朝刊の地域面ほ開くと、府県や市町の異動がびっしりと載っていて、いかにも年度末だという感じ。
そして、世紀末ももう四分の1が過ぎてしまったのだった。
ぼつぼつあちこちから夜桜宴会の誘いがかかっているが、これでは花の下で鍋物でもしなければやってられない。
いちど暖かくなってからの冷えが心底こたえるようになってきたことで年を感じてしまったりして…。
私は二日に一度は早いめに家を出てこの書店に立ち寄る。今朝もいつものように書店でフラフラとあちこちの棚を見ていると、平積みインターネット雑誌におぢさんたちが集まっているのに気がついた。もっとも、おぢさんといっても私と同年輩ぐらいである。私もおぢさんであることは否定しない。おぢさんである私が多くのおぢさんと違うところは、パソコンになじみだしてからすでに20年ちかくになるということ。インターネットに近づいてからでも5年ほどになる。ま、要するに、かつてヲタクだったのが今やフツーになってしまっただけのことなのだが。
そういうわけで、いまさらインターネット雑誌に金をだす気もないわけだけれど、今朝のおぢさんがたはなんとか新しい情報を、と必死だったのだろうか。
名刺にE-mailのアドレスが記載されていないのではビジネスにさしさわるとかいう話も聞こえてくる。ほんまかいな。
「1967年・米」とあって、32年前の作品。私の18才のとき。ダスティ・ホフマンもさることながら(やっぱり若い)、この映画を繰り返し見たのは、なんといってもサイモン&ガーファンケルの音楽がいいからである。ほんとおしゃれな映画で、私たちの世代のアメリカへのあこがれの典型だったのではないだろうか。
んで、いま見てもやはりいい、時代の隔たりを感じない。オープン・スポーツカーに乗って朝日のさすハイウェイを走る場面のバックで流れる「ミセス・ロビンソン」。「スカボロ・フェア」の歌詞にあるセージやローズマリー、タイムが身近になった今の日本の豊かさも実感したりするのだった。
いやー、30年以上もたったとはとても思えないなあ。
阪急電車には毎日乗っているのだが、ひさしぶりに神戸線の特急に乗ったら、宝塚線と違う快速性に文字どおり快い快い。
宝塚線は軌道の名残りで駅間距離が短く、カーブが多くて、いわゆる「表定速度」が低く、はじめから高速鉄道をめざした神戸線は駅と駅の間が長いうえ、直線部分が長い。同じ特急でも速度がまったく違うのだ。宝塚線も高架化と線形改良でかなり早く走るようにはなったものの、やはりまだ神戸線のヤケクソのような韋駄天走りにはほど遠いのであった。
明日も快速を楽しんでこよう(それくらいの楽しみがなければ…)。
夜、並木道を見たら、すこし明るくなってきている。花の白さが見える。五月山はまだ黒いままだが、あと数日すれば全山が白っぽく浮かび上がるはずだ。今年もまた桜の季節。嬉しいような寂しいような。
今はもう故人になった難病のかたがまだ元気だったころ、彼を布団ごとお花見にお連れして、花の下で休んでもらったときにそのかたがおっしゃった「ああこのまま死ねたら幸せかもしれないなあ」という言葉を、それから5年もたつのに毎年思い出してしまう。
ねがはくは花のしたにて春しなむそのきさらぎのもちづきのころ 西行
マスコミですでに言われていることだが、東京は選挙で盛り上がっているというか混乱しているというか、野次馬にとってはとてもオモロそうなのに、大阪は知事選挙があるんかいなという程度の意識でしかない。自然に府会議員選挙もなんとなく熱気を感じなくなっているような気がする。
いずれにしても、大阪はなんだかシラけているといか諦めているというか、どーでもええやんというような空気が蔓延しているようである。
目下の私の興味は、今日あきらかになった桂枝雀さんの重態のほうである。枝雀さんのあの独特の噺をもう一度聞くことができないのかと心配だ。
新しモン食いの私は、そういうサービスの初期から手を出していたのだが、パソコンバンキングは半二重の通信、などという中途半端な仕様があってあきれた時代もあった(どこかの医療情報システムでもこういうのがあって、ネームバリューで唯我独尊の仕事をしていた超大企業があったらしい)。
昨年くらいからインターネットを使ったウエブバンキングがほぼ安定した状況になり、日常のツールとして使えるようになったように思う。願わくば、もうすこし重さがとれてくれれば嬉しいのだが。
というわけで、明日の給料日を前に期日指定で振込の予約をしつつ、給料日の銀行のあの順番待ち行列をしなくてもすむ便利さに浸ったのであった。
