平凡社の経営問題のため「太陽」はこの号で終わり。定期刊行雑誌がなくなるときの常として、あいさつには「休刊」と表現されていますが、これはもう「廃刊」ということです。
もっとも、私はべつに「太陽」の熱心な読者だったいうわけではなく、そのときどきの特集によって買って読むという程度の「お気楽読者」でしかありませんでした。しかしそれでも、1963年といえば私が中学生のころ。当時はまだまだ珍しかった豪華雑誌で、ちょうど同じころ(正確には1961年7月)創刊された「鉄道ファン」を最初から小遣いのやりくりをして買っていた本屋さんに、たいてい一冊だけ置いてあったように記憶しています。
思えばこれまで親しんでいた雑誌の廃刊にいくつも遭遇しました。そのたびに「時代の変化」という感懐があったのですが、21世紀を直前にしてのその名も「太陽」の終焉、これはとっても残念に思います。でも最終号、私にはあまりおもしろくなかったぞ。
(2000/11/30)
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さいきん、猪名川を含むこれらの川の水がとてもきれいになっているように感じます。じっさいの水質としては知るよしもありませんが、少なくとも見た感じでは透明度がぐっと上がり、河川敷や水流にゴミや芥などがほとんど見られません。箕面川などは流域の住民のみなさんがボランティアで何ヶ月かに一度いっせいに河川敷の清掃をなさるということですし、下水がほぼ完備していますから、誰かがゴミ芥を不法に捨てたりしなければ、自然に川がきれいになるはずです。
箕面川にはサンショウウオが生息しているのを人気テレビ番組「探偵ナイトスクープ」で放送していました。箕面の町中を流れているあたりでのことです。
しかし、大雨のときには短時間で増水し、まっ茶色の濁流になるのはこれまでと同様でして、都市河川の宿命とはいえ、これはなんとかならないかと思います。さいきん流行の吸水性のアスファルト舗装がもっと普及すればすこしはマシになるのかもしれません。
そういえば、私の生家(八尾市)の前を流れる玉串川では、放たれたコイがどんどん増えてちょっとした名所になっているようです。この川も汚濁で有名な大和川の一種の放水路でして、一時はほとんどドブ化していましたから、ほんとによくなったもんです。もっとも、私が子どものころは、大和川にあった水練学校に通い、玉串川では川に入ってフナやドジョウを掬いとったものですが…。
(2000/11/13)
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この県道の歩きがつらい。
うるさいし、くさいし、けむたい。
県道は片側3車線あり、いわゆる交通集中による渋滞が慢性化している幹線道路です。朝っぱらからマフラー改造した単車や自動車が走るし、駅前では北のほうの工事現場に向かうための待ち合わせをするトラック類がディーゼルエンジンをかけたまま路肩駐車。ま、超満員で北部の住宅地からどんどんやってくる路線バスの排気はお互いさまということで我慢できますが…。
数が集まりますと普通の乗用車のエンジン音や排気音もそれなりにうるさいし、ディーゼルでない排気もけっこうくさいものです。
そのうえ、禁煙が厳しい電車から降りておっさんらが歩きタバコで煙を撒きちらし、吸殻ポイ捨てにいそしんでおられます。駅から5分ほどの私の職場の近くでは、ちょうど1本吸い終わるくらいなので、歩道のスミに吸殻がたくさん捨てられています。さー、きょーも仕事するぞー、という朝の活力をそがれます。それでなくともイヤイヤ仕事にでてるのにぃ ^^;
県道から左に曲がって50メートルほどで職場に着くのですが、この50メートルほどの間だけでも県道から離れるに従って静かになり、空気がきれいになってくるのがわかります。
車通勤している人にはわからないのでしょうが、車のために整備された道路って、歩行者にはほんっとにフレンドリーではありませぬな。ニュータウンなどでは人車分離されていますが、川西のような雑然と都市化した駅前はあきまへん。私のようなまだ元気な中年でこのありさまですから、お年よりや妊婦さんなんか気の毒です。
せめて県道と並行した狭い生活道路でもあればいいのですが…。
(2000/11/08)
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紅葉にはまだまだ早いのは承知のうえ、昨日はかなりの大雨で、箕面の滝が幅20メートルにもなったと新聞に写真入りで紹介されたほどだったので足元の悪さも計算づく、それでも機会を逃がすとまたズルズルと歩かない時期が続きそうでしたので、エイヤッとでかけた次第。
足元は心配したほどではなく、逆に水量の多い貴船川や周りの森の匂いがいつもと違う気持ちのよさでした。残念なのは、いつもここを歩いたあとで入る鞍馬温泉峰麓湯が休日ですごい混雑、駐車場整理をしているおじさんに尋ねますと「ゴボウを縦にして浸かっている感じやで」といわれてしまい、断念したことでした。平日だとほとんど貸切状態で入る露天風呂なので、おじさんの「ほんとは商売やからこんなんゆうたらあかんねんけどなあ」という言葉の意味を十分に理解したわけです。
市内に戻って出町柳から京都御苑を縦断して堺町方面の骨董屋さん散策、河原町の創作料理の店で早めの夕食でいっぱいやったあと、三条から祇園縄手通りを経て六波羅方面をぶらぶらとして、舞い戻って先斗町から木屋町抜けて新京極近くでもういちど飲みなおし、21時過ぎ発の阪急の特急で帰阪しました。
鞍馬への往復の叡山電鉄、往復ともグラスエリアのものすごく広い観光電車 900系で景色を堪能してきたことも収穫です。本日の歩行距離推定10キロ。長らく歩いていなかったわりには大丈夫でした。
(2000/11/03)
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