もっとも、パソコン関係はOSをすべて Windows98/SE にしているし、MS系のソフトも2000シリーズにアップグレードずみ。その他の家電製品にはそれほど深刻な機種はない。なにしろアナログな家電がまだまだ残っているのだ。
で、個人ではどうにもできない「ライフライン」の自衛ということで、水は以前から買っている「阿蘇の列摯水」20リットル箱をストックずみ。いま使っている列摯水を使い切った容器と、以前に使用ずみの容器に大晦日に水を満たすので、最低60リットルの備蓄ができる。二人暮らしだから数日間はだいじょうぶだろう。
ガスは、カセットコンロのボンベを半ダース備蓄。
震災のときに活躍したあと、埃をかぶってほとんど行方不明だった懐中電灯3ケを見つけ出してきて電池を交換、点灯することを確認して照明も確保。それに、もともと、イヌの「故モモさん」の祭壇と荒神さんの神棚のためのロウソクがたっぷりある。
電話がISDNなので、そちらの不通が気になるが、電話が繋がらなくても死にはせん。それに、携帯電話系はドコモとセルラー、それにドコモのPHSという構えである。
なんとかなるよね。
行きは、ベッドタウン方向への電車なので、それなりに混雑した状況だったが、午後9時すぎに帰るときの電車はまったくの逆方向。4両編成の電車に職場の連中8人ほど以外にはほんの数人の乗客しか乗っていない。
もちろん反対方向の電車はまだけっこう客は多いのだが、これで採算はだいじょうぶなんだろうかと心配になる。
もっとも、電車は行ったりきたりするしかないから、客の多い下りばかりを走らせるわけにはいかないのがつらいところなのだろうが…。
午後から病院の外来診察に出向くと、そちらで3通ありまっせと事務の女性。ま、3通なら外来のあとで作るわと答えておく。ところが外来中に「市役所に行ったら追加ですといわれました」とさらに2通。
診察を終えてから、病院の5通を作ったら、もう午後5時すぎ。施設のぶん8通は名前などのID部分を入力しただけで明日に回すことにした。なにしろ意見書を作るのには、ほんと、けっこうリキが必要なのである。
心斎橋とはいっても、私たちがよく行くのは心斎橋筋の北半部のほう、いわゆる南船場方面である。南半部と違って、あまりお高くとまっていないオモロイ店が多い。
で、今日も地下鉄御堂筋線心斎橋駅を降りて心斎橋北詰めから心斎橋筋に入ったら、なんか違う。景色が違う。よく見てみると、私の記憶のあるころからずっとおそらく40年はあった「駸々堂書店」がない。なんと化粧品ショップに変わっている。いきなりショックである。
そして、北へ向かって歩いていくと、それほど入りにくくない店構えでロレックスを中心とした時計宝石の大きな店ができている。ここでは、ロレックスをショーウインドウから出してもらって品定めをしている客のほとんどが20歳代と思しき若者ばかりだったのにショック。あまり若いのにロレックスをつけたりメルセデスに乗ったりしていても、似合わないんよ、とは持てない者のひがみか…。
アジア系の雑貨品店や 100円ショップを冷やかしたあと東急ハンズへ。あまりの人出に早々に出てきたが、ハンズができてこのあたりの人の流れが大きく変わってしまったようだ。
よくも悪くも街の変わりようは…。
前半はそれなりに気をつかうパーティ。後半はぜんぜんあけっぴろげな宴会(ラウンジをほとんど借りきりの「わけわからん」宴会)。
なんとか日付の変わらぬうちに帰宅はしたものの、やはり連日のことで「宴会疲れ」がぼつぼつと出てきている今日このごろ。
わが職場の若者たちとだと、やはりいやでも職制をひきづることになって、なかなかどちらも本音を出せないようだが、仕事では無関係ということで生の彼らを見ることができる。年に数回、いっしょに飲み会をするだけだが、私はとても楽しみにしている。そして、今夜もその集まりの忘年会だった。
数ヶ月ぶりに会うと、たった数ヶ月なのに、彼らの多くがそれなりに身辺に変化があって、あらためて「若いのはいいなあ」および「若いのはたいへんやね」と感じるのだった。
先日らいいろいろ問題になっているふたつの宗教団体(だろうな)の事件を見ていると、私ら医療者はまったくの人ごとと考えていてはいけないのではなかろうかと思うのである。
なにかといえば「定説」を振りかざす教祖と、すべてが「天声」だという教祖が主宰する団体の活動、どちらも「病気」がキーワードだ。シバいて病気を治すという前者、足の裏で病気を診断できるという後者。
人びとがこれらの団体に集まり信じる裏に、現代医療の至らぬところがあるように思えてならない。信心に向かう人のいくらかの割合は、ごくふつうの医療現場で解決できるのにし.てもらえなかったために医療を信じられなくなったというものではないだろうか。
