よく考えてみると、来週はもう師走ですね。いまの職場が立ち上がってから、なんと二度目の正月がもう迫ってくるではありませんか。そして年が明けると私の歳は大台に乗ることになります。
ひえ〜。
いまはどうなのかわかりませんが、私が小学校や中学校のときには社会科で必ず「登呂遺跡」が出てきました。昨年静岡市へ行ったとき、ともかく時間をやりくりして登呂を訪ねたのは、遺跡そのものの興味もさることながら、一種のなつかしさがあったのでした。
最近は、吉野ヶ里とか三内丸山などの超大規模遺跡のために影が薄くなっているのではないかと思っていましたが、いやなかなか整備されて、私が行ったのは平日の午前だったので客は少なかったものの、駐車場やバス・タクシー乗り場の感じからは、おそらくまだまだ現役のスポットであるように見ました。
遺跡そのものは整備されすぎていて、なんだかふつうの公園のような、少々期待はずれというと関係者に叱られるか。すくなくとも、何度も行ってみようと思うほどの印象は私にはありませんでした。
中国豊中ICから入って名神茨木ICまで、空いていれば約10分、目的地は茨木ICから5分ほどです。午後2時半には着ける。
中国道に乗ってすぐ、ちょうど千里中央のビル群を左に見るあたりで渋滞のため停止してしまいました。やれやれここも混んでいたか、と列の最後について停止。すると、そのまま10分たっても20分たっても動きません。そのうち路側ラジオが「この先で事故」「中国池田から吹田JCT まで通行止」とアナウンスしだしました。要するに、通行止区間のどまんなかにつかまってしまったわけです。上空に取材ヘリが何機も飛来。
30分くらいまでは、列に並んだ車からイラついた人たちが出てきたりしていましたが、そのうちみなさん完全に諦めムード。三々五々1キロほど先の事故現場まで見物に歩いていく人あり、ご近所車どうしでグチりながら歓談する輪あり、バドミントンをしだす家族連れあり、本格的に寝転ぶ長距離トラツクの運転手さんあり、晴天の晩秋のハイウェイ・ピクニックという雰囲気。
私はといえば、たまたま持っていた読みかけの文庫本の読み進んだこと。
午後1時50分に中国豊中から入って、名神茨木を出たのは午後4時20分。それでもきっちり料金 500円をとられて、ああなんという勤労感謝の日 ^^;
つげ義春さんの漫画に「長八の宿」というのがあります。
西伊豆松崎にある鏝絵(こてえ)が名物の旅館のことを描いた、つげさんの漫画では珍しくも明るくコミカルな作品です。
この作品の、最後のひとコマ、旅館の下男のジッさまの向こうに、霧の上に頭を出している富士山、そのボリウム感がたいへん印象的です。
西伊豆からあのような迫力のある富士山を眺めることができるのでしょうか。
職場の施設に入所なさっているかたや、訪問診察に行っている在宅の患者さんのなかで、体調を崩していらっしゃるかたが続出しています。気温が下がったからといって暖房を入れますが、いまのエアコン系の暖房はたいてい空気の乾燥をともないますので、喉をやられ肌を乾かせてしまいます。
真夏の湿気て暑いときとともに、これからの寒くて乾いてるとき、高齢のかたにとっては過酷な時期になります。
新幹線から乗り換えた東海道線普通電車を降りた金谷の駅は乗り換え駅として想像していたよりずっと質素でありました。しかし構内には涎が出そうな車両がすでに並んでいて、いい歳のくせになかなか鉄分の抜けないおっさんの心は、一瞬のうちに思い切り若返ってしまいました。
金谷から C11の牽く国鉄旧客車に乗って千頭(せんず)まで行き、そこでナローの列車に乗り換えて新設間もないアプト式区間を含む軽便鉄道の乗り心地を楽しんで終点井川までの半日。
