでしょうか。その話をする前に、在宅療養の話をするときに気をつけなければならないことがあります。

 同じように在宅で療養しておられても、たとえばなんらかの病気やケガの後遺症で寝たきりになったかたの場合と、癌の末期や難病などで治療を受けながらという場合があります。

 この前提をはっきりさせておいて話をしないと、かみ合わないということになります。私はいわゆる寝たきりの場合を「介護型在宅」、癌の末期などの場合を「医療型在宅」と仮に呼んでいます。

 私の場合はもちろんどちらも対応していますが、医療型の場合はそれなりのバックアップ体制がないと大変なこともあって、ふつうの開業医の先生にやっていただくのはなかなか難しいようです。

介護保険対応と医療保険対応
--------------------------

 こんどの介護保険では、とくに訪問看護に関して、制度のうえからこの介護型と医療型がはっきりと区分けされることになりそうです。

 介護保険制度について検討している「医療保険福祉審議会介護給付費部会」というところに、この17日に厚生省からされた諮問で、いわゆる難病と、病状が悪化して頻回に訪問しなければならない状態になった場合には、訪問看護に介護給付はしないという案になっています。

 また、気管切開、これは呼吸のためや痰をとるために首に孔を開けているものですが、その気管切開や経管栄養、これは水分や食事をうまく飲み込めないために、鼻から入れたり腹にあけた孔に入れたチューブから流動食を入れる方法です、それから、静脈から点滴で栄養を与える場合など、ある程度の医療処置を必要とする場合には、一定の金額の加算が認められています。したがって、訪問看護で基本的な額だけでいける場合は介護型在宅、なんらかの加算や、あるいは医療保険で給付を受ける場合は医療型在宅ということができます。

 以上のことを念頭において在宅療養をするための条件の話をすすめていきます。


go top go end

在宅介護の条件


 そもそもずっと昔、日本では在宅で療養することは普通でした。かかりつけの医者は気軽に往診してくれました。ところが、高度成長期に、病気は病院に入院して治すもの、死は病院で迎えるものというのがいつのまにか普通になってしまいました。

 そして、とくに高齢者の長期入院が問題になり、医療費の高騰が問題になってきたころ、主として米国の在宅療養のことが紹介されることが多くなり、在宅療養のすばらしさがいろいろと紹介されるようになってきました。

 しかし、すでに当時在宅のサポートをしていた私は、米国の在宅の事情を紹介されても、それがどないしたん、という態度を取りつづけました。それはかの地と日本の事情があまりにも違うからです。

 では、在宅療養をするためにはどのような条件が必要かを考えてみます。

一に住宅
--------

 その第一は住宅です。意外に思われるかもしれませんが、私が在宅療養の支援を続けてきて、最初に思ったことがこれ、しかも今でもそう感じています。

 在宅療養をなさっていますと、当然療養のための部屋が必要です。多くの場合ベッドを置きますし、介護のためのスペースがいりますし、器材類を置く場所も必要です。健康な人が眠るためのベッドを置くだけの大きさではまず無理です。いかに寝たきりだとはいっても、ときには病院に出かけなければならないこともありましょうし、入浴サービスに連れていっていただくために、ストレッチャーという移動寝台を入れるスペースがいります。ストレッチャーでなく車いすであっても、ベッドに横付けできなければなりません。

日本の悲しい住環境
------------------

 車いすで移動できる程度の病状でしたら、食事はご家族といっしょにしたいところですし、たまには外を散歩もしたいものですが、日本家屋の床にはけっこう段差がありますし、玄関から土間に出るにも段がありますね。門から道路まで階段になっているお宅が珍しくありません。エレベータのない中層集合住宅ではもうどうにもなりません。建ったのが古い市営、県営などの公営住宅の多くがこれです。

 最近、大企業が在宅療養関連に続々進出してきています。儲かりそうなら何にでも手を出すという姿勢は下品きわまりないと私は思いますが、在宅支援に米国のノウハウを持ってきたものの、思ったほど業績が上がっていないらしい会社もあるようです。その理由のひとつに、日本と米国の住環境の違いがあると私は思っています。

二に家族
--------

 つぎに重要なのはとうぜんのことですが介護なさるご家族です。

 患者さんの介護を継続して中心になってなさるキーパーソンが絶対に必要です。複数のご家族が交替で、とか、隣の家に住んでいて世話をする、などという場合はトラブルをまねきがちです。病状の変化などに気がつくのが遅くなったりするからです。そして、そうなりますと、ご家族のうちのある一人に大きな負担がかってくるのは当然です。問題なのは、その多くが女性であるという点であります。主婦である女性が介護という仕事にも当たらなくてはならないケースが非常に多いのです。

