駅前の繁華街の裏路地のようなところに、ときどき男女が何か品物を渡して金を受け取っている秘密めいた窓口があり、その場所には「○×福祉事業協会」などと書いてあるのである。
私はもともとその窓口に持っていく品物を貰うシステムそのものが好きでなく、あの窓口はいったいどういう仕組みのなかにあるのか、まったく分からないので、つまり単に知識がないから不思議に思っているのだ。あの「福祉」ってなんなんだろうか、と。
あ、いや、これは答えを期待しているのではなく、要するに50年も生きていて、なおかつ世の中には不思議に思うことがまだまだあるのだということを書きたかっただけなのだ。
で、外がうっすらとでも明るくなってきたら、足元の窓を開ける毎朝。
そして、もういちどウトウトとしたときの、開けた窓から流れ込む朝の冷気が気持ちいい。もともとほとんど掛け布団など使わないうえに、じつはほとんど裸同然で寝ている私、冷気がもろに体を包む。この冷気は霊気かもしれないなどと思うのである。
円山公園の駐車場に車を置いて、知恩院前の一澤帆布店に向かう。京都の残暑のなか、見慣れた店の前に着いて唖然、「ごめんなさい今日はお休み」の張り紙。私らはしばしばきているし、遠いといえどもたかだか大阪からであるが、ガイドブック片手にようやく遠くから来たという雰囲気の女性グループもちらほら。 ま、おそらく、一年のうちで比較的客の少ない時期なのだろう。
三条を経て河原町あたりをぶらついたあと、いつものように四条河原町の「舞坂」で鰻の昼定食。京都限定ビール「千都」も美味い。
カバンの欲求不満もあり、午後から鷹峯(たかがみね)方面へ向かう。とりあえずは松野醤油で醤油と味噌とモロミを購入。すぐ近くの、何度か立ち寄っている某社へ。で、ここで、柿渋染めした帆布をなめし皮で縫製したバッグの半額セール(*1)というのに遭遇、パートナーともども思わず買ってしまったのだった。あー、また散財してしもた。
(*1)とはいえ、いわゆるブランド物に比べればケタはひとつ少ない。
心斎橋筋近辺、新地の大書店ジュンク堂のある「アバンザ」あたり、梅田の地下街など、この暑いときになんでみんなそんなに元気なのというほどの人出。
要所要所では四方八方に行きつ戻りつする人たちで雑然としている。まいどのことだがこれが疲れるのである。
ほろ酔いでの帰りの阪急電車では、時間より安楽、次発の各駅停車で座って居眠り。やれやれ。
それどころか、一時そういう気持ちのよい日があっただけに、今日などはひどく不快に感じてしまうのである。気温そのものはそれほど高くはなっていないはずなのに。
今夜は帰ってもパートナーが仕事でいないので、ついつい途中で行きつけの居酒屋さんに立ち寄ってしまい、ついつい生中を2杯ほどやってしまったのであった。ま、それだけで切り上げて、はやく風呂に入りたくなるのが、依存症ではないことのあかしだと安心もできるのである。
舗装された直後はなるほど美しくていいものである。が、しばらくたつと、タバコの吸殻や、ガムや、その他の芥類でみすぼらしく汚れてくるのが常である。汚れてもすぐに掃除されていればいいのだが、おそらくそういうシステムにはなっていないようで、汚ければ人々は気楽にまた汚すのである。
大阪の西天満あたりの、法曹関係の事務所の多い国道1号線の歩道もまさにそう。大阪の良心が集まっている(はず)のあたりでも、やはり信号のところでは吸殻がびっしりと捨てられていたりするのである。
なんでも罰すればいいというようなものではないとは思うが、シンガポールがそうらしいように、道を汚すと大きなペナルティを受けることにしたほうがいいような気がするのである。
これで暑さが終わりとは思えないが、ともかくちょっと一息つけた一日であった。
外は暑いのだが、ときどき行くどんぶり屋さんに行く。ここは全品 550円で5種類の丼とカレーライスがある。で、唯一の「肉でない」丼である「鉄火丼」が好物なのである。ヅケのマグロの乗った暖かい丼に期待しつつ店に入ったら、なんとここでも売り切れであった。
ときによってはこういう場合には開き直って昼を抜いてしまうこともあるのだが、今日は朝食がとても早かったこともあって、どうしても何か食べたい。そこで近くにある某公共施設の食堂でセット物を食べたのだが、うーん、ストックのカップ麺でも食べておいたほうがよかったなあ。
そして、ふと、まだまだ暑いいまの時期、いまだ冷房などない地下鉄と、吊掛電動機の小型全電動車6輌編成の窓を全開にして尼崎の工場街の風を車内に通しながら激走する阪神急行を使って、高校野球がすんですこし静かになった甲子園にある高校に通っていたころのことを思い出した。
いま、その学校のあったところには、ちょっと経営がヤバいといわれている超大手スーパーと、学校の名前のついた宴会場のあるホテルがある。この週末にはそのホテルで同窓会総会があるというのだが、いろいろあって今年もパスかな。
北海道まではやはり飛行機を使うことになるので、おそらく交通費がバカにならないと心配していた。しかし、巷間低調をささやかれているスカイマーク・エアラインズを使って、しかもおそらく満席ということはなさそうだと、スカイマークさんにはちょっと失礼な予想をたて、予約のできないスカイメートを使うことにすると、なんと10,500円で札幌まで乗せてくれるのである。そしてやはりじゅうぶんな空席があったのだった。
