しかし、今日、網走沖で見た流氷は、これはもう想像以上、ちょっと唖然とするほどでありました。観光砕氷船が出航してしばらくは、同乗のみなさまがわれ先に甲板で写真を撮ったり歓声を上げたりしておられましたが、数十分もたつと、寒さに負けたか、またはある意味では単調な景色に飽きたか、ふと気がつくとほとんど人はおらず。しずかに知床の連山をバックにしたみごとな流氷を心いくまで堪能することができました。
厳しい気候の象徴ともいえる流氷なので、無責任な観光者が感激ばかりしていては地元のみなさんに申しわけないのですが、しかしやはりこの景色はちょっと心をいれかえねばならないほどの感動を与えてくれたのでした。
今日は、地元で頑張っている蔵元の見学と、その後の「ぼたん鍋宴会」ということで、いろいろなしがらみがなくなった日曜日の一日、明るいうちから酒にひたってきました。
大阪府能勢町の「秋鹿酒造」。能勢町でも北の端に近い倉垣というところにある小さな蔵ですが、地元産の酒米「山田錦」にこだわった良心的なところです。そもそも私の日常の酒がこの蔵の(安いほうの)純米酒「摂州能勢」。今日の話では、ちょっとだけ値段の高い「能勢福」がもっと美味いらしいので、つぎからはそちらに替えようと思いました。
大手の酒造会社のいろいろなことは、それなりに聞いてはいましたが、小さな蔵で造られる酒の工程を目の当たりにして,やっぱり酒を造るのも「人」だと再確認した日曜日でありました。
ぼたん鍋は、いうまでもなく美味。
ところが、数日前、なんとなく右の前胸部が痒いような気がして、鏡でふと見てみるとなにやら発赤と丘疹が胸骨のすぐわきにいくつかできています。そして少し離れて腋の前にも同様のものが…。
で、あらら、これは帯状疱疹ではないかと診断した次第。この病気はウイルス感染で発生するもので、体力や免疫力の弱った人がなりやすいとされています。うーん、なんでや、というのが正直な感想です。私ゃカゼもなかなかひかない免疫力の持ち主だと思っていました。
先月から今週はじめにかけて講演が続き、ちょっとそれがストレスになって免疫低下でも起こしたのか、いやいや、これまではもっともっとストレスフルなことはあったぞ、などと悶々としつつ、しかしまあこれ以上悪化してもらっては困るので、ゾビラックスという抗ウイルス剤を処方してもらって、薬嫌いの私には珍しくまじめに服用しています。高い薬だという認識はあったのですが、なじみの保険薬局さんで調剤していただいたら自己負担額が7000円を越えました。ほんと、高い薬です。
昨夜で、今年度の依頼された講演がすべて終わったということで、今日は原稿やプレゼンテーシュョン資料の心配をひさしぶりにしなくてすむ一日、きっと自由な時間が少しはとれるぞと期待しつつ出勤したのですが、あぁあ、現実はとてもそんなに優しくなかったのでした。
介護保険の主治医意見書が3通、他の医療機関などへの診療情報提供書が8通ほど、その他もろもろ。
私の場合、定型的な書類、決まりきった手順の書類などは、ほぼ究極までパソコンで省力化(ずぼら化、ともいう)しているのですが、それでも時間のとられかたはひどいものがあります。医者という人種、電脳化に乗り遅れているかたが他の職種に比べておそらくとても多いと思いますが、電脳化できていなくて書類を手書きでしておられるお医者さんがた、どんなんだろうと人ごとながら心配してしまいます。
とはいえ、そういうわけで時間の余裕ができそうになったので、ずーーっと長らく休刊したままになっている個人雑誌を、体裁を変えた個人新聞として復刊したいという目論見、介護保険元年でかつインターネット全盛だからこそのこの春、コミュニティペーパーという形であえて紙媒体として出したいと、またまた時間を必要としそうなことを考えている西高東低の夜。
道がやばくてバスもまともに動かないようなら職場まで歩いていかねばなりません(所要は積雪がない状態で約40分)ので、いつもよりすこし早く起きて、熱々のインスタントラーメンで腹の用意を整えて出勤しました。が、意外にも道路は空いていて、バスはちょっと遅れたものの、駅にはとくに問題なく着くことができました。もっとも、バスの無線では、運休するだの、スリップして坂が登れなくなったので後続バスにお客さんに移ってもらうだの、事故車で渋滞して走れないだの、昨夜から放置された自家用車の駐車が邪魔で通れないだの、一波しかない阪急バスのチャンネルはほとんどパニックでした。
職場の最寄駅の下を走っている県道はガラガラでした。いつもなら片道3車線を埋めつくして数キロの渋滞があるのに、今朝はチェーンをつけたバスだけがやたら目立ちました。おそらく川西市の山のほうでは、人々が自宅から車ででかけるのをあきらめたのでしょう。私の自宅付近もそうでしたが、坂道のあるところでは早々に車通勤を断念したかたが多くて道路の混乱がなかったようです。平地方面はいつものように車で出た人が多かったようで、とても混雑していたようです。
しかし、今日の雪では、大阪空港出発便で4本ほどが運休したようで、大阪空港が雪の影響で運休にいたったのは数年ぶりだということです。大阪モノレールも凍結で不通。ま、まさかモノレールのタイヤにチェーンを装着するわけにもまいりますまい。
こんな話を書きますと、雪国のかたがたからは冷笑されそうですが、沖縄では雪がチラついたか降っていないかが大きな話題になる、小さい国土のように見えて、けっこう日本って大きな国です。
私のような年齢になりますと、なにかにつけて保守的になり、飲食店も行きつけのところ以外にはなかなか入りづらいものになっています。特に、今ふうのおしゃれな店だと、なんだか自分が不釣り合いなように感じてしまって、どうしてもしり込みするところがありました。
しかし、街そのものが明らかに変わってきて、「不釣り合い」などと言っていると街さえ歩けなくなりそうということで、世紀末は割り切ってどんどん新規の店の開拓をしようとひそかに心に決めていたのです(んなおおげさな)。きっかけは、北新地のさま変わりです。
かつて、超高級飲食店街の代名詞であった北新地は、不況による客離れのため高級店が減っていき、若者をターゲットにした店がものすごい勢いで増えつつあります。もちろん、かつての北新地だと道を歩くだけだった私でもぜんぜんフトコロを気にせず入れる店です。しかも、料理もなかなかのもの。いかにおしゃれに店を作っても、そこはそれ大阪のこと、かんじんの料理がまずければあっという間に客は集まらなくなりますから、一定レベルの味と、ヨソとの差別化のための工夫が必要です。店はたいへんでしょうが、私らは嬉しい。
かくして、北新地はもちろん、ミナミの船場や鰻谷、堀江というあたりの若者の街に、おっおぬしでけるやんか、という店がどんどんできているのでありました。
(2000/02/04)
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