世紀末・わんど覚え帳/8月上半期




近畿日本鉄道旧モ1000形1006を先頭にした伊賀神戸行区間急行(1966年頃河内山本・高安間)

8月13日(金)/ピークは越えたか

 ここ数日、天気がよくて日照が強くても、いっときほど「焼けつく」暑さは感じなくなっている。朝の出勤でも、とりあえず帽子とサングラスは装着しているものの、この程度ならなくてもだいじょうぶかなというくらいになった。

 夜は窓を開けていれば適当な風が通って、クーラーの必要性もない。いつのまにかセミの数も減った。

 そういえば「暑さ寒さもお盆まで」という言葉もあった(←ないない)。ようやく暑さのピークは越えたようだ。やれやれ。

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8月12日(木)/世はお盆

 てきめんに空いている。朝の道路や電車・バス。

 ほとんど意識していなかったので、今日はもうお盆休みに入っていることに、出勤するまで気づかなかったのだった。そういえば、デイサービスや訪問入浴サービスが、いつものようにお休みになるからと思われるショートステイ希望の増加が始まっている。

 昨夜立ち寄った呑み屋さんもウチと同様に休みなしとのこと。お盆で休みの常連さんがけっこうおいでになるのだという。

 幸い、私もバートナーも両親健在、お盆だからといって自分たちが中心になってしなければならない法事もない。ちょっとずらせて近くの温泉にでも遊びに行くか。

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8月11日(水)/大雨

 未明に大阪・奈良地方に大雨が降ったという。

 近鉄生駒線の路盤が川にけずりとられて、線路がちゅうぶらりん状態になった写真が夕刊に大きく載っていた(この復旧に10日ほどかかるそうだ)。奈良県から大阪湾に流れる大和川に洪水の警戒情報が出たということで、いまから15年以上前のことを思い出した。

 奈良県吉野郡の病院から8月1日付けで大阪府松原市の病院に転勤になった初日の未明から朝にかけて、南大阪一帯で記録的な大雨が降った。当時は、大和川と石川(大阪府河内長野市から北上して大和川に合する)の合流点直近の道明寺というところに住んでいたのだが、その住まいの前の水路があふれて道路が冠水、石川は堤防ギリギリまで増水、そして、これから勤務する松原市では、市内のあちこちで床上床下浸水する騒ぎになっていたのである。

 なんとか市立病院まで出勤し、恒例にしたがって市役所の市長室に辞令を受けにいったのだが、市役所に入るととうぜんながら中は騒然としており、あちこちに毛布や備蓄水が積み上げられ、職員はみんな出動服に長靴という非常体制であった。市長さんも出動服姿。白衣を着た私と上司は居心地悪く早々に引き上げてきたのだった。

 当時に比べれば天気予報の精度は格段に発達しているようではあるが、やはりゲリラ的大雨の予測はまだまだ難しいようだ。

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8月10日(火)/マーフィの法則「雨」

  午後5時30分の終業時刻になるのを待って、歩いて3分ほどの家電量販店に買い物にでる。すこしにわか雨が降ってきたので、傘をさす。

 店で買い物をして出ようとすると、外の雨は強い風を伴ってかなり強く降っている。いま出ると職場に帰るまで、きっとおおいに濡れてしまうだろうと思って、しばらく店で雨宿りすることにする。なに、単なる通り雨。

 10分近く店をうろついて時間つぶしをしていたが、家電量販店での時間つぶしは、私にとって非常に危険である。ついMDウォークマンや液晶テレビなどを見つめてしまい、衝動買いしそうでこわいのである。

 雨の勢いはまだそのままであるが、これ以上いると「あの CD/MDラジオ」やこの「普通紙コードレスファックス」なんかを買ってしまいそうなので、意を決して雨の中に出た。

 職場に帰りつくと、足元は完全に水、ズボンの 2/3くらいまでボトボト、シャツの袖から水がしたたるという惨状。職場のユニフォームに着替えて一息ついて外を見ると、なーんと、雨はきれいにあがり、薄日がさしているではない か。ったく。

     『にわか雨は、外出しているときに限って激しく降る』

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8月9日(月)/暑さは関係ないか

 毎年思っているのかもしれないが、これだけの暑さのなか、外来診察にこられる患者さんはそんなに多くないのではないかと考えて、でもたいていはそれが間違いだと分かる。

 私の外来診察は午後なので、いちばん暑さの厳しい時間帯、常連さんには変ったことがなければ無理してこないでと言っているのだが、やはりみなさんおいでになるようだ。

 健康な人間でもおかしくなりそうな真夏の午後、ほんとに無理をしてもらいたくないのだが…。

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8月8日(日)/どんなメニューや

 隣の市を車で走っていたら、和食のチェーンレストランに「焼しゃぶしゃぶ」というノボリが…。

 しばらくぼーっと見ていたのですが、よく考えてみたら「焼しゃぶしゃぶ」ってどんな食べ物なんだと疑問がわいてきた。

 同乗者は

    「焼いた肉をしゃぶしゃぶにするのとちゃうやろか」

どういう意味があるねんな、それ。

    「しゃぶしゃぶの肉を焼くのか」

そらすぐにこげついてひっつくで。

    「肉をしゃぶしゃぶのようなやりかたで焙って焼くのではないか」

真夏の食いモンではないなあ…。

 というわけで、わけが分からんようになった。

 そのうち「焼冷しゃぶ」とかできたりして。

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8月7日(土)/本の衝動買い

 ときどき、書店でどっさり本を買いたくなってしまうことがある。本というのは生鮮食品だから、目についたときに買っておかなければならないという強迫観念的なこともあるのだが、どうもなんらかのストレスを感じたときにやってしまうようである。