 主婦業に加えて介護にもあたるわけですから、主要な介護者以外のご家族は、介護者の介護以外の部分の負担をできるだけ減らせてあげるような協力がぜったいに必要になります。それを理解していない男がまだまだ多い。

 この問題は今回の主題ではありませんのでこれ以上触れませんが、日本の男性がたは、言葉だけの男女機会均等などというのではなく、本気になって意識改革をしなければどうしようもないところになっていることを理解していただかなくてはなりません。

もっとも、男性がたのために注釈をしておきますが、もちろん世の中にはとても介護に理解のある男性もおられます。

三に制度
--------

 そしてつぎに制度の問題です。

 まもなく介護保険制度が始まります。介護保険制度は、これはもうモロに在宅介護のための制度です。施設療養の制度はありますが、施設の整備が制限されている現状では、やはり主体は在宅。なにしろ、施設はお国にとって金がかかりすぎます。

 このあたりについては、また時間があれば、ということで。

go top go end

どういう場合に失敗するか


 つぎにちょっとなまなましいお話になるかもしれませんが、在宅療養をいくつかのパターンに分類して、どういう場合はうまくいって、どううものだと失敗しやすいかということを私の経験から考えてみたいと思います。

 分類するとすれば、患者さんご本人と、介護に当たられるかたを中心としたご家族、そのそれぞれが在宅療養についてどう考えておられるかということがけっこう重要なポイントになります。

 つまり、ご本人もご家族も在宅をしたいと思っている場合、ご本人が家に帰りたいがご家族が躊躇している場合、ご家族が希望されているがご本人は病院や施設のほうがいいという場合、そしてご本人もご家族も在宅を望んでおられない場合の4つです。

みんなが望んで条件も揃っているとき
----------------------------------

 患者さんが家に居たいと強く希望し、ご家族が一致してその患者さんの希望をかなえてあげようと真剣に思っておられる場合。これはもういうまでもありません。そういう熱意を感じますと、私たちサポート側も非常にリキが入るものです。仕事とはいえ私たちも感情を持った人間です。

 そして、この場合には、かなりたいへんそうに思える重度のかたの場合でも、おおきなトラブルもなく在宅療養を続けていけることが多いようです。

やむをえず在宅の場合
--------------------

 つぎにやむをえず在宅の場合です。

 これはちょっと私の偏見もあるかもしれませんが、大きな病院の多くが在宅療養について実情をほとんど理解していないのではないか、理解していないのだからそれに対してどうサポートするかという頭もないのではないかと思うのです。さきほどお話しましたように、急性期の病院はなるべく早く退院させようとしますが、しかしその後をどうするかということは患者さんの側で考えなさい、という冷たい対応をされたということもよく聞きます。

 在宅で療養するにはじつに多くのハードルがあります。それらのハードルを越えられない場合、つぎに入院できる病院や施設を求めてご家族が右往左往することになります。

 最初に現実をお話しましてある程度おわかりいただけたかもしれませんが、アフターケアなしに退院させられ、ここではあえてさせられ、といっておきますが、しかるべき施設の手当ができずにやむをえず在宅で療養なさる場合、福祉面や医療面のサポートに関する情報がほとんど与えられていないので、介護者が悲壮な覚悟でがんばっておられることが多いような印象がありますが、こういう場合は長続きしない、介護者が燃えつきてしまったり、体調を崩したりしやすいのです。

言葉は悪いが、ミエ在宅
----------------------

 ご本人もご家族もほんとうは在宅をあまり望んでいないのに、ま、やむをえず在宅なさる場合がほかにもあります。

 たとえば親は長男が見るものだ、という、いわばミエで介護しようとする場合です。長男の家ですから、介護は「嫁」がすることになるのがほとんどです。嫁はまた主婦業のまっただなかにあります。奥さまにご自分の親の介護をしてもらっているわけですから、ご主人は介護や家事に充分協力すべきなのですが、えてしてお仕事おお忙しだったり、協力するスベを知らなかったり、家事も介護も女の仕事だという石頭だったりしますと、これは破綻します。介護に心がこもっているかどうかは、しばらくお付き合いすれば、私たちには見えてしまいます。

 たまにあるのですが、ご本人はそれほど在宅を望んでいない、あるいは意思表示がないうえ、私たちが見ていても、家族で見ますという言葉とはウラハラにあまりいい介護をしていないような状況というのがあります。

