ところが、いつのころからか、要するに安心して見ていられる、あるいは何も考えずに口をあんぐり開けて見ていられる、なんだか分からんけど、ともかくなぜか見るようになってしまっているのである。
今夜のデレビの映画の「寅次郎ハイビスカスの花・特別編」も、そういうわけで冷や酒を片手に見入っていたのである。元気なころの渥美清さんがじゅうぶんに見られたのもなつかしかった。なにしろシリーズ最終作では、医者の目でみると体調の悪さが隠しようもない状態だったから、あまり楽しめなかったのである。
それにしても、自分の嗜好の変化に自分でも驚くようなものである。そういえば、ベランダのハイビスカス、ぼつぼつ新芽が出てきてもよさそうなのになあ。
ひさしぶりに朝寝をして10時を過ぎて起きてみると、風が強くて気温が低いものの、突き抜けるような青空、遊びに出かけるひとたちにはとてもいい日和だろうと思いつつ、しかし自分はだらだらと一日を過ごしてしまったのだった。
それでも夕刻から宝塚の植木屋さんにでかけて、小さなハーブの鉢をいくつか購入。これから楽しい季節である。
テーブルがふたつに分かれて、私のほうは(当然というかなんというか)それなりの年配者が集まったのである。私と同年輩かそれに近い看護婦さんや介護職の女性。
で、あちらの若者テーブルではつぎつぎに出てくる串カツをワシワシと食べているのだが、こなたのテーブルでは途中からめっきりと手が出なくなってしまった。こちらのテーブルのメンバーの何人かとは昔からのつきあいがあるので、かつての元気さがなつかしい(お互いさまではある)。年とって嗜好が変化しちゃってるのである。
こっちの串カツを若者テーブルにお譲りして、しばししっとりとお茶など飲んでいるのがこっちのテーブルなのであった。
北新地周辺で夕食をとって、二次会に新地のどまんなかあたりのワインバーをめざした。阪急電車が出版した「ワインなお店」という本に載っているお店が目的である。
しかしなあ、新地本通、堂島上通あたりをウロウロしていたのだが、あたりを歩くのは若者グループなどが大勢。オミズ風のお姐さんやタキシード姿のお兄さんたちが客待ちで異様なほど辻立ちなさっていた。いわゆる「社用族」的なヒトたちはほとんど見かけず。うーむ、不況なんですねえ。
十年ほど前の新地の賑わいを知っている私としては、ちと寂しい気がするのと同時に、ザマミロとも思うのであった。
午後のは金融商品。電話口でがなって聞き取りにくく「ファンド」という言葉を理解するのにマジにしばらくかかってしまった。電話勧誘だとすぐに分かったものの「サンド」と聞こえたので、うーむ最近は小豆相場ではなくサンド豆相場なんてのがあるのだろうかと、ほんとに真剣に考えたのだった。
この電話は、会社の名前を最初に聞いておいたので、いろいろしつこくしてるスキにパソコンでエンジェルライン検索して会社の電話番号や所在地、支店などをぜんぶ割り出し、あんまりうるさいと会社に苦情入れるでぇ、とそれらのデータを電話でまくしたてた。さすがにそういう対応をされたことが初めてだったようだった。
宵の口にはいまどき時代遅れのマンションの勧誘。それも東京渋谷の物件だという。購入して節税のご説明をというのをさえぎって、その仕組みをこちらから話してしまう。そういうこと面倒やねん、というのと、セールストークって「客がああいえばこーいう」で繋ぐのだと思うが、臨床の医者はそのうえをいって「ああいえばこーいうからそういう」ことに訓練されてるから、こんな電話は時間の無駄だよということで撃退。
客も学習していくのだ。
しかし、市会議員という、いちばん身近であるはずの議員さんを選ぶのに、もうほとんど何も判断材料を持っていないのは、これは私の不勉強なのだろうか。これから4年間の生活を委ねることにもなるわけなのに。
介護保険のことがほとんど争点になっていなかったのが印象的だったし、某政党候補はともかく特別養護老人ホームを作れの一辺倒。入れ物さえできればなかで働くヒトは涌いてくるように思っているのだろうか。
いずれにしても、市会議員選挙のたびになんだかシラけてしまうのは困ったもんである。
雨上がりで草の濡れた匂いを楽しみながら歩いていると、棚田の向こうの林からウグイスの鳴き声が聞こえてきた。そして、反対側の里山からも返事のような鳴き声。
