駄理雑言 '97/6月上旬



6月15日/だらけ溜め

 今後8月はじめの週末まではずっと予定が入っていて、今日は当分味わえない予定のない休日でした。

 早くに目が醒めていましたが、娘は試合だというので早くに出ましたが、私はまどろんだり八倒したりしながら朝寝をし、入れ違いにパートナーが再度の朝寝をしたりして、活動開始が11時になりました。

 活動とはいえ、会員継続の手続だけのために大阪南港の某大規模店舗に出向いただけです。でも、この店で「除湿器」を衝動買いしてしまったりして、用もないのにこういう店に行ってはならないことを反省。

 午後早くに家に戻って、なんとなくだらけた時間をさらに過ごした休日でした。

 たまたま見ていた NHKの関西ローカル番組で、COMLの辻本さんと、親しい開業医さんが出ていたのに遭遇。

6月14日/父の日の前夜のおべんちゃら

 日頃の不義理もありますので、父が在宅であることを確認して午後から両親の家に行ってきました。正月に帰って以来なので半年ぶり。JR東西線ができたので、川西から京橋までそれで行って、梅田で雑踏をかき分けて乗換えするストレスがなくなったのが助かります。

 鶴橋で近鉄線に乗換えますが、ふと思い付いて「鶴橋市場」に立ち寄り、韓国食材の店で売っている非常に香りのいいゴマをみやげに購入。各種キムチにも食指が動きますが、帰路も含めた車内での匂いのことを考えて断念しました。

 駅から両親の家までには川沿いの桜並木があります。並木道はレンガで舗装しなおされていて、えらい雰囲気が変っていました。母に聞くと、これは「なみはや国体」のためのお化粧なんだそうです。桜はたっぷりと葉をつけて川にうっそうと覆いかぶさっていました。

 無難なところで父にネクタイを贈って、ひさしぶりに母の料理をごちそうになりました。差し引きすると、得したと思う :-)

6月13日/招き猫

 先日あるイベントに行きましたら「招き猫専門店」が出店してました。それはまあいろいろな猫ちゃんが並んで壮観。もともとはイヌ派の私ではありますが、思わず足を止めて見入ってしまったことでした。

 そしてそこで初めて知ったことなのですが(じつは私だけが知らなかったのかもしれませんが)、右手を上げている猫は「金招き」、左手を上げているのは「人招き」だそうです。両手を上げてる猫もいましたが、それでも左右のどちらかが上になっていまして、おなじ高さで両手というものはありませんでした。

 私はどちらかといえば左手上げがいいと思って、帰宅して家の招き猫を見ますと、あ、よかった左手バージョンでした。

6月12日/痛飲って快感

 「つういん」で変換しますと、医療者である私の辞書では当然のように「通院」となりました。でも、今夜の私は「痛飲」してきたのです。

 なにかというと飲みたい欲求が強い私にとって、おそらくいっしょに飲めば楽しいだろうというかたとの食事は、「痛飲」となります。それが今夜。

 痛飲後の酔いのために多くは書けません。でも、ワシは今夜は気分がエエんだよぉ←ほとんどたんなる酔っぱらい ^^;

6月11日/梅雨

 梅雨に入っているらしい。

 今日の北摂はずっとどんよりした梅雨らしいお天気で、これはこれで正しいもんだと思ったりします。

 午後から往診で走りまわっていましたが、クルマの冷房をかけると寒くなりすぎるし、切るとムシムシベタベタとして不快だし、ま、ジャケットをきちんと着用した状態での冷房が快適かいなという一日でした。

 何年か前までは、この梅雨というものは嫌いだったのですが、最近はなんとなく梅雨も流れのひとつかなと思って親しく感じるようになってきました。

 しかし、どーせなら、盛大に降って欲しいなあ。

6月10日/蚊取り線香―鳴呼ニッポンの夏

 昨年の暮れにいまのマンションに引っ越してきましたから、夏は初めてということになります。前のマンションは一階の部屋で、専用庭があるのがよかったのですが、蚊が多いのに辟易していました。で、こちらはどうなのかなと思っていたのですが、お屋敷街に隣接していて緑が多いだけあって、やはり蚊がもう現われてきたようです。