ところが、長いお宅だともう10年ほどのおつきあいになるので、ここのところつぎつぎに飼われていた犬さんたちが亡くなっている。ほとんどは老衰というか寿命というか、そういうことなのではあるが、犬大好き人間の私としては、患家に伺ったときにいつものヤツがいないのは寂しいのである。
ウチの犬が亡くなってまもなく丸3年になるが、いまだに彼の顔と声がなつかしいままだ。
関西では宝塚市の介助犬「シンシア」がいま有名になっているが、シンシアに限らず、患者さんの支えになっている犬たちは少なくない。
ううむ。犬と暮らせる家にかわろうか。
春の雪といえば、30年以上も前、大阪府立高校の入試の日、なぜかよく覚えている3月17日に大雪になって大混乱したことがあった。すでに高校生になって鉄ちゃんの極みだった私は、その混乱を横目にめったに撮れない雪景色の電車の撮影に熱中したことを、ついこの前のように思い出す。
あたりまえといえばあたりまえだが、余裕を持って一日目の休日を過ごすことができる。長らくまとまった休暇をとることができない生活を送ってきていると、たった二日間でも続いている休みは嬉しいのである。
この連休は、現時点までは職場のほうがおちついた状態のようなので、とくに気楽なのだ。明日べつに予定はないのだが、予定のない休日というのがまた楽しみだったりするのだった。
午後から名神高速を東に向かって走っていったら、栗東ICを通過したあたりからすぐ横の山が雪化粧になってきた。走っている平野部では雨だが、ほんの数十メートル標高が高いあたりでは雪が降っているらしい。
いっぺんに季節が一ヶ月ほども戻ってしまったようだ。走りながらふと気がついた。そりゃそうだ、さっき「りっとう」を過ぎたばかりだった、べんべん♪。
なんども書いていると思うが、ちかごろのドライバーの無神経さが雨の日の通勤をきわめて不愉快にしているのである。
家を出てバス停までの狭い生活道路を歩いていると、ほとんど接触しそうになっても速度を落とさないような車に水しぶきをひっかけられる。バスは、自分たちだけが濡れなければいいという厚かましいキス・アンド・ライド(なぁ〜にがじゃ)車のために道を塞がれる。片道三車線の県道では、疾走すれば水煙を散らしまくっているのだという認識のない車のために服がじっとりと湿ってしまう。
大きなケガをしない程度に当たりにいったろかとさえ思うこともある雨の朝。そういう危険な思想を持ちつつ歩いている人間がいることをお忘れなく>ドライバーのみなさま。
井上さんの作品では「吉里吉里人(きりきりじん)」がたいへんボリウムがあっても面白かったのでとても没頭した記憶があるが、それ以来の大冊である。A5版 775ページ。昨年、丸山健二さんの「千日の瑠璃」でも入れ込んだばかりで、どこまで根性が続くかちょっと不安ではある。
ここのところ読みたい本が続いて困る。
大阪キタに日本最大の書店「ジュンク堂大阪本店」がオープンしたことでもあるし…。
この「いなろく」というのは、かつて悪名高い渋滞道路であった。通勤慣れした乗客は池田駅前まで乗らずに市役所前で降りて駅まで歩いていた。バス停一区間とはいえ、歩道橋を渡って駅前ビルを抜ければ駅改札まで2分もかからないのに、バスは下手をすれば10分ほどもかかったのである。それがちょうど一年前、阪神高速道路池田線が空港から池田木部まで延長開通した。そのとたんに「いなろく」はガラガラに空くようになって、そのままバスに乗っていても早くてなんと高速道路の効果はすごい、と思ったのであった。雨の日などはとてもありがたい。
ところがこの「いなろく」、今年になってほとんど毎朝のように以前のような混みかたになっているのだ。市役所前に近づいたとき、窓から「いなろく」の状況を即座に判断して下車ボタンを押すかどうか判断することが続いている。これは私だけでなく、馴染みの乗客のみんなが考え実行しているのである。今月になると、状況判断するまでもなく市役所前で降りたほうが楽だという、以前と同じことになっている。
それにしてもたった一年で元の木阿弥。そういえば職場の前の県道も広いバイパスができたのに、一年で元通りの渋滞になってしまった。
この国の自動車交通は慢性末梢循環不全だ。
隣の部屋で電話をしていたケースワーカーが、電話の相手に「そですね揺れてますね」としゃべっている。あ、メマイでなく地震でよかった、といっていいのか、それにしても最近またよく揺れるなあと思いつつ、インターネットの速報で確認すると滋賀県に震源。マグニチュード 5.1だって。
若狭の原発銀座も近い震源。うーむ。