若いころはあまり思わなかったのですが、最近は今日のような日差しの昼間、いや朝のうちからでありますが、ともかく眩しくてたまりません。私がこの風貌でサングラスをかけているとハタからはどう見えるのか、自分でよーく分かっているので、なるべくそういうことはしたくないのですけれど、やはりつらくてあきません。
で、どーせかけるなら地味なのはオモロくない。いま使っているサングラスはだいぶ前に買ったもので、度もあわなくなっていますから、このシーズン、新しいのを買おうと思っています。
ついでに草で編んだ帽子も欲しい。
まさか白内障の始まりというわけではないでしょうけど ^^;
東京へ行くたびに、いやはやなんと東京って人の多いとこやねん、と感じているのですが、よく考えてみますと大阪駅周辺の人の流れもすごいもんです。みなさん、なんの用事があってそんなに大阪駅周辺に集まってらっしゃるのか。
ただ、私が大阪を歩くときは、少々人が多くても歩きかたをよく会得しているので、それほどたいへんではありません。東京ではこちらが自分の動きをとりにくいぶん、よけいに抵抗があるようです。私の大阪の動作速度と東京のみなさんのそれが合わないのも原因かもしれません。エスカレータのどちら側を空けるかが完全に逆だというのも象徴的です。
風が強かったのですが、その風がすこしも涼しくない。なまあたたかい風が強さだけがあってネクタイを飛ばすので、不愉快なだけ。
大阪の最高気温が32度、湿度が60%を超え、不快指数が全員不快の80%あまりだという。
夕刻から呑み会のため大阪へ出て、不快な戸外と冷房効きすぎのような車内室内を交互に過ごしているうちに、なんだか体の調節が変になってしまいました。
大阪(1)
4月14日に出発して2ヶ月半、大阪環状線を一周して大阪駅に帰ってきました。大阪駅の項をどうしようかと迷いました。書けばそれだけでいっぱいあるし、書かなければそれはそれで簡単にすませられます。
しかしま、私たちの世代にとっての大阪駅、戦後の混乱で中途半端にしかできなかったという先代の大阪駅舎の印象がとっても強いうえに、旧国鉄の名残がいっぱい残っている駅ということで、ネタの続く限り書いておくことにいたします。
気温は低いが湿度が高くて不快、という、私がいちばん苦手な日が続いているわけで、いろいろなストレスに加えての気候の悪さ、あまりいいコンディションではないようです。
なんとなく食欲もでないのですが、今朝はひさしぶりにおいしく食べられました。そういう日は一日ずっと調子がよくなります。
なんとなく地味な印象のある駅ですが、私にはなじみがあります。
以前よくオフラインミーティングに利用していたお店がこの駅から徒歩10分ほど、その途中には、大阪ではAクラスのホテルがあります。このホテル、福島駅から反対方向にある別の一流ホテルに比べてなんとなく気軽に入れるので、待ち合わせなどで使うことが多いのです。そのホテルの南隣は大阪でのクラシックコンサートの中心である「ザ・シンフォニー・ホール」。北側には朝日放送の社屋があって、タレントさんたちによく会えるところ。
さらに、福島駅は、いまは移転しましたが大阪大学医学部付属病院の最寄り駅、もっとも、ここは私の母校ではありませんから、それほど親しみがあったわけではありません。
大阪駅/梅田に近いのでつい影が薄くなりがちですが、町そのものもけっこう濃いのが福島。だと思う。
朝、出勤のときには激しい雨、いつものように無神経な車の跳ね上げた飛沫を浴びつつ出勤。午前中ずっと豪雨といってよいような雨が続き、午後からの訪問診察にでかけるときにもまだ強い風雨でした。
能勢・豊能方面を走っていますと、山が騒がしい。見てても騒ぐ聞いてても騒ぐ、ついでに前の川も大騒ぎ。道にちぎり取られた枝や葉っぱがたくさん落ちてます。町では傘をさしにくいくらいにしか思わない風、山ではあたり一帯を騒がせるような力を見せてくれました。
ここも私にはあまり縁のない駅ですが、野田という地名と駅に関してはちょっとおもしろいというか、意地の張り合いというか、ユーザーには不便というか、妙なことになっています。
野田駅のすこし北に阪神電鉄の「野田阪神駅」があります。ふつう、こういう場合は「阪神野田駅」のように「電鉄名+地名」とするように思うのですが、なぜかここは「地名+電鉄名」になっています。野田阪神駅も歴史が古く、いまや「のだはんしん」は大阪では地名として完全に固有名詞化しています。