 で、蚊取り線香をつけました。偶然にも今朝パートナーが扇風機を出していたので、部屋は一気に夏になりました。

 夕刻に時間があってひさしぶりに金魚の水槽を掃除して、ベランダの植物に水をやり、窓を開け放って蚊取り線香の匂い。ニッポンの夏 :-)

6月9日/般若心経の扇子

 般若心経の扇子をいただきました。

 私は、まあ、どちらかといえば仏教徒であることを自覚していますから、この扇子はとくだんいやではないのですが、でもなんとなくそれで扇ぐのは抵抗があります。いや、扇ぐたびに般若心経の風が吹くのでいいのかもしれませんが…。

 字体がたいへんユニークなもので、デザインとしては気に入ってしまいました。人前で使っても唐突な感じではないので、おそらく愛用すると思いますが、しかし傷んでしまったときにも簡単に捨てることもできないなあと思う今日このごろ。

6月8日/「健康福祉まつり」と高齢化率のこと

 職場の隣りの自治体の「健康福祉まつり」というイベントを、その町にある訪問看護ステーションのスタッフに誘われて覗いてきました。

 あまりカンカン照りでないイベント日和、私の予想をはるかに越えた小さな子どもたちがめだつ会場でした。私はこの町にも訪問診察に出向いていまして、高齢化が激しいという印象を持っていたのでした。

 社会福祉協議会のパネルで小学校区ごとの高齢化率を提示したものがありました。それを見ますと、意外にも私の職場のある市より一部を除いてはるかに人口構成は若いほうにシフトしています。ちょっとショックでした。農村部イコール高齢化、独居高齢者と考えていたので、足をすくわれた思いでした。

 で、しばし考えてみますと、大阪からの距離は私の職場のある市よりさらに遠方になりますが、そのぶん地価は安く、また最近規模の大きなニュータウンが開発途上であったりしまして、要するに若いご世帯の転入が多くあるようなのです。だから、人口構成全体としては、高齢者の割合が低下しつつある、しかし人口増加分はほとんどが若い人たちだけの世帯。社会的に高齢者を支える状態にある若い世帯ではないのが、この町の問題であるように感じます。

 高齢者の割合の高い集落が若い人たちから孤立しているという、これはこれでちょっと深刻な事態になっているのではないでしょうか。

6月7日/3150号

 毎日乗っている阪急電車、しかも元とはいえいちおう「鉄ちゃん」のはしくれである私、今日まで気をつけなかったのは迂闊といえば迂闊だった…。

 今日の午後、大阪へと向かう電車、いちばん先頭の車輌3150号のいちばん前で景色を見ていました。そしてふと運転室の後ろの壁面を見て、思わず感激してしまったのです。そこの銘板にいわく「昭和39年ナニワ工機製造」。

 昭和39年といえば東京オリンピックの年。私は高校生です。ちょうど阪急宝塚線の岡町駅に友人がいて、しばしば宝塚線に乗って遊びに行っていたころ。いま私の自宅の最寄り駅である石橋駅でよく電車の写真を撮影していたころです。だからこの3150号は当時の最新鋭車輌であったことになります。

 阪急電車はずーーっと昔から茶色の塗装をかたくなに守っていて「阪急マルーン」として知られていますので、いまだに最新鋭の8000系と現役最古参の3000系とは、それなりの知識のある人でなければ区別がつかないかもしれません。3000系といえば、阪神淡路大震災で何輌かが被災し、側面が凹んだまま走っていたヤツもありました。

 約35年近く走り続けてきて、そうしていまだに急行運用でそれなりの速度で走っている、なんだか感動してしまいました。

6月6日/雨やで雨

 朝から激しい雨が降っていました。

 家を出て、クルマたちが信号の少ない裏道として利用している自宅前の道、ほとんどど真ん中を傘をさして歩いてバス停に向かいました。裏道を突っ走っていこうというクルマがつぎつぎに走ってきますが、道の真ん中近くを歩いている私を見て、しぶしぶ速度を落とすのが手に取るように分かります。ま、こちらはハネをあげられたくないために、わざと道の真ん中を歩いているわけで、目的は完全に達せられていました。

 おそらくドライバーたちは「こらぁもっと端っこ歩け」と言いたかったはずです。でも、ヒゲ面の、ふと見ればホームレスのおやじみたいな大男が相手では、速度を落とさざるをえなかったのでしょう。