 こういう場合、相続のことやさきほど申しましたミエの激しいものの場合があって、油断しますと私たちがご家庭のトラブルに巻き込まれかねません。

 いままで経験したなかでいちばん激しかったのは、お母さんを強硬に、まるで誘拐するように兄弟間で自分の家に連れてこようとするというようなのまでありました。

go top go end

在宅介護をサポートするもの


 さて、では実際に在宅療養をするさいに、されをサポートする制度や人にどんなものがあるのかということをつぎにお話しておきます。

 演歌な介護、とおっしゃったかたがおられます。また、私はかねがね、ずぼらな介護、ということを提言しています。

 在宅療養をうまく続けるためには、バックアップをうまくしてもらうよう、いわゆる社会資源を可能な限り利用することが必要です。

 よくいわれるように、ホームヘルパーさんの支援や、ショートステイの利用、訪問看護や訪問診療をしっかり使うことがだいじです。とくにヘルパーさんの派遣は、いままで福祉という言葉に関係した部門でして、とくに高齢のかたにとっては「ほどこしを受ける」という感覚が強いようで、なかなか受け入れないかたも少なくありません。けっして施しではないので、遠慮なく利用することがだいじです。もっとも、4月からは保険の制度ということで、そのような偏見もなくなると思います。

患者さんのためのバックアップ
----------------------------

 医療では、訪問看護や訪問診療は、ふだん病状が安定しているときには、正直なところどうしても必要だというこがないことも少なくありません。問題はなにかの変化があったときのサポート体制だと思います。経験なさっていないかたなどはきっと救急車を呼べばいいじゃないか、とお考えになるかもしれません。しかしそれではだめなのです。もともと入院すると長期になりかねない高齢のかたの受け入れを渋る病院が少なくありませんし、ましてや自宅で寝たきりで療養しているなどという情報を聞くと断られる恐れがじゅうぶんにあります。けっきょく遠く離れた病院にいかざるをえないというような事態になります。また、救急車を呼ぶほどではないにしても、時間外や休日にちょっと相談したいというようなことも少なくないでしょう。

 私は、こういうサポートをこそ公的病院がすべきだと思っています。地域の在宅療養中の患者さんの情報は市町村で完全に把握されるわけですから、あ、これには説明が必要ですね。訪問看護ステーションが訪問看護している患者さんについては、たいてい簡単な報告書を毎月各市長村長宛に提出しています。つまり市町村の担当部署では、少なくとも訪問看護中の患者さんについてはある程度把握できているのです。ですからその患者さんたちをともかく一時的にでも収容するべきベッドを、公的医療機関に確保すべきだと思うのです。

むずかしいバックアップ
----------------------

 私の場合は母体が救急病院ですから、そういう場面に普通は対処できるのですが、現在も将来も想定されている在宅療養では、訪問看護ステーションと家庭医としての開業医の先生がたとの連携で医療面をサポートするようになっていますから、緊急時の対応については必ず考えておかなければならないのですが、私の印象ではそこのところは頬かむりされているように感じるのです。開業医の先生が重度のかたの訪問診療を引き受けるのを躊躇なさる理由のひとつでありましょう。

 救急車を頼むわけにはいかない場合がもうひとつあります。それは事態の急変が患者さんご自身ではない場合です。つまり介護なさっているご家族が病気になったとか、急に家を明けなければならなくなったとか、あるいは記憶に新しい大震災などのような災害に関わる場合です。予定できる場合はショートステイという方法がとれます。しかし急な場合はもうどうしようもありません。

 また、施設のショートステイでは、経管栄養や気管切開、尿を管で出している場合などには対応を拒否されることが少なくありません。

 ちょっと宣伝させていただきますが、私が仕事をしている老人保健施設では、緊急ショートステイとしてたびたび緊急の対応はしています。また、経管栄養などの処置のかたも問題なく受け入れています。ま、私が関係している在宅の患者さんの多くが重度のかたで、そのかたがたのバックアップのための老人保健施設でもあるわけで、これは当然でもあります。あ、念のためつけ加えますが、私が関係している在宅の患者さん以外でも当然受け入れているのはいうまでもありませんが。

自宅での看取り
--------------

 もうひとつ、最期を自宅で看取りたいというご希望がある場合に、その最期のときをちゃんとサポートしてもらえるだろうかという不安があります。いざとなったら病院に運ばざるをえない状況になりそうだったり、ちゃんとした死亡診断書を書いてもらえないのではないかという点、世間から「何もしないで見殺しにした」といわれないだろうかという心配。