で、先日JR東西線が開通して、野田阪神駅と接続した地下に駅ができました。私など「JR野田阪神駅」となれば楽しいのに、と思っていたのですが、けっきょく「海老江(えびえ)駅」となりました。隣り合った大阪市営地下鉄千日前線の駅は「野田阪神」。この地下鉄、ひとつ南の駅は「野田駅」の地下にあるのですが、ここの駅名は「玉川駅」。
地下鉄とJRは南森町と大阪天満宮でも隣接した駅に違う駅名をつけていて、慣れない利用者をとまどわせていますが、そんなんでいいのでしょうかね。
条件が重なりまして、今夜の食事は私ひとりですることになりました。
で、しばしば誰かと呑むときや職場で呑み会をするときに使わせていただいている、いろいろとおいしい献立があって贔屓にしているお店で、だからめったにないのに一人で呑みにいきました。お店の人たちが私ひとりだということに珍しがる :-)
板長さんといろいろお話していて、地元のお酒「呉春」に合う肴、ということで「鱧(はも)の塩焼き」をつくってくれました。鱧は上方の夏にはなくてはならないもので、私もたいへん好物ではありますが、たいていは「鱧ちり」か「てりやき」でよばれています。だから、この調理はちょっと珍しい。天然の山葵を乗せていただくあっさりとした鱧の焼き物、絶品。思わず「呉春」をおかわりして、乗る予定のバスの時刻を取り逃がしてしまったのでありました。
大阪環状線と桜島線の分岐駅であるうえに、北西方向から阪神電鉄西大阪線がからみついている、地図だけみればそれなりのターミナル駅であります。
阪神は、もともともっと南へ延ばして、難波まで到達、南海や近鉄と連絡することを計画していたようです。近鉄と阪神は線路の幅がいっしょですから、車両の直通が可能、つい最近、阪神と山陽電鉄が相互乗り入れして、梅田と姫路を直通しましたが、私のような鉄分の多い者の夢は、山陽電鉄の姫路から阪神電鉄を経由して難波で近鉄に入り名古屋まで走る特急、でもま、姫路と名古屋を直通してもどういう成算が考えられかといわれますと、考えられんのぉとしか言いようがありませぬ。
話はがらっとかわりますが、西九条というからには、西でない九条が、とうぜんあります。で、大阪育ちの元気な若者は、つい「九条」という地名に若き日の騒いだ血を思いだすのでありました、とさっ。
早出のため目ざめたときからすこし腰が痛いなあと思っていたのですが、仕事をしだしてからどんどん痛さが増してきまして、9時すぎの施設の始業時刻ごろにはまともに歩けなくなってしまいました。
何年か前、いわゆるぎっくり腰をやったことがありました。それがまた出たかと思うほどの痛さ。前日までに腰を痛めるようなことをした記憶はありません。もっとも、老人保健施設の仕事ではしばしば体を使いますから、知らず知らず負担をかけていたのかもしれません。
カバンをひっくり返しますと頭痛のひどいときに服用する鎮痛剤が出てきましたので、朝食のおにぎりを食べてから1錠。しかしけっきょく午前中はほとんど仕事になりませんでした。
昼食後にもう1錠服用して、病院の診察をしていましたら、とつぜんウソのように痛さが引いていきました。午前中の感じだと明日は休まなくてはならないかと思うくらいだったのが信じられません。でもま、痛くなくなってくれたほうがありがたいのはありがたい。
それにしても、なんとも休ませてくれない体を持ってしまったようです。今日はほとんど痛くありません。あの腰痛はいったいなんだったんでしょう。
ずっと昔から飛び抜けておなじみだった駅です。それは、駅に隣接して交通科学館があるから。
子供のころ、父に東京神田の交通博物館へ連れていってもらい、じつに東京が羨ましかった、そうしてその後大阪弁天町に交通科学館ができ、じつにじつに嬉しかったのでした。
いま流行の電車運転シミュレーションですが、交通博物館も交通科学館も本物の運転台が置いてあって、擬似運転体験ができました。大阪四ツ橋にあった電気科学館にも大阪地下鉄の運転台がありましたが、弁天町のほうには蒸機なども含めいろいろな本物の車両もあって楽しさの密度が違いました。
そして弁天町には大きな市街地再開発ビルがたち、巨大室内プールができ、交叉する地下鉄は大阪港の先で海底に潜って南港へと伸びて、弁天町はいわゆるウオーターフロントの中心ターミナルのようになっています。
そういえばひさしぶりに交通科学館へ行ってみようかなあ。
