'98 週刊湾処屋/4月



4月28日(火)

 今日のことではないのですが、一昨日の日曜日、高校3年の娘が部活最後の試合ということで、ま、親馬鹿を発揮して見に行ってきました。

 私のところはあまり娘にかまうほうではないので、中学のときにはまったく学校行事には顔を出しませんでしたし(娘もこられるのをイヤがってた)、高校になってからもそれが続いていました。でも、この最後の試合、ちょうど私もパートナーも休みなので見にいきたいと言いましたら、あっさりと承知したのです。それどころか、写真を撮ってくれということになりまして、やはり彼女なりに感慨深い試合になると思っていたのでしょう。

 で、ひさしぶりに重装備のカメラ器材を持って車で15分ほどの試合会場に出向きまして、36枚どりを一本半、娘だけでなくチームメイトをまんべんなく撮影してきました。写真のできあがりを見て、うーむ、ほんとスポーツ写真は難しい。私はもともと鉄道写真や風景を主に撮ってますから、動きが激しくて先が予測できない被写体にはとまどってしまいましたし、写真もいまいち不満足なものでありました。

 それでもまあ、記念ということで許していただくことにします。

 肝腎の試合のほうですが、同点でペナルティ合戦になり、嬉しいことに娘のチームが勝ちました。やれやれ。は、なんの試合かって。ハンドボールですわ。

大阪城公園

 今年の日記の最初にとりあげた大阪砲兵工廠跡にできたのが大阪城公園で、その最寄り駅がここです。橋上駅を出ますと左は広い公園、正面遠方に大阪城天守閣、真正面には大阪城ホール、右側は寝屋川を挟んで大阪ビジネスパーク(略称 OBP)の高層ビル街という景色。

 駅の階段を降りたところから大阪城ホールまでの通路では、おおぜいの若者たちが路上パフォーマンスをやっていまして、どちらかといえば若者の駅前という感じなのですが、ホームレスっぽい感じのおじさんたちも違和感なく混ざっているのが大阪らしいともいえそうです。

 寝屋川には大阪水上バスが定期運行していて、独特の低屋根幅広の船が見られます。

 駅から東側には出ることができませんで、ここにはJRと大阪市営地下鉄の車庫があります。このJRの車庫、森之宮電車区といいますが、旧国鉄時代から電車区の呼称を「大モリ」(大阪鉄道管理局の森之宮区、という意味)(*1)といいます。さすが食い倒れの町にある電車区だと、いっときマニアのなかでは受けたものでした。


    (*1)ほかに大阪近辺では「大ヨト」(淀川電車区、いまはない)「大
    ミハ」(宮原電車区)、「天オト」(天王寺管理局鳳電車区)などが
    「国電」のねぐらでありました。

4月24日(金)

 月に一度の遠距離往診日でした。

 いま話題の能勢町方面にも数軒あります。農家が多くて、ダイオキシンの風評被害を嘆いておられました。そして、往診のときにしばしば自家製の野菜類をいただいているのですが、今日はどうするか悩んでおられたそうです。ダイオキシン汚染の字(あざ)まで車で5分とかからない、同じ谷筋の下流にあるお宅でとれたワケギ、フキ、ミツバ。私がいやがるのではないかと心配なさっていのでした。

 もちろん、私は喜んでいただいてきました。汚染に関して冷静に考えれば、それだけ離れていれば気にすることはないと言いますと、分かってはいても心配だったと、ほんとうに安心していただきました。

 汚染はもちろんとんでもないことですが、理解することもなく避けようとするような反応にも腹だたしい思いをしました。

 今夜はミツバはレバーとあえていただきました。明日はワケギのヌタとフキの炊いたんがおかずでしょう。

京橋

 十数年前、頼まれてこの駅の近くの病院での手術のおてつだいをしていた時期があります。昼すぎから仕事をして、たいていは午後8時か9時ごろに終わります。その後駅前の商店街で一杯やるのが楽しみでした。私ひとりですから、いわゆる立呑み屋に入ることがほとんどでした。