 こういう不安要因があるうちは、なかなか在宅療養に踏み切れないのは無理からぬことだと思うのです。

go top go end

介護保険制度


 さて時間もありませんので、つぎにでさきほどから在宅療養と切っても切れない介護保険についてすこしお話ししておきます。

 介護保険の制度や問題点については、これまでもいろいろなところで報告されており、みなさまご存じのことと思います。

 こんなにギリギリになってもまだ細かい部分が決まっておらず、みなさんはもちろんでしょうが、それを仕事にしている私たちもほんとにヤキモキしています。

 今週のはじめに、ようやく各サービスの単価、つまり、サービスの値段が審議会に諮問されました。あさってには審議会ら答申されて本決まりになるのでしょうから、業者としてのいろいろなシミュレーションはこれからですし、ケアプランもようやく現実的なものを作れるようになりそうです。単価やサービスの詳細に関しては、今日、私は資料は持っていますが、なにしろ時間がなくてまだしっかりと把握していませんので、ご説明することは控えたいと思います。

新たに気づいた問題点
--------------------

 それで、今日は昨年10月から事実上始まっている要介護認定などを経験しての、この制度の問題点などだけをお話しておきたいと思います。

 川西市でも、委託を受けた調査員は訪問調査に飛び、医者には主治医意見書が送られてき、そして介護認定審査会の委員は毎週毎週審査のストレスにうなっています。もっとも、川西市では、当初よそうしたより申請者の数が少ないようで、いまになって年度末ぎりぎりになってかけこみ申請があるのではないかと、市の担当者は心配しているようです。

 それで、この三ヶ月ほどの間に、私が新たに感じた問題点、また知り合いからの話や、私が参加しているインターネットなどのネットワークでの各地からの報告などをもとに、問題になりそうなことを列挙してみたいと思います。

事業者による囲い込み
--------------------

 まず囲い込みです。多くの市町村では自前の人員だけでは訪問調査が処理できないため、都道府県に指定を受けた「居宅介護支援事業者」に訪問調査の委託をしています。

 その配分も、支援事業者として「申請代行」をした事業者に、その申請者の訪問調査を委託するというのが、イージーで頭を使わなくてもよいからか、けっこうそうしている市町村が少なくないようです。

 申請代行は、いまサービスを受けている場合、そのサービスを提供している事業者にすることが少なくありません。するとそこから訪問調査にきます。

 ところで、申請者は、要介護認定が下りて実際にサービスを受けるとき、訪問調査をした事業者に介護サービス計画、ケアプランの作成を依頼する流れになりやすいと思われます。そして、そのサービス計画は、事業者がサービスを自前でもっていれば、その事業者のサービスを利用するようなものにするのが普通でしょう。

 つまり、申請代行を確保すれば、実際の居宅サービスのお客さんまで確保できるわけで、申請代行をとるために、フライングや客のとりあいという品のないことがおこっています。

私の所属法人の実情
------------------

 以前から指摘されている「医療福祉複合コングロマリットによる囲い込み」と、この「申請代行を確保することによる囲い込み」は連動します。

 この「医療福祉複合コングロマリット」とは、簡単に言いますと病院から福祉サービスまでそなえた大きな組織のことですが、大きな組織ではそれだけ窓口が多く、そのぶん申請代行の機会が増え、サービス計画までの囲い込みがしやすく、そのうえサービスのメニューが多彩なのでますます人集めがしやすくなるという、企業にとっては嬉しい循環になります。

 困ったことに、私の所属している医療法人は、4月には病院5軒、診療所1軒、老人保健施設4軒、訪問看護ステーション5ヶ所、在宅介護支援センター3ヶ所、ホームヘルパーステーション6ヶ所という、かなり立派な医療福祉複合コングロマリットなんです。

窓口や医者での門前払い
----------------------

 いっぽう、申請そのものを市などの窓口で受け付けてもらえなかったとか、医者に相談したら「あんたはどうみても自立やから申請するだけ無駄や」といわれたというようなことも聞こえてきます。

 窓口では認定手続きの手間や費用のことを考え、医者は主治医意見書を書くのが面倒なのでそういう「門前払い」をするのじゃないかと邪推してしまいます。

 しかし、自立かどうかはあくまですべての手続きをし、要介護認定をしてはじめて断定できることです。入り口で判断するのは制度そのものの否定ともいえます。

訪問調査自体の不公平さ
----------------------

 さて、門前払いは言語道断ですが、申請を受け付け、訪問調査の段になっての問題も出てきました。

 さきほど申しましたように、調査の多くは申請代行をした事業者に委託されます。原則として調査は介護支援専門員がすることになっていますが、それ以外でも一定の研修を受けた人であれば認められるというのが一般的です。

