'98 週刊湾処屋/10月



10月30日(金)

 んんん。とうとう10月も終わってしまいました。今年もあと二ヶ月。

 訪問診察関係のデータベースを作らねばと思い立って「マイクロソフト・アクセス97」を勉強しだしてはや四ヶ月。まだぜんぜんものにならず。

 勤務先の施設の雑誌を出さねばと思いついてはや十ヶ月。端緒も見えず。

 施設がオープンしてもう十四ヶ月。安定を経ずして慣れに陥りかけている職場に悩む。

 嗚呼、来年はノストラダムスおじさんの年。

チャンポン&皿うどん

 強引ですが、長崎県の最後に長崎チャンポン/皿うどんのお話。

 かつて、麺好き人間である私は、長崎に行くとかなり連続してチャンポンや皿うどんを食べていました。少し異国の香りのある独特の麺を、夏はしかしかなり暑さに耐えながらも食していたわけです。

 しかし、いつのころからか、大阪でもチャンポンや皿うどんをそれほど苦労せずに食べることができるようになり、そうなると逆に本場ではあまり食指が動かなくなってしまいました。べつに大阪でしょっちゅう食べているわけではないし、おそらく長崎で食べたほうが旨いだろうとは思うのに、です。

 このような食べ物はほかにもいろいろあります。流通が発達し、保存がきくようになって、昔ほどありがたみがなくなってしまいました。もっとおいしかったのに、というようなものが少なくありません。文化としてはマイナスなのではないかと、つくづく思うこともあります。

10月27日(火)

 家から歩いて1分ほどのところにあるコンビニエンス・ストアが、数日前からリニューアルのため休業していました。

 私はそれほどコンビニに頼る生活をしているわけではありませんが、それでも早出勤務のときには回診後に食べる朝飯のオニギリを買って行ったり、夜中に電池切れしたときの助け舟になったり、電話予約したコンサートのチケットを買いに走ったり、まあそれなりに利用していますので、数日とはいえクローズしているとなんとなく不便そうな感じがしました。

 こんなことであこがれている田舎生活ができるのだろうかと思ったりもしますが、なければないでなんとかなるだろう、逆にいえば、あればあったでいろいろ利用してしまうという、まさにコンビニ業界の掌中にはまっているわけかもしれません。困ったもんです。

長崎県(6)

   今回の長崎県シリーズのためにあらためて地図を見ていて、うかつにも対馬も長崎県だったことを忘れていたのに気づきました。

 対馬については、昨年くらいから興味を持ってすこしづつ著作を読んでいる宮本常一氏がたびたび書いておられます。「忘れられた日本人」(宮本常一著、岩波文庫)には最初に「対馬にて」がありますし、同じ本の「梶田富五郎翁」は、ごく最近「宮本常一を歩く・全2巻」(毛利甚八著、小学館)で上巻の最初にあらためてとり上げられています。

 九州のかたにとってはどうかわかりませんが、私には対馬は沖縄よりももっと距離感があります。きっといつかは行ってみたいと、ずっと思いつづけているわけです。

10月23日(金)

 なんだかここのところイライラがつのってきていまして、ふと時間がとれそうになったので、前日に電話で予約した京都府北部某温泉に出かけてきました。夕陽が美しいということを売りにしている海沿いの温泉。

 ちょっと途中の加悦町で遊びすぎたのと、どーせ雨だからと諦めていたこともあって、旅館に着いたら意外にも晴れた夕焼けがほぼ終わりかけでまことに残念でした。しかし、名残の赤い空を海に面した露天風呂につかりながら眺めていたら、日ごろのうっぷんもフラストレーションも忘れてしまいました。もっとも、忘れるのはそのときだけで、大阪に戻ればすぐに元どおりになるのは分かっています。

 夕食は、日本海の港に近いことで当然のことながら、魚好きの私にとってはもう言うことなし。なかでもイカ刺身のもちもち感は、あまりイカは好きではなくて、ふだんはまず手をつけない私がどんどん食べるのを、わがパートナーが驚くほどでした。うーーーーーーーん、旨いっっ。

長崎県(5)

 高校の修学旅行で長崎市に行って以来、いままで書いたように幾度か長崎に足を踏み入れていますが、しかしまだまだ行ってみたいところがあります。

 上五島は行きましたが、福江島のほうはまだです。福江出身のかたに島の自慢をつい先日されて、うむ、ぜったい訪ねるよと啖呵を切りました。

 島好き人間としては、壱岐にも行ってみたい。雲仙はかつて二度ほど行きましたが、大噴火のあとは知りません。周りのみなさん次々といらっしゃってるハウステンボスも、ま、話のネタの必要もあるかな、と。

