1月の後半はインフルエンザ対策でバタバタして何が何やら分からないまま過ぎてしまった感がある(2月になってもまだ続きそうでつらい)。で2月には本業以外にいろいろと走り回らねばならないことが予定にあり、確定申告はしなければならないし、念願の施設の家族会を初めて開くことになっているなど、いつもの月より短い月なのにまた忙しくなりそうである。
介護支援専門員実務研修が入ってきていないだけまだマシだとも言える。
1月は去(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去る。
最近、こちらのほうではお葬式をいわゆる「会館」、各葬儀会社さんが独自に作った専用のホールで行われることがほとんどである。専用の場所だからいろいろと便利にできているようで、非常にさいわいにも私が葬儀の主催側に関係したことはないのでよく知らないのだが、おそらく同じ規模の葬儀だと値段も安くなるのではないだろうか。
しかし、今日はご自宅で行なわれた。広い庭のある立派な旧家だった。参列していて寒かったのはすこし困ったものの、やはりずっと住み親しんだ家での式がいいのではないかとあらためて思うのである。
これからますますこういう自宅での葬儀はしにくくなるに違いない。よく考えてみると、これはかなり寂しいことなのではないだろうか。
春や秋のいい季節なら楽しいドライブになるのだが、今日はどんよりと曇ってときどき雪が舞ううっとおしい天気であった。山の緑が少なく、田んぼや畑にも何もないのも景色を暗くさせている。
時間にすこし余裕があったので、遠まわりしてタレントS氏の自宅の前を通り、地域振興センターをちょっと覗いてみたりもしたのだが、急に寒さが強くなったためか、人ごみに出て風邪がうつるのを警戒してか、ほとんど人かげをみかけず、ぽつんと畑仕事をしているおじさんをみたときは、まるで某テレビ番組の「第一村(町)人発見」のような気分であった。
来月もまだ明るくはならないのであろうなあ。
原因のひとつが、職場の昼食にあると睨んでいる。私の職場は職員に若い元気なのが多いので、昼食の定食がけっこうボリウムがあるのだ。もともと入所者のかたの食事がけっこうヘビーなのに、それにさらに一品を追加したのが定食なので、以前の私の食生活からすると過剰なのである。ともかく肉けが多い。
夕食がほとんど酒肴類と酒という生活なので、朝昼は質素にしたいのである。朝食は、ごはん、味噌汁に納豆かウルメなどの干し魚、漬け物という、ほぼ一汁一菜なのである。できれば昼もそうしたい。出たものを食べきらなければいいのだろうが、根が賎しいので食い物を残すことができないのだ。
は? 夕食と酒をセーブしたほうがいいって? それがでけたら苦労はせえへん。
私の職場でも数十人単位のかたが熱発していて、老人保健施設の治療の常識を超えた点滴や抗生物質の使用をせざるをえない状況が続いている。病院に移そうにもその病院がいずこもいっぱいで入院できないのである。老人保健施設の施設療養費(*1)は定額制(*2)だから、その種の治療をすると明らかに赤字になるのだが、そんなことは言ってはおれないのである。
しかし、金のことはどうにでもなっても、医療職の少ない老人保健施設ではその少ない医療職の負担が重い。医者としての私もそうだが、看護婦さんたちはたいへんである。
インフルエンザの予防にはウガイや手洗い、人ごみにでかけない、などと言われているが、老人保健施設や老人ホームは「人ごみのなかで生活している」状態である。
早くこのやっかいな流行が過ぎ去ってほしいものだ。
(*1)医療保険である老人保健から老人保健施設に支払われる、いわば病院でいう診療報酬の一種。おおむね一日8500円(食費は別)。
(*2)投薬や検査や注射などをいくらしても、一定の施設療養費しか支払われないので、すればするほど施設の持ち出しになる。一般の病院や診療所ではそれらのひとつひとつに支払いを受ける(出来高払いという)。
職場と自宅、モバイル間のデータのやりとりに使っているフラッシュカードをデスクトップのSCSIインターフェイスが突如認識しなくなってしまったのである。とくに何もシステムに変更は加えていない。困ったときのリセットとばかりに、何度か再起動をしてみたが回復せず。
ふと考えて、リセットではなく電源を切り、コンセントも抜いてしまったあと再起動してみたら、なにごともなかったように復旧してしまったのである。
パソコンといえども、昔のラヂオのように、とりあえず叩いてみればいいのかもしれない。