 調査に従事する予定の人たちは、9月ごろに研修を数回受けており、一定レベルの知識を持っているはずですが、しかし、介護認定審査会ででてくる訪問調査の結果を見ますと、なかにはかなり問題のありそうな調査をしているものがあります。

 あまりにひどい場合は、再調査や問い合わせをしてできるだけ問題の出ないようにしていますが、調査する職種が非常にいろいろであり、調査員のレベルが揃っているとはとてもいえない状況だといえます。

調査の正確さ
------------

 ところで、調査が委託されていますと、たとえば施設入所中のかたの調査は、その施設のスタッフでもある調査員が行うことが多くなります。

 あまり露骨なことはしないにしても、やはり日常からよく知っているかたの調査、なんらかの感情が加わるようなことがなきにしもあらずではないでしょうか。

 また、そういうことでなくとも、聞きとりだけではなく、かなり正確に日常生活の状態をチェックできるはずで、そうしますと、ご自宅に出向いてまったく初対面で1時間ほどの調査と聞きとりをした調査と、施設でよく知っている調査員がした調査と、微妙に結果が違ってくるのではないかと思います。

ずさんな訪問調査
----------------

 つぎの例は、特に名を秘す大阪府南部の某市でのことです。

 市から派遣されてきた、公的機関の調査員の調査がまことにずさんだったというのです。調査は、普通にやっても小一時間はたっぷりかかると言われています。ご家庭の事情や周囲の環境から始まって、決められた85項目の質問事項があり、さらにそれぞれに特記事項という、具体的な事情を書く必要があります。

 しかし、そこでは調査は15分もかからなかったというのです。あきらかに手抜きです。その不服は一軒だけでなく、複数からあったらしいのです。

上の欠点はないかもしれないが
----------------------------

 その市では、川西市のように申請代行をしたところが調査の委託を受けるのではなく、市がいくつかの公的またはそれに順ずる機関に委託しています。

 このような方式ですと、前に心配した「調査員のレベル」や「だれが調査するか」による不公平はないかもしれませんが、しかし、朝から晩まで同じ調査、ひとりあたりのノルマも多い、調査したものは書いて期限までに提出しなければならない、そういう事情を考えますと、いわば流れ作業のようになっても不思議ではありません。

 東海村の会社がバケツでウランを汲んでいたというほどの危険はないでしょうが、しかし調査を受けるほうにとってはたまったものではありません。

 もし、こういうことに気がついたら、すぐに担当部署に通報すべきでしょう。

 じつはこの話を先日べつのところでしましたら、そのようなことはすでに新聞でも報道されていたということで、昨年11月16日付の読売新聞のコピーをいだきました。そこで書かれているのは堺市でのことでした。

主治医意見書の問題
------------------

 つぎに介護認定審査会で重要な役割になる主治医意見書の問題があります。

 私は医者ですから、あまり医者の悪口は言いたくありませんが、ま、けっこういつも言ってはおりますけど、じつは意見書のほうが訪問調査に関することよりも頭を抱えたくなることが多いのが現実です。ま、医者が医者の悪口をいうのはたいして度胸もいりませんから、ここについてはみなさん、しっかり聞いて帰ってください。

記載内容のばらつき
------------------

 で、私はきっと主治医意見書の内容のばらつきがとてもひどいことになるだろうと予測していまして、それはなぜかといいますと、私がいま仕事をしている老人保健施設、ここへの入所などには昔から主治医意見書のような書類をつけていただくのですが、とんでもなくひどい書類を平気で患者さんにお渡しになる医者がしばしばいることを知っていたからです。

 医者会のえらいさんたちは、介護保険でも医者がイニシアティブをとるべきだ、主治医意見書が認定で重要な根拠になるようにしなさいとおっしゃっていましたが、しかやはりふたをあけますと、とてつもなくひどい意見書がでてきました。

 そうかと思うと、なんとか患者さんに有利になるようにと、いろいろと丁寧に記載した、誠意あふれる意見書も少なくありません。

 なぜこんなことになるのか、私には同業者のことがよく分かるので、介護保険の本題とはちょっと離れることもありますが、ついでにお話しておきましょう。

医者は世間を知らない
--------------------

 まず、介護保険のことをご存じないドクターがいらっしゃいます。信じられないでしょ。でも、そういう医者、少なくありません。

 そもそも医者という人種は、いわゆる世間のことを知らないでもとくに問題なく暮らしていける世界にいるために、とても世間に疎い人が多いんです。自分に興味があること以外はほとんど知らない医者ってよくいます。