10月20日(火)

 たてつづけに何も難しいことを考えずに見られる映画を鑑賞。

 日曜日はテレビでやっていたダン・エイクロイドの「ゴーストバスターズ2」、昨夜はレンタルビデオの「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」、そして今夜もビデオでジャッキー・チェンの「ナイス・ガイ」、これには思いがけなくサモ・ハン・キン・ポーの姿が見えてなつかしい。

 ほんとうは、夕食を早く食べてしなければならない「持ち帰り仕事」がなくもなく、純米酒をちびちびやりながらエーガを見てるようなバヤイではないのではないかとも思うのですが、試験勉強をしなければならないときに、ついどうでもいいことをしてしまう学生時代の悪癖を、この年になっても引きずっている自分に、うーん、別にイヤにもならず。ごめん、お酒、もう一杯飲ませてちょーだいね :-)

長崎県(4)

 阪神淡路大震災の衝撃がすこし薄らぎかけた平成7年の晩秋、つまり私が現在勤務している老人保健施設の建設計画が進んでいたころ、その工事を担当するゼネコンがこれまで手がけた九州の老人保健施設を理事長と視察して回ったことがあります。

 一日目に大分県の施設を見たあと、二日目には今まで乗ったことがない豊肥本線と長崎本線の特急を乗りつぎ、カッパの顔の形の駅や吉野ヶ里遺跡を眺めつつ到着したのは諌早市の施設。この施設の居室やデイルームからは例の諌早湾の干拓工事現場が一望、そして湾の向こうには噴火から間もない雲仙の溶岩ドームが見えていました。

 秋晴れの暖かい日でしたが、なんとなく視界に靄がかかったような感じがしたのは、災害に関係するシチュエーションだったからか、それとも見学した施設が自分の描いていた老人保健施設観とあまりにもちがっていたからか。

10月16日(金)

 今週はずっと雨が降ったり止んだり大雨洪水警報クラスになったり、そしてそのうえずっと気温が高くてたいへん不快な気候が続いています。

 足元が汚れるので、唯一雨に濡れても痛みが少ない靴を毎日履いていますので、靴そのものもなんとなく湿っぽい。昨夜はついにエアコンを「除湿」で動かしてしまいました。

 夕方に帰宅したらもう何だかぐったりしてしまい、食欲もいまいち。晴天ばかり続くとホコリっぽいからひと雨ほしいと思いますが、さすがにこれほどの雨天続きだと心も荒れてきそうになります。

長崎県(3)

 私が上五島に行った当時、長崎航空の路線は、長崎空港を拠点にして、上五島と壱岐、福岡、それにもうひとつ小値賀島(おじかじま)線というのがありました。もう少し時間がとれれば行きたかったのですが、けっきょく行けずじまいになっています。上五島もそうですが、小値賀島は釣り師でもない私がふつう行くような島ではありません。そうしてそのうち忘れていました。

 この夏、小学館文庫「島へ」(高田宏著)をなにげなく読み出したら、いきなり小値賀島のルポが出てきました。「ほんとの空ほんと海―小値賀島」というタイトルになっています。それを読んで、ああやっぱり行っておけばよかったと後悔しています。このルポはまだ空路が開ける前のものですが、おそらく私が上五島に行った当時なら、このルポの時期と島はそれほど変ってはいなかっただろうと思えるのです。

10月13日(火)

 もう冬季賞与の査定が始まりました。

 私は今の勤務につくまで、査定される立場を30年続けてきたわけで、べつにどう査定されようとどーでもええというのが本音でした。

 しかし、昨年から査定しなければならなくなり、それでじつはそんな仕事があるなどとは全く考えていなかったので、昨年の今ごろはあせりました。

 だいたいですねえ、私のような性格の人間に人を査定せよというのが間違っておる :-) まじめに仕事をしている人はみんなマル、そうでない人は査定するまでもなく仕事をやめなさい、というくらい極端な考えの持ち主なので、人の能力を段階づけるなんてとてもとても…。

 こういう人間は管理職としては最低の評価を私の上司からされるはずですし、そもそもそういう人間を管理職にした私の上司(=法人でいちばんエライ人)自身の査定はどうなるんでしょうかねえ。

長崎県(2)

 当時撮影してきた写真を珍しくまとめてアルバムにしていまして、本棚の奥から出してきました。

 五島列島はキリシタンの島でして、美しい教会がたくさんあります。この旅では、景色にとけ込んでひっそりと建っている教会を見ることも目的のひとつでしたので、その写真がたくさんありました。