しばし命の洗濯気分。
つぎの訪問先ではそのお宅で採れたキクナとシイタケ、それにすでにあく抜きをしたゼンマイとワラビとタケノコをいただいてしまった。
春である。
ハーブ類もたくさん入荷しているし、なによりも花を咲かせているものが多くて、天気はよくなかったものの気分はいい。
広い売場をふらふらと見て回っていると、ほんのりとなれ親しんだ香りが漂ってきて、みると小さなポットに密集して植えられたジャスミンが目に入った。家のベランダにはだいぶ大きくなったジャスミンがあって、ぼつぼつと咲きかけている。しかし、香りに誘われるようにして、そのポットを3つばかり買ってしまったのであった。
職場に帰って自室の窓際に置いた。すこしは穏やかな気分になれるであろうか。
旭屋書店の前の地下街への入口のところでふと回りを見ると、サラリーマンのおじさんや若い女性が立ち止まって携帯電話でしゃべっている。そういう景色はいまやたいして珍しくもないのではあるが、このときはなんと10人くらいが携帯してはったのである。異様な景色。
私も携帯電話と PHSを常時持っているので人のことは言えた柄ではないのかもしれないが、それでもやはり異様である。
で、夕食には今シーズン初めての冷やし素麺。大阪は、奈良の三輪や兵庫の揖保、香川の小豆島などの産地に恵まれているからか、ものごころついてからずっと素麺にはなじんできているし、私の大好物でもある。夏などは冷やし素麺さえあればほかは何もいらんほどである(ただしビールは必要だ)。
三束もゆがいて、もうひとつの好物である木綿豆腐といっしょに氷水を張ったガラスの器に盛った。ああニッポンの夏。
翌年、少し大きな鉢に植え替えてかのシミにしていたが、鬼は大きくなり、葉がいっぱいつき、蔓がとてつもなく伸びたものの、けっきょく花は咲かずであった。
今年は春先からこれまでと違った芽の出方だと思っていたら、先週あたりから大きな花が咲く予感がし、そしてこの数日の暖かさで一気にツボミが膨らんできたのである。
帰宅すると、パートナーが鉢を裏のベランダから玄関先に移していて、しばらくは朝晩楽しめそうなのである。
そして今朝である。わが町には電車の駅が二ヶ所しかない。そして市内のバスはすべてこの二つの駅に向かう。そこで、駅に着くと、改札へ向かういくつもの経路に、それぞれの候補者が陣取って辻立ちをなさっているのである。
これはまあうるさいというほどのこともないのだが、いっせいにおじぎをする人の列の間を歩くのはなんとなく照れくさい。
一週間、こんな毎朝だと思うと気が重いぞ。
うーん、大阪にそんなにいいスポットはないですよと言ったものの、アメリカ村や海遊館、新梅田シティを見物して、日本橋のでんでんタウンを覗き、道頓堀あたりで食事をしたいのだという。なかなかツボを押さえておられるのである。新梅田シティは天気が悪いのでおそらくよくないから、南港のコスモシティ、ATC あたりがいいのではないかと勧めておいた。ネイティブ大阪人の私だからの情報も提供したものの、ハードロックカフェを知らないかとの質問にはさすがに窮したのであった。
ひらがなとカタカナは大丈夫だが漢字は難しいとのこと。しかし最近は大阪でも多国語の案内が整備されているので、地下鉄で移動するのもそれほどたいへんではない。新大阪駅で分かれたのだが、なかなか礼儀正しい好青年であった。きっとエリートなんだろう。
例のダンボール村の騒ぎから2年になるのか、たしかに今年はほとんどみかけなかったようだが、そのかわりにダンボールハウスができそうな場所は工事現場のような柵で囲ってしまってある。ダンボール村で美観が…というような話があったように記憶するが、いの囲いもぜんぜん美しくない。おまけに地下通路ではダンボールで囲いを作るなという放送がうるさい。
いずれにしてもくるたびに思うのは、この新宿西口側の景色の無機質なことである。先のほうに中央公園があるとはいえ、なんとなく人の気分を乾燥させるような場所だというのは、私だけが感じることなのだろうか。
そりゃあおつきあいしないわけにはいかなかわいな、というわけで、深夜には久しぶりに酒びたり。ああ、明日が怖い :-)