 もちろん、いま伊丹から札幌まで安く飛べるスカイマークエアラインズの飛行機の機材はボーイング767の200型だとか、椎名誠さんの作家デビュー作は「さらば国分寺書店のオババ」というエッセイでその本からはやったのが昭和軽薄体という文体だったとか、富士登山より吉野の奥駆け完走のほうがたいへんそうだとか、女優のいしだあゆみさんが私の住んでる池田市の出身だとか、そんなことを知らなくてもぜんぜんかまいません。

介護保険のことも知らない
------------------------

 しかし、せめて医療という仕事に関係していることは知っておいてほしいものです。

 病気だけ見て病人を診ていなければそんなことは必要ないわけですが、逆にいいますと患者を人として診てくれていないのではないかということが、その医者がどのくらい世間の常識を持っておられるかで分かるかもしれません。

 それで、介護保険のことをほとんど知らない医者がけっこういるのです。これは、私が何人もの同業者と直接話しての結論でして、断言できることです。

 介護保険のことを知らない医者に、介護保険のための意見書を書かせるわけで、まともなものができるわけがありません。なぜすべての医者に介護保険のことを勉強するようにさせないのだといっても、そんなことは無理なので、あとでお話しますが、少なくとも介護保険を知らない医者に意見書を書いてもらうことは避けたほうがいいと思います。

医者は書類を書くのが嫌い
------------------------

 ところで、もともと医者のなかには書類を書くのがとても嫌いというかたが少なくありません。何かの書類を書いてもらおうとして、とても長い時間待たされた経験をお持ちのかたも少なくないでしょう。

 兵庫県医者会が主催した意見書の書き方の講習会で、ある老人保健施設の施設長が、じぶんのところで入所しているかたは100人近くいる、それらの意見書をぜんぶ書けなんてむちゃや、と質問していました。そのドクターは、県医者会の幹部から、できないなら施設長をおやめになってはいかがですか、などと言われて恥をかいてましたが、この医者はけっこう正直なかただと思います。

 だから、市町村が心配したのは、期限までにちゃんと意見書を書いてくださるだろうかという点だったようですが、それもたしかにあるものの、現実には介護保険についてほとんど理解できていない内容の意見書があって、ほんと、頭いて〜、ちゅう感じなのです。

個人開業医と勤務医
------------------

 ところで、医者とひとまとめにいっても、個人で開業しておられるドクターと、病院などに勤務している医者とでは、同じに論じることができないことが多いのが実情で、介護保険のことについてもそれがいえます。

 今回の介護保険制度の実施にあたっては、開業医のお医者さんがたは医者会からの再三再四の研修や通達である程度の理解がすすんでいます。もちろん個人差があり、さきほど言いましたように、興味なしなどというドクターもいますから、いちがいにはいえませんが。

 いっぽう、病院の勤務医さんがたのなかには、そもそも介護保険そのものの存在を知っているのか疑わしいというような医者もいます。また、名前くらいは知ってはいても自分には関係ない、いちおう勉強したが関わるヒマなどない、そういう感じの医者が少なくありません。

文書料
------

 さきほど「医者は書類を書くのが嫌い」ということをお話しましたが、この点でも開業医と勤務医とでは事情が違います。

 個人開業のドクターなら、主治医意見書に限らず、診断書や紹介状を書くことは、それぞれがご自分の収入になります。主治医意見書は一通5000円の文書料が市町村から支払われますので、開業医ではそれなりに貴重な現金収入になります。しかし勤務医の場合、5000円は病院の収入にはなりますが、医者個人のフトコロにはなんの関係もありません。

 手間だけで見返りがないのです。せこい話ではありますが。

地域との関係
------------

 また、開業医はずっとその地域で、ま、お商売をし続けておられるわけで、地域の評判といいますか、世間の目といいますか、そういうものが直ちに影響する状況にあります。

 しかし、勤務医の場合、自分の評判が自分の生活にモロにかかってくることは少なくて、給料にもほとんど影響しません。とくに国公立系ではそうです。ま、もともとみなさんが思っておられるほど給料もよくないのですが…。それが医者への付け届けや謝礼の原因のひとつでもあるわけですが、それは今日の話題ではありません。

 ホームドクター、かかりつけ医という言葉があります。私はとくべつ難しい病気でなければ、近くの開業医から信頼できるドクターをみつけて日ごろから健康管理をしていただくことをお勧めします。と、また脱線しました。

主治医意見書を書かないという
----------------------------

 本論に戻ります。

 じつは、そもそも病院として主治医意見書を書かないことにしているというところがあること、また、自分は専門的な医療をしているので意見書は書けないという医者がいることが分かってきました。もちろんこのことをおおっぴらに表明しているわけではありません。