 なかでも感銘を受けたのが「青砂浦(あおさがうら)教会」でした。しっとりとしたレンガでできた建物と、微妙な曲線の天井を持つ内部、私はクリスチャンではないので、純粋に建物というか作品というか、そういう目で見てしまいましたが…。

 もともとこの島は釣り人には有名らしいのですが、普通の観光では行くことが少ないらしい。でも、島好きならきっと気にいると思います。

10月9日(金)

 ここのところ、毎朝着ていくものに迷っています。

 出かけるときの空気だと、ぼつぼつジャケット着用でもおかしくない、でも帰りのことを考えるとちょっと暑いかもしれない。しかしもう衣がえから一週間以上たっていて、半袖のシャツだとちょっと照れ臭い気もする。

 で、けっきょく寒さにはめっぽう強い私は、真夏と同じ上下で出かけることになっているわけです。それでも急いで出勤したら、職場に着くとちょっとじっとり汗が出ます。

 でもまあとってもいい季節になりました。

長崎県(1)

 あるかたのアイデアをいただいて都道府県シリーズを始めることにします。有名観光地の話などはいまさらおもしろくもないでしょうから、あまり観光では行かないようなところの話を書きたいと思います。でも、旅行が仕事ではありませんから、ずーーーーっと古いときの話もあるのはご勘弁ください。

 というわけで、とくに理由はありませんが長崎県から。

 もう10年以上も前になると思います。博多で全国学会がありまして、年に一度のおおっぴらな休みということで、さて、博多からどこへ行こうかとホテルで時刻表を見ていまして、ふと目についたのが福岡空港から日に2本ほど出ている長崎航空のコミューター便。アイランダーという双発プロペラ10人乗りの飛行機にいたく乗りたくなりました。

 予約なんかとれるんかいなと半分あきらめつつ電話をすると、ぜんぜん問題なく翌日の昼の便がとれました。当日はあいにく少し風が強く、予定の時刻になってもなかなか案内してもらえません。1時間ほど待ってようやくアイランダーに。乗客はたった2人。誘導路を走って滑走路に出たと思ったとたんに離陸していました。

 300フィートくらいの巡航高度だと地上がよく見えます。長崎オランダ村(当時はまだハウステンボスはありません)を見て、西海国立公園のリアス海岸の絶景を楽しんでいると、もうすぐそこに上五島空港の短い滑走路が見えました。頭ケ島の台地の上の800mの滑走路にあっけなく着陸。ガランとした空港に小さなターミナル(下の写真)、頼んでおいたタクシーでレンタカーのある有川町の中心街へ向かって、唐突にでかけた上五島の二泊三日の始まりとなったのでした。

10月6日(火)

 いつのまにか、仕事の行き来の道のあちこちで、ふわーっと甘い香りがただよってきました。あー、また今年もキンモクセイの季節か、と思ってしまいます。残念なことに、住まいのマンションの周囲にはありません。

 ベランダにある鉢の多くがハーブで、ハーブというのはアチラの国のものだけあって日本の季節感にあわないのが欠点です。

 いま午後10時半、開けてあるベランダ側の窓からけっこう冷たい空気が流れこんできています。空は曇っていますが、十五夜を一日すぎたけっこう大きな月が東の空高くまで昇っていて、絵にかいたようなおぼろ月夜。虫の声がかすかに聞こえて秋いよいよ、と。

 ここまで書いてふと気になって広辞苑を引いてみましたら、おぼろ月は春の表現らしい。うーむ、日本語は難しい。

休止中

 なかなかいい話題のアイデアが浮かびませぬ。いっそのこと10月はお休みしようかこの部分、などと安易に流れそうになる、ピップエレキバンを天柱(てんちゅう)と肩井(けんせい)らしきところに貼りつつふとため息もらすわんどさんなのであった :-)

10月2日(金)

 1998年も最終コーナーにさしかかりました。

 明日の勤務先の法人が主催するシンポジウムから始まって、またまた予定が続いていまして、いつまでたっても遊ばせてもらえまへん。いい季節なんで、どこかいい温泉でせめて2泊くらいでけへんかなぁ、なんて思っているのですが、温泉事情は関西はあまりよくない。

 春に行った鹿児島の妙見温泉にまた行きたいとは思うものの、伊丹からひとっとびなので時間はかからないのですが、飛行機代を考えると…。

 ふ〜。

小休止

 地下鉄御堂筋線と北大阪急行で千里まできて、このシリーズちょっと小休止。

 つぎはなにをテーマにしましょうか。





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