いろいろとやりたいことがたまっていて、こんどはそういう懸案に背中を押されそうではあるが、ま、これらは半分楽しみのことであるので血圧はあがらんだろう。
とりあえず、フォーラムのホームページのリニューアルだ。
梅田から、大阪ではたいていの人が名前くらいは知っていると思われる商店街を抜けていく(「阪急東商店街」である)。この商店街は、もちろん飲食店も多いのだが、ほかの梅田周辺の商店街にくらべて、若者のための店が多いような印象がある。カラオケボックスと、ちょっと特殊な品揃えのレンタルビデオ店と、そしていわゆる風俗店。
しかし、いかに土曜日とはいえ、午後早くではエッチ系のそれらの店の多くはまだ活動を開始しておらず、なんだか舞台裏を露出したみたいな、なんとなくうら淋しい雰囲気であった。ところが、数時間後に用件をすませて梅田に向けて歩いたときは、もう完全に表舞台化して、町全体があかあかとなっていた。
エッチ系は元気だ。
私は、そういう、ふつうは下品だと思える食べ方をすることを、わがパートナーには20年近く知られないようにしていた。ケーベツされるやろなあという思いがあったからである。外ではやっていても、家では我慢していたのである。なんだかまるで浮気のような気分でもある。
なぜそれを突然してしまったのか、いまとなってはよく分からないのだが、おそらくちょっと酔っぱらってしまっていたのだと思う。酒はよくない。
で、そうやった結果がどうだったかというと、
「あたしもや〜ろうっっと」
ということになって、じつはパートナーもほとんど同じ考えだったようなのである。これだけいっしょに暮らしていても、人の心は分からないもんである。
以来、わが家では、ポテトサラダにはソースをかけるものとして定着してしまい、次代を担う娘もすぐにその味に嵌まってしまったのであった。
めでたしめでたし。
大磯というと吉田茂を思い出すのだが正しいか。鴨宮は新幹線のモデル線区があったところで、試乗にでかけたのはたしか高校のとき。茅ヶ崎とサザンオールスターズ、国府津では御殿場線の蒸機の写真が思いだされる。
ほんとにひさしぶりにのべ1時間半ほど鈍行の旅の気分。しかしなあ、その間に何度も職場からの携帯電話。電話の電源を切る勇気がない自分が情けない。
岡山付近での停電事故の影響だかで11分遅れで新大阪に到着した「ひかり 162号」に乗り込んで、新大阪駅構内の書店「ブックス談」で買ってきた「噂の真相」3月号の一行情報だけを読み終え、高槻市を過ぎるころからパソコンを取出して原稿書きに入った。
京都、名古屋を過ぎても隣の席は空いたままで、車内FM放送をラジオで聴きながら、ひさしぶりにじゅうぶん集中する時間をとることができた。けっきょく品川を通過中に片づけるまで、大筋を完成することができたのであった。これで帰りは気が楽だ。
で、バッテリーは静岡停車中に危険域、片方を予備と交換したら、これで東京までじゅうぶんに使うことができ、目論見は大正解。うーむ、チャンドラ2でよかった :-)
しばしばしゃべっている題目なら、ある程度流れや時間配分が身についていて、それほどストレスではないのだが、今回はまったく初めてのテーマということで、ずっと重荷になっている。そのあおりで、いつもしゃべるときには用意する講演原稿がなかなかできない。ほんとは逆で、初めてだから早く原稿をまとめて読み込んでおかなくてはならないのである。
明日から出張であるし、ま、往復の新幹線車内が邪魔が入らずアルコールも入らず、原稿まとめに集中できるのではないかと思っている。新幹線内でパソコンを使い続けることができるように、夕方近くの家電量販店で予備用のバッテリーを購入(*1)。
でもたいていこういうとき、電車に乗ったらすぐ寝てしまったりするのだ。
(*1)私のモバイルPCは、いわゆるチャドラ2、バッテリーは某社のビ デオカメラ用のリチウム電池を使えるのである。
日曜日の夜、三菱電機の掃除機で清められたリング、レっフェリぃーおきぃしぃきなぁ〜、というアナウンスとともに始まるプロレス中継で、力道山はいうまでもなく、豊登や遠藤幸吉のあとに登場した人、私らにとって同じ時代を生きているという感覚のある人だった。
プロレスというものはともかく、生涯現役と言いつづけて、じっさいそれを貫いたのは立派だと素直に尊敬したい。ぜんぜん立場は違うが、私の父は「生涯現役」とは言葉にこそしないものの、やはりまもなく77才、おまけに病を得ているのにまだ仕事をしている。