 あんたらなあ、雨のときには水しぶきまで配慮できるのでなければ、クルマの運転はしてはあかんのだよぉ。

6月5日/白熱電灯

 原発はなるべくやめましょいなとか、無駄なエネルギーは使わないのが今風だとか、いろいろ言ってるわりには、私の家の照明器具の三分の二は白熱電灯なんです。

 一時は明るさを求めて完全に蛍光灯にしていたこともあります。おなじワット数なら、たしかに蛍光灯のほうが明るいのはたしかです。でもある時期から家で蛍光灯の明かりの下でいるのがイヤになったのですね。で、とりあえずリビングに白熱電灯を入れてみたら、すぐにハマってしまいました。うーんと、デジタルとアナログのちがいというのか…。白熱電灯風の光の蛍光灯というのもあって、使ってみたことはあるのですが、なんだか見た目だけ凝ったアンティークのような違和感がありました。

 そういうわけで、電力消費量は、電灯だけに限っていえばおそらく普通のご家庭よりかなり多いという、反コロジカルな暮らしをしているわけですが、そこはまあ冬にほとんど暖房しない、夏の冷房も数えるほどしか使わない、テレビは小さなものでひっそりと見ている、というようなことで相殺してくださいましね。

6月4日/鉄塔・武蔵野線

 銀林みのるさんが「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した「鉄塔・武蔵野線」、新潮文庫から出たのを読みました。書店でなにげなく取り上げて、やや唐突に買ってしまい、バスに乗って読みかけてみたらやめられなくて、そのまま怒涛的に3日間で読了してしまったのです。

 小学校5年生の男の子が、自宅近くの送電線の鉄塔から送電線沿いに続く鉄塔をずっと追いかけていくという物語です。読んでいて、近くの鉄道の線路配置をずっと調べて回った中学時代や、通学ルートの私鉄の電車の編成を調査した高校時代の私を思いだしました。そういえば、高校の同級生は旧国鉄の東海道線のすべての駅に途中下車しながら神戸から東京まで行くという目論見をたてて、これはまあ三日目に滋賀県と岐阜県の境くらいで断念したとか、信州松本から大阪まで自転車でノンストップで帰ってきたヤツとか、少年のころにはさまざまな、無意味な、しかしオモロいことをしていたもんだと思います。

 なぜかこういうバカバカしいことは、たいていは男の子のものでした。悪さもしたけど、ロマンのあるのは男の子だぜい、といってしまうと、女性から突っ込まれるでしょうかねぇ ^^;

6月3日/コンビニエンスストア

 いま、娘がコピーのために近所のコンビニにでかけました。徒歩1分ほどのところに関西では老舗の「L」という店があるのです。

 昨年秋、転居先を物色していたときに、職場からほど近い丘の中腹に私とパートナーがたいへん気にいった物件がありました。ただ、そこはかなりの坂を上がらなければならなかったので、娘が自転車でたいへんなことで嫌がるかな、と思ったのです。

 娘を同行してその物件をあらためて見たとき、彼女は「こんな近所にコンビニの一軒もないようなところはいやや」と言ったのでした。坂を自転車で登ることはたいして抵抗はなかったらしいのですが、コンビニがないことが重大な問題だったんですね。

 私はコンビニに関してはあまり好意的ではないのですが、しかしま、近所にそれがあるということは、これはこれでかなり便利なことは確かです。慣れというのは恐ろしいものです。

6月2日/落差

 月はじめで月曜日、おまけに昨日まで信州の空気のきれいな緑の中でウロついていたわけで、今日は都会のリズムがしんどいと心底思いました。落差が大きすぎます。

 目覚めたとたんにいつものようにクシャミを連発、昨日の朝にはまったくありませんでした。気持ちも重い。

 ま、静かな山里でゆったりと過ごしているのと、都会でアクセクと頭と身体を使い続けているのと、精神ならびにニクタイにはどっちがいいのか、私にもよく分からないのであった。

6月1日/さすがにちょっと辟易しました

 午後2時すぎに信越線滋野駅発の普通列車に乗ってから、篠ノ井で特急「しなの24号」に乗換え、名古屋で6分間という綱渡りで「ひかり」に飛び乗って新大阪、地下鉄で千里中央、大阪モノレールで蛍池、阪急宝塚線で石橋、阪急バスで自宅近くのバス停、なんだかものすごい乗り継ぎをして午後9時前に帰宅しました。

 いやぁさすがにちょっと疲れました。





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