 でも、今日などはとくにストレスはないと思うのだが、駅前ビルにある大型書店で単行本3冊と文庫本3冊を買ってしまった。

 これを読了する前に、前に買って積んであるのがまだいく冊かあるのに、ほんとに困ったもんだ。

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8月6日(金)/さつまいも

 職場である老人保健施設の敷地の一角に、菜園兼ハーブ園兼花畑、もっともちっぽけな小規模のものではあるが、施設の利用者さんやスタッフが好きずきに植えて手入れをしている場所がある。

 夏まえにこの場所のかなりの面積をとってさつまいもの苗が植えられた。はじめはヒョロヒョロのたよりない苗で、こんなん根づくのかいなと思っていたのだが、ここへきてものすごく成長してきた。

 二日ほど見ていなかったら、今日はもう葉っぱが地面をほとんど覆い隠すほど繁っている。しばらく雨がなくて元気がなかったのが、数日前からの断続的なにわか雨でシャンとしたらしい。植物というのは不思議なものである。

 さて、このさつまいも、収穫できたらスタッフたちはどう使うつもりなのか。

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8月5日(木)/時雨か蝉時雨か

 早朝に目ざめると意外にも雨が降っている。涼しそうなので、窓を開け放して風を通すと、焼けた土に水が混ざった独特のニオイが吹き抜けた。

 またトロトロとまどろんでいたら、いきなりいつものように蝉がやかましく鳴きだした。雨がやんで薄日がさしている。ぎゃぁまたうるさいなあと思っていたら、いつのまにかまた蝉が静かになり、しとしとと雨が降る。

 時雨と蝉時雨が交互に忙しい朝だった。

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8月4日(水)/買ってしまった

 自宅で使っているパソコンを職場の造設用にしたいことと、パートナーがパソコンを使いだしたとこもあって、一台購入しなければならないと思っていたやさき、先月発表されてしょうしょう気になっていたパソコンの全面広告が朝刊に載った。

 ちょうど夕刻から大阪に行く用件があったので、そのパソコンメーカーのショールームに立ち寄ることにしたのが運のつき。ショールーム兼ショッツプのそのスポットでは、予約殺到で量販店では一ヶ月待ちといわれているこのパソコンを優先的に割り振ることと、送料不要ということで、つい買ってしまった。それでも2週間近く待たなければならないようだが…。

 これでいったい何台目のパソコンになるのか忘れてしまったのだが、まあいまやパソコンは道具として必要不可欠、なるべくストレスのない状態で使いたいのでしかたがない。

 いいのだ。iMacの真似っていわれていても :-)

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8月3日(火)/平成淀川花火大会

 大阪の UHF局が「平成淀川花火大会」の実況中継をしていた。

 大阪十三の市民がボランティア的に開催することで大阪では有名な花火である。毎年見にいきたいとおもいながら、ついつい一年延ばしになっているのだが、今年はそういうわけでテレビ画面でではあるが、見ることができた。

 この花火の日にいつも思い出すのは、数年前に在宅からホスピスに入院されて亡くなった男性のこと。入院なさったホスピスは、この花火のある十三から2つ目の駅の近くにあって、花火の夜、友人たちを集めてホスピスの病室で大宴会をなさったのである。それから間もなく旅立たれたあと、奥さまからその大宴会のことを聞いた。在宅のときのおつきあいはけっして長くはなかったのだが、ホスピスにお見舞いにいったときに、平成淀川花火を楽しみにしているとおっしゃっていたのが忘れられない。

 この時期、8月1日のPL花火から始まって、1日と2日の宝塚花火、3日の平成淀川、5日の水都祭、と続くなかでも平成淀川の印象が強いのは、そういうエピソードも関係しているのかもしれない。

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8月2日(火)/灼熱

 今日からほぼ半年ぶりに再開した母体病院での外来診察のため正午すぎに歩いて3分ほどの病院まででかけれるのに、帽子をかぶり愛用のサングラスをかけて完全装備で表に出た。それくらいしなければならないと思えるほど、今日の北摂の日差しと気温が激しかったのである。

 広い県道で灼熱をさえぎるもののない歩道ですれちがう人たち、ある人はカバンを頭上にかざし、ある人はタオルで頭全体を蔽い、ある人は日傘に長袖で防備していた。町はほとんどまっ白であった。もっとも、車の中の人たちは平然としているように見えだ。世界が違う。

 この暑さでは患者さんは少ないだろうと思っていたのに、けっきょく以前のように遅くまで診察が続いてしまった。暑さより病気の心配のかたが少なくないのだと思った灼熱の一日。

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8月1日(日)/日曜の早朝

 私の勤務する医療法人4ヶ所目の老人保健施設の竣工式があるので、今日は出勤となった。それほど早起きしなくてもいいのだが、出なければならないとなるとつい早くに目がさめてしまう。

 植木に水をやり、そうそう今日は第一日曜だから自治会の廃品回収だと気がついて、新聞雑誌をまとめて外にだしにいった。日は昇っているが、時刻はまだ6時半前。

 この時刻、平日だともうマンションの前の生活道路を抜け道にして大阪方面へ向かう車がけっこう走り、早い勤め人さんたちが歩いているのだが、さすがに日曜日の朝は静かである。イヌさんのお散歩もみかけない。

 熱帯夜だったとはいえ、やはりこの時刻の外気はすこしひんやりとして気分がいい。セミがもう盛んに鳴いていた。ふと見ると道端にセミの死骸。部屋に戻るとNHKテレビで全国ラジオ体操大会の中継が始まっていて「ラジオ体操の唄」が流れていた。ううむ、ニッポンの夏。

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