新幹線で東京に行くよりも安く北海道まで行ける。びっくりである。
チェックインカウンターがロビーの端の端、チケットはレシートのようなものにプリントアウト、ゲートも一番遠くで、発着時にほとんど地上支援の機材も不要な場所であるなど、かなり経費節減をしているように見えた。安全面にさえ手抜きがなければ、無駄なサービスの押しつけがないほうが気も楽だ。
10月からは一般運賃が18,000円。ということは、娘は 9,000円で乗ってくることになる。
歩きながらの喫煙とか、電車の中での携帯電話とか、レストランでのおばはんらの大声の会話とか、公共の場でのしつけの悪いガキたちとか…。
いまの季節でいえば、道路や通路に向けたエアコン室外機、というのもある。それでなくとも暑さでメゲつつ歩いているのに、突然横からムワワッと襲う熱風。機械壊したろかとさえ思うのである。
家からバス停への途中のソバ屋、そこがまさにそれなのである。もともと、近所には美味くて行列ができる別のソバ屋さんがあって、熱風まき散らしソバ屋は不味いという噂がある。それもあって店に入ったことはないのであるが、こういう無神経なことをされてはますます食指は動かぬ。裏通りをバカにするなよな>ソバ屋。
川西能勢口駅前交番の横にもそういう排気場所があって、これはけっこうハイパワーなので気分の悪さもひとしお。さて、これにはどういう対処をすべきなのだろうか。
オフィスを2000に入れ替え、ウインドウズ98もサービスリリース2にアップグレードした機会に、やはり微妙なところでマイクロソフトのアプリケーションで使い勝手のいいMS-IME2000を導入した。ユーザー辞書はコンバートしてそのまま確保できているので、じゃっかんの変換のクセの違いにすこし戸惑っているくらいで、おそらくすぐに慣れるだろうと思う。
マイクロソフトに関してはいろいろと議論もあるだろうし、私自身は大政翼賛的なのは嫌いなのではあるが、道具としてはやはり使いにくくては具合が悪いのである。
とはいえ、すぐにWX-Gをアンインストールする思い切りがつかないし、ウインドウズ98のアップグレードをしている横で LinuxのCD-ROMをちといじってみたりしているのが未練がましいところではある。
今夜のテレビ「あまからアベニュー」は焼きソバの特集であった。わが家では緊急避難的、あるいは休日の朝昼兼用としての焼きソバではあるが、いろいろなお店のうまそうな焼きソバをつぎつぎに見せられると、ついまた食べたくなってしまう。
テレビ番組で焼きソバやラーメンなどが出てくると、いつもすぐに口にしたくなる。いやしいとは思うが、けっこうそういう人は多いのではあるまいか。
和風旅館なのにホテルである。宿泊料はルームチャージ、食事は好きにしてくださいという方針。9室しかないのだが、外からも予約が入る割烹店が中にあって、今夜はそこでいちばん安いコースを頼んでいて、それでももう腹いっぱい。板長がなかなか雰囲気のあるかたで、私はとても気にいってしまった。
仕事を終えてから二人できて、温泉に入って美味い食事をして気持ちよく宿泊して、ひとりあたり14,000円ほど。その気になればここから出勤もできる。
贅沢といえば贅沢かもしれないが、新地に行くと一晩でそれ以上も使うのではないだろうか(行ったことがないのでわからぬ)。気分の洗濯には高くはないと、私は思ったのだった。
私も若いころはよくキャンプをしたし、いわゆるオートキャンプの走りのような経験をしているので、けっこう無茶なこともしたのであるが、今回のような中州で野営するということはなかった。
20年以上前、奈良県の十津川水系の支流の川原で友人たちとテントを張ったことがあった。もともとそのあたりは雨が多いことで有名なところで、降ることは珍しくはなかったのだが、その夜、深夜になってけっこう激しい降りになってきた。しばらく川の流れをみていると、濁りはない(原生林の多いところだから水量は増えても水はきれいなままなのだ)が、じりじりと増水しているのがみてとれた。
けっきょく、このままいることは危険と判断して、豪雨の中、テントを撤収して崖道をすべりながら登り、林道に停めた車で夜を明かしたのだった。
翌朝みてみると、テントを張っていあたりはなんとか水没を免れていたので、そのまま寝ていても大丈夫だったわけではあるが、自然のなかでは臆病になりすぎるにこしたことはないと実感した一夜だったのである。
以前は、ひとたび山の中に入ると外部との通信手段もなく、暗くなると山や川の圧倒的な力を感じることが多かった。しかし、いま、携帯電話を持ち、発電機で電源をとってテレビを見、カラオケを楽しみ、明々と照明することができるようになって、怖さが見えなくなっているのではないだろうか。
でも、非常にまれに、どうしてもFDが必要なときがあって、昔に使っていて不要になったディスクを再フォーマットしたりしているのだが、こういうものはどうも信頼性に問題がありそうである。
今日はちょっとまとめて数枚が必要になって、しかたなく近所の家電量販店で買ってきた。長いFDを買うことがなかったので、いったいいくらくらいするものだったか忘れていたくらいである。
8インチのFDを大事にかかえて持ち運びしていたころからすれば、ほんとうに隔世の感だ。