 ノレンを分けてカウンターにつきますと、すかさず「酒っ? ビールぅっ? 」と聞かれまして、「ビール」といいますと、また間髪いれず「瓶? 生? 」ときます。「なまっ、中」とこたえると一分もせずにビールがでてまいります。

 ビールを汲みにいきつつ振り返って「アテはっ? 」などと詰問されますので、「うーーーん、あのえと、ドテっ」などと、慣れないうちはしどろもどろに注文するわけです。

 そうこうするうち、隣におじさんが入ってきまして「酒、冷や。ダブルな。アテは塩コブ」などとおっしゃいまして、出てきた酒をまず半分くーーーっといかはります。で、塩コブを口に入れてさらに四分の一。つぎのひとくちで塩コブがなくなって、残りの酒をぐぐーっと入れる。「ごっつぉおはん」と言いつつ体は半分店を出ながらカウンターに金を置く。「まいどーっ」という声に送られつつ疾風のように去っていく。この間、約2分くらい。

 酒のみの達人が京橋にはおおぜいいらっしゃったのでありました。

4月21日(火)

 つい先日までいつものように営業していたのに、ふと気がつくと店をたたんでいるという状況が最近多いように思います。

 今朝いつものようにバスを降りて駅の建物に入って、なんだか変だな、と思って見回しましたら、駅構内にあった大きな喫茶店がクローズしているのでした。そういえば、土曜日は東京へ行ってましたし、昨日は早出なので別ルートのバスだったからこの店の前は歩かなかったのでした。

 ここの、昔ながらの「スパゲティ・ナポリタン」(名前も昔ながらですな)のケチャップ味が好きで、よく半ドンの土曜日の昼食にしていたものでした。

 最近の不況が関係しているのかどうか私には知るよしもありませんが、それにしても寂しいものです。

桜ノ宮

 駅のすぐ横に大川(旧淀川)が流れていて、その川岸には桜がたくさん植わっています。この続きが造幣局にまでいたっているわけです。駅の名前は「そのままやんか」というものです。すこし南に行きますと国道1号線が走っていて、それが大川を越えるのが銀橋。特徴あるトラス橋です。

 で、桜ノ宮/銀橋といえば、ずっと昔からそれなりに艶っぽい地名なんですな、これが。

 私がまだハイティーンのころ、このあたりは当時でいう「連れ込み宿」「さかさクラゲ」のメッカでした。川に沿った裏道の両側にずらりとその種のホテルがならんでいたのです。純情な青少年にはなんとも眩しい恥ずかしい一角だったわけであります(ほんまかいな)。

 それで、そこはいまどうなってるのかといいますと、そういう施設(笑)はファッションホテルとかに呼び名を変えてやはり連綿と艶っぽい空気を漂わせたままのようであります。

4月17日(金)

 五月山の桜がすっかり散ってしまいました。かわりに新しい葉がどんどん伸びてきたからだと思いますが、山がひと回り大きく見えます。

 これからは北部の山のほうへの往診が楽しい季節になるのですが、それに水をさすように能勢町にあるゴミ処理場周辺のとほうもない高濃度のダイオキシン汚染のニュースが朝刊に載りました。

 能勢町はおおざっぱにいって3つの谷筋からできていまして、今回問題になっている場所は中央にある田尻川の最上流部になります。いま「エセ田舎暮らしのススメ」という本が売れているようですが、その著者であるタレントの島田紳介さんの豪邸もすぐ近くにあります。そして田尻川は知明湖に注いでいて、その知明湖は川西市の水道水源のひとつでもあります。

 いい季節なのにうっとおしいことです。

天満

 大阪駅を出た外回り電車は、曽根崎や阪急東通の繁華街を見下ろしながら走り、すぐに外回りも内回りもホームが南側にある天満駅につきます。もともとは線路の間に一本のホームがあっただけですが、このホームが古い時代のもので狭く危険なために、内回り用のホームが増設されました。