そして、自分もそうありたいものだと思うのだった。あ、忙し。
講演などをしていて、質疑の際に、まさにこの場の空気というものを無視して発言する人がしばしばいる。本人はその病識がないものだから、演者も司会者も聴衆もみんなシラけているのに、それさえ気づかないという難儀。往生しまっせぇ、とはそういうときに使う言葉だろう。
自分がしゃべったり書いたりするときも、じつにこの空気を感じなければならないのだが、いつになっても自信ができないのがつらいのである。
大阪に出かけたときにも行きつけの立ち食いまたは駅そば屋さんがあって、べつに急ぐ必要もないのに、ついわっせわっせと早食いしてしまうのも悲しい。「安い」か「早い」か「旨い」かが食事の店のはやる要素なのだろうが、大阪市内ではそれがすべて揃っているところがあるのはさすがである。
カレーライスかパスタ以外の洋食系の外食はほとんどしない私なので、駅そば屋さんは貴重な存在だ。
歩道にある柵のはしっこに、その犬さんは頭をまともにぶつけてしまったのである。金属の柵だったので、ゴンと大きく響いた。さいわい、声をだすほどもなく、その犬さんは一瞬とまどったものの、すぐに何ごともなかったように前を向いて歩きさったのだった。敏捷そうな姿とのミスマッチに思わず一人で笑ってしまった。そのまま私が電信柱にでもぶつかっていたら、ちょっとしたコントになるのかもしれない。
さきおととしまでわが家にもひとつ布団でいっしょに寝ていた犬さんがいた。彼はほぼ天寿を全うして亡くなったのだが、私はもともと犬好きなので、往診先の犬さんや、道で出会う犬さんをしばしばかまってしまう。今日の粗忽な犬さんも、私のちょっとしたちょっかいに興味を持ったのが敗因だったのである。
バスはちゃんと走っていたし、とりあえず交通機関は正常に動いていたものの、デイケアの一部はお休みさせていただいた。ルートのなかにチェーンが必要な坂道を含む住宅地があって、路線バスもチェーンを着装しているという情報があり、大事をとったのである。
おそらく楽しみに待ってくださっていると思うのだが、やはり台風や大雨や積雪などの荒天のときにはやむをえないだろう。
しかし、寒かったものの、昼ごろには雪はぼ消えてしまっていた。
いちおう、習慣、というものを追っておこうと思っているので、夕刻に豆を播き、今年の恵方である東北東に向かって巻き寿司をまるかぶり。寿司屋さんの広告チラシによるとこの習慣は江戸時代からあって「いい縁起を切らない」というおまじないなのだとか。ほんまかいな。
駅前にある百貨店に入っている某有名寿司店では、巻き寿司を求める人が50人以上も列を作っていた。こんなのに並ぶほど私はのんびりしていないので、ここはパスして近所のテイクアウト専門の寿司屋さんで購入したものである。
柊の枝に鰯の頭の縁起物は、さすがに売っていなくて、毎年なんとか作ろうと思いつつ実行できない。来年の節分までには柊の鉢植えを育てようと今年も思う(けっこう高価なのである)。
ま、ずーっと昔の、クレージーキャッツのコントの作家、意地悪ばあさんの演技、いま何かと話題の JOCのトップのかたのお父さまである某私鉄王をモデルにしたドラマの主人公(共演の女優さん―稲垣美穂子さんだったか―が美しかったなあ)の印象がきわめて強い私にとっては、唐突な不出馬表明にとくだんの感慨もない。
それよりも、なにかの仕事をして「なすべきことはすべてした」とおおぜいの人の前で言い切れる自信というかなんというか、うーん、やはりオオモノは違うもんでやすな。
先週末からはとうとう激しい頭痛発作などが出てきて、頭痛で目が覚めるというところまできてしまったので、これまでの経験に照らして不本意ながら薬に頼ることにした。これで数日すれば旧に復するはずである。もともと頭痛もちだから、もうすこし痛みが少なければ日常には問題ないのだ。
いやしかし、いわば頭痛診療のプロである私が先週末の自分の頭痛を分析診断するのを迷ったのにはまいってしまった。悪性のものではないという自信はあったものの、あの激しさと性状についてはつい悩んでしまった。いつもの緊張性頭痛とはもちろん違う。非典型的な三叉神経痛だろうか、群発頭痛だろうか、側頭動脈炎だろうかと、じつはいまだに悩んでいるのだった。救いは今日の日中、痛みが緩んできたことである。
いやはや、頭痛もちはつらい。