このかたは90才を超えてかくしゃくとなさっていて、30台くらい入る駐車場をご自分で管理運営しておられました。賃料を半年にいちどお支払いにいくのですが、話好きでしばしば玄関先で小一時間もおつきあいしていました。
今回も期限がきたので、5月最後の日曜日にお支払いに参りますという電話を金曜日だったかにしまして、日曜日の昼前にお宅に出向きますと、なんだか雰囲気がヘンなのです。で、初めてお会いする中年の女性が応対してくださいまして、このかたは大家さんの娘さんだったのですが、大家さんが前日の晩に急逝なさったとのこと。いま今夜のお通夜の準備なんです…、とおっしゃる。
まあ大往生ではあったのですが、なんだか唐突すぎて現実感がありません。夕刻、お通夜に参列してきましたが、拡声器を使わない静かなしっとりとしたものでありました。
合掌。
地味な駅でした。すこし前までは。
大正区という、大阪湾方向に突き出すような形の区があって、その入口にあたる位置になる駅です。大正区は旧淀川の三角州になります。それで、駅の周辺には淀川が分岐した大きな川と堀川が入り組んでいます。いまでも尻無川(しりなしがわ)と木津川と道頓堀川が駅のすぐ北で交叉分岐していますが、古い地図を見ますとさらにいくつもの川があり、それらが埋め立てられたいまは橋の名前が地名としてだけ残っているだけだったりします。
かつては工場と渡し舟と貯木場がある印象の強かったこの駅の周辺がつい先日から一変しました。駅の北側、岩崎橋地区といわれるところにできた大阪ドームのおかげで、大正駅はそのアクセスとして一気に有名になったのでした。
かつて環状線の電車から見えたいくつもの球形の大きなガスタンクの代わりに、いまや斜めにかしいだ UFOのような巨大なドームがあります。
今年になって地下鉄の鶴見緑地線がこの駅まで開通しましたので、ターミナルとしての機能も持つようになりました。大阪のウオーターフロントは元気だ。
午前中に訪問診療、昼過ぎまでかかったので帰る前に食事、職場に帰ってすぐ医師会の「老人・在宅医療委員会」に出席、午後3時半すぎに職場に帰ってちょっと雑用をしたところで、人手がないのでデイケアの送りを手伝ってくれというケースワーカーの依頼に応じて軽四で3往復。やれやれと帰ったらもう夕食どきでゲストの移動の手伝いをしてもう午後6時 ^^;
金曜日は手伝ってくださるドクターの出勤日なのでこれでなんとか処理できましたが、うーん、医師会の部分が無駄やなぁ(こらこら)。
この駅を南に行ったところに「大阪人権博物館」があります。
いわれのない差別を受け続けたひとたちが、関西にはおおぜいおられますが、この博物館は、そういうひとたちの歴史や現状を総括しているところです。
私が20年ほど前に勤務していた病院から山ひとつ隔てたところに、故住井すゑさんの長編小説「橋のない川」の舞台になった町がありました。知らずに通りますとなんの違いもない静かなところです。この国は、差別構造を作ることによって、ひとたちの不満の発散をさせ続けていた(いる)のではないかと、50年近く生きてきた男は、ほぼ確信を持ってしまったのでした。
今夜はちょっと重い話題を書いてしまいました。ぼつぼつ鬱期かな>自分
今年は花の盛りが全体として2週間ほど早くなっているような按配でして、とりあえず国立民族学博物館前のバラ園を目指していったものの、バラはすでにすんでいました。で、盛りがアジサイ、花ショウブがかなり早い開花という状況です。
昼ご飯に園内のレストランで決してうまくないカレーライスしか食べるものがなかったという情けなさこそあったものの、さわやかな雨上がりの好天。数時間ではありましたが、気分のいい休日でした。日本庭園の花ショウブ見ごろのためのライトアップは今週末からだそうです。
もともとここは関西本線(大和路線)だけにあった駅でした。環状線の電車から大きな築堤の間にひっそりとあるホームと、駅周囲の都心にしては殺風景な町が印象的でした。学生のころ、天王寺からキハ35系通勤型ディーゼルカーに乗って、環状線と大阪港への貨物列車の写真を撮るためによくこの駅で降りたものですが、環状線にもホームができた最近、玉造駅とならんで縁のない駅のひとつになっています。
で、やはりこの駅の周囲はすこし時代をさかのぼったような雰囲気のままのようです。ここで分岐する関西本線の次の駅「JR難波」には、OCAT(大阪シティ・エア・ターミナル)ができて景色が一変したのとは対照的です。