その夜は、バスで延々と急峻な峠道を越えた秘境「寸又峡」の温泉旅館泊。翌日、さながら鉄道車両のアンティークショップのような千頭の駅にふたたび出て、今度は半鋼製車体の吊掛電動機の電車で金谷まで戻りました。
嗚呼、めくるめくような一泊二日 :-)
いずれまた再訪…。
※不可解な「鉄」関係用語についてはご容赦を。 ※寸又峡温泉でかつて大きな事件をおこし、そのためにいまだ服役中 の在日のかたの母親が亡くなったという記事が先日ありましたが、 この寸又峡の事件のことを覚えていらっしゃるかたは、どれくらい おられるのでしょうね。
久しぶりの伊勢神宮参拝と、全館完成した鳥羽水族館見学、それに「招き猫」買い出し、ついでに昼食に本場の「手こねずし」を食べることが目的。
お伊勢さんは、ぼつぼつと新年準備にかかっているようで、あちこちで小工事をしていました。内宮前から鳥羽まで乗ったバスはほとんど貸し切り状態、そして戦国時代村を経由しましたので、なんだか冗談みたいな外観のそのテーマパークの入口をあっけにとられつつ見てきました。伊勢朝熊(あさま)の山もあちこち削り崩されて無残なものです。
手こねずしを食べそこねたのと、近鉄特急「伊勢志摩ライナー」に乗れなかったのが残念。
上京するたびに必ず通過するのに、なかなか訪れることが少ないのが静岡県です。東海道新幹線の通過県のなかでは、神奈川県と並んで縁の少ないところでして…。
昨年、COMLの仕事で静岡市に出向いたのが、じつは静岡市への初めての訪問でした。そのときは時間がなくて登呂遺跡だけなんとか見物してきました。
その前が大井川鉄道に乗って寸又峡温泉に行ったとき、その前が飯田線に乗るニフティの鉄道フォーラムのイベントのとき。でもこのときはほとんど長野県の伊那谷が主体でした。
地図で見るとおもしろそうところがいろいろありそうなのに…。
これは、市内の中学二年生がいろいろな事業所に出向いて、仕事やボランティアを体験するというもので、私の職場にも8名ほどの中学生が月曜日の朝早くからきました。
私が感心したのは、最初こそ恥ずかしそうにしていたものの、初日のうちにすぐに施設やゲスト(施設の利用者のかた)になじんでいたことです。施設のスタッフのユニフォームが、私を含めてジャージ系のものだから、彼らの体操着が違和感ないのもあって、ゲストのほうもあまり抵抗がなかったようです。うちの介護職の多くが20才前後の若者だということもあるでしょう。
いろいろな店や会社に「トライアル・ウィーク協力事業所」という表示がなされていまして、いま川西市の街は中学生諸君に占拠されたような按配です。
エイリアンのように感じることが多い中学生たちですが、それなりに将来が頼もしいもんだと思った今週でした。
学生のころから行きたいと思い続けていて、いまだに実現できていないのが、鹿児島県のたくさんある島への旅行です。
大きいものでは奄美大島や屋久島、マイナーなところで甑島(こしきしま)や吐喝喇(とから)列島など。もともと島が好きですから、いずれは、と思っています。
もっとも、これらの島に行こうとしたら、日程にかなりの余裕を見なければなりませんし、天候によっては帰ることができないまま何日も閉じ込められるかもしれないというリスクもあるでしょう(それはかえって嬉しいとも思いますが…)。
中途半端な外国旅行よりも興味を引かれているのが鹿児島の離島群です。
昨夜、夕食後にちびちびと丹波の地酒「小鼓」を飲んでいますと、突然大きな雷鳴が轟きました。あまりいきなりだったので、思わず震災の恐怖をすこし思い出してしまったほどでした。
窓を開けてみますと、なんと、かなり強い、ちょうど夕立のような雷雨になっています。しばらく近く遠く雷が鳴って、急激に気温が下がってくるのを感じました。
