ある程度の年齢の男性に対する、おそらく最大限の誉め言葉、尊敬と憧憬を含んでいるのに、たいへん簡単な表現になっている、私はとても好きな言葉です(間違いがあったらご指摘ください>上方の旦那衆)。
おそらく、自分というものを確固として持っていて、それなりに気高い心意気があり、その自尊心、プライドに応じた責任感や意識がある、そしてそれに裏打ちされた外見上の美しさ、それは決して金がかかっているとかというものではなく、自分をよく知ったうえでの相応な身なりと態度というものがある、おそらく説明はしきれないでしょうが、そういうものかと思っています。
昔からの日本の言葉でいうと「粋(いき)」か、しかしそれよりももう少し俗っぽくもある、そのうえいわゆる「ノーブレス・オブリュージュ」を自然に身につけているような大人の男。
「それ」とか「そのような」とか「そういう」とか、どうしてもあいまいな言葉が増えてしまうのがこの「しゅっとしてはる」ことの本質かもしれません。しかし、私は「しゅっとしてはる」といわれる年頃におそらくなりつつあり、「しゅっとしてはるわあ」といわれたいと思うのでありました。しかしまあ、なりたいと思うだけでなれないのが「しゅっとした人」。
うーむ。修行修行。
昨年は船渡御を見にいったものの、夕刻の強烈な雷雨に負けて退散し、今年こそはと思いつつ、仕事の関係で思いを遂げられず。そして、かつて小学生のころに父に連れられて初めて見たこの祭、今年は格別の思いもありました。
独特の地車(だんじり)囃子の鐘と太鼓の音を聞きますとつい心が浮き立ってしまうのは、大阪に生まれ育った人間のサガではあります。
2000年の大阪の夏もこれで一区切りです。
私にとっては個人的にちょっと忘れられない夏でした。
私の自宅マンションの前のお屋敷が昨年から改築(というか、古い家屋を壊して豪邸が建った)していて、その際に庭にあった大きなサクラの古木が(無残にも)切り倒されてしまい(木霊のバチ、当たらんやろか)、おそらく昨年までほどのセミは寄ってこないのではないかと思っていましたので、今朝は意外でした。
もっとも、そのお屋敷の、私の自宅側からみた裏手には、お屋敷街が広がっていてその中の道はすべてサクラ並木ですし、それぞれのお屋敷には立派なお庭がありますから、初夏のウグイス話も含めて鳥や虫が多くいても不思議ではありません。
寝ている部屋が東向きで遮光できない障子戸、そしてほとんど枕もとでのセミしぐれということで、またまた午前5時には起床せざるをえない夏の生活が始まります。健康的じゃ ^^;
目撃情報では体長1メートル程度とのことでおそらく子グマだろうということですが、もし子グマだったとしても、また迷い子になった子グマだとしても、当然その地域には親もいるはず。
目撃されている10ヶ所ほどの地点は、山間部とはいえけっこう昔から開けて人が住んでいるところで、最近山を崩して宅地を作った、つまりクマの生息地にニンゲンが分け入ったというようなところではないと思います。
ま、みつけても殺すようなことはしないと思いますが、ニンゲン側が驚いている以上にクマのほうもびびっていることでしょう。
しかし、捕まえてみたら黒い毛の野良イヌさんだったりしたら笑い話だ。
話は変わりますが、いつのころからか駅や街角で宣伝入りのポケットティッシュが配られるようになりました。たまには手を出していただくことがありますが、それに印刷されているサラ金や銀行の広告、まず見ることがありません。宣伝媒体としての効果がほんとうにあるのだろうかと、とても疑問に思います。
ところで、昨年くらいからでしょうか、よその地方のことが分からないのですが、大阪では夏になるとポケットティッシュの代わりにウチワが配られることが多くなりました。今朝も阪急川西能勢口駅の出口改札で「三都夏祭り」のウチワが浴衣姿の女性によって配られていました。阪急電車はご存知のように京阪神を結んでいますので、この季節、「祇園祭」「神戸まつり」「天神祭」で稼ぐことになります。その前宣伝なのでしょう。そして、裏には北摂を中心にチェーン展開している大規模DIY店の宣伝。
そして、昨日はわが職場のメインバンクの「ボーナスは××銀行へ」というウチワが関連病院に大量に置かれていました。なんでウチには持ってこんのや、ということはともかく(まあ職員数が5倍くらいいますからね、病院には)、きっとこういうウチワはかなり安い単価で作ることができるのでしょうね。
いまの時期、私にはポケットティッシュより嬉しいウチワではありますが、出勤途中でもらってウチワを持って職場まで歩いてくるのは、ちょっと恥ずかしいものもありました。
いよいよ大阪の地獄の夏がやってきます。
(2000/07/07)
go top