 駅の真下に天神橋筋商店街があります。ここは日本一長い商店街といわれていまして、南へとれば延々天神さんのところまで続いています。

 大阪にはいくつもの大きな商店街があります。そのほとんどが庶民的、食べ物屋さんは安くて旨い、とくにこの天神橋筋商店街は大阪の中心地に近いこともあって、ずっと昔から有名なところです。

 時間があれば阪急/地下鉄境筋線「天神橋六丁目」駅の北側から天満駅を経て天神さんまで、約3キロ半、歩いてみるのもおもしろいですよ。

4月14日(火)

 いろいろな理由があって、いちばん使っている携帯電話の機種を新しいものに変えました。仕事に密接に関係している端末なので、いわゆる「同番移行」、電話番号はそのままというやつです。

 代理店はデジタルへの機種変更に強く抵抗します。その代理店がカバーしている地域では、アナログとデジタルの使えるエリアに大きな差があるのだというのです。しかしまあ、もうデジタルの時代でしょう。モバイル通信には必須ですし、連続待ち受け時間がケタ違いです。

 代理店の善意の(と思いたい)抵抗を排してデジタル化しまして自宅へ持ち帰りますと、ウチでは逆にこちらのほうが電波状態がよいようです。電波は分からぬものです。

 パートナーが使っている 1500MHz帯のデジタルと違ってこの800MHzデジタルは音質もいいように思います。まだレンタル方式しかないころから使い続けてこれが3代目。初代の大きさ機能からすると隔世の感があります。

大阪環状線

 大阪環状線は東京の山手線よりはふた回りほど小さい円ですが、大阪の旧市街を囲んでいて、それぞれの駅周辺にはいろいろなおもしろいところがあります。

 とくに【週刊・湾処屋】の初回に書いた大阪造兵工廠跡にできた大阪城公園が沿線にある東側半分は歴史が古いだけに、駅そのものにも駅周辺にも趣が感じられるというのは私だけなんでしょうか。

 もちろん私には馴染みがあってよく知っている駅とそうでない駅がありますが、しばらく環状線の駅シリーズを続けてみたいと思います。大阪駅から外回りで一周することにします。

4月10日(金)

 花見だ雨だ肌寒い暖かいと目まぐるしいここ数日でした。そして今日の北摂は初夏のような陽気になって、朝から仕事部屋の窓を開けたままにして風を入れていました。昨夜までまとまった雨が降っていましたので、ほこりっぽくもなくほんとにいい一日でした。

 もっとも、昨日、大学の同級生の急な訃報があって、気分的にはすこし暗い感じでもありますので、気をとりなおしてオフラインミーティングに出かけてきます。

茶屋町

 今日の大阪オフの会場のある「阪急かっぱ横丁」は、阪急電車の梅田駅の高架下にありまして、その東側一帯を茶屋町といいます。

 古くからの商家が軒を連ね、そこの旦那衆が曽根崎あたりで粋な遊びをなさっていまして、梅田近辺にある料亭の玄関先でかつてはよく和服姿の旦那衆をお見かけしたものでした。

 バブルの時期にこの一帯は猛烈な地上げに会い、ほとんどの旧住民がいなくなりました。立ち並ぶしもた屋ふうの旧家の表に無造作に打ちつけられた板が情けなく、そのうち一軒また一軒と取り壊されて更地になっていきました。歯抜け状態になったころにバブル崩壊。日本全国おなじみの風景がここでも見られました。

 一角に若者向けの東京資本の雑貨専門百貨店ができて、このあたりはまったく新しい文化に変貌しつつあります。建ち残った建物を改造したレトロな居酒屋などもできて、以前とは違った町になりかけています。ただ、私らのようなロートルはちょっと風景にとけ込みにくそうなのが残念です(が私は気にせずウロつくのでありました)。

4月7日(火)

 立て続けにお花見をしています。

 昨夜は雨がかなり降っているのに、前からの予定のとおり大阪城西の丸庭園の夜桜を見るために仕事を定時に終えて出かけました。梅田でパートナーと待ち合わせたあと、地下鉄で谷町4丁目へ。すこし強い吹き降りのなか、平成の大改装なって金ぴかの大阪城が雨に煙るのを見ながら膝までぼとぼとに濡れながら根性の花見。傘をさしながら宴会をしていたグループがあったのには恐れ入りました。上には上がある。