そして、今朝は強い風が吹いていて、さきほど夕刊をみますと、大阪管区気象台が「木枯らし一号」だと発表したと報じてありました。しかし、昼すぎに依頼を受けた講義をするために宝塚に出かけたときは、歩いているとちょっと汗ばむほど。難しい気候だ。
霧島温泉郷のあたりはとりわけ好きな場所で、鹿児島に行ったときには必ず走っています。えびの高原に登るドライブウエイが高度をとるに従って南に広がる景色の雄大さと、あちこちからあがっている噴気とその温泉温泉(笑)した空気。
この中にすばらしい旅館があったとは、しかし最近まで知りませんでした。今年の春に泊まった「雅叙苑」。もちろんすこし宿泊料は高いのですが、その値打ちは十分にありました。言葉で書いても雰囲気はよく表現できませんが、ほとんどの部屋が移築改築された茅葺き民家の離れになっていて、それぞれに専用の露天風呂があり、食事は山のものと自家農園で収穫されたもので徹底されています。夜の明かりは小さな白熱灯か囲炉裏やかまどの火ばかり。一枚岩をくり貫いた半露天風呂。若い人にはたいくつかもしれませんが、私には非常にぜいたくな時間を過ごせると感じました。
もっとも、ここでもなんとか携帯電話が使えるため、モバイル通信をしたことは私の優柔不断さかもしれませぬ。
私の服装はいちおう長袖のシャツは着ているものの、ジャケットは夏のもののまま、もちろんアンダーシャツは年中同じのノースリーブですから、シャツの長袖化だけが初秋との違いです。
春先は、たしか花々の咲くのがかなり早かったという記憶がありますから、やはり地球は温暖化しているのでしょうか。
なんどか鹿児島市へ行ったうち、幸いにして桜島からのひどい降灰を経験したのは一度だけです。「つばめ」に乗りにいったそのときでした。
傘をささなければ服が汚れるほどの降りで、傘にパラパラと音がするほど降り注いでいました。道路はみごとに黒くなり、路面電車は砂埃を上げていました。桜島の景色が好きで、降灰が珍しい旅人はのんきに桜島へ渡って一周ドライブなどもしていましたが、地元の人たちはさぞうっとうしいのだろうなと思ったことです。
磯公園から見る桜島は高校の修学旅行のときの景色とほとんど変っていませんが、すぐ南からは広大な埋め立てですっかり様相の変った市街地が続いているのが印象的でした。
おおざっぱな地図だと載っていないだろうような路地や裏道、数十年前は谷筋や尾根沿いの細道だったとおぼしき道を歩き回って、駅の近くまで行き、北摂にチェーン展開している和食屋さんで「ねぎとろ定食」を昼食としました。
ひさしぶりに家の近所の町歩きをして、つぎつぎに建つマンションと、その間に残る旧家の共生、でもおそらくいま建築中のマンションはそういう旧家の跡かもしれぬと思いながら、あと数年もすればこの町もよそと同じような外観の住宅街になってしまうのかと残念でもあります。
何年か前に学会のため鹿児島県に行きました(こんなパターンばかりですが、私の商売だと大手を振って休めるのは学会のときくらいなんですね)。
新しく走り出した特急「つばめ」のグリーン車に乗るという目的のため、トータルの旅費節約を目的として往路は夜行バス。午後8時に缶ビールと日本酒の4合瓶を持って千里ニュータウン停留所から阪急バスに乗り、西鹿児島駅前に着いたのが翌朝7時、30人乗りのバスに5人しか乗っていなくて、かなりゆったりとしていました。
その前に鹿児島に行ったのは、娘がまだよちよち歩きだったころにまとめて休暇をとったとき。阿蘇のペンションで3泊したあと、鹿児島を経てフェリーで帰阪したとき。
その前は大学の悪ガキ真っ盛りのとき。これは詳細ノーコメント :-) さらにその前が高校の修学旅行。
いちばん最近が今年の春の妙見温泉行きです。
思えば、けっこう遠い鹿児島なのに、なかりたびたび出かけていることになります。