世紀末・わんど覚え帳/1月上半期


私の姪、由香子の作品

1月15日(祝)

 成人式に出る晴着姿の娘さんたちを横目に、勝ちダルマの勝尾寺さんと、おふだを入れ換えるために毎年でかける清荒神さんにお参りしてきた。今日の覚え書きとは無関係だが、いま振袖はエンジ色系がはやりなのだろうか。

 昼前に着いた勝尾寺さんはうっすらと雪化粧していて、さらに雪がちらつき、たいへん寒い。町から近いとはいえさすがに真言宗の行場が開かれたところである。しかし、しばらくこなかった間にすっかり観光寺院化してしまっているのに少しく驚いてしまったのだった。


勝ちダルマの納所

 清荒神さんに参るのは楽しみである。参道のいろいろな店が楽しいのである。石切さんの参道ほどの突出したキッチュさはないものの、普段の生活圏内ではみかけることのない風景が続くのである。


荒神さん本殿

 ついいろいろと買ってしまって、また年初から反省しつつ電車に乗る。

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1月14日(木)

 昨年12月にモバイル用として購入したフロンティア神代のA5ファイルサイズのノートパソコン(チャンドラ2の OEM)が Windows98だったので、それまでとくにバージョンアップしなくてもいいやと思って Windows95のままにしていた職場のデスクトップと自宅の古いA4ノートパソコンも Windows98に載せかえてしまった。自宅のほうは古い(といっても2年前だが)機種なので、メーカーのホームページにアクセスして Windows98適応のBIOSプログラムをダウンロードしてそれをインストールし、800MB しかなかったハードディスクを 3GBのものに換装したうえで Windows98にするという、シロートとしてはけっこう手間をかけたのだった。

 アップグレードはどちらもごく平穏にできたし、その後も快適に動いていて、数日前には解説書を購入して隠し技裏技のセットもしつつある。

 ほとんどが仕事と通信で使っているので、安定性を考えてアップグレードは1年は待ってからと考えていたのに、けっきょく半年後に追随してしまった。

 すべてを98に換えてからほぼ3週間、いまのところは安定しているので、つぎはハードディスク資源の余裕が少なくなってきた職場のPCの FAT32化に挑戦しようかと考えているのだった。

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1月13日(水)

 家の玄関先に置いてある鉢植えの紅梅のツボミがふくらんできた。数年前の年末に、元植木屋さんのお年寄りが松竹梅の正月用盆栽を手作りしてくださったものを植え替えて育てている梅である。ナンテンも別の鉢で大きく育っている。そのお年寄りは健在だが、一昨年あたりからは盆栽を作るだけの体力気力がなくなったのだというので、この梅はほぼ彼の最後の作品の一部ということになる。

 職場の玄関ロビーにも白梅の鉢植えがある。こちらはずっと室内の暖かいところに置いているので、すでに満開を過ぎてほとんど散ってしまっている。新聞に淡路島のスイセンの写真が載り、まもなく梅林の開花情報も掲載されるだろう。

1月12日(火)

 松の内の間さぼっていた早出勤務を今日から始めた。

 夏の早出は気持ちがいいが、いまごろの、まだ星がまたたいている時刻の出勤はかなりつらい。寒い。バスの走り具合によっては、電車の接続が悪くなり、駅で10分ほど待たなくてはならない。ほとんど待つことなしに電車が走っているという便利さに慣れていると、たかが10分といえども、寒さのなかではたいへん待ち遠しくなってしまうのである。人間、すぐに贅沢になる。

 こういう目に会うと、つい「車通勤をしたいなあ」と軟弱化してしまうのであった。

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1月11日(月)

 週に一度、施設の「検食」の当番がある。入所しているかたにお出しする給食のチェックをして記録しておくもので、これは保険医療機関では必要な記録なので、病院でも必ずされていることである。

 昼食はあれこれ考えなくてすむので(しかもタダだから)ありがたいのだが、夕食についてはアルコールを友とする私にとってはいささかつらいものがある。職場で食べて帰ると、帰宅したあとのビールのありがたみが弱まってしまうのだ。週一度とはいえ、私にはけっこうストレスだったりする。