 今日は施設に入所しておられるかたのうち30名弱を車で15分ほどのところにお連れしての施設行事としてのお花見。スタッフも特製弁当にありつけて、たいへんながらけっこう楽しんできました。

 夕刻、仕事を終えてタイムカードを押し、通用口から外にでると、外にスタッフが何人か集まっていて、これから花見だという。うーむ、行き先が五月山ということなら帰り道であるやはりおつきあいせざるをえないなあということで、ガヤガヤと歩きながら池田へ。五月山には3万5千本の桜があるとのことで、数だけなら吉野より多いらしい。適度に照明のあたったいい枝ぶりの下ですこし肌寒さを感じながらも盛り上がりました。

 明日は昼間にまた施設のゲストのお花見。今年は十分に桜を見せていただいてます。

北新地

 大阪城で雨に濡れたあと、食事をとるべく久しぶりに北新地に足を踏み入れました。新地でいま話題の回転寿司屋に行ってみようかという魂胆。

 それにしても北新地の人通りはほんとうに少なくなってしまっています。しかも、歩いている人の雰囲気がぜんぜん違う。高級クラブの女性たちが唐突に浮いてしまっているような感じがしました。社用族が不景気のために激減しているという話は聞いていましたが、これほどひどいとは思いませんでした。

 せっかく「北新地」という駅ができたのに。

 で、目的の寿司屋さん、ここだけはものすごい人だかり、延々と行列があってただちに退散。近くのビヤホールでドイツ民謡のライブを聞きながらぴり辛ソーセージをアテにレーベンブロイの生ジョッキをあおったのでありました。

4月3日(金)

 私の自宅マンションには東と西にベランダがついています(だから昼間の日当たりが悪い)。リビングのある東側は町内の生活道路に面していて、向かいのお屋敷にある大きな桜の古木がいつでも見えます。その桜がいま満開。残念なのは、夜には真っ暗になってしまうことで、人様のこととはいえ、ライトアップしたらきれいだろうになあと思います。

 西側は平屋のお宅を挟んでバス通りに面していまして、このお宅の裏庭、つまりわが家のベランダのすぐ前に大きな木が三本あります。そのため、こちらは視界がよくありません。バス通りの向こう側には幼稚園があって、この園庭にも桜が三本満開なのですが、よく見えません。

 ところが、帰宅して西側のベランダに面した部屋で着替えしながらふと気がつきますと、幼稚園の桜がたまたまいい位置にある街灯にライトアップされてみごとに見えるではありませんか。ん? なんでだ、と思ってベランダに出ますと、隣のお宅の木の枝がばっさりと剪定されています。それでわがベランダから西側が完全に開けていました。最高の夜桜です。右は明るいときの桜。

 部屋が明るくなっていいのですが、着替えをするのに気をつけないとバス通りからマル見えになりました(誰もオッサンの着替えなんか見ないか)。

梅田新道

 大阪駅前から御堂筋を南下して最初の大きな交差点、国道1号線と2号線が接続している交差点でもあるのですが、ここは「梅田新道(うめだしんみち)」略して(大阪は略すの好きでねえ)「うめしん」といいます。

 ずっと疑問なのですが、新道というからには道路の名前だと思うのですが、いまやこの名前は交差点の名称だけになっていまして、どの道が梅田新道なのかが分からないのでした。おそらくこの交差点から大阪駅前までの御堂筋のことではないかと思うのですが…。

 すぐ東の新御堂筋には「梅新東」という交差点があって、どんどん地名が変化していっています。

 ところで、大阪の略し好きですが、先日「まくど」のことが雑誌かなにかに載っていました。マクドナルドの略は東京では「マック」、大阪では「まくど」なんです。店や品物や地名の略称、つぎのものは分かりますか。

 ろいほ。いないち。げんちゃり。せんちゅう。あめむら。ぽんばし。はんこう。ひらぱー。うえろく。





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