 私が自分で直接見聞きしたわけではないので、具体的な医療機関の名前を言うのは差し控えますが、市町村の担当者から、また認定を受けたいという患者さんから聞きとったところによりますと、いまのところ私の職場の近所で二箇所の病院を確認しています。

 それらはいずれも国立病院でして、をゐをゐ厚生省直轄の病院が主治医意見書の作成を拒否してどーすんの、という感想。また別の情報でも同様のことが全国であるようです。すでにあるマスコミの私の知り合いの記者がそのネタを追いかけていますので、いずれおおっぴらになるかもしれません。

医者の本心を見よう
------------------

 専門医療だから意見書は書けない、などという医者や病院、また、とんでもなくずさんな意見書を書いて平然としている医者、こういう事態を見ていますと、ひょっとしたら主治医意見書は医者を選ぶひとつの目安になるのではないかと思ってきました。

 この意見書は、介護サービス計画を作成することに利用することの同意の可否の欄がありまして、同意している場合はサービス計画を作成する際に介護支援専門員に提供されます。介護サービス計画は介護支援専門員でなく、利用者本人が作成することもできますから、要するに自分の意見書を見ることができるはずだと私は理解しています。

 つまり、自分の意見書を見て、内容を見て、ある種の判断ができるのではないか、ということです。

 カルテ開示が話題ですが、それよりも面倒なく自分の情報と主治医の考えなどを知ることができるのではないか、などと思うわけです。

 もちろん意見書は介護保険適用のかただけのことですが、ま、高齢者には親切だが若い人には不親切だというようなことは、めったにないでしょう。

介護認定審査会の審査の窮屈
--------------------------

 ま、なにやかやといいつつも介護認定審査会になるわけですが、私の川西市では一週間前に次回の資料をドサッと渡されまして、それを審査会までに予習しておかなければなりません。そうしておかないと、2時間で30件というような処理はできないわけです。

 そして、審査会では、いままでお話しましたような、本当に公平なのかという基本調査を元にして単なる統計処理をした一次判定の結果と、あまりにも落差の大きい内容の主治医意見書と、ときどき書いてある意味が不明なこともある特記事項を使って、ある高齢者のかたの半年間の生活の質を決定するような判断をしているわけです。

 覚悟はしていたとはいえ、この作業はとてもたいへんです。

 あ、これは問題点の指摘ではなく、単なるボヤキでありました。

go top go end

始まってみて4月実施への不安材料


 以上のように介護保険法が成立してから、この制度に対するいろいろな問題点が指摘されつづけてきましたが、介護認定審査会で実際の認定作業が始まって、新たに4月からの本番で不安になる点が出てきました。

 最後にそれらについてお話したいと思います。

ケアプランができるのか
----------------------

 申請代行をして委託された訪問調査をし、主治医意見書を作る、この業務が増えただけで、職場の忙しさがとてもひどくなっています。現場ではこのための人員を増やす理由も財源もなく、担当者はこれまでの業務に加えて、残業をしたり休日を使ったりしてこの仕事をせざるをえません。

 そして、4月が近づきますと、その数のぶんだけのケアプランの作成が新たに加わってきます。ケアプランは、計画をたてるだけではなく、その計画を実行するために、複数のサービス提供機関との調整をしたり、連絡をしたりしなければなりません。一人の介護支援専門員は50人までのケアプランの管理をすることができるという決まりですし、おそらく企業はその限度いっぱいのケアプラン作りを求めるでしょう。

 考えただけで気が遠くなりそうな介護支援専門員が多いのではないかと思います。

現状サービスを受けられなくなる
------------------------------

 つぎに、昨年までのモデル事業でもすでに指摘されてきましたが、認定審査会での認定で自立と要支援と認定されている人の割合が思った以上に多い。

 これまでやってきた認定作業は、ほとんどの市町村では、現在なんらかのサービスを受けておられる人を対象に行っているものですから、これらの要支援以下の人たちは、介護保険になると現状のサービスをそのままでは受けられなくなる恐れがあります。

 いま、家事ヘルパーさんに頼って生活しておられる独居の高齢者で自立と認定された人はただちに介護保険でのヘルパー派遣は停止されます。

 介護保険ではない、別の市町村の財源を用いた在宅サービスを何らかの形で整備しなければ、買い物もできなくなる高齢者世帯がたくさんできてくることになります。

なにかというと予算
------------------

 市町村によっては、すでに福祉の財源でこのようなかたへの支援を続けることを決めているところがあります。

 自立のかたの場合は、そもそも介護保険の適用を受けられませんので、介護保険制度での「市町村特別給付」や「上乗せサービス」「横だしサービス」というものも受けられないわけですから、ことは別の部署での検討を要しますが、そこで立ちふさがるのが「予算処置」ということになるようです。