 今夜がその日。なお、食事自体はなかなかおいしいので念のため。

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1月10日(日)

 私が所属する法人が西宮市に作っていた老人保健施設併設の病院が完成して、今日その披露式があった。阪神電車の特急は日曜だというのによく混んでいた。甲子園駅からまたおおぜい乗ってきて、これはいったいなんなんだと迂闊にも西宮駅に着くまで気がつかなかったのだが、なるほど今日は「えべっさん」なのであった。阪神西宮駅は西宮戎神社の最寄り駅。大阪の人間はつい今宮戎ばかり浮かんでしまうのである。

 式典が終わってバスで帰るときも、交通渋滞でひどく時間がかかった。お参りしてきた人はササを持っているのですぐ分かるのだが、小さなササは作り物。もちろん本物の笹を使うのは資源の問題もあるわけだが、しかし見るからに造花というのもなにやらありがたみが…。


梅田駅にて

 帰りに乗った電車3107号には、昭和38年川崎車輌製、昭和47年武庫川車輌改造という銘板。私は高校の3年間甲子園まで通っていて、この車にもよく乗ったのである。当時の最新鋭車。33年間走り続けて震災の被害も受けず(阪神電車は石屋川車庫で多数の電車が被災した)いまだに特急運用を張っている。私も頑張らねば。

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1月9日(土)

 寒いので、コートにくるまれて、両手をポケットに突っ込んで、背を丸めて歩く。その姿は、しょぼくれているおっさんに見えるかもしれない。

      うしろすがたのしぐれてゆくか   種田山頭火

 この句は昔から好きなもののひとつではあるが、私のうしろすがたは、まだまだしぐれてはいないつもりだ。

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1月8日(金)

 天気予報がよく当たった。この冬第一級の寒波というとおり、今朝から大阪でも強烈な寒さである。

 昼間も晴天ながら気温が上がらず、風が強い。昨日まで比較的暖かい日が続いていただけに、体感的にはさらに寒い。日本海側は大雪だそうで、そういう話を聞くとすぐに雪の海岸を見ながらカニを食べる景色を思い出してしまうのである。今年は娘の受験があって、毎年でかけているカニ民宿行きは自粛せねばならぬので、よけいにカニへの思いはつのるのだった。

 冬の日本海でマツバガニをおいしくいただくために、それ以外のときにはほとんどカニは食べないという禁欲的な食生活をしているだけに、今年はちょっと寂しいのである。

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1月7日(木)

 七草粥を食べる日である。

 正月の飲み食いで弱った胃をいたわるために質素な粥を食するのだという言い伝えも聞いたことがあるが、こんにちでは「食べること」自体が行事となっているもののようだ。例によってCOOPで七草のパッケージを売っていたので、わが家では今年も朝食は七草粥にした。そして、茶わん一杯の七草粥だけが朝食であった。足らんやろからパンでも食べてね、とパートナーの弁。それでは胃の養生にはならぬであろうに。

 なんとか昼まで我慢して、さて施設の昼定食を食べようとすると、こちらもなんと七草粥(もちろんこちらにはオカズはついていた)。さすがにこれはちと遠慮してしまったのだった。

 せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞななくさ。

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1月6日(水)

 昨年秋に全国で「高齢者介護サービス体制整備事業」というのが行われた。要するに介護保険の予行演習である。

 私の職場のある市では、行政主導だけのモデル事業に飽き足らず、医師会や社会福祉協議会が中心になって、モデル事業に加わった各職種が集まって引き続き勉強会をしている。今日はその今年1回目の会合であった。

 いつものことながら、細かい部分での矛盾や疑問が氷解せぬまま時間が過ぎていった。年末に介護保険法施行令がようやく出たけれども、さらに具体的な取り決め部分はまだ発表されていない。

 明日はアフターファイブにケアマネージャの実務研修中の有志でケアマネージメントの勉強会を開くことになっていて、みんなの熱心さには頭が下がる。現場がこんななのに、介護保険制度そのものを政治の駆け引きの道具に使うようなマネはしないでもらいたいものだ。