勧誘を病院の前でしていたということなど、医療者はもっと深刻に考えなければならないことだと思うのである(そういえば私も出勤途中で職場の前で本を渡されかけたことがあった。隙があったのだろうか、それともよほど不健康に見えたのだろうか)。
わけのわからぬ宗教団体の教祖が「定説です」と大阪弁で言うと思えば、金貸しの社員がわけのわからんエセ大阪弁で「腎臓を売ってまえ」とか「窓からび降りるのを後ろから押したろか」とか言うたらしくて、もともとちょっとガラの悪いときにすぐ使われていた大阪弁がさらに品を落としてしまっている。
もともと上方系の言葉はとてもマイルドで優しい言葉なのに、変な偏見でガラの悪い言葉の代表のようにしたのは、おそらく共通語圏のひとびとであろう。
もちろん、私だって腹がたてばお国言葉(大阪弁の田舎バージョンの河内弁)でまくしたてることはある。でも、そんなのはたいしたことはない(と思う)。つい先日も、ある人の言葉遣いについキレてしまって、ちょっとだけ電話でどなってしまったのである。なぁに「あぉんだらぁ、だれにモノゆーとんねん」と言っただけだ ^^;
酔いだけでなく、お開きがなんと午前3時だったから、睡眠不足がたたっている。午後の会議ではとても眠かったのである。もっとも、夕刻からはやや目覚めてきた。
夕食ではさすがにアルコールが欲しくなく、ほんとにひさしぶりの酒なしの夜になっている。飲んで飲めないことはないけれども、ま、無理に飲むこともないかということで。しかし、酒気なしだと眠りが浅くな恐れが…。
夜、何人かが集まって家で「関東煮パーティ」をやって、盛り上がってお開きが午前、みなさんを送りに出たら地面がぬれていて、空を見上げると早い雲の流れの間に透明な空と思いがけずたくさんの星。
強い風に走っている雲は明らかに雪雲である。
いよいよ冬か。
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べつに帰宅を急ぐわけではないが、バス停でじっと待っているのはとてもたまらぬ。元来のいらちの血がそれを許さぬ。10分も困る。なにしろ、エレベータを待つのがつらいのである。
で、荷物が重かったのではあるが、そのまま歩いて家に向かった。途中、パソコン関連の品揃えのいい家電量販店に立ち寄り、明日くらいに開店するらしい「さぬきうどん」の店を覗き、ペットショップで子犬にちゃちゃ入れしつつ歩いていると、バス3本に追い抜かれてから家に着いたのだった。
いらちなのかのんきなのかようわからんのだった。
もともと社会人になってからずっと年末年始が特別という生活をしてこなかったものの、私は昨年くらいから世間なみのそれを過ごせるようになってきた。
しかし、この歳になって晦日だ正月だといわれても、ここ四半世紀ほどそういう生活をしてきていない者にとって、どうすごせばいいのかわからないような「連休」なのである。
パートナーの勤務も決まって、大晦日の夜勤 ^^; さて、娘もバイトで帰省しない大晦日、ひとりで Y2Kのなりゆきでも見てますか。
今夜も、パートナーともどもちょっと帰りが遅くなって、たいへん空腹で口渇で、車を置いている駐車場のまん前にあるその店にふたりしてついフラフラと立ち寄ってしまった。
寒いとはいえ「まずビール」。で、土佐出身の店主お勧めの鯖ずし。これがしめ鯖ではなく、生、である。すし飯も独特のもの。これが土佐の鯖ずしか、いままで食べたことのない美味いもの。クセになりそうである。
ついでに、帰りに立ち寄って一杯やってしまうのも、クセになりそうで危ない危ない。
阪神高速が池田市北部の木部まで開通する前には、こういうことがけっこうしばしばあった。だからこの混雑は阪神高速が事故かなにかで通行できなくなっているのかと思ったのだが、あとで見たかぎりでは高速は順調な流れだった。
けっきょく、渋滞の途中でバスの運転手氏が「たぶんなかなか動きませんので、お急ぎのかたはどうぞ降りてください」と、停留所でないところで扉を開けてくれて、駅まで5分ほど歩いて到着。歩道には、何台も連なるバスから降りた人の列が続いていた。
気の毒なのは、自動車を運転して渋滞の中にいた人たち。
村松誠さんの「猫カレンダー」が昨日届いた。「ビッグコミック・オリジナル」の表紙を描いているイラストレーターの作品で、昨年からウチのメインのカレンダーになっている。
野口悠紀雄さん監修「超整理手帳」も使い出して来年で4年目になるが、今日、2000年版の新しいページに入れ替えた。
いよいよ年末、あるいは年始の、支度、か。