 箕面市では「はみ出しサービス」と名づけられたサービスをすることが決まっているようですが、具体的にどういう規模のものかは、おそらく2000年度の予算が決まらなければ具体化しないのでしょう。

 家族慰労金などというものがあっという間に決まってしまいましたが、あれの恩恵を受ける人よりも、現状サービスを受けられなくなる人のほうが多いと私は思っております。

サービスに偏りはでないか
------------------------

 保険あってサービスなし、といわれていますが、地域によってサービスの種類に大きな偏りが出るのではないかと思います。

 民活とか異業種参入とかいいますが、投下資本がそれほど多くないホームヘルプやデイサービスにそれが目立ちます。しかも人口の多い地域に集まっています。リスクの大きい過疎地や設備投資の必要なグループホームやケアハウスなどの整備は遅れています。

 また、重介護のかた、とくに経管栄養や気管切開をしているかたなどを収容する施設が皆無という自治体も少なくありません。

 けっきょく、ケアプランというのはショーウインドウのようなもの、絵に描いた餅のようなもの、選べるサービスはほとんどないということになりかねません。

あらためて悪徳業者が出てこないか
--------------------------------

 そして質の悪い業者が、安かろう悪かろうで高齢者を食い物にしたり、家族から疎まれた老人の引き受け手になったりということも心配されます。

 自宅でなされるホームヘルプにしても、世間と隔離された施設にしても、その気になればごまかしはどうにでもできます。

 すでに、グループホームについて、悪質な業者が参入する恐れがあると監督官庁自身が警戒態勢に入っているという報道もありました。

 先日は、以前から24時間巡回介護などの先進的な事業で全国展開したあるヘルパー派遣企業の系列会社が、労働基準法に違反しているということで警告を受けたという報道がありました。安い金で自治体との委託契約を強引に増やしてきた企業、そのしわよせが職員に行っていたわけで、これはまた別の意味で問題でしょう。ちなみにこの企業のトップは、一世を風靡したディスコをプロデュースした人物だということであります。

あらためて人材の質
------------------

 そのことにも関係しますが、さらに指摘しておきたいことは、介護に従事する人材の質です。いまのような低賃金、使い捨て発想のままの雇用環境では、まともな人材が確保できることは難しいでしょう。

 その影響は、けっきょく私たち自身に戻ってきます。

 殺伐とした人間関係のなかで、よい介護ができるわけはありません。これは医療でも同様です。個人のモチベーションだけに頼っていけるほど、介護という仕事は楽なものではありません。

制度がいじられる
----------------

 そして最後に、昨年秋からの一部の政治家のとんでもない横槍です。

 いうまでもなく連立与党のゴリ押し的かけひきで、保険料の徴収先送り、第二号被保険者の保険料の補助、家族ヘルパーへの介護給付、ヘルパー研修への援助、そして介護保険制度とは別にするということですが、要介護4と5で介護給付を受けずに家族だけで介護する低所得家庭への慰労金の交付など、もうなんでもありという感じです。

 何年もかけて審議会と官僚で煮詰めてきた議論はいったいなんだったのかという印象があります。彼ら政治家には、自分たちの都合のためなら、介護現場の実態や、現場従事者の苦労などどうでもいいようです。

 まったく、脱力してしまいました。

go top go end

おわりに


 なんだか、あれもこれもと思ってまとまりのない話になってしまいました。

 最後にもういちど強調したいことですが、時代は確実に在宅療養をせざるをえない状況に進んでいる点です。

 でもどうしても在宅でみられないということになりますと、施設や病院に入ることになりますが、ほんとの最後に施設や病院の実情をひとことでご説明しておきましょう。

 施設や病院で、経済面、介護のレベル、入所や入院期間の制限、この3つをすべて満足するところは『ない』といって間違いありません。3つのうちどれかを辛抱しなければならないのが現実であります。

 だいじな親御さん、あるいは配偶者、もしくはひょっとしたらご自身、やはり短期間でコロコロ施設を変わりたくはないでしょうし、ほったらかしにされるのはごめんです。ということになりますと、最後には「ゼニ」ということにしかなりません。

 なさけないのですが、「やっぱり世の中じぇにでんなあ」というのが今日の結論になってしまうようです。

 そして、最後にひとこと、私がもし寝たきりになったら、しかしそれでもやはり家で過ごしたい。もっとも、こんな私を介護してくれる人がいれば、の話ですが。



目次へ
湾処屋のホームページへ