偶然というか、弾みというか、たまたま午前7時41分発のバスに乗り合わせることや、事故や災害に遭遇することや、百倍くらいの人が持っているのにまさにその人だけが脳動脈瘤が破裂して蜘蛛膜下出血を起こすことや、宝くじに当たることや、ハマチの刺身に骨の断片が残ってることや、新幹線で隣にだれも座らないことや、宴会の支払をしようとしたらどう考えても計算間違いで安すぎることなど、ま、生きていれば偶然に運命が翻弄される場面がいろいろある。
そういう不確定な将来を信じられないくらい思い悩む「取り越し苦労人」というかたがしばしば外来診察などで見かけて、どーせしんどい目をして生きていくならもう少し気楽に能天気に暮らしてみたらと思ったりすることが少なくないのであった。
ほら、私のノーテンキをとくと見よ :-)
ということを書いていて、私の早朝覚醒は、これは年のせいではなく、単に住宅の構造が原因なのかもしれないと思い当たった。そうに違いない。そうでもないか。
病院の当直をしているころ、当直医の仮眠室は電灯を消すと完全に暗くなり、目覚まし時計を確実にセットしておかないと寝坊しそうになることが多かった。しかし、若いときには明るくても眠れたような気もする。
というようなことをウジウジと考えてしまうのはやはり年のせいか。
もちろん需要と供給の関係があり、競争があるのだろうけど、消費者側としては歓迎である。と、ふと考えた、自分の職場も同じ状況なのかもしれない。周辺に同業者があまりないから今の程度の内容でも利用してくださるかたがたくさんおられるけれども、乱立して競争になったら能書き垂れていられないなあと、来年の新制度を直前にしたいま、褌を締めなおさなければ…。
宵の口にお開きにしてお初天神通りを梅田駅へと歩いて帰る。しかし、新年の金曜日の夜だというのに、人通りが少ない。給料日前だからだろうか、それともやはり景気の問題なのだろうか。
もっとも、私自身がたった午後10時ごろにそそくさと帰宅しようとしているのだから、これは気分の冷え込みというものなのだろうか。 go top go end
電車通勤のときも、たまに車で通勤するときも、帰路にちょっといい魚屋さんがあって、つい買って帰ってしまうので困る。
最近はほとんど肉を食べないぶん魚の消費量が増えているわけだが、よく考えてみるといまや肉食よりも贅沢なのかもしれない。子どものころは肉が貴重品であって、なにか特別なときに「おにく」を襟を正して食べさせてもらったように思う。流通の変化で安定して安く食べられるのが肉になったようで、そのために高脂血症が増えてしまっているのではないだろうか。
宝塚の東部は私の往診や職場のデイケアのエリアでもある。ここだけの話だが、往診の途中でちょっと道草をくって植木屋さんを覗くのが、私のひそかな楽しみなのだ。
しかしこの季節、今日も立ち寄ってみたもののの、シクラメンあたりが華やかに咲いているくらいで、あまり興味をひく植物がないのが残念である。シクラメンは私はあまり好きな花ではない。
あと2ヶ月もすれば、店先はわーっと明るくなるはず。待ち遠しいのである。
「寒の内」である今の時期に降る雨を「寒の雨」と言うのだそうで、寒の内に雨になるということは暖かいからだということになる。今日は実際にかなり暖かかったので、早出があまり苦にならなかったのだった。
病院の近所の在宅の患者さんの容体が思わしくないので、夕食後ちょっと往診したついでに病院にも立ち寄って当直医と話していたら、ともかく息が詰まりそうな状態での勤務なのだとグチっていた。
たしかに年々市内の高齢化は進んではいるのだが、人口そのものはそれほど増えていない。いまからこういう状態では、数年先にはどうなるのか、ちょっと心配になってきた。
今日は明るくなるとセンター試験二日目に向かう受験生が前の道を急ぐ。平和といえば平和だ。
いつも案内や年賀状をいただく有田の道雪窯の城さんのブースにまず立ち寄って変形皿を3枚、同じく馴染みになっている信楽の蓮月で黒い深皿を買う。日常使いのものだから、値段の高いものではないが、やはりひとつひとつリキの入っている食器はいいと思う。ついでにハーブティのためのティポットを通りすがりのブースで1ケ。
つぎにこうしてまとめて買うのはまた来年のこのイベントでだろう。
今日からセンター試験ということで、駅には受験生の姿が目立った。私はセンター試験や共通一次試験などとは無縁の、一期校二期校の世代なので、おおぜいの受験生がいっせいに試験のために移動している状況にはすこし違和感がある。
24時間開いているコンビニといい、全国一斉に行われる入学試験といい、交通機関の土曜ダイヤといい、たかだか半世紀しか生きていない私にとってもその変化にはとまどうときがある。私より高齢のかたのとまどいが推し量られるのである(といいつつネットで公開日記を書いている私なのであった)。