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1月5日(火)

 ようやく正月気分もぬけて、すこし仕事にエンジンがかかりだしたようだ。施設には年末年始に外泊なさっていた入所者のかたがつぎつぎに帰ってこられているが、中途半端に外泊したためにかえって混乱してしまっているかたも散見され、現場スタッフはいつもとは違った大変さを訴えている。

 ちょっと寂しいのは、書店関係がまだいつものペースになっていないこと。新刊が出てこないので、新しい本を探す楽しみがいまひとつなのである。週刊誌レベルがぼつぼつ動きだしているだけなのだ。週刊誌系を読まない人である私なのに、つい「アエラ」などを買いそうになる。

 ま、松の内といわれる間はおとなしくせざるをえまい。

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1月4日(月)

 ご用始めだ。

 家族では私だけが早く出勤するので、朝食は石橋駅の「阪急そば」でうどんを食べる。暖まった身体に満足しつつ宝塚行きの電車に乗ると、石橋駅を出てすぐの高架線、今日の大阪の日の出が7時6分で、ちょうど朝日が遠くの六甲山系を照らすタイミングになる。

 六甲の東斜面の住宅地が明るく照らされている。4年前のことをふと思い出した。震災のすぐあと、ようやく雲雀丘花屋敷駅まで開通した阪急電車での出勤でやはり今朝と同じような明るい景色を見たのだった。朝日に照らされていても、あの山の下では激しい被害で苦しんでいる人がおおぜいいるのだなあと、不便な生活とはいえほぼ安全な暮らしを取り戻した私が、電車に乗っているだけで激甚被災地を遠望できているという不思議な経験だった。

 あのとき、「物を持つこと」の空しさを身に染みて感じたのに、たった4年でなんやもう。

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1月3日(日)

 「年末年始の休み」といってもあっという間である。われわれ民間では29日がご用納めで4日がご用始めだから、今年のようにその中に日曜日が入っていると、まったく5日間だけだ。

 今日は予定もなくずっと家で年賀状の返事や原稿書きなどをしていたので、ほんとにごく普通の日曜日という感じで一日が終わってしまった。おせち料理も少ししか作っていないので、昨夜ですべて食べてしまい、今夜はもういつものご飯になる。夕刻に近所の書店と生協まで散歩がてに出かけたのだが、街ももう正月気分が抜けてしまっているように見えた。

 やれやれ、また一年の始まりか。

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1月2日(土)

 
天満天神宮本殿(左)と阿比太神社境内(右)

 職場で急な用ができて朝から出勤。大晦日にも出勤したので、この年末年始もほとんど休めないようだ。

 昼前から家族で天満の天神さんへお参り。今年は娘の受験があるので、いつもに増して神頼みにもリキが入っているのだ。あいかわらず大阪代表の天神さんの人出はすごい。隣を歩いていた若い男性の「おごそかさとは縁遠い雰囲気やな」というつぶやきにひそかに同意。

 買い物と夕刻からの「鬼太鼓座」の公演を見に行くパートナーと娘を梅田で降ろして、最後になってしまったがいまの氏神さん、阿比太神社へ。ここはいつきても神社らしい雰囲気の神社である。ようやくお参りした気分になったなどというと、八幡明神や菅原道真さんのバチが当たるだろうか。

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1月1日(金)


山本八幡宮本殿

 私の実家では、元旦の昼までに服装を整えて氏神さんである山本八幡宮に参詣することになっている。その時間帯に実家にいる家族みんなででかけるのである。今年は朝から実家に行ったので、数年ぶりにいっしょにお参りすることができた。

 春になるとちょっとした花見の名所になる桜並木の川沿いの道をぶらぶら歩いて10分ほど、その道すがらの景色はかなり変ってしまっていたし、八幡宮の境内もすっかりリニューアルされてしまっているのにも驚いた。まさに都市神社になってしまっている。

 ま、私のお宮参りをしてから半世紀たってしまったし、近鉄電車の駅前にあるんだから、都市化しても無理はない。





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